3
城の庭園の外れ。
人目の届かない低木の影で、僕はセラをじっと見つめていた。
シロツメクサの咲き誇るこの一角は、僕とセラが唯一二人になれる場所。
ここではいつもにこやかだったセラも、今日ばかりは困った様子で眉を下げていた。
「それで、どうして君は王太子と知り合ったことを僕に話さなかったのかな?」
にっこり微笑んで聞いてみたものの、多分目は笑っていなかったんだろう。
セラは若干怯えた様子で、僕のことを見上げていた。
『ごめんなさい……』
「謝って欲しいわけじゃなくて、どうしてって聞いてるんだけど」
『入学式の日、話そうと思ってたんだよ?でも総司が……』
「僕がなにさ」
セラは少し頬を染めながら、言葉を選ぶように視線を彷徨わせた。
『総司が保健室で……あんなことたくさんするから……あの日はそのことで頭がいっぱいになっちゃって……』
「…………」
そんな風に可愛い言い訳を並べられても困るけど、無言でいる僕にセラは再び言葉を続けた。
『あと……ね、ずっと言おうと思ってたんだよ。でもせっかく二人でいられる時間にその話をして、総司の顔から笑顔がなくなっちゃったらやだなって……。そう思ったら、つい先延ばしになっちゃって……』
「先延ばすにしても延ばし過ぎだよね。入学式からもう何ヶ月も経ってるんだけど」
『入学式から一度もお会いしたことなかったから、きっと王太子殿下も私のことなんて忘れてるかなって……そう思ってたの』
「セラのことはばっちり覚えてたみたいだけどね。しかも名前まで」
『総司に伝えるのが遅くなって、ごめんなさい』
しゅんとして俯いたセラは結局また愛らしい言葉で僕の心を鎮めてしまうから、文句を言う気もなくなってしまった。
それどころか目の前の悲しそうな顔を、いつもの笑顔に戻してあげたいとすら思ってしまう程だ。
「もういいよ。セラも好きで王太子と知り合ったわけじゃないしね」
それでも心の奥に渦巻くのは、あの記憶だった。
あの世界で王太子がセラに想いを寄せたこと。
そしてセラを手に入れようと僕を陥れる罠を仕掛け、それによってセラが命を落としたこと。
あの時、何をしても引き裂かれてしまった現実が、いまだに胸の奥を支配している。
でもそんなことは言える筈もないし、目の前のセラはあの二人がどれだけ危険かなんて僕が少し話したくらいじゃわからないだろう。
だからこそもどかしくて、より節操感に苛まれるばかりだった。
『あの日……風が強かったでしょ?代表挨拶の紙が風で飛ばされちゃって、平助君と追いかけながら中庭に入ったの』
セラはおずおずとした様子で、入学式の日の出来事を話してくれた。
転んでスカートが捲れてしまったことや、包帯を踏んで王太子諸共ベッドに沈んだこと、包帯に手こずって王太子が手伝ったことも全部。
「……まったく、君は何をやってるのさ」
『ごめんなさい……』
「こんなことなら僕が君に付き添っていれば良かったよ。知り合ったことはもうどうにもできないから、とにかくあいつにこれ以上気に入られないようにしてよ」
『うん、気をつける』
そう言いながらも、そんな方法があるのかもわからない。
なぜならセラはこんなにも可愛いし、純粋でいい子だ。
傍にいたら惹かれてしまうのは当然のことのように思えて、結局僕は頭を抱えることになった。
「あーもう……」
『総司……ごめんね、本当に……』
「いや……別にセラのせいじゃないよ」
短くそう返して、僕は目を伏せた。
セラが悪いわけじゃないのはわかってる。
むしろいつだってこの子は何も知らず、ただ周りの誰かに巻き込まれていくだけだ。
どちらかと言えば、何度も回帰をしているのにセラを護れない自分が嫌になる。
今回のことだって僕がこの子についていればと、後悔してもしきれなかった。
でもこうして無事に隣にいてくれることがどれだけの奇跡か、僕はよく知っている。
そっと髪を撫でればその温もりが生きていることを教えてくれるから、今はそれで充分だと思うことができた。
「セラのことは僕がちゃんと護るよ。だからそんな顔しないで」
それに僕が未来に不安を抱いてしまえば、同じようにセラも不安に思ってしまうかもしれない。
僕はこの子の笑顔も護りたいから、揺らいだ瞳で僕を見つめるセラに微笑みを向ければ、セラもようやく少し微笑んでくれた。
『ありがとう……。でも、本当にごめんなさい』
「謝らないでいいってば。でもこれからは直ぐに僕に話して。あと王太子と二人にならないようにして」
『うん、すぐに話すし二人にならないようにするね。それに学院では出来る限り総司の傍にいたいな』
「そうして。僕もセラの傍から離れないようにするからさ」
一度頷いて見せたセラは僅かに頬を染めて僕をじっと見つめてくる。
甘えたような強請るような瞳に吸い寄せられて、僕は顔を近づけていた。
『……ん……』
ふわりと重なった唇は、いつもよりずっとやわらかくて温かい。
まるで僕の不安ごと、そっと包んでくれるようだ。
「……セラ……」
名前を呟きながらセラの腰に手を回し、小さな身体を抱き寄せる。
そして今度はもう少しだけ深く優しく唇を重ねた。
そっと舌先を触れ合わせるようにして、やわらかく絡めていく。
セラも戸惑いながらも応えてくれて、触れるたびに呼吸が近づいていった。
「セラのこの顔は誰にも見せたくないな……」
潤んだ瞳に、上気した頬、濡れた唇。
そして僕だけに見せてくれるその無防備な表情。
唇が離れた瞬間、その全部が一気に目に焼き付いてしまうから、僕は思わずセラの頬に手を添えていた。
どうかこの先も、ずっと僕だけのものであってほしい。
そんな願いが、喉の奥まで込み上げてくる。
『うん……総司だけだよ』
その言葉にまた心が持っていかれる。
何度見ても何度触れても、僕はセラを求め続けてしまいそうだ。
「セラは本当に可愛すぎるんだよね。このままだと危険だからさ」
表情を曇らせるのが惜しくて、せめて何か対策をと咄嗟に思いついたのは……
「うん、とりあえずちょっとじっとしてて」
『え……?』
両手でセラの綺麗な髪をわしゃわしゃと掻き乱してみる。
寝癖みたいに、ぐちゃぐちゃに。
とにかく清楚さと儚げな可憐さを消そうと試みた。
『……もう、何するの……』
「髪がぼさぼさでもあんまり変わらないな。ていうか、それはそれで可愛いってどういうこと?」
口に出しておいて、自分でがっかりする。
かたやセラは怪訝そうな顔付きで、髪を直しながら僕を見つめていた。
『……総司?どうしたの?』
「あのさ、セラ」
僕は真顔になって、彼女の両肩をそっと掴む。
「セラはもうちょっと……なんていうか普通になれない?」
『普通って?』
「例えば、寝癖をつけるとか。眉を描きすぎて変になるとか、口紅をうっかりはみ出すとか。あと表情も、ちょっとくらい仏頂面でもいいんじゃない?」
『……何の話をしてるの?』
「このままだと王太子に気に入られちゃうよって言ってるの。セラがあいつと婚約しちゃったら、僕はどうしたらいいのさ」
ぽかんとした顔で僕を見つめたセラは、少し間を置いてふわりと笑い始めた。
それはあまりにも無邪気で、緊張感なんて微塵も感じられない。
前の世界の記憶がないから仕方のないことだけど、セラはこの前からずっとこんな調子だった。
自分が王太子の妃候補になるなんて、どこか他人事のように思っている。
『総司がいるのに他の人と婚約なんてしないよ?』
「王命が出たらどうするの?断れないでしょ」
『もし本当に王命が出たら、確かにそうかもしれないけど……』
そう言って、小さく呟くように目を伏せる。
まるでそんなことは起こるはずがないとでも思っているような口ぶりで。
でも僕はそんな風に楽観的でいられるほど、あの未来を簡単に忘れられない。
視線を逸らしたのは、伝わらないとわかっていたからだった。
あの冷たい王宮の中で、どれだけ叫んでも届かなかった声。
抗っても抗っても、掴めなかったあの手。
もう二度とそんな思いはしたくなかった。
けれどセラはそっと僕の腕に抱きついてきて、柔らかい声で言った。
『もしそうなったら、私……全部捨てて逃げ出したくなっちゃうな……』
「セラがそんなこと言うなんて珍しいね」
『勿論最後まで抗うつもりだけど、それでも無理だったらって考えると想像しただけでも胸が凄く苦しくなるの……。だから本当にそんなことになったら……総司は私と一緒に逃げてくれる……?』
予想外だった。
あのセラが、逃げたいなんて言葉を使うなんて。
いつもどんな時も前を向いて自分の立場を理解して、人のことを気遣っていた子が、こんな弱音をこぼすなんて。
でもそれはつまり僕との未来を、本気で望んでくれてる証だ。
その想いがどうしようもなく嬉しかった。
「当たり前だよ」
そう言いながら僕はセラの肩に手を置いて、そのままゆっくりと抱き寄せた。
「セラが逃げたいって言うなら、僕はどこにでも連れていくよ。そこがどんな場所でも世界の果てでも、君が望むならどこでもね」
耳元にかすかに髪が触れて、ふわりと花のような香りがした。
その香りの奥に、かすかな不安が混じっている気がして、僕はさらに彼女を抱き寄せる。
「でもね、本音を言えばそんなことにならない未来を君と一緒に作っていきたい」
『……総司』
「大丈夫だよ。僕はずっと君の傍にいるから」
あの時は護れなかった未来を、今度こそ失いたくない。
セラの温もりを感じながら、僕は静かに目を閉じた。
胸の奥で燃える想いが、この子にも届いてほしいと願いながら。
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