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学院に入って数週間が経った。
環境の変化にはそれなりに慣れてきたものの、貴族の子女たちとの付き合いにはまだ気を遣うことが多い。
初日に色々やらかした分、アストリア公爵家の名に恥じないよう僕はそれなりに真面目な学院生活を送っていた。

でも学院に来たことで、僕の生活は一変した。
今まではアストリア騎士団の騎士として、そしてセラの専属の護衛として過ごしてきた僕も、ここでは立場が少し変わる。
学院内では、いち生徒としての顔を求められることが多かった。
それが時にもどかしい気持ちにさせることはあるものの、僕がセラの護衛であることに変わりはない。
どんなに催しがあろうと、貴族の子息がセラに声をかけようと、出来る限りセラの傍にいて彼女の安全を護りたいと考えていた。

そんな中、学院では新入生のために一泊二日のオリエンテーションが行われることになった。
これは、学院での生活を円滑に始めるために重要な役割を果たしているらしい。
学院内の規則や施設の使い方、日常生活に必要な基本的なことを学び、学生としての意識を高める機会になるんだとか。
グロワール邸での宿泊もその一環だという話だけど、普段の授業ではなかなか触れられない学院内での秩序を学び、交流を深めるための大切な時間だと説明を受けた。


「この一泊は、新しい環境に不安を抱えておられる新入生の皆さまにとりまして、少しでも心安らぐひとときをお過ごしいただくためのものでございます。オリエンテーションにおきましては、学院の教師や先輩方から直接お話を伺う機会や、簡単なレクリエーションを通じて学院の仲間との親睦を深めていただく機会をご用意しております。やや堅苦しくお感じになられるかもしれませんが、必要な情報を確実に身につけ、今後の学院生活をどのように歩んでいかれるかをお考えいただくうえで、この一泊は極めて意義深いものとなることでしょう。皆さまにとって、有意義で実り多い時間となりますことを心より願っております」


講堂での説明が終わり、オリエンテーションが開始される。
昼間は庭園散策会が行われるらしく、僕達は大庭園へと足を運んだ。
これは正式なものとはまた違い、生徒同士が気楽に親睦を深めることを目的としているらしい。
学院の広大な庭園を歩きながら、花々を愛で、貴族同士の交流を深めるための社交の場だった。


「へえ、庭園散策会か。すげー広いんだな」


平助が学院の大庭園を眺めながらそう言うと、伊庭君も隣で微笑んでいる。


「ええ。こちらの学院の庭園は美しいと評判ですし、ちょうど見頃を迎えた花々も多いそうですよ」


色とりどりの花が咲き誇る中、周りは優雅に歩きながら談笑し、時折庭師達によって手入れされた花々を鑑賞している。
セラの傍には僕がいて、そして少し離れた場所には平助と伊庭君も控えていた。

学院内でもセラはとりわけ目を引く。
公爵令嬢という立場もさることながら、その容姿も気品も他の女子生徒達とは一線を画していた。
あんな噂が立った後でも、多くの子息たちが彼女に興味を示し、次々と話しかけてくるのは致し方のないことで。
まるで舞踏会のようなその場で中心にいるのは、やっぱりセラだった。


「お会いできて光栄です、セラ嬢」


次々と声をかけられ、セラはそのたびに微笑みを返す。
誰もが見惚れそして魅了されていくのを、僕は少し離れたところから見ていた。
セラにとってこういう場はまだ慣れない筈なのに、そんなことは感じさせないから大したものだけど。
僕の出る幕なんてないと思えば、胸の奥が少しざわつく気がした。


「なあ、セラって人気あり過ぎじゃね?さっきから全く人が引かないじゃん」

「仕方ないですよ。公爵家のご令嬢という肩書きも勿論ですが、セラは魅力的ですからね。彼女と言葉を交わしたいと思われる方が多いのは当然です。ですが、こうもひっきりなしだとセラが疲れてしまわないか心配ですけど」

「まったくだよね。それに女の子はさておき、男達はしつこい奴が多くない?セラが困ってるように見えるんだけど」

「でも俺達が割って入って何かやらかしたら、それこそセラに迷惑かけちまうじゃん」

「はあ……、そうなんだよね。これで僕が王族の人間とかだったら、迷わず斬って捨てるんだけどな」

「沖田君、物騒なこと言わないでくださいよ。誰かに聞かれたらどうするんです?」

「げ、また誰か来た」


平助が心底嫌そうにそう呟いたのは、見たこともないご令嬢数人が僕達に向かって歩いてきていたからだった。


「はじめまして、アストリア騎士団のみなさま」

「お会いできて光栄です」


侯爵や伯爵、子爵や男爵などのご息女達が、やたらと僕達のところにやってくる。
学院には将来の伴侶との出会いを探すために入学する者も多いとは聞くけど、ご令嬢達の品定めする視線や自分を良く見せようとする計算高さには次第に疲れてくる。
最初こそ笑顔で受け答えしていた僕達も、段々とうんざり気味に顔を引き攣らせていた。

そしてその時、ふとセラを見れば何やら少し強引に声をかけられているように見える。
「ぜひ二人でお話を」と数人の男達に詰め寄られている姿を目にしたから、彼女の名前を呼ぼうとして少しだけ迷った。

でもそのままじっと見ていると、セラが一瞬だけ僕の方へ視線を向けた。
その瞳はほんのわずかに僕に助けを求めるように揺れていたから、「僕は席を外しますね」とご令嬢達に告げてセラの元に足を進めた。


「セラ、ちょっといい?」


名前を呼ぶと、周りにいた生徒達が名残惜しそうに引いていく。
セラも「失礼します」と微笑んで、僕の傍へと寄ってきた。
そしてほんの小さく息を吐くと、愛らしい瞳で僕を見上げて僕の名を呼んだ。


『総司』


僕にしか聞こえないくらいの小さな声。
その甘えた響きや音色も、嬉しそうに微笑む顔も、僕だけに向けられていることが嬉しかった。


「疲れた?」


ささやくように尋ねると、彼女は控えめに首を横に振る。


『ううん、疲れてないよ』


言葉とは裏腹に、彼女はさりげなく僕の袖の端を指先で摘まむ。
その様子が先程までの凛とした雰囲気とは全くの別物だったから、僕がくすくす笑うと、彼女もちょっと悪戯に微笑んでいる。


「ははっ、そっか」

『話しかけて頂けるのはありがたいことだから、ちゃんとお返事しないとね』

「そうだね」


触れられない代わりにそっと彼女の髪飾りを直す。
それは、以前僕が建国祭のときに選んで贈ったものだった。


「セラってさ、皆の前と僕の前で随分違うよね」

『え?そうかな?』

「うん。皆の前では誰もが見惚れる完璧な公爵令嬢だけど」

『総司の前では何?』

「僕の前では、なんだろうな……普通の女の子かな」


そう言いながら、僕は少し意地悪く笑った。


「たまに甘えたり膨れたり、恥ずかしがったりするところもあるしさ」


セラが恥ずかしそうに瞳を伏せて、口を噤むのが見えた。
でもセラのありのままの姿が好きな僕にとっては、素の彼女の姿が見られることは嬉しいことだった。


『総司の前でも淑女でいた方がいい?』

「まさか。僕の前では素のままでいてよ」


僕達は今まで、時間の許す限り沢山の話をしてきた。
それぞれの生活のことや自分達のこと、最近の出来事や今考えていること。
勿論、全てを包み隠さず話してきたわけじゃないけど、素直で真っ直ぐなこの子と話す時間や、ありのまま接してくれる愛らしさは、僕の唯一の癒しであり特別なものだった。

だから僕にとって大事なセラ本来の姿は、出来ることなら僕だけが独り占めしたい。
一年後、二年後、これから先の未来もずっと、僕にだけ見せて欲しいと願うよ。


『じゃあさ、私の前にいる総司はありのままの総司?』


僕を見上げてそう言ったセラは、ふわりと微笑んでそんなことを聞いてくる。


「さあ、どうだろうね」


勿論セラに対する感情は間違いなく本物で、彼女に見せる僕の姿も間違いなく僕自身だ。
でも、僕が併せ持つ顔はきっとそれだけじゃない。
時折心に浮かんでくる醜い感情は、この子には絶対見せたくはないと思う僕がいる。


『……違うの?』


少し不安そうに揺らいだ瞳は、僕が優しいことを言えば嬉しそうに細められ、少し意地悪すれば潤み出す。
僕の匙加減でいとも簡単に変わるその表情が可愛いくて、何度見ても僕はこの子が愛おしくてたまらないと思ってしまう。


「違うわけないでしょ。セラにはいつも素で話してるよ」

『良かった』

「仮に違ったらどうするの?」

『総司がありのままの姿を見せてくれるまで待ってるよ』

「それもまた、ずいぶん気長だね」


冗談めかして言えば、セラは「だって」と、何の迷いもなく続ける。


『総司が隠したいなら、それは無理に聞かないよ。でもいつか話したいなって思ってくれたなら、その時はちゃんと聞くよ』


思えば僕がまだ見習いだった頃、セラは僕の様子を気にしながらも根掘り葉掘り聞いてくることはしなかった。
僕が話したくないと思うことを察し、一定の距離を保ちながらも、温かい言葉をかけてくれる子だった。
だからこそ僕はセラといる時間が心地良かったし、どうしようもなくこの子に惹かれた。
でも時折、この綺麗な瞳に僕はどう映っているんだろうと考えてしまうことはあった。


「そんなこと言って、僕がずっと話さなかったらどうするの?」

『どうもしないよ。総司が話したくなるまで待つだけだよ』


迷いのない声。
まるで、僕がどれだけ心を閉ざそうと、そこに手を伸ばし続けるみたいに。

でも僕が逆の立場なら、同じことは言えない。
僕はこの子の考えも、状況も、望みだって、すべてを知りたいし、僕にはすべてを見せてほしいと思ってしまう。
どんな些細なことでも隠されたら嫌だと思ってしまうこの貪欲さが、セラとの決定的な違いだとしたら。
いずれ僕のこの欲求が、僕たちの間に溝を作るきっかけにならないか。
そんなことを考えると、少し怖くもなった。


「セラは、そうやって待つことができるんだね」

『うん。待つのは得意だよ。それに私は待ってる時間も悪くないって思うけどな』

「どうして?」

『だって、その先に総司がいるから』


ふわりと笑って、セラはそう言った。
僕はセラほどまっすぐに誰かを信じることができないから、正直共感は出来ない。
でも僕と違うからこそ、こうしてこの子の純粋さに惹かれてしまうのだろうと思った。


「でも待つだけって結構大変だと思うよ。そんな簡単なことじゃないと思うけどね」

『でも話したくないことを無理に聞いたって、意味がないって思うから』

「でもさ、それって結局は僕がずっと黙ってたら、そのままずっと待ち続けるってこと?僕が一生言わなかったらセラはどうするのさ」


僕が何を言おうと、この子が変わらないことはわかってる。
それでも少しだけ揺さぶりたくなるのは、僕の悪い癖だ。


『そのときは……』


セラは少しだけ首を傾げて、考えるように視線を巡らせ、そして愛らしく微笑んだ。


『それでも、待ってると思うな。待つのなんて、全然平気だよ』


そんなの、平気なわけない。
僕が何も言わなかったら、きっとセラは不安になるだろうし、僕が心を閉ざしたら、きっと一人で泣いてしまうかもしれない。
それでもセラは、待つことを選ぶのだとしたら、僕に残された道は一つしかないように思えて、思わずため息を吐き出した。


「セラって、少しずるいよね」

『え?』

「そんなこと言われたら、僕はもう黙ってなんかいられないじゃない」

『ふふ、良かった』


素直で、まっすぐで、どこまでも純粋で。
どんな僕も受け入れてくれるような、そんな優しさを持っている。
満足そうに微笑むセラを見て、僕は思わず息をついた。


「ありがとう」


それが、今の僕に言える精一杯の言葉だった。
セラは少し驚いたように瞬きをして、それからふわりと微笑む。


『どういたしまして?でも何が?総司って、たまに変なこと言うよね』

「そっちこそ。たまにじゃなくて、いつも変なこと言ってるよ」

『え、酷い。そんなことないよ』


くすくすと笑うセラを見ながら、僕はただこの穏やかな時間がずっと続けばいいと願った。
僕の言葉を待ち続けるなんて言わせないように、僕はセラの想いに応えていきたいと彼女に向かって微笑みを浮かべた。

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