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僕が専属騎士に就任してから早数ヶ月。
夜は必ずどちらかのベッドで一緒に眠りにつく僕達は、今朝も同じベッドの中で目を覚ました。
毎晩のようにセラに触れたくなるのをどうにか我慢しながらも、時間に余裕のある時はどうしても手を伸ばしてしまう僕がいる。
昨晩の愛らしく悶えるセラを思い出しながら、隣で眠るセラを見つめていた。
「セラ、そろそろ起きないと遅刻するよ」
『……ん……』
「起きないの?じゃあ襲っちゃおうかな」
セラを組み敷いてみても、セラはあどけない顔ですやすやとよく眠っている。
以前の世界まではこうしていつも隣で寝てくれたわけではなかったから、セラとの距離がより縮まったように思えて嬉しかった。
「……あーあ、可愛い」
駄目だな、いつになったらこの感情は落ち着いてくれるんだろう。
落ち着くどころか、回帰を繰り返してセラを知っていく度に、この想いは深くなるばかりだった。
無防備な寝顔に触れるのも憚られるほどの愛しさを覚えるくせに、僕は我慢できなくなってしまう。
触れたいと思ったら最後、そっと身を寄せて小さな唇に自分の唇を重ねた。
たったそれだけのことで、こんなにも満たされるのに、欲は際限なく溢れてしまうから困ったものだけど。
『……ん……ぁ……』
舌先をゆっくり差し入れれば、セラの身体が小さく震えた。
意識がまだ眠りの中にあるその瞬間すら、僕を惹きつけてやまない。
だけど数秒後、セラの手が僕の胸元をぎゅっと掴み、かすかに押し返すように力が入ったのに気づいて僕はそっと唇を離した。
『や……なに?』
眠たげに瞼を上げたセラが、少し頬を赤らめながら困ったように見上げてくる。
その目がちゃんと僕を映したのを見て、ふっと笑みが漏れた。
「おはよ、そろそろ起きないとだめだよ」
『……どうしてキス……』
「呼んでも起きないからさ。キスしたら起きるかなって思って」
僕がそう言うと、セラは少しだけ唇を尖らせて、虚ろな顔のままベッドの中に潜ろうとする。
その仕草があまりにも愛らしくて僕の口元も緩んだ。
『……まだねむいの……』
「そっか」
セラがコンフォーターにもぞもぞ潜り込んでいくその隙間に、そっと手を差し入れて肩に触れる。
するとセラはそのまま僕にすり寄ってきて、僕の胸元に縋るように頬を寄せた。
『総司、あったかい……』
「君のほうがあったかいよ」
僕の胸に頬を押しつけたまま、セラはゆっくりと腕を伸ばして僕の腰に回す。
眠気にとろけたまま甘えてくる様子がたまらなく可愛くて、もう一度抱きしめるように僕も腕を回した。
「そんな風に甘えられたら、僕も我慢できなくなるんだけど」
『だめ……?』
「だめじゃないけど、朝からこれはちょっと困るかな」
囁くように言って、そっと頬にキスを落とす。
するとセラが少しだけ身じろぎして、僕を抱きしめる腕に力を入れた。
『今日も総司のこと、いっぱい好き』
「僕も大好きだよ」
嬉しそうに微笑んだセラは、もう一度僕に擦り寄ってくると、しばらくしてきちんと起きる。
そして自分の部屋に戻り身支度を整えた後は、いつものように凛としていた。
「寝起きの時と随分違うね」
『え?寝起きの時、おかしい……?』
僕は首を横に振って、椅子に腰掛けたセラを見つめた。
薄く微笑みながら紅茶に口をつける彼女は、もうすっかりいつもの公爵令嬢らしい姿に戻っていた。
背筋はすっと伸びていて、所作も丁寧で、どこを切り取っても完璧。
ほんのさっきまで、僕にすり寄っていたとは思えないくらいだ。
「たださっきまで僕に甘えてた人と、目の前にいる人が同じだって思えないだけ」
そう言うと、セラはぴたりと動きを止めた。
紅茶を持ったまま、小さく首を傾げて僕を見つめてくる。
『……甘えてたかな?』
「甘えてたよ。僕の服の胸元、ちょっと伸びてるでしょ」
冗談まじりにそう言って自分のシャツの襟を摘まんで見せると、セラは恥ずかしそうに頬を赤くして、視線を逸らした。
『……ごめん』
「いいんだよ。僕は、セラのそういうとこも好きだしね」
照れてはにかむ様子が可愛い過ぎるわけだけど、この可愛いさが問題だ。
今日はあの王太子と同じ星界学の授業があるし、この姿を晒して欲しくないと思う僕がいる。
「ねえ、今日は僕に髪とか任せてくれない?」
『総司がしてくれるの?』
「うん。試してみたいことがあるんだよね」
そう言いながら席を立って、僕はセラの背後に回る。
セラのふわりとした髪にそっと指を滑らせると、朝の光を纏って柔らかく揺れた。
『髪、どこかおかしかった?』
「全然。むしろ可愛い過ぎるんだよね。でも今日はちょっと対策が必要だから」
『対策?』
セラは振り返りそうになるけど、僕が軽く肩に手を置くと素直に前を向いてくれた。
「今日って、王太子と同じ星界学の講義あるでしょ?」
『あるけど……王太子殿下はいつも私のことどうとも思ってなさそうだよ?』
「わからないじゃない。好かれてからじゃ遅いしね」
鏡越しに目が合うと、セラは困ったように微笑んだ。
僕は櫛を手に取り、セラの髪をきちんと真ん中で分ける。
そのまま手際よく両サイドから編み込んで三つ編みにしていった。
『凄くぴったりしてる……?』
「うん、きちんと感を強めてるんだ。これなら少しは柔らかさも抑えられるかなって」
三つ編みの結び目をリボンではなく黒のゴムで固定して、あえて地味めに仕上げる。
「前髪ももう少し押さえておこうか。ちょっと動かないでね」
セラの前髪にそっと指を入れて、額がすっきり出るようにピンでしっかり固定する。
使ったのはシンプルな黒のアメピンを左右に三本ずつ。
飾り気の一切ない、いかにも実用重視のスタイルだ。
やわらかく下りていた前髪を全部持ち上げたことで、だいぶ印象が変わる筈だ。
『え……本当に全部上げるの……?』
「うん。目元が明るくなるし、視界も広がっていいでしょ?」
『……う、うん……』
鏡越しに眉を寄せて見上げてくる顔があまりに不安げで、思わず笑いそうになるけど、ここで気を緩めるわけにはいかない。
これは王太子接近阻止のためのれっきとした戦略だからだ。
「はい、これも」
僕は先日街で買っておいた伊達のメガネをポケットから取り出して、そっとセラに差し出した。
『メガネ?』
「うん。伊達だけど、これでだいぶ印象変わると思うよ」
少し戸惑った表情を浮かべたまま、それでもセラは素直に眼鏡をかけてくれた。
薄いブラウンのフレームは華奢なのにちゃんと存在感があって、瞳の印象を少し柔らげられるものにした。
『……どう?変じゃないかな?』
「全然。むしろ、すごく似合ってるよ」
僕は鏡越しにセラを見つめながら、少しだけ満足そうに頷いた。
「これでいつもより少し真面目そうに見えるし、目の印象も抑えられるよ。よし……あ、あとこれね」
そして極めつけはベージュのカーディガン。
体温調整のためと称して羽織らせてみる。
「少し大きめに見えるでしょ?これで体のラインもあんまり目立たないし」
『わたし、そんなに隠さないといけないの?』
「君が可愛すぎるのが悪いんだよ」
ふっと口元を緩めると、セラはほんの少し照れたように視線を落とした。
でも、鏡に映るセラはどうしたって可愛いままだった。
おでこが見えて幼さが際立ったせいか、逆に透明感が増して見えてしまっている。
きっちり三つ編みも、丸眼鏡も、地味なカーディガンも、どれも普通の子なら確実に地味に仕上がるはずなのに、セラが身につけるとなんだかおとなしそうで守りたくなる可愛い子って感じ。
可愛さってこんなに隠せないものだったっけ。
「……はあ。本当に、困るな」
僕は小さく溜息をついて、セラの三つ編みにそっと手を添えた。
「これ以上やったら仮装みたいになっちゃうから、とりあえず今日はこれで行こう」
『うん。なんだか慣れない感じだけど、総司がしてくれたから嬉しいよ。ありがとう』
セラと並んで城外に出て、馬車の待機場所へと歩いて行く。
先に来ていた伊庭君と平助は、いつもと違うセラを見て目を見開いていた。
「おはようございます。今日は雰囲気が違いますね」
「おっす!てかどうしたんだよ、その格好」
『おはよう、伊庭君、平助君。今日は総司が少し支度を手伝ってくれたんだ。どうかな?』
セラは鞄を両手で持ちながら、愛らしい仕草で二人を見上げた。
すると二人の頬は明らかに色付いたから、この格好に意味がないことが証明されてしまったようにも感じる。
「とても可愛いですよ。なんて言えばいいでしょうか……いつも以上に清楚に見えますし、護ってあげたくなるような感じです」
「うん、めっちゃ可愛いと思う。前髪やメガネも似合ってるけどさ、そのぶかぶかのカーディガンもなんか……すげーいいと思う」
「二人とも、馬鹿なの?これはセラの可愛いさを隠して身を護るためにやってることなんだけど」
「ああ、例の王太子殿下対策だろ?でもこんなんじゃ意味ねーって。むしろ新鮮でいいなーってなっちまうぞ」
「そうですね、王太子殿下の好みはわかりませんが逆に唆られてしまうかもしれませんよ」
「そんなことないから。ほら、良く見てみなよ。いつもよりかは……」
そう言ってセラに目を向け、初めて鏡越しではない目の前のセラを見つめて思わず息を呑んだ。
透き通るような瞳がまっすぐ僕を見上げていた。
その顔は、少しだけ恥ずかしそうで、それでも僕に褒めてもらえるのをどこかで期待しているようで……もうどうしたらいいのか分からなくなる。
ぶかぶかのカーディガンに包まれた華奢な肩。
真面目そうなメガネの奥には、相変わらず優しくて、どこか無防備な光を宿した眼差し。
これで護身のつもりって言われても、説得力なんてひとつもなかった。
むしろ、これはこれで致命的に可愛くて……
「……あー……もう、駄目だなこれ」
『総司……?』
「いや、なんでもないよ。ただ……」
僕はゆっくりとセラの髪を指先ですくって、耳にかけてあげる。
その時に感じたわずかに震える肩の感触が、余計に心を掴んでしまうようだった。
「可愛過ぎて逆効果だって言ってるの。これじゃ王太子対策どころか、僕まで変な気になるよ」
『え……』
「なんでそんな顔できるのさ。もうちょっと、相手を睨んだり威嚇したりできないもの?」
『えっと……ごめん……』
「いや、セラが悪いわけじゃないよ。全部、君が可愛過ぎるのが悪いだけ」
横から聞こえる伊庭君と平助のため息が、やけに大きかった。
「総司が真顔で言うとこえーって」
「ですね。これじゃあ、殿下より沖田君の理性が先に限界を迎えるようなことになりかねませんよ」
「君達、黙っててくれる?」
「とにかくもう行こーぜ。セラが可愛いのは今に始まったことじゃないしさ」
「そうですよ。だからこそ僕達がいるんです。ミイラ取りがミイラにならないようにしてくださいね」
苦笑いをしたセラは僕を上目で見上げると、またいつもの気が抜けてしまうような愛らしい顔でへらりと微笑んでくれる。
ため息を吐きながらも彼女に微笑みを返し、僕は皆と一緒に馬車の中へと乗り込んだ。
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