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謹慎が解かれた日、山崎君に呼ばれて、僕は近藤さんの待つ執務室へ向かった。
扉を開けると部屋の空気が少しだけ重く感じられて、胸の奥が縮むけど、自分のしたことを思えば当然だ。
机の前に立ち、僕は深く頭を下げた。


「先日は軽率な振る舞いをしてしまい、申し訳ありませんでした」


短い沈黙のあと、顔を上げると、近藤さんは厳しい眼差しではなく静かに微笑んでいた。
その表情を見た途端、胸の奥に溜めていた緊張が少しだけ和らいでいく気がした。


「総司が反省していることはよくわかった。今回のことはもういい。就学の件も、専属騎士の候補の話も今まで通り進めよう。ただし……今後はもっと自分の立場と責任を考えて行動しなさい」


その穏やかだけど揺るがない声音に、僕は深く頷いた。


「はい、必ず。ありがとうございます、近藤さん」

「いいや、礼を言うのは俺のほうだ。セラのために必死で戦ってくれたこと、感謝している。ありがとうな」


その言葉が胸に落ちて、思わず拳を握りしめた。
叱責されても仕方がないと思っていたのに、返ってきたのは温かい言葉だった。

問題を起こしても尚、僕を信じて温かい言葉をかけてけれる近藤さんの恩に報いたい。
セラだけでなく、この人のためにも僕はしっかりと騎士の役割を全うしたいと考えながら微笑みを返した。


「それでな、一つ聞きたいのだが」

「はい?」

「セラとは一体どういった関係なんだ?」


少し言いにくそうに、けれど確かな意志を込めた声音で近藤さんが僕を見据える。
その突然の問い掛けに、僕が固まるのは無理もない。
まさかこんなに真正面から聞かれるとは思っていなかったから、答え方に非常に困るという話だ。


「どうも何も、僕とセラは兄妹のように仲睦まじくしてるだけですよ。それ以上でもそれ以下でもありません」

「そうなのか?とてもそうは見えんのだが」


近藤さんは疑うように目を細め、腕を組む。
僕も僕でセラのことを妹なんて思ったことすらないから、明らかな嘘に苦い気分になった。


「近藤さんの気のせいですよ。本当に何もないですって」

「ではセラが一方的にお前に好意を寄せているということかね?」

「いえ、あの子は僕のことを騎士や友人として慕ってくれているだけだと思いますよ」


セラが僕をどう思っているのか、本当のところはよくわからない。
でも先日のあの子の涙を思い出せば、少なくとも騎士として、なんて言葉で片付けられるほど単純な関係ではないことだけは理解していた。


「では、総司。お前はどうなんだ?」

「……僕ですか?」

「ああ。お前の正直な気持ちを聞かせてくれ」


近藤さんからの直球過ぎる質問に僕は息をのんだ。
これは冗談や嘘で誤魔化せる雰囲気ではない。
それどころか近藤さんの静かな声には娘を想う父親の真剣な想いが滲んでいて、下手な言葉を並べれば逆に不誠実になってしまう気がした。

でも本人に伝える前に、まさか父親である近藤さんにこの気持ちを打ち明けることになるなんて。
内心の動揺を悟られないように僕は深く息を吸い、背筋を伸ばしてしっかりと近藤さんを見据えた。


「セラお嬢様は僕にとってアストリア公爵家のお嬢様としては勿論、一人の女性としてとても大切な存在です。これから先、僕は命をかけてお嬢様をお護りする所存です」


……言ってしまった。
口にした瞬間、心臓がひどく高鳴るのを感じた。
近藤さんはしばらく何も言わずに僕を見つめていて、その沈黙が妙に長く感じられる。
僕の言葉をどう受け取られるのだろうかと考えれば、近藤さんの返答を聞くことが怖かった。
だから思わず唾を飲み込んだ、その時。


「……そうか」


静かに、けれど柔らかく近藤さんは微笑んだ。


「その気持ちを忘れず、これからもセラを護ってやってくれるか?」

「はい。僕の命に代えてもお護りします」

「ありがとうな。総司がついていてくれると俺も心強いよ」


その言葉に少しだけ胸が熱くなる。
でもその真意はまだわからず続きの言葉を待っていると、真っ直ぐな瞳が僕を捉えた。


「それと一つ約束してほしいことがある」

「なんでしょう?」

「これからの状況によっては、セラやこの公爵家にとって、必要な縁談が舞い込んでくる場合もあるだろう。その時、総司は潔く身を引いてくれるか?」

「……身を引く、ですか?」

「今はまだわからないが、万が一の話だ。その万が一があった時、たとえ総司とセラが恋仲だったとしても、あの子を諦めてくれるのか聞きたい」


セラをこの手から手放すという未来を、考えたことがなかったわけじゃない。
彼女の生まれや立場を考えれば、それはいつか訪れる現実なのかもしれない。
けれどそんな日が来るなんて、今は考えたくなかった。

なぜって、僕はずっとセラの傍にいたい。
ずっとあの子を護りたいし、あの愛らしい笑顔は出来ることなら僕だけに向けて欲しい。
セラが誰のものにもならずにただ僕の傍で笑っていてくれる未来を、どうしたって夢見てしまう自分がいた。

でも僕には近藤さんの言葉を拒否する権利はない。
拒否した瞬間に、セラの傍にいる資格すら失ってしまうとわかっているからだ。


「……はい。その時は、お嬢様の幸せのために身を引きます」


絞り出すようにそう告げるしかなかった。
僕の返答を聞いた近藤さんは静かに目を閉じると、そのままゆっくりと頷いた。


「すまないな。俺もセラが望むように生きられるなら、それが一番だと思っているよ。だが今の段階で、セラの思うようにさせてやると軽々しく約束することはできない」


誠実な近藤さんらしいと思った。
この人からしたら僕なんてまだまだ子供で、適当なことを言ってあしらうことも容易い。
それをしない近藤さんの誠実な言葉は、有難い反面、心に重くのし掛かるものでもあった。


「俺は公爵家の当主として生きてきたが、貴族の世界がどれだけ理不尽で、どれだけ思い通りにならないものかも嫌というほど見てきたからな。セラの意思を尊重したくても、それが叶わない場合があることはわかっているつもりだ。だからこそ総司に嘘をつくことはできないのだ」


それは近藤さん自身の無力感と、父親としての葛藤が滲んだ言葉だった。


「ただセラは強い子だ。あの子は己の意思をしっかり持っているし、この先何があったとしてもきっと最後には自分の道を選ぶだろう。だからもし総司がセラのそばにいてくれるというのなら、どんな時もあの子の心に寄り添ってあげてほしい」

「はい、必ず。僕はセラの気持ちを一番に大切にします」


どんな未来が待っていても、たとえあの子が別の誰かと婚姻を結ぶことになったとしても、それでも僕はセラを護りたい。
誰よりもあの子を想っているのは僕だからだ。


「ありがとうな。こんな話をしてしまって、申し訳ないと思っているよ。だが俺にとっても、セラはたった一人の大切な娘だ。わかってくれとは言わんが、少しでも理解してもらえたら嬉しいと思うぞ」

「はい……」


それ以上、何を言えばいいのかわからなかった。

僕は近藤さんの言葉の意味を理解している。
公爵家の娘として、セラには避けられない運命があることも、貴族という世界がどんな理不尽なもので成り立っているのかも理解しているつもりだ。
それでも心のどこかで納得できない自分が、無意識に口を開いていた。


「もし万が一、セラが嫌だと泣いて縋ったら……それでも、近藤さんはあの子をその相手に嫁がせますか?」


自分でも、こんなことを言うつもりはなかった。
でも、あの子が誰かに奪われる未来を想像しただけで言葉が勝手に出てしまっていた。


「セラが泣いて嫌だと?」


近藤さんは繰り返しながら、ふっと遠くを見るような目をした。
そして口の端を少しだけ歪め、苦笑する。


「実はな、総司。つい先日、あの子とそんな話をしたばかりなのだよ」 

「セラと……ですか?」

「俺はセラに言ったのだ。きちんとした家門に嫁いでもらわなければ困ると」


淡々とした口調だけど、言葉のひとつひとつが重かった。


「どうもな、セラは総司のことになると感情的になる。だからこの機会に距離を置いた方がいいだろうと話したら、急に黙り込んで……最後には、大嫌いだとまで言われてしまったよ」

「セラが近藤さんに?」

「セラは小さい頃から手のかからない子だったのだ。親である俺がこう言ってしまうのもどうかと思うが、母親が亡くなってからは特に模範的な子でな……わがままなんてほとんど言わなかったが、そんなあの子が感情を露わにして怒ったのは初めてだったよ。しかも総司のことになるとだ」


そんなことがあったなんて、僕は何も知らなかった。
セラがそこまで僕を想ってくれていたことが、胸に沁みて僕は自然と唇を結んだ。


「親としては戸惑いもある。だがな、初めて娘が見せたわがままの一つくらい、聞いてやりたいと思うのが親心というものだ。セラにとって総司は、間違いなく誰よりも特別な相手なのだろうな」


そう言いながら、近藤さんはゆっくりと微笑んだ。


「セラが泣いて嫌だと縋ったら、それでも嫁に出すかと聞いたな。正直なところ、そう簡単に答えが出せる話じゃない。だがあの子が本気で嫌がるなら、俺は無理に嫁がせたりはせんよ。あとは立場上どうにもならん縁談がこの家に舞い込まないことを願うばかりだ」


その言葉に僕の胸の奥が静かに揺れた。
それに僕も同じことを願わずにはいられない。
どうかあの子の人生が、誰かの都合で決められることのないようにと。


「総司、俺はお前に感謝している。何度もセラを助けてくれたな」

「いえ、僕は当然のことをしただけですよ」

「騎士という立場柄で言えば、そうかもしれん。だが当然のことだとしても、それを成し遂げるのは容易なことではない。総司はあの子の命を何度も救ってくれた。親としてこれほどの恩はないよ」


近藤さんの静かな言葉が、深く心に染み入る。
僕は少し視線を落とし、そっと息をついた。


「セラがどういう気持ちでいるのかは……僕にも全てはわかりません。ただあの子が僕に向けてくれる気持ちを軽く扱うつもりはないです」

「ああ、そうしてもらえると俺も安心だ」


近藤さんはゆっくりと頷いた。


「たとえ総司とセラがどんな関係になろうとも、互いを人として想い合うことだけは決して忘れないでくれ。恋仲になろうが、ならなかろうがな。総司とセラの間にあるものが、ただの一時の縁だったとは俺は思いたくないのだ」


近藤さんの想いを受け止めるのと同時に、僕はまだ自分の気持ちを伝えきれていない気がした。
目の前にいるのは、セラの父親であり、僕が最も信頼する人の一人だ。
中途半端な言葉ではなく、誠意をもって僕の本心を伝えるべきだと思った。


「僕はセラの傍にいられることを、ただの偶然だとは思っていません」


そう言うと、近藤さんは静かに僕を見つめた。


「僕はあの子の存在に救われています。セラが傍にいてくれることで、僕の方こそ何度も救われているんですよ。だからこそセラの気持ちを軽く扱うことも、悲しませることも絶対にしたくないと思っています」


自分の声が静かに響く。
言葉を紡ぐほどに、改めて心の奥から大切な想いが浮かび上がってくるようだった。


「セラが将来どんな選択をしても、僕はそのすべてを受け止めます。でも、もしセラか僕を必要としてくれるなら、それがどんな形であっても僕はその想いに応えたい。セラが笑っていられるように、それを護ることができるなら……僕は、どんなことでもするつもりです」


近藤さんはしばらく何も言わなかった。
静かに僕の言葉を受け止めるように目を閉じ、それからゆっくりと息をついた。


「……そうか。総司がそこまで想ってくれるなら、俺からは何も言うことはないな」


その言葉に、僕は静かに微笑んだ。
執務室の外からは暖かな夏の光が差し込み、近藤さんの優しい笑みを照らしていた。


「セラにも伝えたことだが、これからはお前達の好きにしなさい」

「え……?それはどういう」

「お前達を見ていれば、互いをどう思っているかはわかるつもりだ。これから先はお前達を信じて俺は口出しをしない。そのかわりセラを悲しませたり傷物にはしないで欲しい、いいかね?」

「……それは勿論ですが、本当に宜しいのですか?」

「ああ。総司はとても良くやってくれているし、俺もお前のことは信じている。だからこそセラのことは頼んだぞ、総司」

「は、はい……!ありがとうございます、近藤さん!」


珍しく声をあげた僕を見て、近藤さんは少しばかり笑っていた。
部屋を出てからも実感が湧かず、ただ現状では近藤さんの許しが出たことが嬉しかった。
勿論、この先どうなるのかは今の時点では予測不可能だけど、先のことで悩み過ぎるのは好きじゃない。
今はこの想いを精一杯大切にしたいと思った。


「すみません、セラは今どこにいます?」

「お嬢様は今、ヴァイオリンのレッスン中です。二時には終わると思いますよ」


城の中、侍女の一人に聞けばセラのことを教えて貰うことができた。
終わるまで待つつもりで庭園に向かった僕は、最初はベンチに座っていたものの、そのうち誘われるように野原の上に寝転がった。
昨晩は近藤さんと話すことに緊張してあまりよく眠れなかったから、今になってやたら眠い。


「会いたいな……」


セラに会って話したいことが沢山ある。
早く会いたいと思う気持ちは何度会っても消えないから、きっとこの先もずっと変わらないんだろう。
夏の風を肌に感じながらあの子の笑顔を思い出し、そっと瞳を閉じた僕がいた。


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