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夕食の時間も終わりお風呂から上がった私は、それぞれ夜の時間を過ごしていた。
暖かなお湯の余韻がまだ肌に残り、頬もほんのりと火照ったまま。
鏡の前でゆっくりと髪を梳かしながら、今日一日のことを思い返していた。
学院に入学して初めてのオリエンテーションは思った以上に慌ただしく、それでいてとても新鮮だった。
公爵邸から出て、こうして外泊することも初めてだし、学院に入ってからは様々なことが初体験。
慣れないながらも日々をこなしていけば、いずれこんな毎日が当たり前になるのかなとぼんやり自分の顔を見つめていた。
けれどふと視界に入ったのは、今日の昼間総司から「持ってて」と言われて預かった剣の柄飾り。
返し忘れていたことに今更気付いて、私の視線はその包みに釘付けになった。
『どうしよう……』
剣の柄飾りは騎士にとってただの飾りではなく、手に馴染んだ大切なもののはず。
もしかしたら総司は困っているかもしれないと思えば、すぐにでも返してあげるべきだと思った。
『私、ちょっとだけ出てくるね』
じっとしていられなくて、同じ部屋の子達にそれだけ告げて、私はそっと部屋を出た。
ナイトドレスの上に薄手のカーディガンを羽織り、足音を立てないよう廊下を歩く。
グロワール邸はWESTが女生徒の部屋、EASTが男子生徒の部屋に分かれているから、少し落ち着かない気持ちでEASTの廊下に足を踏み入いれた。
『総司の部屋、どこかな』
静まり返った廊下には誰もいなくて、思わず胸の前で包みをぎゅっと握りしめた時。
不意に目の前から足音が聞こえて、私は弾かれるように顔を上げた。
「あれ?セラ?なんでここにいるの?」
静かな廊下で、不思議そうに私を見つめる総司。
湯上がりの総司は部屋着に身を包み、胸元は無造作にはだけていて、鎖骨のあたりがほんのりと濡れている。
湿り気の残る髪が艶やかに揺れている様子がどこか色っぽくて、無意識にドキドキしてしまった。
『あのね……総司の柄飾り、預かったまま持ってきちゃったの。気づいたら部屋にあって、返さないとって思って』
「わざわざ持ってきてくれたの?明日でもよかったのに」
『でも、大切なものだから。もし夜に何かあったら、これがないと困るかもしれないって思って』
総司はちらりと私の手元に視線を落とし、柔らかく微笑んでくれる。
けれど丁度その時、少し遠くから賑やかな声が響いてきた。
「風呂、気持ちよかったな」
「部屋戻ったら、何か飲もうか」
他の男子生徒たちが戻ってくる声がする。
私は総司にこれを渡してそのまま部屋へ戻ろうと思ったけど、不意に手を取られ総司の方へと引き寄せられた。
『……え?』
驚く間もなく私は総司の部屋へと招き入れられて、扉が静かに閉まる。
顔を上げるとすぐ目の前に総司がいた。
「こんなところに来るなんて、悪い子だね」
総司から言われた言葉に目を瞬いたけど、その言葉とは裏腹にその瞳はどこか優しい。
『だめだった?』
「だめに決まってるでしょ」
『どうして?』
「わからないの?」
総司の手がそっと私の頬を撫でる。
熱が残る肌に総司の指先が触れた時、ひやりとした感触が走った。
「セラもお風呂上がり?」
『うん』
「そっか」
総司の視線がより優しくなった気がする。
首を傾げていると、急に身体を持ち上げられ、気づけばベッドに座る総司の胡座の上に横抱きにされていた。
逞しい腕の中に抱き込まれてしまえば、身体はそのみ動けなくなる。
総司はゆっくりと私の髪を耳にかけ、優しい手付きで再び頬を撫でてきた。
「こんなに頬を赤くしたまま来たらだめでしょ。他の人達にその顔見せるつもり?」
『そんなつもりじゃ……』
「僕以外の誰かに見られてたら、どうするつもりだったの?」
『そんなことまで考えてなかったから』
「セラはそういうところ、無防備すぎるんだよね」
ゆっくりと顔が近づいてくれば避けることは出来なくて、そのまま柔らかな唇が触れた。
熱くて溶けそうで、他のことが何も考えられなくなる。
いまだにこういう行為には全然慣れなくて、総司に触られる度、心臓が激しくなりすぎて苦しくなるくらいだった。
でも重なったのはほんの一瞬で、すぐに離れていく唇。
その僅かな時間だけでも、私の心は総司だけで満たされていく。
『誰か来るかもしれないよ』
「平気だよ。まだ戻ってこないから」
それでもそわそわする気持ちは止まらない。
少し顔を上げれば、唇が触れそうな距離に総司の顔があって、それでも触れてはもらえないもどかしさに心がきゅっと反応してしまう。
『総司』
「ん?」
『好き……』
気づけば、小さく呟いてしまっていた。
総司の瞳が僅かに揺れて、すぐに柔らかく細められた。
「僕もセラが好きだよ」
頬に触れていた指がそっと動き、親指が私の唇を撫でていく。
身体の奥がぞくりとして思わず唇を結ぶと、総司の顔がゆっくり近付いてきた。
私を気遣うように、再びそっと唇が重ねられる。
その触れ方はとても優しくて、総司の愛情を感じることができるから、身体の奥が熱く火照っていくのを感じた。
『……ん……』
こんなことをしていていい場所ではないのに、あと一回、あと二回と、その温もりから離れたくないと思ってしまう私がいる。
でも何度も触れ合う唇に胸がいっぱいになり過ぎて、そっと総司の胸を押した。
『あの……誰か戻ってきたら、本当に……』
「平助達なら今頃女の子達につかまってるから、まだ帰ってこないと思うんだよね」
思わず顔を上げると、総司は少し困ったように微笑んだ。
「今日は交流会もあったし、やたら女の子たちが話しかけてきてさ。平助も伊庭君もはじめ君も、逃げられなくて捕まってたよ」
『じゃあ……総司は?』
「僕?面倒だから逃げてきちゃった」
『そんなことして大丈夫なの?』
「別にいいんじゃない?それより、セラに会えたから早めに戻ってきて良かったよ」
そうだったんだ。
確かに今日は総司や他の皆も、頻繁に女の子達に話しかけられていた。
その度に少しそわそわしていたけど、総司は気の合う女の子とか見つけたのかな。
その子と特別な関係になったら……嫌だな。
「セラ?」
『あ、うん……』
総司のことは信じてる。
でもクローゼットにいた時に聞こえてきた会話を思い出せば、総司が女の子達から人気があることは明確だからどうしても心配になってしまう。
好きだからこそ不安は拭えなくて、気づけば総司の胸元の服をぎゅっと掴んだ私がいた。
『私より仲良い女の子、作らないでね?』
恥ずかしくて小さく呟くと、総司は一瞬きょとんとした後、ふっと目を細めて微笑んだ。
「そんなの、作るわけないでしょ?僕が好きなのはセラだけだから」
嬉しくて、でもどこか不安で、総司の服を掴んだまま総司を見上げていた。
『私のこと、ずっと一番好きでいてくれる?』
あやすように私の髪を撫でていた総司の指が、なぜか急にぴくりと動いた。
「そんな顔で可愛いこと言われても困るんだけどね」
総司が真顔でそう言ったかと思うと、ぐいっと腕を引かれてベッドに倒れ込んでいた。
驚いて目を瞬かせる私の上に、総司が覆いかぶさるようにして見下ろしている。
「僕はこれから先も、ずっとセラのことだけが好きだよ。だからセラも僕のことだけ好きでいてよ」
『私が好きなのはこれから先も総司だけだよ』
「じゃあ君はもう僕のものだよ。もう絶対他の誰にも渡さないけど、いいんだよね?」
低く甘い声と一緒に耳元にキスが落とされて、背筋がぞくりとする。
小さく肯定の返事をすると、総司の瞳はいつもより少し熱を帯びていて、すぐに唇が塞がれた。
『ん……っ』
甘噛みするようなキスは、いつもよりしっかり押し付けられているのに甘くて、頭がぼんやりしてくる。
総司の香りと石鹸の香りが私の心と身体を酔わせるように、ふんわりと漂ってきていた。
唇が離れたと思えば、今度は頬に耳、首筋にその唇がそっと触れる。
『やだ、くすぐったいよ』
「もっとセラの声、聞かせて」
どうしよう、これ以上は心臓がおかしくなってしまいそう。
思わず伸ばした両手で総司の唇を覆えば、私に覆い被さったままの総司は目をぱちくりさせている。
『……もうだめ……』
両手で総司の唇を覆ったままじっと見上げると、総司は目を瞬いた後くすくすと楽しそうに笑った。
「なにそれ。逆に可愛すぎて困るんだけど」
『だって……』
唇を塞がれないように両手で押さえているのに、総司の目はますます楽しそうに細められていく。
「なんかすごく必死だね」
『だって総司が……』
「僕がなにさ」
『……いっぱい、してくるから……』
「この状況でそういうこと言う?もう煽ってるようにしか聞こえないよね」
その言葉を聞いて、なんだか嫌な予感がしてしまう。
距離を取ろうとしたけど、総司の腕が私の腰に回っていて逃げられない。
総司の唇にあてた手すら掴まれてしまうから、今度は自分の唇に両手を添えた。
「ねえ、セラ。手、どけて?」
『やだ、これ以上は無理だよ』
「どうして?」
『ドキドキし過ぎて……心臓がもたないから……』
「ははっ、そっか」
総司が少し考え込むようにしたかと思うと、また優しい笑みを浮かべた。
「じゃあこうしよっか」
次の瞬間、ふわりと頬に柔らかいものが触れる。
驚いて目を瞬かせると、総司は私の両頬にキスを落としていた。
「手をどけないなら、違うところにさせてもらうだけだけど」
『……え?』
「ほら、ここも」
そう言って、今度はおでこに。
『んん……』
「それから、ここも」
耳や頬、首筋にもくすぐったくなるくらいにふわりと唇を寄せられて、思わずきつく目を閉じた。
『総司、そういうことするのずるいよ』
「えー?ずるいのはどっち?」
くすくすと笑う総司が、どこか嬉しそうでどこか意地悪で。
でも総司が笑っていると私も嬉しいから笑顔になる。
「まさかオリエンテーション中に、セラと二人になれるなんて思わなかったよ。城にいても中々二人きりになるのは難しいからね」
私達はお互いにしなければならないことが山積みで、合間時間にお城の庭園に出向いても会えないことは頻繁にある。
会えたとしても長い時間を一緒に過ごせるわけではないし、人目も気になる。
唯一こっそり会える場所は、以前総司が昼寝をしていた庭園の端っこ。
低木が続く後ろに身を隠した時だけだった。
だから緊張はしていても、こうして束の間の時間を総司と二人で過ごせることは幸せ。
そう思えば恥ずかしがるより、ただ素直に総司と寄り添っていたいと思うから、私は口を隠していた手をそっと下ろした。
『もういいよ』
「ほんと?」
『うん』
少しだけ恥ずかしくて視線をそらしてしまったけど、顔の前が陰ったとほぼ同時に、柔らかく唇が重なった。
優しくなぞるような甘い口付けに胸がいっぱいになる。
髪や頬を撫でてくれる総司の温かい手が、本当に大好きだ。
『ずっとこうしてたいな』
「じゃあ、ずっとこうしてよっか」
総司は私の額にそっとキスを落とす。
このままずっと二人だけの時間が続けばいいのにと思っていると、聞き覚えのある声が廊下から聞こえてきた。
「あー、疲れた。つーか総司の奴、俺達に押し付けて一人で帰っちまうとか酷いんだけど」
「本当ですよ。まあ、沖田君にしては今日一日よく我慢していた方かもしれませんけどね」
「あんた達も総司には苦労してるのだな」
「そうなんだよ、はじめ君。この前もさ」
平助君達の声だと気付いて、私と総司は無言で顔を見合わせる。
そしてその時には部屋の扉が開く音がして、私の上には勢いよくコンフォーターがかけられていた。
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