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公爵邸の庭園の隅っこ。
夏の日差しが僅かに差し込む木陰の下で、私は総司を見つめていた。
それは自分では抱えきれなくなった大きな想いを総司に伝えたくて、ずっと機会を窺っていたから。
私がずっと前から総司だけを見ていたこと。
総司のことが大好きで堪らないこと。
総司だってきっともうわかってるよね?


「セラ」


総司の指が私に伸ばされて、耳をなぞり髪を梳くように優しく私の髪を撫でてくれる。
私を見つめる瞳がいつもよりずっと熱っぽくて、その表情を見れば総司も私と同じ気持ちでいてくれていると信じることが出来た。

こんなに心臓が煩いのに、言葉より先に触れたいと思うのはどうしてだろう。
近づいてくる総司の顔から、目を逸らすことも出来なかった。
総司の情欲に潤んだ瞳が綺麗で、その目線が私の唇に落とされるとその温もりを待ち侘びずにはいられなくて。
頬を撫でる総司の指の温もりを心地良く感じながら、私の瞳も閉じられていった。


「セラお嬢様?いらっしゃいませんか?」


唇が重なる直前、直ぐ近くから私を呼ぶ山崎さんの声が聞こえて、私の身体は思わず揺れる。
総司も動きを止めて真顔になると、辺りを何度か見回していた。


「先生がいらっしゃってるのにどこに行ってしまわれたのでしょうね」

「沖田さんに会いに行くと言って城を出ていかれましたが……まさか今も沖田さんといらっしゃるということはないですよね」

「さすがにお嬢様に限ってそれはないのでは?今まで一度もレッスンに遅れたりすっぽかしたりしたことはありませんし」

「確かに倒れるまで無理されるお方ですからね。ですが沖田さんの影響で何か変わってしまった可能性も否めないような気も……」

「まあ……その可能性もなくはないでしょうが、取り敢えず体調が悪くなって倒れでもしていたら一大事です。私はこの近くを見て回るので、山崎君は騎士団の敷地を見に行って頂けませんか?」

「かしこまりました。侍女達が城内を探していると思いますので、もし見つかりましたら彼女達へのご報告もお願い致します」

「わかりました、ではまた後程」


山南さんと山崎さんの会話を息を殺して聞いていた私達は、互いに真顔で見つめ合う。
庭園の時計を見れば、いつの間にかもう三時半過ぎ。
人生初めての遅刻だ。


『どうしよう……寝てて時間のこと考えるの忘れてた』

「ははっ、馬鹿だね」

『馬鹿とか言わないで。総司の責任でもあるんだからね?』

「なんでさ。僕は君の予定なんて知らないし、まさかこの後授業があるのに寝てるなんて思わないじゃない」

『あれは……つい寝ちゃっただけなの』

「時間の管理はしっかりご自分でなさって下さいね?お嬢様」


山南さんの真似なのか何なのか、総司は悪戯に微笑んでそんなことを言ってくる。


『意地悪……』

「今頃知ったの?」

『もう……どうしよう……』

「静かに」


総司に言われて、慌てて自分の口を閉じる。
耳を澄まして様子を窺っていると、誰かが庭園の中へ入ってくる足音がした。
低木から覗けば、山南さんが私を探してここに入ってきたらしい。
気付かれたら大変だと総司に身を寄せると、総司がそんな私の手を握りそっと指を絡めた。


「いませんね……、どこに行かれてしまったのでしょうか」


山南さんが踵を返して去って行くと、庭園には再び静寂が訪れた。

夏の風が草花の香りを乗せてそよぐ。
強く吹いた瞬間、野に咲く花びらが舞い上がり陽の光を浴びてきらきらと輝いた。

ふと隣を見れば、総司も同じようにそれを眺めていた。
でも総司がふいに私へ視線を向けた瞬間、私の世界はまた総司だけになった。

どんなに美しい景色を見ても、総司と目が合えばそれ以上に心を奪われてしまう。
こんなふうに、私はずっと総司を想っていた。
ずっと、ずっと……、本当にずっと。


「セラ、好きだよ」


風に乗って届いたその言葉を聞いて、握った総司の手にぎゅっと力を込める。
何度も夢に見た言葉がこんなにも嬉しいなんて知らなかった。


『私も総司が大好きだよ』


ずっと言いたくて、でも言えなかった言葉をようやく口にできた時、想いと一緒に涙まで湧き上がってしまう。


「ありがとう、セラ」


名前を呼ぶ声が、夏の風に溶けていく。
いつもは少し意地悪そうに細められる総司の瞳が今はとても真剣で少し切なげで、私の心を強く揺さぶった。

総司の指がそっと私の頬に触れると、その温もりに身体が熱くなる。
私の頬に添えられた手がそっと首筋へと滑り、肩にかかる髪を指先で払われた時、ぞくりと甘い痺れが走った。

総司の顔がゆっくりと近づいてくると、心臓が壊れそうなくらい高鳴ってしまう。
息の仕方さえ、わからなくなりそうだった。


「……怖い?」


触れる寸前で、総司がそっと尋ねる。


『怖くなんて……ないよ』


だって、ずっと待ち焦がれていたから。
総司が私を見つめるたび、心を奪われて。
総司に触れられるたび、どうしようもなく惹かれてしまう。


『だって、ずっと総司が好きだったよ』

「……セラ」


私がそっと目を閉じると、総司の唇がゆっくりと重なった。
ふわりと柔らかくて、けれど思っていたよりも熱くて心が溶けてしまいそうだった。

総司の手が、私の頬を包むように優しく触れる。
その温もりが嬉しくて、私はそっと指を伸ばし総司のシャツをぎゅっと掴んだ。

もっと近づきたい、もっと触れたい。
そんな気持ちが抑えきれなくて、そっと身体を寄せる。
すると総司の腕が私の背中にまわされ、抱き寄せられた。
唇が離れた後も、総司は私を抱きしめたまま優しく額をこつんと合わせてきた。


「大好きだよ」

『私も大好き』

「でもさ、そんなにぎゅっとされたら、もう離せなくなるんだけど」

『離さなくていいよ』


小さく呟くと、総司は目を瞬かせ、それからふっと微笑んでくれる。
見つめ合って再び優しく唇が重なった時、総司のことが愛しくて堪らないと思った。
総司の頬を染める真夏の光も、総司の肩に揺れている木漏れ日も、指に触れる温もりだって、私は絶対に忘れない。
今日という当たり前の一日が、私の心に消えない夏の日になった瞬間だった。

きっと私はあの日から。
総司が私の手を引いて私のために必死で走ってくれたあの時から、私はこの人に惹かれていたのかもしれない。
総司についていけば大丈夫だって、どうしてかそう思えたんだよ。

そしてその想いは今ではもっと大きくなって、自分にとって一番大切な人になった。
護られることが当たり前だった人生の中で、初めて私が護りたいと思った人だ。


「僕がどれくらい君を好きなのか知ってる?」

『ふふ、わからないよ』

「じゃあこれからゆっくり教えてあげる。君がしつこいって言うくらいまで」

『私も教えてあげるね。総司と話したいこと沢山あるよ』


総司の隣にいると、夏の香りと一緒に総司の香りも感じることが出来る。
こんなに幸せなんて、怖いくらい。


「そんなにたくさんあるの?」


総司がふっと笑って、少しだけ顔を近づける。
夏の風がそよぐ中で、彼の瞳が優しく揺れていた。


『うん。だって総司と話すの、すごく楽しいよ』

「そっか。じゃあ、今日の分だけじゃ足りないね」

『うん……きっと、ずっと足りないと思う』


そう言った途端、なんだか恥ずかしくなって、思わず視線をそらしてしまう。
でも総司は逃がしてくれなくて、私の顎を指先でそっとすくい上げた。


「ちゃんと僕のほう見てよ」


ふわりと微笑む総司の顔が近くて、心臓がまた高鳴る。
でも少し意地悪そうなその瞳に何か企んでいるような気配を感じた時には、こつんと優しく額をぶつけられていた。


「はい、捕まえた」

『ふふ、なにそれ』


総司を見上げて笑ってしまうと、彼もちょっと得意気に笑っていた。


「セラ、顔赤くなってるよ」

『総司だって』

「僕?そんなことないよ」

『絶対なってるよ』


お互いに頬を染めたまま、少しの間見つめ合って、二人してくすくすと笑い出してしまった。
照れくさいのに、嬉しくて。
こんなふうに身を寄せ合って、笑い合えることが幸せで仕方なかった。


「こうやって君と話してると、ずっとここにいたくなるよ」

『……うん。私もずっとこのままがいい』


私たちの肩をなでるように、また風が吹く。
どこまでも続く青空の下、草花の香りが心地いい。
ずっと好きだった人とこうして想いが通じ合って寄り添っていられる。
こんなに幸せなことが他にあるのかな。


「セラといると、なんだか心が落ち着くんだよね」

『それは私もだよ』

「そっか。でも……」


総司は少しだけ考え込むような顔をして、それからふっと笑った。


「落ち着くのに、君のことを見てるとどうしようもなく愛しくもなるんだよね」


ふいにそんなことを言うから、胸がきゅっと締めつけられる。
総司は夏の風に髪を揺らしながら、静かに私を見つめていた。


「だから……セラが好きだよ。もうずっと前から、君のことが大好きだ」

『私も総司が大好き。とっても好き』


そっと寄り添うように、総司の肩に頭を預けた。
彼は少し目を瞬いていたけど、すぐに眉尻を下げながらもやわらかく微笑んでくれる。


「今日は随分甘えてくれるんだね」

『たまにはいいかなって』

「いつもでもいいよ」


そう言いながら、総司の手は私の指を優しく絡め取っていた。
手を繋いだまま夏の風に吹かれて、私たちは穏やかに微笑み合う。
この時間がずっと続けばいいと願わずにはいられなかった。


「そう言えば、先生待たせてるのに大丈夫なの?」

『あっ……忘れてた』

「ぷっ……はは、呑気でいいね」

『呑気なわけじゃないんだけど』

「まあ、初めての遅刻なんだからたまには良いんじゃない?人生経験ってことで」

『ふふ、総司らしい。でもそうだよね、遅刻しても死ぬわけじゃないし』

「そうそう。って、こんなこと言ってるから山崎君や山南さんに僕の影響でセラが変わったとか言われるんだってば。ちゃんと授業は受けないと駄目だよ」

『うん、もう少ししたら行くね』


本当はまだ総司といたいけど、総司と一緒にいる為にも私は私のやるべきことを頑張らなければならない。
頭を預けていた総司の右腕に一度擦り寄ってから、そろそろ行こうと立ち上がろうとした。
でも急に腕が柔らかく引かれて、そのままぎゅっと抱き締められる。
再び心臓がドキドキと煩く鳴ったけど、総司の腕の中は心地良くて仕方がなかった。


「今日の夜、久しぶりに会いに行ってもいい?」

『来てくれるの?』

「うん、最近は問題起こしたくなくて全然行けてなかったからね」

『嬉しい、ずっと総司が来てくれるの待ってたんだ』

「本当?」

『本当だよ。あの時から全然来てくれなくなったから、本当は少し寂しかったんだ』


見つかってしまうリスクを考えれば頻繁に来るのは危険だけど、思わず本音が出てしまうのは、大好きなこの人に甘えたいからかもしれない。
総司を抱きしめる腕を強めてその胸に擦り寄ると、本当に満たされる。


「あんまり可愛いこと言わないでくれる?余計離れ難くなるよ」

『だったら離れなければいいんじゃない?』

「はは、確かに。じゃあ一緒について行こうかな、先生に一緒に僕も授業受けていいですかって聞いたら案外許可取れちゃったりしてね」

『ふふ、それはそれで面白そう。でももう少ししたら一緒に学院にも通えるし、一緒にいられる時間が増えるね。だから今は我慢して行ってくる』


名残惜しく感じながらも総司の腕から出ると、彼もうんと頷いている。
改めて顔を見ると恥ずかしくなるけど、それ以上に実感が湧かないくらい嬉しい。


「頑張ってね。僕も稽古行ってくるよ」

『ありがとう。総司も頑張ってね。あと……夜待ってる』


微笑む総司に背を向けて、私は自分のやるべきことのため、屋敷の中へと戻って行く。
その足取りが軽かったのは言うまでもなくて、今ならどんなに大変な勉強も全て乗り切れそうな気がした。

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