2
星界学の授業の時間になり、私は総司と教室に入り席に着く。
しばらくして前方の扉から教室に入ってきた王太子殿下は、私達と同じテーブルに来るなりあからさまに眉をひそめた。
「……なんか、今日変じゃない?」
ご自身の思ったことを遠慮なく言葉にされる人だというのはわかっていたけど、思っていたよりも率直なお言葉に一瞬きょとんとしてしまう。
『変でしょうか?』
そう尋ねると、殿下は軽く首を傾けてから平然と続けた。
「なんて言うか、ダサいよ」
……え?
唖然と殿下を見上げていると、隣に座る総司がけらけらと笑い始めた。
口元に手を当てながらも声を堪えきれず、楽しそうに肩まで揺らして笑っている。
『……総司、笑いすぎ』
私は唇をきゅっと尖らせて総司を見上げる。
すると総司はちらりと私に目を向けて、「ごめん」と言いながらもまだ笑っていた。
「どういう心境でそんな風にしたのか知らないけど、もうちょっとどうにかならないの?」
『どうにかって言われましても。私、この格好も結構気に入ってるんですよ』
「そうなの?お前の美的センスを疑うね」
王太子殿下は、本当に遠慮というものがない。
でも総司の思惑通りにことが運んだなら、これで良かったと思えた。
少なくとも殿下が私に恋心を抱いていらっしゃる様子は今のところ見受けられないけど、総司が安堵しているような表情をしていたから私の口元も緩む。
けれどその空気が一変したのは、殿下が急に席を立ち、私のすぐ後ろに立ったからだった。
「俺にちょっと任せてみて」
『え?』
「幼い頃、よく妹の髪を結ってあげてたんだ。今のその変な三つ編みよりかは、可愛くしてあげられるよ」
『いえ、そんな……殿下のお手を煩わせるわけにはいきません』
「じゃあこれは命令だ。今からお前はここでじっとしてること、いいね」
冗談めいたような口調だったけど、冗談では済まされない雰囲気を感じた。
私が迷って視線を彷徨わせると、殿下はさらに言葉を重ねた。
「講義までまだ時間あるし、このままだと見苦しくて俺が耐えられない」
『そんな耐えられない程でしたか?』
「ああ。今時こんな変な髪型をしてる奴はお前くらいだよ」
それは殿下に幻滅されるために総司が考えてくれたものだから仕方ない。
折角総司が結ってくれた髪が、簡単にほどかれてしまうことが今少し悲しかった。
『……わかりました。よろしくお願いします』
私がそう言った時だった。
向かいの席に座る総司と自然と目が合う。
総司はただ真っ直ぐに、逸らすことなく私を見ていた。
その瞳は言葉よりもずっと多くのものを語っているようで、思わず息を呑んでしまう私がいた。
熱を帯びた眼差しに宿っているのは、いつもの優しさだけじゃない。
苛立ちや葛藤、そして哀しげな色。
総司は何も言うことはなかったけど、その眼差しは雄弁で、本当は嫌なんだってわかってしまう。
私の髪にこれから触れるのが自分ではないこと。
目の前で、それを他人に奪われること。
それがどれほど総司の中で許しがたいことなのかが、胸に刺さるように伝わってくるようだった。
それに私も同じだった。
総司が結ってくれた髪がほどかれていくのが寂しくて。
総司にそんな思いをさせてしまうのが苦しくて。
でも、だからといってこの場で殿下の申し出を退けられるはずもなくて。
私のことを誰よりも心配してくれている総司が、今何も言わずに見守っているのがよくわかったからこそ、心が痛くて悲しかった。
「三つ編みの癖があるから、これを生かそうか」
背後に立った殿下の指が、まずは私の三つ編みを丁寧にほどいていく。
くるくると解けていく髪は自然な波を帯びて、緩やかなウェーブになっていった。
「これなら、ふわっとまとめた方が映えるかもね」
殿下はそう呟くと、器用に左右の髪をすくい取って、後ろで柔らかくまとめ始めた。
「サイドを編み込んで、後ろで軽く束ねて。下ろす髪はそのまま流して、トップには少し高さを出して……うん、これでいい」
とても手慣れた仕草だった。
やがて髪を留めるゴムの代わりに小さなシルバーのピンでまとめたところを整え、殿下は「完成」とそっと声をかけた。
「はい、見てみて」
私は手鏡を取り出すと、鏡の中の自分を見た。
後ろで編み込まれた部分は軽く持ち上げられ、肩にかかる髪はふわふわと波打つまま自然に流れている。
サイドの編み込みが柔らかさを引き立てて、今までに見たことのない自分がそこにいるような気がした。
『とても……柔らかくて、素敵な髪型です』
「似合ってると思うよ」
そう言って満足気に笑みを浮かべる殿下に、お礼を言って頭を下げる。
けれどそんな私を上から眺めていた彼の指が、不意に私の顔元へ伸びてきた。
『え……?』
「ああ、ごめん。ちょっとだけ」
殿下は私がかけていたメガネを、そっと外す。
「これ、伊達?」
『はい、視力は悪くないので』
「やっぱりね。じゃあ……」
殿下はそれを手に持ったまま、ふと視線を私の顔に戻した。
「これはしないほうがいい」
『え、でも……どうしてですか?』
「する必要がないだろ。折角の可愛い顔を隠したら勿体ないと思うけど?」
殿下のその言葉は、まるで何でもないことのようにさらりと放たれた。
でもそのあまりの自然さに、私は返す言葉を失ってしまう。
そしてつい隣に視線を移すと、無言で腕を組んでいた総司が言葉を放った。
「可愛いは可愛いんですけどね」
「ですけど、なんだよ?」
「あんまり可愛くし過ぎるのも、どうかと思うんですよ、僕は」
「なんで?」
「変な虫がつくと、僕の護衛の仕事が増えちゃうじゃないですか」
それはきっと総司なりの牽制だとわかったからこそ私は唇をきつく結んだけど、殿下は目を瞬くと声をあげて笑った。
「沖田はそんなことを気にしてるの?随分と過保護なんだね」
「この子は危なっかしいんで過保護にならざるを得ないんですって」
「まあ、沖田の言いたいことはわかる。でも護衛にそこまで口出されたらセラも窮屈なんじゃないか?」
にやりと笑って少し挑発的な物言いをする殿下を横目に、総司が何を返すか少し不安に思いながら言葉を待つ。
でも総司は特に何も気にしていないような素振りで、その視点を私に移した。
「セラは窮屈?」
真っ直ぐに聞かれて一度目を見開いたけど、私はすぐに首を横に振った。
『全然窮屈じゃないよ』
「だそうですよ」
「だそうですよって、本人目の前にして言い難いだけかもしれないじゃないか」
「んー、それはないと思いますけどね」
「なんで言い切れるんだ?」
「僕とセラは付き合いが長いので、普通なら言いにくいことも言いやすいんですよ。例えるなら……そうですね、王太子殿下と王女殿下みたいな遠慮のいらない兄妹みたいな関係です」
その口調はどこまでも自然で、何の裏もないように見えた。
でもその中には、殿下や周囲に勘繰られないように、私たちの仲の良さを兄妹と表現しておくという意図が含まれていると気付く。
恋仲だなんて思われたら何かと面倒が起こる今の立場を考えての、総司なりの配慮だと思った。
「なるほどね。確かに、お前達は遠慮してるようには見えないな」
そして、ほんの少しだけ間を置いて、ふと目を細めるように言った。
「でも、沖田は良かったね。セラみたいなのが主でさ」
『どうしてですか?』
「うちの妹の下で働いてたら、きっと物凄く大変だよ」
殿下は肩を竦めるようにして、どこか困ったように微笑んだ。
「気難しい性格なんだ。自分の身体が思うようにならない苛立ちを、全部周囲にぶつけるんだよ。実の妹だけど正直俺も手を焼いてる」
その口ぶりには、身内だからこその複雑さが滲んでいた。
王女殿下はお身体が弱いと聞いたことがあるけど、きっと健康な人にはわからない苦悩も多くあるのだろうと考えてしまった。
『王女殿下のご体調……大丈夫なんでしょうか?』
「まあ、昔よりはね。でもあの性格だけはどうにもならないな」
苦笑まじりにそう返された言葉を聞いて、私は頷くことしかできなかった。
でも総司だけはその口ぶりに対して曖昧なままではいられなかったようだった。
「確かに王女殿下はなかなか個性的なお方だと、お噂でよく伺います。常にご自身の意思を貫かれるお方だと聞いてるんで、周囲もさぞかし緊張感を強いられるんでしょうね」
その声は落ち着いていたものの、言葉の奥にははっきりとした評価がにじんでいる。
さっきまで穏やかだった殿下の視線がどう変わるか、不安が胸に広がった。
けれど殿下はむしろ楽しげに眉を上げて、くつくつと笑った。
「へえ……お前、意外と口が利くんだな。そういうの、嫌いじゃないよ」
総司は微笑を崩さず、静かに頭を下げた。
「失礼があったらお許しください。ただ殿下のお言葉があまりに率直でしたので、僕も包み隠さずにお返ししようと思ったんですよ」
そのやり取りに、私はますます目を見張った。
総司は殿下の言葉に媚びることもなく、けれど敬意を損なうこともなかった。
ちゃんと礼を尽くしながらも、思ったことを口にする……それは誰にでもできることじゃないからこそ、改めて総司のことを尊敬してしまう。
「なるほどね。沖田ような男が近くにいるなら、セラは確かに安心だ」
『……え?』
「いや。さっきはからかったけどさ、ちょっと見直したんだよ。沖田が堂々としてるから、セラの振る舞いにもちゃんと芯がある。王族と話す時に媚びないところとか、見ていて悪くなかった」
言葉の端に、殿下なりの好意がにじんでいた。
もしかしたら本当に、今の総司の振る舞いを気に入ってくれたのかもしれない。
それより何より隣で静かに座っている総司が、どれほどこのやり取りに神経を使っていたかを思うと、胸が熱くなる想いだった。
「お褒めいただき光栄です、殿下。セラが貴族の中で浮かないように気を張っていたんで、そう言って頂けると励みになりますよ」
『ふふ』
「なんでお前が嬉しそうなの?」
『いえ、だって総司のことを評価して頂けるのは私も嬉しいので』
「お前はお前で随分呑気だけど……まあ、そこがセラの良いところなのかもね」
殿下は少しあきれたように笑いながら言って、背もたれに体を預けた。
まるで観察するような視線で私を見つめるけど、不思議とそれが嫌ではなかった。
ページ:
トップページへ