4

店を出る頃には日が傾き始めていて、街の灯りが少しずつ灯り始めていた。
建国祭の賑やかな喧騒が戻ってくる中、僕のすぐ隣を歩いているセラは、少し微笑み僕の袖を柔らかく引いた。


『総司?』

「ん?どうしたの?」

『あのね、あそこのお店……』


セラが指差したのは、アンティーク調の雑貨屋。
ショーウィンドウには数々の可愛らしい小物が並んでいた。


「気になる?」

『うん。ちょっとだけ、見てもいい?』

「もちろん」


店内には春の暖かな夕日が差し込み、棚に並ぶ小物たちを優しく照らしていた。
淡くきらめくガラス細工、繊細な細工が施された髪飾り、柔らかな色合いのリボンや手袋。
どれもこれも春の訪れを感じさせるような、華やかなものばかりだった。

そんな店の中をゆっくりと歩きながら、僕はふと隣のセラに視線を向けた。
彼女は陳列棚を覗き込み、興味深そうに並べられたアクセサリーをひとつひとつ丁寧に眺めている。
ほんのわずかに首を傾げながら、真剣な表情で品定めをするその仕草が可愛らしくて、思わず口元が緩みそうになった。


「何か気になるものはあった?」


僕が声をかけると、セラはくるりとこちらを振り向き、ぱちりと瞬きをする。


『うーん……どれも可愛いから、迷っちゃうけど』


僕が何か返そうとしたその時、セラはふと僕をじっと見つめたまま、何かを思いついたように微笑んだ。


『もし、総司が好きな女の子に何か選ぶとしたら、どれにする?』


まるで何気ない質問のように聞いてくるけど、それを僕に尋ねる意味を、セラは本当にわかってるのかな。


「好きな子に?」

『うん』


セラの様子から、特に深い意味はないように思える。
ただ純粋に僕がどんなものを選ぶのかを知りたいだけなんだろう。
その何気なさが余計に心をざわつかせるわけだけど、僕はゆっくりと店内を見渡すことにした。

好きな子に贈るものを選ぶとしたら、それは当然セラに似合うものになる。
勿論、今はまだ正直に伝えるわけにはいかないから、ただ黙って真剣に探していた。

するとふと、視線の先に目を引くものがあった。
桜の花をかたどった、可憐なガラスのブレスレット。
淡い桃色に染められたそのガラス細工は、光にかざすときらきらと儚げな輝きを放ち、繊細な金のチェーンが上品な雰囲気を添えていた。


「これが可愛いかな」


僕が指を向けると、セラの瞳が見てわかる程に輝いた。


『わあ……本当だ、すごく可愛い』


嬉しそうに呟きながら、セラはそっとブレスレットを手に取る。
その仕草がまるで宝物を扱うみたいで、僕の心が温かくなった。


『私、これがいいな……』


囁くような声でセラは微笑んだ。
頬を染めながら、伏し目がちにペンダントを見つめるその表情が愛らしくて、僕は思わず見惚れてしまった。
僕が選んだものをそんな風に大切に扱ってくれるなんて、まるで僕が選んだ物だから特別だと言ってくれているみたいだっだ。

でもセラはブレスレットをそっと胸に抱えたまま、勘定所へ向かおうとする。
その姿を見て、気づけば僕はセラの手を掴んでいた。


「待って。本当にそれでいいの?」


思わずそう問いかけてしまった理由はわからなかったけど。
セラはまるで不安を感じたかのように、眉をほんのわずかに下げて、僕をじっと見上げた。


『これがいいんだけど……だめ……?』


駄目なわけがない。
むしろその不安そうな表情を見てしまえば、思わず手を伸ばしたくなってしまう。
君が好きだと伝えたくてたまらなくなった。

でも一度自分を甘やかしてしまえば、この世界のセラまで護れなくなってしまうかもしれない。
だから今は感情を抑え込んで、ただセラの隣に立っていた。


「だめじゃないよ。でも、それは僕が買ってあげる」

『ううん、自分で買えるよ』

「たまには贈り物くらいさせてよ」

『でも、私は別にそんなつもりじゃなくて……』

「僕が選んだものをセラが気に入ってくれたのが嬉しいから、僕から贈りたいんだ。ね、いいでしょ?」


そう優しく告げると、セラは戸惑ったように唇を結んでから、小さく頷いた。


『……ありがとう、総司』


そのたった一言に、また心を奪われる。
彼女の嬉しそうにはにかんだ顔が、可愛くて可愛くて仕方がなかった。


勘定所でブレスレットを買い、僕達は店を出た。
折角だから、今この場でこれをつけて歩くセラを見てみたい。
だから包みを開けて微笑んだ僕は、彼女に言った。


「僕がつけてあげるよ」


僕の言葉を聞いて、セラは素直にそっと手首を差し出してくれた。
触れたら壊れてしまいそうなほど繊細で、それでいて温かいぬくもりが僕の指先に伝わってくる。
僕は慎重に金のチェーンを手に取り、セラの細い手首にそっと回した。


「少し動かないでね」


セラはくすぐったそうに小さく息を呑んで、僕の指先に意識を向ける。
ブレスレットの金具を留めるこの短い時間さえ、特別なものとなって僕の心に刻まれていくようだった。


「うん、似合うね」 

『本当?嬉しいな……すごく可愛いね』


セラの顔が綻んで、ゆっくりと手首を傾ける。
淡い桃色のガラス細工が春の陽射しを浴びて、まるで桜の花びらが風に揺れているみたいに輝いた。


『私、こんなに綺麗なブレスレットをつけるの初めて。総司が選んでくれたから、余計に大切に思えるよ』


セラは嬉しそうに、そのブレスレットを光にかざす
こんなに喜んでくれるなら、それだけで僕は何度でもセラに贈り物をしたくなる。


「よく似合ってるよ。君のために作られたみたいだね」

『ふふ、総司が選んでくれたから素敵に見えるのかな』

「ははっ、そういうこと?」

『うん、絶対そう。ずっと大事にするね、ありがとう』


可憐に微笑んで、ブレスレットをそっと撫でる。
ふとセラの手を取ったまま、僕は指先でブレスレットのガラス細工をなぞった。


「これからも、セラに似合うものをたくさん贈るよ」


驚いたように見上げるセラの瞳が揺れる。
その顔を見つめながら、僕はふっと微笑んだ。


「僕はセラが喜ぶ顔が好きなんだよね。だから君が喜ぶものをいくらでも探してくるよ」


なぜって、それが僕の幸せだから。
セラが喜んでくれると嬉しいし、そうさせてあげられるのが他の誰でもない自分でありたいと思う。
その気持ちだけは今伝えたくてまっすぐに告げると、セラは瞳を瞬かせた後、ゆっくりと微笑んだ。


『私、総司にもらったもの、全部大事にするね』

「そうしてもらえたら嬉しいかな」


心からの気持ちを込めて、そっとセラの手を握った。
そうすればセラはとびきりの笑顔を僕に向けてくれるから、今この瞬間のこの子の笑顔を、できることなら永遠に閉じ込めてしまいたいくらいだ。


『ありがとう、総司』


この先、何度でも。
セラの笑顔が見られるのなら、僕はきっとどんなことでもしてあげたくなってしまうんだろう。
そんな僕の気持ちをいつまでこの子が受け取ってくれるのかはわからないけど、君が許してくれる限り、僕は色々な方法で君を喜ばせてあげたいと思うよ。


建国祭の夜は、昼間の華やぎとはまた違う、幻想的な美しさに包まれていた。
建国祭の最後を飾る「星灯りの舟」の儀式を終えた僕達は、少し静かな場所へと足を向けていた。

夜空には無数の星が瞬き、町を照らす提灯の灯りが風に揺れるたびに、優しく揺らめいている。
屋台の賑わいは続き、人々の楽しげな声があちこちから響いていた。


「疲れてない?」

『ううん、とっても楽しいよ。ずっとこうしていたいくらい』


そんな無邪気に言われたら、このままこの子を連れてどこか遠くまで逃げてしまいたい気持ちになる。


「……そっか。それなら、よかったけどね」


出来るだけ平静を装いながら答えると、セラは嬉しそうに僕を見上げた。
その瞳は提灯の光を映して、まるで宝石のように輝いている。


『わあ、あそこ綺麗……』


セラが指差したのは、小さな川辺だった。
祭りの喧騒から少し離れた場所にあり、川面には提灯の灯りが映り込んできらきらと揺れている。


「行ってみる?」

『うん』


セラの手を引くようにして、川辺へと歩みを進めた。
夜風が心地よく吹き、辺りは静けさに包まれている。
セラはゆっくりと川の方へ歩いていき、水面を覗き込んだ。


『凄い……キラキラしてる……』

「そんなにじっと見てたら、水に落ちちゃうよ」

『大丈夫。総司がいるもん』


セラはくすりと笑って、僕の袖をそっと握る。
その仕草がなんだかやけに甘えたように見えて、今日何度となく思ったかはわからないけど、可愛いなと思う。


『ねえ、総司』

「ん?」

『今日は、総司と一緒だったからずっと楽しかったよ。総司も初めての建国祭、ちゃんと楽めた……?』


そう言いながら、セラは少し不安げに見上げてくる。


「楽しくなかったら、こんなふうに付き合わないよ」

『……よかった』


僕が敢えて軽く言うと、セラは僕のすぐそばに寄り添うように立つ。
気がつけば、指先がセラに触れそうな距離だった。

今、抱きしめてしまったらどうなるんだろう。
そんな考えが頭をよぎれば、セラの温もりをもっと近くで感じたくなった。
でもそれをしてしまったら、今も僕達を監視しているだろうあの二人にどやされることは間違いないだろうと、一人深い息を吐き出した。


『総司?どうかした?』


僕のため息に気づいたのか、セラが不思議そうに瞬く。
その愛らしい仕草がますます理性を揺さぶるから、そっと視線を逸らし頭を軽く撫でることで誤魔化した。


「なんでもないよ。でもすっかり暗くなっちゃったね。そろそろ帰らないといけない時間かな」

『……そうだね。遅くまで付き合ってくれてありがとう』


セラは僕がどんな気持ちで今日一日を過ごしたか、どの程度わかってくれているんだろう。
ただの護衛だから、アストリア公国の騎士だから……なんていう理由でセラと一緒にいるわけではないことくらいは伝わっていればいいんだけど。


「こちらこそ。セラさえ良ければ、来年もまた行こうよ」

『来年?』

「うん。君が僕を指名してくれたら嬉しいんだけど」


前の世界では、この翌年、僕は数年に一度の騎士団の催しに出なくてはならなくて一緒には回れなかった。
セラも風邪気味で山崎君と山南さんと三人で少し見て回っただけで、すぐに城に戻ってきたと言ってたよね。

だからこそ、この特別な夜がずっと終わらなければいいのにと願ってしまうけど、僕はまだ見ていないこの先の未来をセラと一緒に見てみたい。
だから先の話をする時は、明るい話をしたいと思った。


『総司がいいなら来年も、その次の年も私は一緒に回りたい』

「じゃあまた来年、楽しみにしてるよ」

『うん、私も』


祭りの名残が町のあちこちに漂う中、僕達は帰る道を歩いていた。
賑わっていた通りも少しずつ人が減り、提灯の明かりが夜風に揺れている。
セラはさっきまで楽しそうにはしゃいでいたのに、帰り道は静かになった。


『夜の街、綺麗……』


微笑みながら呟いたその声とは裏腹に、ふと見えた表情にはどこか淋しさが滲んでいた。
長い睫毛がわずかに揺れて、帰りたくないと囁いているように見える。
でもその気持ちに僕が気づいたことを悟ったのか、セラは一瞬でいつもの柔らかな笑顔を浮かべた。


『今日、本当に楽しかったね』


まるで何もなかったかのように、明るい声でそう言う。
きっと僕に余計な気を遣わせたくないんだろう。
そういうところがセラらしい。
淋しさを隠して健気に笑おうとする姿が、どうしようもなく僕の心を落ち着かなくさせた。

もうすぐこの夜は終わる。
当たり前のように明日が来て、セラはまた公爵家の令嬢としての役割に戻る。
こうして二人きりでいられる時間も限られてしまう。

それが当たり前なことだとわかっているのに、どうしてだろう。
このまま手を引いて連れ去りたい気持ちが生まれる。
公爵邸には帰さずに誰の目もない場所で、セラの本音を聞きたかった。

でもセラはきっと、そんなことを望まない。
それに僕だって、そんな形でこの子を手に入れたいわけじゃない。
だから、せめて……


「セラ」


名前を呼ぶと、セラは僕の言葉を待つように首を傾げて僕を見上げた。


「花贈りの儀のこと、覚えてる?」

『うん、覚えてるよ……?』


花贈りの儀、それは建国祭の日に大切な人へと花を贈る風習。
前の世界でも、僕はセラに花を手渡した。
以前の僕がセラに渡した花は、スノードロップ。
あなたを大切に想っています、という花言葉を持つ花だ。

でも今の世界で僕が選んだ花は、以前とは違う。
セラのいない世界を知ってしまった僕は、いつのまにかこの子を大切に想うだけでは足りないと思うようになっていた。


「はい。これを君に」


僕は小さな束にしたジャスミンの花を差し出す。
白く、純粋な花々がほんのりと香り、夜の静けさの中でその香りが際立っている。
一枝に幾つかの花が咲いていて、まるでセラのためにだけ咲いたかのように思えた。


『私に……?』


セラはその花を見つめて、驚いたような表情を浮かべる。
そしてそっと花を手に取ると、少し瞳を潤ませて僕を見上げた。


『ありがとう……総司から貰えるなんて思ってなかった……』

「どうして?僕が君以外にあげるとでも思ったの?」

『他の人にあげるかもしれないって思ったし、総司は忙しいからお花どころじゃないのかもしれないとも思ったし……』

「……そっか。じゃあ、セラを驚かせることができたなら良かったかな」

『……うん、本当に……驚いちゃった……』


セラは涙で潤んだ瞳をごまかすように、ただ目の前の花だけを見つめて瞬きを繰り返している。
花贈りの儀の時に渡さなかったから、もしかしたら少し淋しい想いをさせてしまったのかもしれない。
だからこそここからは、その分セラに少しでも僕の気持ちが届けばいいと思う。


『白いジャスミン……可愛いし、とっても良い香り』

「ジャスミンの花言葉、知ってる?」

『ううん、どんな意味があるの?』

「どんな意味だと思う?」


聞き返してみると、くりっとした瞳はより大きくなって僕を見上げた。


『総司ってよく質問に質問で返すよね』

「そう?まあ、すぐに教えちゃうのは面白くないからね」

『でも知りたいな、総司が選んでくれたジャスミンの花言葉』

「セラが僕のことをよく見てくれてたら、わかると思うけどな。当ててみてよ、僕からのメッセージ」

『ええ?そんなこと言われたら、当てられなかった時に気まずいよ』

「別に気まずくないよ。だから気楽に考えてみて」


セラは「ううん……」と首を捻りながらも、その顔は先程より明るい。
その様子を眺めながら、あともう少し、こうして今日という日を一緒に過ごせることに幸せを感じた。


「ちなみに花言葉はいくつかあるんだけど、愛らしいとか、しとやかで美しいって言う意味もあるんだよ。セラにぴったりだよね」

『え?それは……そんなことないけど、ありがとう……』

「はは、照れてる。でも今言った花言葉は、どちらかというと君を意味するものでしょ?だからもっとメッセージ性が込められている方を当てて欲しいんだけど」

『えっと……いつも笑っていてね、とか?』

「違うよ、セラにはいつも笑っていて欲しいけど、笑わせるのは僕の役目だからそんなメッセージは送らないかな」

『ふふ、なにそれ。じゃあ幸せを願ってます、とか?』

「はずれ。君の幸せは願ってるけど、ジャスミンの花言葉にそんなのないし」

『そっか……結構難しいね。えっとあとは……』

「今日一日、僕と一緒にいてわからないの?」


敢えて意地悪な言い方をして笑ってみれば、セラを唇を尖らせて僕を見上げる。


『今日総司と一緒にいて?』

「うん。僕といて、何もわからなかった?」


僕はセラを見ていて、ちゃんとわかったよ。
君も僕と同じ気持ちでいてくれているだろうって、確信を持てた。

勿論、今はまだこの関係をどうこうしようだなんて思っていないから、セラは今のまま深くは知らなくていいんだけど。
せめて悲しそうな顔はさせたくないから、伝えたかった。


『……一緒にいようね?』


不意に出たセラの言葉に、僕は一度目を瞬く。
その言葉は僕がセラに贈りたい花言葉に近いものだったから、思わず口元に笑みをこぼした。


「近いから正解かな」

『え?本当?』

「僕が選んだジャスミンの花言葉は、君と一緒にいたい、だよ。セラと一緒にいられることが、僕にとって何よりも大切だってこと」


セラを特別に想うことは、僕にとってもう当たり前のことだ。
けれど想うだけでは足りない。
僕はセラとこれからも変わらず一緒にいたい。

以前の世界でそれができないことの辛さを身をもって経験した僕は、こうして同じ時を過ごせることがどれだけ幸せでかけがえのないことなのかを知った。
だからこそセラと一緒にいられる未来は、僕が今、何よりも切望しているものだった。


『ジャスミンにそんな意味が込められているなんて、知らなかった……。とっても優しくて素敵な花言葉だね』

「うん。だからこれを君に贈りたかったんだ」

『ありがとう、私……とっても嬉しい。私も、総司とずっと一緒にいたいよ』

「僕もだよ。君と過ごす時間が、これからも続いていくことを願っているよ」

『私も願ってる。このお花、大切にするね』


セラの瞳が潤んで、優しさが溢れた表情になる。
その顔を見れただけで、僕はもう満足だ。

でもあと一つだけ。
この言葉は以前同様、この世界のセラにも言いたいと口を開いた。


「花贈りの儀がある限り、僕はこれからも君だけに花を贈るつもりだから、毎年ちゃんと受け取ってよ」


この先、何があっても。
何度この時間を繰り返しても。
それだけは変わらない。


『うん。ありがとう、総司』


他愛のない小さな約束かもしれない。
それでも、この日が来るたびに君が笑ってくれるならそれだけで僕も幸せだ。


『今日ね、建国祭を一緒に楽しめたこともお花を贈ってもらったことも、このブレスレットも、どれもとっても嬉しかったよ』

「それなら良かったよ」

『あと、今日手を繋いで歩いたことも、総司が笑ってる顔をたくさん見れたことも、嬉しかったよ。私は総司の笑ってる顔が一番好き。今日のこと、ずっと忘れないね』


セラは半分泣いているような笑顔で、とてつもなく可愛いことを言ってくれる。
その言葉からは、この子が多くを望んでいないことや、今の僕達の関係を心から大切にしてくれていることが伝わってくるから、また愛おしさが込み上げた。

こんな風に真正面から気持ちを伝えられると、どう返せばいいのか迷ってしまう。
でもその瞳に映る僕の姿が嬉しそうなら、それだけで十分だった。


「そう?じゃあ、これからもたくさん笑うようにしようかな」


僕は軽く笑って、彼女の髪にそっと指を滑らせた。


『うん、総司が笑ってると、私まで嬉しくなるよ』

「それなら、セラもたくさん笑ってよ。僕もセラの笑ってる顔が好きだからさ」


そう言うと、微笑んだセラは少しの間、じっと僕を見つめた。
やわらかく月明かりに照らされた瞳が揺れる。


『総司?』

「うん?」

『帰り道、また手……つないでもいい?』

「ははっ、もちろん」


僕はそっと彼女の手を取る。
小さくて温かくて、ほんのりと緊張しているのが伝わってくるようだった。


「セラから言ってくれるなんて、珍しいね」


どちらからともなく僕の指に、彼女の指がそっと絡んだ。
思わずセラを見れば、彼女も少し恥ずかしそうに笑っていて。
ただもう、可愛いなって思った。
こういう仕草をされると、たまらなくなる。
今日一日、ずっと握ることしかしなかったのに、今はこの夜の闇が絡めた指先を隠してくれるような気がしていた。


「ねえ、セラ」

『うん?』

「今日、一番楽しかったことってなに?」

『んー……』


セラは考えるように視線を宙に泳がせ、それからくすっと笑った。


『全部楽しかったよ。でも……』


僕をまっすぐ見上げる瞳が、夜空よりもずっと綺麗だった。


『やっぱり、総司と手を繋いで歩いたこと、かな』

「ははっ、そっか。それなら、来年も再来年もずっと手を繋いで歩こうよ」

『本当に?いいのかな?』

「勿論。セラが一番楽しかったことなら、同じようにしたいじゃない。だから来年もその次の年も、一緒に行こうね」

『うん』


柔らかく微笑むセラの手を、もう少しだけ強く握った。
今夜の思い出が、君の心にずっと残るように。
僕の心にもずっと残るように。


「総司は今日、何が一番楽しかった?」

「んー……そうだな」


空を仰ぎながら、少し考えるふりをする。
本当はすぐにでも答えられるのに、こうしてじらしたくなるのは、セラの可愛らしい反応を見たいからかもしれない。
案の定、セラはくすりと笑って、ほんの少しだけ首を傾げた。


『そんなに考えることなの?』

「うん、だってどれも楽しかったし」


わざと曖昧に答えると、セラの瞳が、夜の灯りにふわりと揺れる。


「秘密、って言ったら怒る?」

『怒らないけど気になるよ』

「じゃあ、教えてあげる。今日一番楽しかったのは、セラが僕の隣で笑ってくれたことかな」


セラの頬が、ほんのりと色づいていく。


「どんなに綺麗な景色を見ても、どんなに美味しいものを食べても、結局、セラが楽しそうにしてくれてたことが一番だったよ」

『……ありがとう、総司』



ただセラがこうして僕の隣にいてくれることが、一番大切なことだ。
セラの温もりを確かめるように、少しだけ強く手を握った。

柔らかく微笑むセラの表情が優しくて。
夜風に乗ったジャスミンの香りが、そっと二人の間を包んでいくようだった。

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