3
あれからどのくらい寝ていたんだろう。
夏の日差しが顔に当たり、眩しくて思わず身動ぎをする。
目を開けると僕に寄り添うように眠るセラがいて、僕は思わず目を幾度か瞬いた。
「え?なんで?」
公爵家の大事なお嬢様が男の隣で、しかも地べたに寝ていたなんて知れたら大変なことになる。
思わず周りを見渡したけど、思えばここは庭園の端っこ。
低木に囲まれていて目につきにくい場所だということを思い出し、思わずほっと息を吐いた。
けれどそんな僕の心情はお構いなしに、セラは控え目な寝息を立ててすやすやと眠っていた。
警戒心がまるでない寝顔や僕の手に頬を寄せている姿が可愛くて、目を離すことなく見つめてしまう。
長い睫毛や柔らかそうな曲線の白い肌をただ眺めながら、近藤さんから言われたことを思い出していた。
今後、もしセラに必要不可欠な縁談が訪れたら、僕は有無を言わさずこの子を諦めなければならない。
それはきっとこの子や僕の想いに関わらず決定事項なのだろう。
いつもは優しい近藤さんも、あの時ばかりは厳しい眼差しで僕を見ていた。
その未来が来てしまうのだとしたら、この子と過ごす思い出が多ければ多いほど辛くなる。
それは僕に限ったことではなく、この子も同じだ。
勿論、先の未来でセラが変わらず僕を想ってくれているかはわからないけど、この子に悲しい思いはさせたくない。
僕はセラの身体一つだけでなく、その心も護りたかった。
でも確実に来るとは言い切れない未来のために、この手を離せるのかと言ったら答えは否だ。
最初から諦めるくらいなら、僕はこの手を伸ばしたい。
ずっと前から、きっと出会った時から惹かれていたこの子に、自分の想いを伝えたいと思った。
『ん……』
柔らかい綺麗な髪を優しく撫でると、少し身動いだセラはゆっくりと瞼を持ち上げる。
そして二度瞬きをすると、ようやくその瞳に僕を映した。
『総司?』
「おはよ」
真上から見下ろすこの角度からのセラも気に入っていたけど、セラは少し驚いたらしい。
勢いよく上体を起こしたから、彼女の頭と僕の顎が激突するという惨事が起こった。
「いった……」
『いたぁ……』
「……君は何をやってるのさ」
『ごめん……だってびっくりしちゃって』
「びっくりしたのはこっちだよ。起きたら隣で君が寝てるから、一瞬ここがどこだかわからなくなったしね」
『総司が寝てたから私も横になってみたんだけど、気付いたら眠っちゃってたみたい』
少し恥ずかしそうにしながら笑う様子が可愛い過ぎるわけだけど、久しぶりに会ったせいか図書室でのやり取り以来だからか、いつもより気恥ずかしい。
セラも同じなのか、その口元に笑みはあるものの少し照れた様子で視線を逸らした。
『総司、怪我したんだよね?大丈夫なのかな……』
「うん、だいぶ塞がってきてるしあと少しで治りそうだよ。心配かけてごめんね」
『本当だよ……。総司が怪我したって聞いた時は凄く心配したんだからね。あんまり無茶はしないで欲しい……』
「うん、そうするしかないかな。山南さんにもお説教されちゃったよ。沖田君が無茶をすると悲しむ人がいるので自制してくださいって」
『ふふ、山南さんの言う通りだね。これからはちゃんと自制してくださいね?沖田くん』
「はい、わかりました」
山南さんの真似なのか、ふざけた様子でそう言ったセラに敢えて真面目に返事をする。
くすくす笑うセラが愛らしくて、見ているだけで心が穏やかになるから不思議だ。
『でもね、平助君と伊庭君から聞いたんだ。総司が怒ったのはその人達が私の誘拐を計画してたからじゃないかって。だから……悪い人達を捕まえてくれてありがとう』
正解には捕まえた数より葬った数の方が圧倒的に多いけど、こうして温かい言葉を掛けて貰えるのは嬉しかった。
世の中には護られて当然だと思っている上流貴族が多い中で、セラや近藤さんは人に寄り添える優しい人達だ。
あの日、アストリアの公爵家に拾って貰えなければ今僕はここにいないと考えると、巡り合わせは本当に不思議な縁だと思う。
「お礼を言われる程のことじゃないよ。やり過ぎて謹慎喰らってたくらいだしね」
『沢山暴れちゃったんだね、総司は』
「子供が暴れたみたいな言い方するのはやめて貰いたいな。これでも必死で剣振り回してたんだけど?」
『私は総司が任務に行く度、怪我をしないか心配なんだ。だから総司が無事で元気でいてくれるならそれでいいよ。危ない時は絶対無理しないで、自分の身体を一番に考えてね』
もうだいぶ前から僕は自分の価値を見出せていなかった。
家族もいなければ身寄りもない、そんな生活をしていたから誰かに心配されることもなかった。
でも今はこうして僕にとって一番大切だと思う人が、僕を案じて優しい言葉を掛けてくれる。
それが決して当たり前のことではないことを知っているから、この手の中でずっと大切にしたかった。
「うん、そうするよ。僕が怪我するとセラは泣いちゃうかもしれないからね」
『そうだよ、総司に何かあったら私の涙が枯れちゃうからやめてよね』
「はは、本当にそんなに泣いてくれるの?」
『当たり前だよ。沢山泣いちゃうし、もし総司に泣かされたら今度からその分、何かしてもらうって決めたんだ』
「勝手にそんなこと決められてもね」
『だめなの?』
可愛く強請るように見上げてくるのはずるいと思う。
それにたとえ泣かせなかったとしても、君がして欲しいと思うことならなんだってしてあげたいって思ってるんだけどね。
「いいよ。じゃあまずは、制服採寸の日のお詫びをしないとね。何をすればよろしいでしょうか、お嬢様?」
『この前の分はいいよ……』
「どうして?かなり泣かせちゃったと思うんだけど」
『あれはいいから……。だから忘れて欲しい……』
「残念ながら、忘れられないかな」
『もう……どうして?』
「どうしてって、あんなに可愛く泣かれちゃったら忘れられないよ」
誘拐されても泣かなかったセラは、何故か僕のことになると度々泣いてしまう。
僕の言葉に嬉し泣きをしたり、僕の身体を案じて涙をこぼしたり。
その数は決して多くはないけど、愛らしい泣き顔はいつも僕の心を掴んで離さなかった。
そして今回は初めてセラがその悲しみを惜しみなく僕に見せてくれたもの。
僕を想って涙を流すその姿は、なんていうか……もうとてつもなく可愛くて、思い出しただけでなんだか胸がむず痒くなる。
嬉しくて仕方ないのに、あんなふうに泣かせた自分が情けなくて。
それでもやっぱりあの泣き顔を思い出すたびに、早く会いたいと思う気持ちが抑えられなかった。
『またそういうこと言う』
「でも本心だよ。忘れたくないから代わりになんでもしてあげるよ」
『なんでも?』
「うん、セラが望むならなんだってしてあげるよ」
セラの髪を撫でると、アイスブルーの瞳は揺れて白い頬も僅かに染まる。
何かを期待するような、それでいて不安そうな表情が可愛くて、目を逸らすことなく見つめていた。
『……考えておくね?』
「今考えてたんじゃないの?」
『考えたけど、たくさんあり過ぎて絞れなかったの』
「ははっ、僕への要求がそんなにあるの?なんか怖いな」
『酷いよ、怖いなんて言わないで』
「どうしようかな、もしここから出てけとか言われたら」
『そんなこと言うわけないでしょ?』
「それなら良いんだけどね」
中々言いたいことを切り出せなかったけど、久しぶりにゆっくりと流れる二人の時間が心地良かった。
セラも嬉しそうに微笑みながら、ただ僕の隣にいてくれる。
それだけで心が満たされて、揺れる木漏れ日の下でセラのことを見つめていた。
このままあと少し踏み込めば、僕たちは変わる。
その確信があった。
だけど、まだこの時間を楽しみたい気持ちもあって、僕はセラの隣で微笑んだまま、敢えて何も言わなかった。
セラも同じ気持ちだったのかもしれない。
言葉にしないまま、でも寄り添うようにただ一緒にいる時間を楽しんでいた。
「この前、君を泣かせた時さ。好きな子ができたら真っ先にセラに言うって約束したよね」
僕がそう言うと、セラは一瞬きょとんとした後、目を大きく見開いて唇をきゅっと引き締めた。
『……うん』
「実はさ、とっくにいるんだよね。だからセラに報告しようと思って」
その言葉に、セラの表情が固まる。
驚きと、どこか戸惑いが混じったような瞳で僕をじっと見つめてくる。
『……そう、なの……?』
声が少し掠れている。
焦っているのが伝わってきて、可愛くて仕方ない。
「うん。どんな子か知りたい?」
『え?』
「ほら、セラには話すって約束したし」
僕の言葉に小さく頷きながら、セラは俯きかけたまま、ちらっと僕を伺うように見上げた。
その仕草があまりにも愛らしくて、僕の瞳は逸らすことなくセラを見つめていた。
「その子はね、おっとりしてるのに芯があって、時々頑固でさ。何か決めたらなかなか譲らないんだよね。でも頑張り屋で、誰かのためならどんなことでもしようとする。たまに無茶をすることもあるけど、凄く優しい子なんだ」
『……そうなんだ……?』
「うん。それから、ちょっと抜けてるところもあって、すぐに騙されそうになったりするし、妙なところで隙があるんだ。だから放っておけないっていうか、目が離せないっていうか」
セラはぎゅっとスカートの端を握りしめ、俯いてしまう。
わかってるんだろう、僕が誰のことを言ってるのか。
でもまだ確信できなくて、不安そうにしているのが表情に滲んでいた。
「あとすごく綺麗な髪をしてるんだよね。風に揺れると陽の光を受けてきらめくのが綺麗でさ。ついよく触っちゃうんだよ」
そう言ってセラの髪を優しく梳くと、その肩が小さく揺れた。
「あと、青い瞳もすごく綺麗かな。ちょっと困った顔をした時なんか思わずじっと見ていたくなるし、笑った時はもっと可愛くてさ。見てるだけで僕まで嬉しくなる。ほんとずるいくらいなんだよ」
『…………』
「それから、頑張って隠してるつもりでも、すぐに表情に出るところも可愛いんだよね。嬉しい時はすごくわかりやすいし、怒った時もすぐに顔に出る。でも恥ずかしい時だけは、なかなか素直にならないんだよね」
セラの頬がどんどん赤くなっていく。
手元に視線を落としたまま、僕を見ることすらしてくれなくなったその仕草すら愛おしかった。
「それからね」
僕はセラを見つめながら、静かに言葉を続ける。
「僕がふざけて意地悪を言うとすぐ拗ねるけど、優しい子だからすぐに許してくれるんだ。だから、ついまたかいたくなっちゃうんだけど」
『…………』
「でも、一番好きなのは……その子が、僕のことを特別に思ってくれてるって、感じられる瞬間かな」
セラは、耐えきれなくなったように抱えていた膝に顔を埋めてしまう。
『……うう』
か細い声で呟かれて、僕は思わず笑ってしまった。
「どうしたの?」
『だって……そんなふうに言われたら……』
俯いたまま、セラは小さく唇を噛む。
その耳まで赤く染まっているのが可愛くて、手を伸ばさずにはいられなくなった。
「セラ」
そっと彼女の手を取る。
驚いたように顔を上げたセラの瞳が、揺れる木漏れ日に透けて、僕の心臓をさらに速くした。
「今の話、誰のことかわかった?」
『……わかった……けど……』
ようやく絞り出した声が震えている。
「そっか。じゃあ僕の報告、ちゃんと伝わったんだね」
その頬がまだ赤いままで、恥ずかしさの中に微かな喜びが滲んでいるのが分かった。
僕が笑うと隣に座るセラも嬉しそうに笑ってくれるから、その顔を見ているだけでこっちも自然と頬が緩む。
「可愛いね」
『ん?』
「セラが可愛いなって思ってさ」
最初は何を言われたのかわかっていない様子のセラだったけど、理解すると頬がまた少し赤く染まっていく。
そして一度顔を逸らしたものの、直ぐに横目で僕を見ると照れながら言った。
『総司の方が格好良いよ』
「へえ、誰と比べて格好良いって思ってくれてるの?」
『えっと、それは……』
「伊庭君かな、それとも平助とか?あとは男前の左之さんかな」
からかうようにふざけてみると、セラはちょっとばかり膨れた様子をしてみせる。
でも大きな瞳で僕をじっと見つめると、少し上目で言った。
『総司が誰よりも一番格好良いよ』
稀に言われるセラからの真っ直ぐな言葉には、人をあしらうことが得意な僕でも、心中を揺さぶられてしまう。
そういう時に限ってじっと僕を見つめてくるから、その瞳に吸い寄せられるように手を伸ばした僕がいた。
ページ:
トップページへ