6
今日は王国主催の高貴なる音楽の祭典、ルヴァン宮廷弦楽祭の出場日。
かなりの緊張の中でヴァイオリンの演奏をした私は、ありがたいことにヴィルトゥオーゾ賞を頂いた。
大舞台で演奏をすることは初めてだったけど、今日の経験のおかげでヴァイオリンにも自信が持てるようになりそう。
嬉しい気持ちでトロフィーを腕に抱え、私はそっと控え室から出た。
扉を開けた途端、外は華やかな雰囲気に包まれていた。
輝くシャンデリアの光が廊下を照らし、貴族の方々が談笑する優雅な声が響いている。
そんな中、私の姿を見つけた何人かの男性が、迷うことなくこちらへと足を向けてきた。
「セラ嬢、本日の演奏大変素晴らしかったです」
「まるで夢の中にいるようでした。これほど心を打つヴァイオリンの音色は今まで聴いたことがありません」
皆は洗練された仕草で礼をしながら、優雅に声をかけてくれる。
私はそっと胸の前で手を組み、できる限り丁寧にお辞儀をした。
『もったいないお言葉をありがとうございます。少しでも皆さまに楽しんでいただけたのなら嬉しいです』
微笑みながらそう伝えると、周囲の男性達は何故か瞳を輝かせたようだった。
「セラ嬢はお話の仕方や仕草まで愛らしいのですね」
「お美しい方が奏でる音楽だからこそ、あれほど心に響くのかもしれません」
『い、いいえ。皆さまが温かく聴いてくださったおかげです』
ゆっくりと話しながら、どうしたらいいのかと内心では戸惑っていた。
こういった場に出ることは殆どなかったし、ましてや私の方から注目を浴びることなんてこれまではなかったから。
「光栄です、セラ嬢。もしよろしければこれから少しお話を」
「僕も是非、ご一緒させていただければ幸いです」
次々と声をかけられ、誰の言葉も無下にはできないから、私は微笑みながら頷いた。
その瞬間、そばにいた男性が自然な動作で私の手を取るから、驚いてしまうのをぐっとこらえた。
男性が女性をエスコートすることは当然の作法のひとつ。
それは理解しているのに、どうしてか胸の奥がそわそわしてしまう。
けれどそんな私の気持ちとは関係なく、周りの方々は微笑みながら、優しく手を引こうとする。
「このまま少しお庭の方へご案内させていただいても宜しいですか?」
「きっと素敵な夜風が心を落ち着かせてくれますよ」
「お祝いの席もございますし、是非ご一緒に」
心臓が小さく跳ねる。
どうしよう、どうお返事をしたら……。
『あの……』
今日はお父様を含め、皆に待って頂いている身。
お断りしたいけど、無礼にならないように振る舞わなければならない。
そんなことで頭がいっぱいになりながらも、なんとか言葉を探そうとしていた時。
「セラお嬢様」
聞き慣れた、優しいけどどこか涼やかな声が私の名前を呼んだ。
振り向くと、そこにはいつもと変わらない穏やかな笑みを浮かべた総司の姿があった。
でもその目はどこか鋭く、彼の表情を見た瞬間、先ほどまで周りにいた貴族の方々の動きがほんのわずか止まったように感じる。
「そろそろ城に戻りましょう。今日はお疲れでしょうから、きちんと休まれてくださいね」
総司が私の手を取る方にふと視線を向けると、その人も少しだけ手の力を緩める。
けれど総司に対しての視線には、微かに警戒するような色が見えた。
「せっかくお話をさせていただいていたのに、少し急ぎすぎでは?」
「セラ嬢も、まだお疲れではないかもしれませんよ」
穏やかに、けれど確かに総司の介入を疎ましく思う声がいくつか上がる。
「それは、お嬢様がどう思っているか次第ですけどね」
総司は変わらず微笑みながら、そっと私に視線を向けてくれる。
ふと気づくと、少し離れたところに山崎さんや、平助君、伊庭君の姿もあって、彼らも静かに私を見守っていてくれていた。
それだけで不思議と気持ちが落ち着いて、不安が一気になくなっていくようだった。
『皆さまのお優しいお言葉に、とても感謝しております。ですが本日は時刻も遅いですし、私はここで失礼させて頂きますね。またの機会にお話させてください』
私の言葉を聞いた方々が、少し不満げにしながらも微笑みを浮かべる。
「それは残念ですね」
「ですが、また別の機会に、ぜひお話を……」
「セラ嬢とまたお話できる日を楽しみにしています」
皆さまが優雅にお辞儀をしてくださるので、私も丁寧にお辞儀を返す。
そして小さく手を差し出してくれた総司の手を取り、私は口元に笑みを作った。
「さ、行こうか」
『ありがとう、総司』
総司は柔らかく微笑んで、静かに私を護るように歩き出す。
皆も私に優しく微笑んでくれるから、公爵邸の人達と過ごす時間に居心地の良さを感じてしまう私がいた。
その後は、お城に戻るため、皆と一緒に馬車に揺られ、今日の話に盛り上がっていた。
温かい言葉や賞賛の声をかけて貰えると、嬉しくもあり恥ずかしくもある。
お父様なんて涙ぐんで喜んでくれるから、私までもらい泣きしてしまいそうだった。
でも馬車の揺れが心地よくて、私はいつの間にか眠ってしまっていたらしい。
ほんの少しだけ目を閉じるつもりだったのに、あれからどれくらい時間が経ったんだろう。
微かに耳に届く話し声が、ゆっくりと私の意識を現実に引き戻していった。
「はい、セラは僕が運びますよ」
静かで穏やかな声が聞こえた。
聞き慣れた優しい声音に、ぼんやりとした意識の中で思わず身体がぴくりと動きそうになる。
もしかして、公爵邸に着いたのかな?
それならもう起きないと。
ちゃんと起きて、歩かないと。
でもまどろみの中にいるみたいで、身体が言うことを聞いてくれない。
まだ夢の世界にいるみたいに、ふわふわとした感覚に包まれている。
そんな時だった。
「……可愛いな」
まるで思わず零れたかのような、小さくて柔らかな総司の囁きがすぐ近くで聞こえた。
一瞬で胸が大きく高鳴り、意識だけ現実に引き戻される。
今のは気のせい……?夢……?
混乱と驚きで、目を開けるタイミングを完全に失った気がする。
もう目を開けた方がいいのか、それともこのままでいるべきなのか、どうしたらいいかわからなくなってしまった。
けれどその時、ふわりと前髪が持ち上げられる感触がした。
でも目を開ける前に額に触れたのは、驚くほど柔らかくてほんのり温かいもの。
今のは……総司の……唇……?
『…………』
どうしよう、どうしよう。
心臓がどんどん速くなっていく。
まるで鼓動が総司に聞こえてしまうんじゃないかと思うくらい、ドキドキしていた。
そして今度は頬にもふわりと、また柔らかい感触が降ってくる。
とても遠慮がちな、触れるか触れないかのものだったけど、その優しい触れ方が余計に私の心の余裕を奪っていった。
「セラ」
優しく名前が呼ばれ、頭が真っ白になりかけた時だった。
そっと、総司の手が頬に触れる。
優しく包み込むような温もりに、ぎゅっと胸が締めつけられた。
総司の指がとても優しい力加減で唇の輪郭をなぞるから、息をするのも忘れてしまいそうだった。
額に落とされた唇の感触も、頬に触れた温もりも、すべて夢じゃない。
目を閉じたままでも分かる。
総司の指がゆっくりと滑るように動くたびに、胸が苦しくなる。
どうして、こんなことをするの……?
総司が何を考えているのか、まるでわからない。
だけど一つだけ確かなのは、私の心臓が痛いくらいに高鳴っているということ。
このままじゃ駄目そう。
これ以上されたら何も考えられなくなる。
耐えられなくなった私は、思い切ってぱちりと目を開けた。
すると目の前には、驚いたようにわずかに目を見開いた総司がいて。
お互い無言のまま、数秒間見つめ合うことになった。
『……総司……?』
ようやく声を出せたのに、いつも通りには話せなかった。
頬が熱くて、まともに彼の顔を見られない。
すると総司はふっと小さく笑って、いつものどこか悪戯っぽい笑顔を浮かべている。
「おはよう。よく眠れた?」
『うん……。ねむ……れた……』
「それなら良かったね。で?いつから起きてたの?」
『ち、違うの……今、起きたの』
「へえ。じゃあ、さっきまでのことは何も知らないんだ?」
『うん……』
本当はさっきのことを、知らないなんて言えない。
総司がどんな風に触れて、どんな風に囁いたのか、全部覚えてるのに。
でもそれを認めるのも恥ずかしくて、どうしたらいいのかわからないからとりあえず頷いてみたけど。
総司はそんな私の様子を見て、また小さく笑った。
「ふーん。じゃあ、今起きたばかりのセラは、なんでそんなに顔が赤いんだろうね?」
『それは……』
「熱でもある?」
そう言いながら、総司の指がするりと私の頬をなぞる。
触れられたところがじんわりと熱を帯びて、余計に鼓動が早くなった。
「んー、熱はなさそうだけど。それとも、何か恥ずかしくなることでもあったのかな」
総司は私の頬に触れたまま、悪戯っぽく微笑む。
『何も?』
「そっか。じゃあ、なんでそんなに真っ赤なんだろうね。僕、何かした?」
『知らないけど……』
精一杯、目をそらしながらそう言うと、総司は「へえ」と笑った。
「そっか。知らないんだ。なら、もう一回同じことしても平気だよね?」
ぱっと顔を上げると、総司はどこか楽しそうに私を見つめていた。
『……だ、だめ……』
「どうして?さっきのこと、知らないんでしょ?」
言葉に詰まる。
そんなの、答えられるわけないのに。
「ねえ、セラ」
さらりと髪に指が絡められ、優しく撫でるようにとかされる。
「もうちょっと、寝たふりしてくれたらよかったのに」
私の唇に伸びてきた総司の手を慌てて掴むと、彼は嬉しそうに微笑んだ。
「何?」
『……もう、意地悪しないで……』
「意地悪なんてしてないよ。僕はただ、可愛いセラをもっと見ていたかっただけだけど?」
どうしてそんなことを、こんな風にさらっと言えるのか本当に不思議。
私はちょっとのことでも、毎回ドキドキしてしてるのに。
「すっかり騙されたよ。まさか君が寝たふりしてたなんてね」
『違うよ、本当に寝てたの。でも、総司が……』
「僕が起こしちゃった?」
『ううん、そういうわけじゃないんだけど……』
「じゃあ、やっぱりずっと起きてたんだ」
『…………』
もう、これ以上話していたら、どうにかなりそう。
だから話を逸らしたくて、必死に別のことを考える。
『あの……みんなは?』
「もう降りたよ。セラが起きないから、僕が君を運んであげることになってたんだけどね」
『ごめんね、すっかり寝ちゃって』
「別にいいよ。ほら、部屋まで運んであげるからもう一回目を閉じて」
唐突にそんなことを言われて、私は思わず瞬きをした。
『え?どうして?』
「疲れてるでしょ?僕が部屋まで運んであげる」
『大丈夫だよ、私はもう起きたから』
「折角君を部屋まで運ぶ役目を近藤さんから頂いたんだ。ちゃんと最後まで任務をまっとうしたいんだけど」
『でもそれは私が寝てたからだよね?もう起きたから、自分で歩けるよ』
「いいから、僕に任せてってば」
『ううん、起きてるのに運んでもらうなんて申し訳なさすぎて出来ないよ』
「なんで?僕が運びたいって言ってるんだけど」
運びたい理由がよくわからなくて、じっと総司を見つめてしまう。
しかも重いだろうから、申し訳なくてそんなことお願いできない。
『ありがとう、そう言ってくれて。でも、私はもう眠くないし本当に大丈夫だよ』
総司は小さなため息をわざとらしく吐き出すと、「どれだけはっきり言えばわかってくれるのかな」と言って眉を下げて微笑んでいた。
「僕が言いたいのはね、僕の腕の中で君が静かに眠っているところをもう少し見ていたいってこと」
真っ直ぐ見つめられるだけで、胸がぎゅっとなる。
だけどそれ以上に、総司の言葉が心の奥にじんわりと広がっていく。
「だからセラは寝たふりしててよ」
『寝たふりって言われても……』
「得意でしょ?今してたじゃない」
意地悪そうな笑みとともにそう言われて、思わず顔が熱くなった。
『好きで寝たふりしてたわけじゃないです』
「ふーん?まあ、どっちでもいいけど。運ばせてくれないならさっきの続きしようかな」
『……え?』
「続きをして欲しいって言うなら、別にいいよ。寝たふりしてくれなくても」
さっきの続きって、つまり……?
「ほら、どうするの?時間かかると、外で待ってる山崎君に僕が怪しまれちゃうんだけど?」
ぐいっと詰め寄られて、考える時間もくれないままに急かされる。
でも続きをされるのは、もっと困る。
『総司、意地悪……』
「うん、そうかもね」
そう言って微笑む顔が、とても優しくて。
意地悪なのに、どうしようもなく心を奪われてしまう。
『本当にいいの?』
「もちろん」
『重いよ?総司、疲れちゃうかも』
「セラなんて軽いよ。それにセラを運んだ方が僕も元気が出るかな」
『ふふ、なにそれ』
「いいから、僕に任せてよ」
優しく頭に乗せられた手や、柔らかい眼差しは、私に甘えていいよって言ってくれているみたい。
総司と少しでも長く一緒にいられることは嬉しいから、私は思わず頷いていた。
『わかった』
「うん、いい子」
ふわりと抱き上げられて、鼓動がさらに速くなる。
総司の腕の中にそっと包まれているこの時間は、あまりに甘くてドキドキして、心臓の音が聞こえてしまいそうだった。
「ちゃんと寝たふりするんだよ」
『うまくできるかな』
「僕がちゃんと見ててあげるから、大丈夫」
『うん……』
「ほら、目閉じて」
優しく囁く声が耳元に触れて、全身が熱くなる。
ゆっくりと目を閉じると、すぐ頭上からは優しい声が降ってきた。
「眠かったら本当に寝てもいいよ」
寝たふりをしているのに、心臓だけがやけに騒がしくて、どうしようもなく意識してしまう。
目を開けたくなるけど、それに耐えて総司の腕に身を委ねることしかできなかった。
でも総司が馬車から降りて歩き始めると、その僅かな振動や総司の体温が心地良くなってくる。
お城の中に入ったのか、山崎さんの声が聞こえてきた。
「お嬢様はずっと寝ておられたのですか?」
「うーん、どうだろう?途中で起きたみたいだけど、また寝ちゃったね」
「なるほど。今日は緊張もされたでしょうし、疲れたのかもしれませんね」
「そうだね。演奏も頑張ってたし、ゆっくり休めてるみたいで良かったよ」
落ち着いた山崎さんの声と、少し甘い総司の声。
自分の話をされていると思うと恥ずかしくなるけど、平常心を装って寝ているふりを続けていた。
それにこんなふうに総司に抱き上げられることなんて、きっともう二度とないかもしれない。
だからせめて今だけは、総司の体温を身体で感じていたかった。
「お嬢様の寝顔は穏やかですね。普段は公爵家の令嬢として気を張っておられることも多いのでしょうから」
「そうだね。でも僕はこういう無防備な顔も好きかな」
「無防備……ですか。確かにそうかもしれませんね」
「ね、可愛い寝顔でしょ?」
「沖田さん、お言葉ですがお嬢様に対してそのような発言は慎まれたほうがよろしいかと」
「えー?でも山崎君もそう思うでしょ?」
「俺からは何も言いません」
「ははっ。真面目だね、山崎君は」
なんだか落ち着かないな。
会話に入れないのに、自分のことを話されているのは少しだけ恥ずかしい。
それに山崎さんに寝たふりをしていることが気付かれないか心配だったりする。
「それにしてもセラって、思っていた以上に軽いね」
くすぐったいような言葉に、思わず指先が僅かに動きそうになる。
でもそれを悟られないようにじっと耐えた。
「お嬢様は幼い頃から小柄でしたからね。昔は俺もこうしてお嬢様をお運びしたことがありますが、ここ数年でかなり大きくなられましたよ」
「セラはもうすぐ十四になるけどさ、山崎君は今いくつなの?」
「俺ですか?俺は今二十二です」
「じゃあ山崎君が僕くらいの時に、セラを運んだりしてたってこと?」
「はい。お嬢様がまだ幼かった頃の話ですが、懐かしいですね」
山崎さんの声は相変わらず落ち着いている。
けれどその言葉を聞いた総司からは、どこか面白がるような笑う声がした。
「へえ……じゃあ、昔はよくこうして抱っこしてあげてたんだ」
「まあ、必要があれば。馬車の中で眠ってしまわれた時などは、部屋まで運ぶこともありましたね」
「そっか……」
総司の腕の中で、思わずぎゅっと指先に力が入る。
そんなことを話されると、妙に意識してしまう。
でも総司はそんな私の心情なんて気づいていないのか、楽しげな声で話を続けた。
「山崎君って意外と世話焼きなんだね。セラが小さい頃から、そんなに面倒みてたなんて」
「お嬢様は昔から大切なお方ですから、当然のことをしていただけです」
「ふーん。でもさセラも成長して、そろそろ山崎君も変な目で見たりするんじゃない?」
「何を言っているんですか、沖田さん」
山崎さんの声が、わずかに固くなる。
それに対し総司は余裕たっぷりに笑う気配を見せた。
「だってさ、今までは子どもだと思ってたかもしれないけど、もう十分綺麗になったでしょ?」
「お嬢様は昔から可愛らしい方です。ですが、それとこれとは話が別です」
「へえ?そう言い切れる?」
「当然です」
山崎さんの口調はきっぱりしている。
でも総司はそれでも満足しないように、わざとらしくため息をついた。
「まあ……今はそうでも、そのうちわからないよね」
「そのうち……ですか?」
「だってこれから更に大人になって、もっと綺麗になっていくんだから」
総司の声が、どこか楽しそうで。
それなのに、言葉の端に優しい響きがあって。
私はじっと目を閉じたまま、ただ総司の腕の中で息を殺すしかなかった。
「それは沖田さんにも言えることではないですか?沖田さんの方がお嬢様に年齢も近いんですから」
心臓が跳ねる。
総司が、ほんのわずかに動きを止めた気がした。
「僕?」
「ええ。沖田さんは今十六ですよね。お嬢様とは二つ違い。自分よりもよほど近い年齢差です」
「それはまあ、そうだけどね」
総司はひどく気の抜けた声で答えた。
でもその直後、ふっと微笑む気配が伝わる。
「それってつまり、僕もセラをそのうち変な目で見るんじゃないかって言いたいわけ?」
「違いますか?」
「うーん、どうだろうね」
総司がわざとらしく考え込む。
多分総司のことだから、私が聞いているから敢えて私をからかうためにこんな話をしているんだろうけど……。
落ち着かなくて、そわそわした心情になる私がいる。
「そもそも僕は山崎君と違って昔から世話してたわけじゃないから、今のセラしか知らないんだよね」
心臓が苦しい。
話の流れの中で、総司の言葉が直接私に向けられている気がしてしまう。
「だから昔と比べることはできないけど、今のセラが可愛いっていうのはもう十分わかってるよ」
「沖田さん、それはつまり……」
「うん?」
「お嬢様のことを、既にそういう目で見ているということですか?」
山崎さんの声が、わずかに鋭くなる。
いつもの冷静な口調なのに、どこか探るような響きが混ざっている気がする。
「えー?そんなこと言ったら、セラが起きちゃうよ?」
「お嬢様はまだお休み中です」
「そうかな?でも、さっき指先がちょっと動いたような気がするんだけど」
どきりとする。
そもそも総司が寝たふりをしてって言ったからそうしてるだけなのに、どうしてこんな話をするのと、総司に抗議したい気持ちになった。
「……気のせいでは?」
「でも、もし起きてたらセラは自分の話をされてるのを、ずっと聞いてたことになるよね」
「それは、そうですが……」
「セラが起きてたとして、今の話を聞いてたらどう思うかな?」
「どう、とは?」
「例えば、山崎君がお嬢様は昔から可愛らしいって言ってたこととかさ」
「……それは、別に問題ないでしょう。事実を述べただけです」
「ふーん?」
総司の声に、どこか楽しげな響きが混ざる。
多分山崎さんをからかって遊んでいるだけだと思うけど、総司のこういうところは騎士階級が上がっても相変わらずみたい。
山崎さんは真面目だから、総司の戯れにもきちんと対応していてさすがだと思う。
「じゃあ昔よりも今のセラの方が可愛いって思う?」
「お嬢様は、昔も今も変わらず可愛らしいです」
「それだと答えになってないよ」
「沖田さんこそ、どうなんです?」
思いもよらない反撃に、総司が小さく笑う気配がした。
「僕?」
「ええ。沖田さんも、お嬢様を可愛いとおっしゃいましたよね」
「うん、言ったね」
「……では、それはどういう意味で?」
「どういう意味って?」
総司はあくまでとぼけたように答える。
「だって、セラは本当に可愛いでしょ」
「それは、誰が見てもお嬢様は魅力的ですから」
「そうだよね。今日も祭典の後、大人気だったし」
「お嬢様は昔から老若男女問わず人気のあるお方です」
「でも今日控え室に行く時、山崎君もだいぶ慌ててるように見えたけど」
「……それは、警護の観点から考えれば、当然気を配るべきことですから」
「警護の観点ね」
総司の声が、少しだけ愉しげになる。
「でも僕、さっきから気になってるんだけど、セラが可愛いって話をするとき、山崎君ってなんかちょっと言葉を選んでるよね」
「そんなつもりはありません」
「ほんと?」
「はい」
「じゃあ、山崎君はセラのどこが可愛いと思う?」
「……それは答える必要がありますか?」
「あるよ?だって僕が聞きたいし」
「では沖田さんこそ、お嬢様のどこが可愛いと?」
「んー?」
山崎さんが静かに問い返すと、総司は惚けたような声を出す。
複雑な心境で聞いていると、総司が私を抱える腕を少しだけ強めた気がした。
「全部」
総司の返答を聞いて、ドキドキと心臓がうるさくなる。
総司の腕にその振動が伝わっていないか心配になりながら、私はただ静かにしていた。
「……全部ですか」
「だって、本当に全部可愛いからね」
「全く……、お嬢様が起きていなくて幸いですね」
「そうかな?僕は逆に、起きてたら面白いのにって思うけど。ねえ、セラ」
『…………』
これはもう、絶対私をからかって遊んでる。
これがやりたくて私を部屋まで運ぶと言い出したんだとわかり、してやられた気分だった。
「本当は起きてたりしない?」
「沖田さん、やめてください。本当に起きてしまったらお嬢様が可哀想でしょう」
「まあ、どっちでもいいけどさ。セラが僕の腕の中にいることには変わりないしね」
さらりとした口調なのに、耳の奥にまで残る声音。
私は、息を詰めたまままぶたをぎゅっと閉じていた。
「そろそろ、お嬢様の部屋に着きますよ」
「ああ、もう着いちゃうんだ」
その言葉に、心の中で大きく息を吐く。
ようやくこの落ち着かない心情から解放されることにホッとしながらも、総司と離れることは少し淋しくも感じられた。
「じゃあ、僕の任務はこれで完了ってことかな」
「お疲れ様でした」
「うん。ありがとね、山崎君」
ふんわりとした感触が背中に広がり、ベッドの上に優しく降ろされると、総司の腕がそっと私の肩から離れていく。
もっとこのままでいたかった……そう思ってしまう自分に少し恥ずかしい気持ちになりながらもひそやかに交わされる二人の言葉に、私はそっと耳を澄ませた。
「セラお嬢様は、本当に華奢ですね」
ドアのほうから、山崎さんの穏やかな声が聞こえてくる。
「そう?僕はちょうどいいと思うけど」
総司の声が、いつもより優しい。
そんなことを思っていたら、私の上にはコンフォーターがふわりとかけられた。
そっと包み込まれる温もりに、安心感が広がっていく。
私は総司を一目見たくて、そっと目を開けてみた。
すると月明かりが静かに差し込んで、総司の輪郭を優しく浮かび上がらせている。
総司はベッドのすぐそばで私を見下ろしていて、目が合うと優しく微笑んだ。
「おやすみ」
小さな囁きが耳をくすぐる。
甘くて優しくて、胸の奥が少し苦しくなる。
どうしようもなく惹かれていく心を隠しながら、私は静かに目を伏せた。
山崎さんに寝たふりをしていたことがばれてしまうと困るから、声は出せない。
けれどせめて気持ちだけでも伝えたくて、そっと総司に微笑みを返した。
それを見た総司の瞳がふっと細められる。
静かに手が伸ばされ、指先がそっと私の前髪を撫でた。
優しくて、あたたかくて、触れられた場所からじんわりとした熱が広がっていく。
思わず目を閉じると、静寂の中で鼓動だけがはっきりと聞こえた。
言葉はなかったけど、それでも十分だった。
こんなにも優しく触ってもらえると、それだけでドキドキして眠れなくなりそうなくらい。
「ゆっくり休んで」
穏やかでどこか名残惜しげな声が響き、静かに部屋の扉が閉じられる。
去っていく気配を感じながら、私は目を開けることなく、胸の奥に広がる温もりを抱きしめていた。
ページ:
トップページへ