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昼食を終えテラスを出た僕達は、乗馬場へと向かって王宮の奥に続く石畳の通路を歩いていた。
広々とした廊下には高窓から陽光が差し込み、金糸のタペストリーが静かに揺れている。
セラはその景色に目を輝かせながら歩いていたけど、廊下に響く足音の向こうから重厚な声が響いた。


「薫」


振り返ると、廊下の奥からゆっくりと国王陛下が歩いてくる姿が見えた。
堂々とした体躯に、淡い金の刺繍が施された王衣。
周囲の空気が張り詰めるような存在感は、かつて一度、間近で見たあの時と変わらなかった。


「父上、ご機嫌よう。まさかお会いできるとは」


王太子はにこやかに頭を下げる。
その様子には親子らしい温かさと、どこか張り詰めた緊張感が同時に漂っていた。


「ちょうど学院からお招きした客人を案内するところでした。よろしければお引き合わせを」

「ふむ」


国王陛下の視線が、僕達へと向けられる。
その眼差しは厳しすぎず、しかし柔らかくもなく、まさしく王の目だった。


「アストリア公爵家のご令嬢、セラ嬢です。学院でも学業に優れ、僕が信頼している友人の一人です」

『初めまして、陛下。アストリア公爵家のセラと申します。このたびは王宮にお招きいただき、身に余る光栄に存じます。また、薫殿下には日頃より学院にて多大なるご配慮をいただいており、父共々心より感謝申し上げます』


一歩前に出て深く礼をするセラは、その姿勢も声も公女としての礼節をたたえている。
僕が横から見ていても、セラの言葉と姿勢には誰もが目を留めずにはいられない品の良さがあった。
けれどその様子を見つめて瞳を細めた国王は、微かに頷いた後、ふと問いかけるような声で言った。


「礼儀正しく、美しい言葉を使うお嬢さんだ。だが礼儀や言葉は人に教えられるものであり、本当の賢さは試されたときに現れる。セラ嬢、少しいいか?」

『はい。なんなりと』

「もし君が、他国の王女から敵意を隠した贈り物を受け取ったとする。それが何らかの意図を含んでいると気づいたとき、君ならどう振る舞うかな?」


その言葉に、セラが僅かに瞳を瞬かせた。
でもすぐに静かに微笑みを浮かべると、目を伏せてから顔を上げた。


『贈り物には心が込められると同時に、思惑も忍ばせられます。たとえその背後に意図があったとしても、私はそれを頭ごなしに拒むことはいたしません。まずは感謝の意をお伝えした上で、必ず周囲の目が届く場で、文書と記録を残して誰の目にも明らかな形にいたします。そしてそれを受け取るか否かの判断は、相手との今後の関係を見定め、国の益となる形を選ぶべきかと存じます』


その言葉を聞いて、僕は思わず息を呑む。
王太子も横で瞳を細めていた。

……完璧だった。
言葉に余計な飾りはなく、確実に政治の力学と外交の要点を押さえた答えだ。
国王はその答えに一度黙り、やがて口元に笑みを浮かべる。
その目に浮かんでいたのは、試す色ではなく純粋な感嘆のように見えた。


「咄嗟にこのような返答が出来るとは、素晴らしく見事なお嬢さんだ。言葉には芯があり、立ち居振る舞いには節度と品がある。そして何よりその容姿もまるで春先に咲く花のようだ。君のような女性が我が息子と親しくしてくださっていることを誠にありがたく思うよ」

『陛下には過分なお言葉を頂き、身に余る光栄でございます。私自身は未熟な点ばかりですので、これからも学ばせていただきながら成長していければと思っております』


その言葉は取り繕ったものではなく、本当にセラの中から出てきたものだと分かったのだろう。
国王は満足そうに微笑んだ。

前の世界で、近藤さんと一緒にこの人に拝謁した時とはまるで違う。
あの時の国王陛下は僕達に対してそこまでの興味も示さず、ただ形式的な応対をされたはずだ。
でもセラを見つめるその顔には明らかに好意が滲んでいて、好印象であることを決定付けていた。


「ところで、そちらの青年は?」


国王の視線が、初めて僕に向いた。
僕は一礼し、落ち着いた声で名乗り始めた。


「アストリア公爵家に仕えております、沖田総司と申します。現在はアストリア騎士団に所属し、セラお嬢様の専属騎士を拝命しております」

「……ほう。君が」


国王は僕の胸元にある紋章に目を落とし、わずかに頷いた。


「その印……特級の認可を受けているのだな。アストリア騎士団には我が国も日頃より多く支援を受けている。君のような優秀な若者が支えているのであれば納得だ」

「もったいないお言葉、痛み入ります。また薫殿下には学院にてセラお嬢様を何かとお気遣いいただき、僕からも深く御礼申し上げます。公爵家としても、そして僕個人としても心より感謝しております」

「なるほど。君のような騎士が娘の傍にいるなら、近藤公も少しは安心できるかもしれんな」

「セラお嬢様のためなら、どのような場であっても全力を尽くす所存です」


僕の言葉に国王は満足気に頷き、その視線を再びセラへと戻す。
そして、思いがけず口元に微笑を浮かべながら言った。


「……しかし、これでは近藤公が娘君を王宮に寄越さない理由も分かる気がするな。これだけの器量と才を持つ娘を手放すなど、父親としては不安にもなるだろう」


セラは驚いたように瞬き、しかしすぐに穏やかに微笑んだ。


『父は……確かに少々、心配性なところがございます。けれどこうして温かく迎えていただいたことで、次に伺うときはきっと安心して送り出してくれるかと存じます』

「ははは、それは良い。薫、この子を大切にするんだぞ。こうした出会いは、王子としてではなく一人の人間としての宝だからな」

「ええ、承知しています」


どこか照れくさそうに頷く王太子を見て、国王は再び満ち足りたような笑顔を浮かべ、そのまま随行を連れて廊下の先へと去っていった。
廊下に静寂が戻ると、セラがそっと小さく息をついたのが分かる。
僕も胸の奥のわずかなざわつきを押さえるように、息をひとつ整えた。


「……驚いたよ」


暫くして、沈黙を破ったのは王太子だった。
珍しく本当に驚いている様子で、セラを見つめていた。


「今まで周囲で何人もの令嬢が紹介されてきたけど、父があれほどまでに顔を綻ばせるのを見たのは初めてだ」


その言葉に、セラが照れくさそうに小さく笑う。
王太子は真っすぐセラの方を見て柔らかく微笑んでいた。


「今のお前は、頼りなくなんてなかったよ。堂々としていて立派だった」

『殿下に褒めて頂けるなんて光栄です。とても緊張しましたので……』

「そう?とてもそうは見えなかったけどね」

『いえ、あんなに緊張したのは生まれて初めてかもしれません。でも総司がいてくれたから、落ち着いて話せたのかも』


不意に名前を出され、僕は少し肩を竦めて微笑んだ。


「僕は隣に立ってただけだけどね。でも、君の受け答えはとても立派だったと思うよ」


心からそう思っていた。
目を逸らさずに堂々と話す姿、相手の問いかけにも過不足なく返すその姿勢。
王太子だけじゃない、僕だって見惚れていた。
セラはきっと気づいていないけど、誰かの横に控えるだけではない、公爵家の令嬢としての風格をすでに持ち合わせている気がする。
僕も精進しなければと気を引き締めると、王太子が手を叩いた。


「よし。じゃあ、少し空気を変えようか。早く馬場へ行こう。準備は整ってるはずだから」

『王宮の馬を拝見できること、とても楽しみです』

「せっかく来てもらったんだ、思いきり楽しんでもらわないと損だよ」


軽やかな笑みを浮かべながら、殿下は前を歩き出す。
その背を追って、僕とセラも足を進めた。

王宮の敷地内は広大で、馬場までは馬車を使って移動するという。
控えていた小ぶりの馬車に案内され中に乗り込むと、やわらかなクッションと淡い香の漂う室内が出迎えてくれる。
セラは隣に座るなり、外の景色に目を輝かせた。
王宮の建物が並ぶ中庭には、手入れの行き届いた噴水や、色鮮やかな季節の花が風に揺れていた。


『あ……向こうに薔薇が咲いていますね。少しだけ色の違うものも混ぜられているんですか?』

「よく見てるね。あれは父が以前、各地の園芸家から集めた品種を掛け合わせて育てたものなんだ」


車内は穏やかな会話でゆっくりとした時間が流れていく。
けれど僕の中では徐々に張り詰めた感覚が戻り始めていた。
この先にあるのは前の世界で何度も通った馬場。
思い出すのは、僕一人で耐えていたあの頃の光景だった。


『総司、今日は宜しくね』


ふと隣に座るセラが、ほんの少しだけ体を傾けて静かに微笑んでくれている。
その声を聞いた時、頭の奥にこびりついていた嫌な記憶がすっと消えていった。
前の世界の時とは違って、今は僕の隣にこの子がいてくれる。
だから過去に引きずられず、目の前のセラと過ごす時間をちゃんと大事にしたいと笑ってみせた。


「こちらこそ。間違えて落としたらごめんね」


そう冗談を飛ばすと、セラは一瞬きょとんとしてから少しだけ唇を尖らせた。
まるで小動物みたいに、愛らしく睨んでくる。


『……もう、またそんなこと言って。総司、意地悪』

「あはは、ごめん。でも僕の腕がしっかりしてるかどうかは、今日試してもらわないとね」

『ほんとにもう……』


そのやり取りを聞いていた王太子が、やれやれと言う様子で肩を竦めて見せた。


「お前は本当にあてにならないな。セラ、こんな奴はやめて俺と乗ろう」

「駄目ですって。この子は僕が護るんですから」


僕は、間髪入れずにそう言い切った。
一見穏やかに、でも口調にだけは揺るがないものを込める。
王太子は少しだけ目を細めて、面白そうに僕を見返した。


「お前はっき自分で落とすかもって言ったばかりじゃないか。そんな奴に任せておけないんだけど」

「いや、あれは冗談ですけどね」

「そのくらいわかってる。冗談でも言うなっていう意味だ」


言葉尻は鋭いけどそこに敵意はなかった。
むしろセラを想っての苛立ちなのは、見てすぐに分かった。
僕は小さく息を吐いて、笑みを浮かべる。


「ご忠告、感謝いたしますよ。でも僕がこの子を落とすような真似をするわけないじゃないですか。セラを危ない目に遭わせるくらいなら、僕が落ちますよ」

『だめだよ、総司が落ちるのは私が困るんだからね?』

「わかってるよ。だから安心して僕に任せて」

「まったく。せいぜい頼むよ、沖田」


他愛のない話をしていると、馬車はやがて緑の芝が広がる馬場の入口に辿り着く。
晴れ渡る空の下、数頭の馬が柵の中で優雅に歩いている姿が見えた。
その向こうには白い厩舎と、整備の行き届いた馬具が並ぶ小屋。
王太子が先に馬車を降りて、軽やかな動きで振り返った。


「好きな馬を見ていいよ。王宮の馬は優秀なものばかりさ」

『はい。ありがとうございます』


セラは馬たちを一頭ずつ見て回りながら、時折嬉しそうに目を細めたり、好奇心の籠もった声を上げたりしている。
でも暫くそれを繰り返した後、ふとある一頭の前でぴたりとその足を止めた。


『わあ……この子、綺麗』


視線の先にいるのは、毛並みの美しい栗毛の雌馬だった。
鼻面を柵に寄せて、セラのほうへゆっくりと首を伸ばしている。


「ああ、その馬は気性がとても穏やかで初めてでも乗りやすい。もしお前が一人で乗るなら、その馬を選ぶつもりだったんだ。名前はリュネットっていう」


その名前を聞いた瞬間、セラの表情がふっと変わった。


『リュネット……?』


唇がその名前をゆっくりと繰り返す。
瞳がわずかに揺れて、首を小さく傾げた。
考え込むように黙りこみ、視線は馬に向いたまま動かない。


「セラ」


たとえ記憶がなくても、魂に刻まれた痛みの記憶はふとした拍子に蘇ることがある。
だからこそ僕はセラの手をそっと取り、優しく自分の方へ引いた。


「僕達は二人で乗るから、身体の大きい馬にしよう。あっちにちょうどいい子がいたよ」


僕を見上げるセラに笑みを返しながら、セラを連れてそっとリュネットから遠ざかる。
そして向かったのは、馬場の奥に繋がれていた一頭の雄馬がいるところだった。
背が高く骨格がしっかりしていて、堂々とした雰囲気をまとっている。
前の世界で僕が愛用していた馬で、名前はレオナルドだ。


「この子は重心が低くて体幹が安定してるから、二人乗りでも揺れが少ないんだ。それに視界の変化に驚きにくいから、セラも安心できると思うよ」

『わあ、素敵な馬。ほんとにすごく賢そうな目をしてるね』


セラはレオナルドのたてがみをそっと撫でると、嬉しそうに僕を見上げた。
安心したように微笑むその顔に、さっきの翳りがもうないことを確認して僕はひとつ息をついた。


「お前、よくその馬の特徴を知ってるね?」


安心したのも束の間、今度は不意に王太子から声をかけられる。
この馬の特徴を喋り過ぎた失敗に今更気付き、少し間を空けてから僕はゆっくりと振り返った。


「ああ……なんででしょうね。この馬には初めて会った気がしないんですよ」


飄々と笑って答えると、王太子は一瞬眉を上げ、それからふっと肩をすくめた。


「変な奴だな。馬に運命的な出会いでも感じてるの?」

「あまり深く考えないでください。きっと相性がいいんですよ、僕とこの子」


そう言って笑えば、その隣でセラも静かに笑ってくれていた。

セラには、あの記憶も、あの痛みも絶対に思い出させたくない。
そう考えながら、言いようのない不安を覚える僕がいた。


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