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テスト期間もようやく終わり、ようやく羽を伸ばせると思っていた休日。
僕は馬車に揺られながら、セラの隣で盛大なため息を吐き出していた。


「はあ……」


今日何度目かもわからないため息をこぼす僕を見ながら、セラは眉を下げて微笑んでいた。


『凄く憂鬱そうだね?』

「憂鬱なんてものじゃないよ。セラはよく平気だね」

『私は王宮に出向いたことがないから、純粋にどんなところか興味があるんだ』


つい先日、僕達の教室までわざわざやってきた王太子は、星界学の礼をすると言って王宮への招待を申し出てきた。
あいつの好意を無碍にできない立場柄、有無を言わずに行くことになってしまったけど、僕としては最悪極まりない展開だ。


「セラはいいね、なんでも純粋に楽しめて」

『別に楽しみなわけではないけど……、王宮でしか見られないものもあると思うから。総司もおいしいお菓子を目当てに気軽に過ごせばいいんじゃないかな』

「僕はおいしいお菓子より、セラと二人でのんびり過ごせる時間の方がよっぽど大事だけどね」


専属騎士になってからの日々は、今まで以上に多忙だ。
護衛や通常任務に加え、特別任務や学業、課題、日々の鍛錬も欠かせない。
テスト期間中は睡眠すらまともに取れない程だった。
セラも僕同様、城内でのレッスンや公務に追われている身だから、僕達がそろって休日にのんびりできることは稀だった。
その折角の機会を王宮で王太子と過ごす羽目になるなんて、ため息をいくら吐き出しても足りない。
うんざりするのは致し方ないことだと思う。


『私も総司と二人でゆっくりしたかったよ。だから今日は遅くならないようにお城に戻ろう?夜は総司とゆっくり過ごしたいな』


セラは僕の手にそっと指を絡めて、可愛いく僕を見上げてくる。
その愛らしい様子を目の前に苛立ちも少し落ち着いて、夜を楽しみに昼間は耐え凌ぐしかないと腹を括った。


「そうだね、セラと一緒なら昼間くらい我慢するよ」

『うん。総司と一緒にいられるから、それだけで嬉しいよ』


あーあ、今日も可愛いな。
本当ならこの子をひとり占めして、どこか静かな場所でゆっくり過ごしていたかったのに。
王太子と半分ずつなんて、考えただけでも面白くない。

それに王宮という場所は、僕にとって嫌な記憶しかない場所だ。
どれだけ外見を飾り立てようが、中にあるものは腐っている。
前の世界で僕はそれを嫌というほど思い知った。
あの無駄に豪奢な王宮の門が視界に入った瞬間、胸の奥が暗く重くなっていくようだった。




「やあ、よく来てくれたね。セラ、沖田」


馬車が止まり扉が開くと、王太子は整った顔立ちでいつものように静かな笑みを浮かべて立っていた。
微笑んだセラは丁寧にスカートを摘んで、一礼をした。


『殿下、こんにちは。お忙しい中、本日はお招きいただきありがとうございます』

「お招きありがとうございます。お心遣いに感謝していますよ」

「かしこまった挨拶はいらないさ。今日は二人にのんびりしてもらいたくて呼んだんだ。セラと沖田が来てくれて嬉しいよ」


この世界の王太子は、前の世界と違って敵意をあらわにしてきたりはしない。
今のところは僕のことも友人のひとりとして扱っているようだ。
僕もそれに合わせて適度に距離を保ち、適度に親しく接しているつもりだけど、決して忘れたわけじゃない。
王宮、そして王太子の笑顔の裏には、計算が含まれている可能性が十分にある。


「じゃあ、案内するよ。今日はお前達に特別な部屋を用意してあるんだ」


王太子は踵を返し、僕たちを回廊の奥へと導いた。
陽の光がやわらかく差し込むサロンは、何度が王女の付き添いで来たことがある。
手入れの行き届いた庭園を臨む窓辺の席は、まるで僕達のために整えられたようだった。


「今日は厨房に頼んで特別に用意させたんだ。星界学の課題をあれだけ完璧に仕上げてくれたお礼さ」


王太子は誇らしげに、宝石のような洋菓子が並んでいるテーブルの一角を示す。
薄く焼いた蜂蜜のタルトに、星屑を模したシュガーグラス。
真珠色のカップには、華やかなバニラとシナモンの香りを纏った白茶が注がれていた。
その場所で立ち止まったセラは、まるで子どものように目を輝かせていた。


『わあ、すごい……こんなに素敵な場所、本当に宜しいのですか?』

「ああ、勿論。俺にもてなして貰えるなんて光栄に思うんだね」

『はい、ありがとうございます。こんなに可愛いお菓子、見たことないです』

「当たり前だ、どれもここでしか食べられない。それとこれは沖田に頼まれて用意した茶葉だよ。帰りにも少し持たせようと思ってる」

「ありがとうございます、殿下。楽しみですよ」


こんなことになるなら天体観測の日に冗談でも茶葉を欲しがるべきではなかったと内心でげんなりしてしまう。
その感情を悟られないようにセラと一緒に腰掛けて、紅茶の香りを楽しみながら他愛ない会話をした。
セラは嬉しそうにタルトを手に取りそれを口に運ぶと、その顔がふわりとほどけて花のような笑みが咲いた。


「お前は本当に美味しそうに食べるね」

『だってとっても美味しいですから』

「それなら沢山食べるといいよ」

『ありがとうございます、殿下』


僕は思わず目を細めた。
あの頃、王女の命令でセラと会うことさえ許されず、ただ耐えることしか出来かなかった日々がふいに胸をよぎる。
この笑顔すら遠く感じたあの世界と違って、セラがすぐ隣にいるだけでも今の方がまだ救いがあると思いたかった。

でも僕の目の前では王太子が頬杖をついたまま、セラをずっと見つめている。
その視線はいつになく穏やかで、僕の心中には不安が渦巻くばかりだった。


「今日はもう公務を片付けてあるんだ。夕食も手配してあるから食べて行くといいよ」

『いえ、そこまでご厄介になるわけにはいきません。夕食前にはお暇させて頂きます』


その答えには遠慮の色が滲んでいて、けれど僕と交わした「遅くなる前に帰ろう」という約束を意識しているのが、セラの目の動きや仕草から感じられた。
僕はそれに応えるように、ごく自然な笑みを返す。
すると王太子は気にしたふうもなく、すっと背を起こして言った。


「気にする必要はない。王宮の食事は美味しいからね。沖田もセラと一緒に食べていきなよ」

「それは光栄ですけど、お招きに甘えすぎてしまいません?」

「遠慮はいらないさ。ゆっくりして行けばいい」


セラが珍しく言葉に言い淀んでいるのは、僕を気遣ってのことだと分かっていた。
この子に心労をかけるのは本望ではないから、僕は内心でため息を吐き出しながらも口を開いた。


「殿下にそこまで仰って頂けるのなら、ご一緒させて頂こうかな。ね、セラ』


セラは僕を見つめて唇を一度きゅっと結ぶ。
そして控えめに微笑むと、再び殿下に視線を移した。


『ではお言葉に甘えて、ご一緒させて頂いても宜しいですか?』

「勿論さ」


これでまたセラと二人で過ごす時間が食い潰されると、内心では苛立ちが込み上げる。
でも不貞腐れるわけにはいかないから、紅茶の香りを嗅いで気を紛らわせていた。


「夕食までは時間もあるし、この後は乗馬でもしていく?」

『よろしいのですか?』

「ああ、勿論。庭の整備も済んでるし、王宮にはいい馬が揃ってる。気晴らしには丁度いいだろ」


セラが一瞬、嬉しそうにこちらを振り返る。
けれど僕はすかさず声をかけた。


「セラは一人で乗っちゃだめだよ。慣れてない馬は危険だからね」

『……あ、うん。そうだよね』


セラは素直に頷いてくれたけど、ほんの少しだけ残念そうな表情がよぎった。


「王宮にとても穏やかな性格の雌馬がいてね。小柄で足も柔らかい。そいつなら安心して乗せられるよ」

「いえ。馬上で何かあっても困ります、僕が一緒に乗せますよ」

「でもセラは一人で乗りたそうだったけど?」

「僕はこの子の安全を第一に考えてます。それが僕の役目ですから」

「そうやって何もかも手を出していたら、セラ自身の経験を奪うことになるんじゃない?お前のその過保護さは、結果としてセラを閉じ込めているかもしれないよ」

「お言葉ですが、殿下と違って、僕にはセラの身を護る責務があるんですよ。少しでも危険が伴うものであれば、どんなお誘いであっても軽々しく応じるわけにはいきません」


その一言が出た瞬間、自分でも気づく。
口調が少しきつかった。

王太子は黙ったまま、カップを手に取る。
いつもの柔らかな微笑は残っていたものの、その目の奥がほんの一瞬だけ細くなったのを僕は見逃さなかった。


「……責務ね。じゃあ沖田は俺の提案を無責任だと言いたいわけだ」


静かな声だったけど、言葉の端に冷たい響きがあった。
何か返事を返そうとした時、僕は自分の胸の中にあるざらついた感情に気がついた。

ここに来たことで、あの時の記憶が嫌でも蘇った。
王宮で王女の命令に縛られ、セラに近づくこともできなかった時間。
そしてセラが目の前で命を落としたこと。
前の世界の僕が、あの一年半の苦しみをまだ捨てきれていないからこうして噛みついてしまうのだろう。

でも今の王太子はそれを知らない。
そしてセラもあの時のセラとは違う。
それなら過去の影に引きずられて事態を悪化させるのは間違っている。
だからこそ僕はふっと笑って、わざと力を抜くように背をもたれた。


「申し訳ありません。言葉を間違えてしまいましたね」


軽く言ってから手のひらを開き、紅茶の香り吸い込むように一呼吸おいた。


「殿下のご提案が無責任だなんてそんな風には思ってませんよ。ただこの子がもし落馬でもしたら、僕の方が真っ青になると思うので、気を揉むくらいなら最初から一緒に乗った方が楽しめると思ったまでです。大目に見ていただけると嬉しいんですけどね」


わざと軽い調子で言えば、王太子はほんのわずかに口元を緩めた。


「お前はずいぶん器用に言い回すね」

「生き延びるための処世術です。なにせ僕、アストリアで口答えの多い騎士だと思われてますから」


王太子はくっと笑ったような顔をして、ようやく視線をカップに戻した。
その笑みに完全な油断はなかったものの、明確な敵意もない。
やっと火種が煙に変わった、そんな気がした。


『殿下、お気遣いありがとうございます。折角ですが、今日はドレスなので総司と一緒に乗ることにいたしますね。王宮の馬の癖もまだ分かりませんし、無理はしない方がいいかと思うので』

「セラがそれでいいなら、俺は構わないよ」


セラがお礼を言うと、僕達の間には会話がなくなる。
柔らかなティーカップの音が静かに響いたあと、その沈黙を破ったのはセラだった。


『あの……殿下。先程は総司が失礼を申し上げてしまい、申し訳ありませんでした』


僕は思わず、隣で顔を向ける。
セラはほんの少しだけ不安そうな面持ちで、まっすぐに王太子の方を見ていた。


『ですが……総司が私のことをあれほど気に掛けてくれるのは、私の父がとても心配性だからなんです』

「近藤公が?」

『はい。おおらかで優しい父ではあるのですが、私のことになると少し過保護なくらいで。私は兄弟もおりませんし母も私が幼い頃に亡くなっていて……なので父には私しかいないのです』


話しながら、セラはそっと視線を落とした。


『……ですから総司も、そんな父の意向を汲んで私を気に掛けざるを得ないんです。それもこれも、私がまだまだ頼りないせいで……本当に申し訳ありません』


僕は静かに目を伏せながら、セラの優しさに心の中でそっと頭を下げた。

王太子と僕との間を柔らかく繋ごうとしてくれる。
僕の言葉が強すぎたと気づいて、代わりに場を整えようとしてくれる。
それでいて、自分のせいだと言ってしまう。
本当は君のせいなんかじゃないのに。
でもやっぱり、君はそういう子なんだよね。

王太子は、しばらく黙ってセラを見ていた。
穏やかな眼差しだったけど、やがてふっと息をつくように口を開いた。


「確かに、セラみたいに護衛を三人も引き連れて学院に通ってる生徒はなかなか見ないよね」

『……はい』

「でも、別に悪いことじゃないんじゃない?それだけ大切にされてる証だ」

『そう言って頂けるとありがたいです』

「まあ、お前が頼りないのは俺も知ってるからね。今更気を揉む必要はない」


殿下の言葉は皮肉めいて聞こえなくもなかったけど、その声音にはとげがなかった。
むしろ意外なほど穏やかだったから、僕はそんな二人のやりとりを聞きながらそっと一つ息を吐き出していた。


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