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城に戻ってからのセラは、ずっとどこかぼんやりしていた。
それはもう僕が見る限りだけじゃなく、他の人達にもはっきり伝わってしまうほどに明らかだった。

 
「セラ、聞こえているか?」

 
幾度か声をかけても反応のないセラを案じて、近藤さんが眉を顰めながら正面に座る彼女に声をかけた。


「お嬢様、近藤さんがお呼びですよ」


山南さんが声をかけても、それに気付くことなくただぼんやり何かを考えている。
常に周りへの気遣いを忘れないセラにしては珍しく、山崎君も僕にそっと話しかけてきた。


「お嬢様、どうなさったんですか?今日は様子がおかしいですね」


今日の夕食は僕とセラ、そして近藤さん、山南さん、山崎君の五人で囲んでいた。
けれどセラはずっと黙ったまま、ナイフとフォークを動かす手もたびたび止まり、皿の上の料理はあまり減っていなかった。


「今日は多分、疲れてるんだと思いますよ」


僕はナイフを置くと、敢えて重苦しくならない雰囲気で言葉を発した。


「初めて王宮に出向いた上、国王陛下にもご挨拶することになってしまいましたからね」

「なんと、そうなのか!?」


近藤さんの大きな声に、セラの肩がぴくりと震えた。


「セラが立派に挨拶をされたので、陛下はかなりお喜びになっていましたよ。王太子殿下もその様子を見て、褒めていらっしゃったくらいです」

「さすがは我が公国自慢のお嬢様ですね。ねえ、近藤さん」

「うむ、そうだな。だが初めて王宮に出向いたとなれば、確かに緊張もしてしまうかもしれん」


近藤さんは頷きながら、腕を組んで少し思案するような表情を浮かべる。


「それにしても、総司とセラが王太子殿下にお世話になっているとなれば、俺も一度国王陛下にご挨拶に伺わねばならんかもしれんな。それと、次に行く時はセラも俺に付き添いなさい。今回は初めてで慣れなかったかもしれんが、きっと次はもう少し落ち着いて向き合えるはずだ」


近藤さんがにこやかにそう言った時、セラがぽつりと呟いた。


『……私はもう、王宮には行きたくないです……』


かすかな声が食卓に落ちて、その言葉に場の空気が止まった。
ナイフを置いた山崎君の手の動きも、ワインを飲もうとしていた山南さんの手もすべてが止まり、みんなが一斉にセラを見つめる。


「やはり、なにか嫌なことでもあったのか……?」


近藤さんが心配そうに身を乗り出すと、その声にセラははっとして、慌てて首を横に振った。


『あ、いいえ……?そんな、嫌なことなんてありません。ただあまりにも立派で荘厳で……私には場違いに思えてしまって……。その……少し、気後れしてしまったといいますか』


言い終えたセラは、いつもの可愛らしい仕草で笑ってみせる。
すると眉を少し下げた山南さんが、いつもの穏やかな口調で言った。


「それは当然の反応だと思いますよ。王宮というのは、ただ建物が壮麗なだけでなく、そこにいる方々の一挙手一投足に重みがある。その空気に触れれば、誰しもが自分の立ち位置を思い知らされるように感じるものです。ですが……」


彼はにっこりと、セラに目を向けた。


「お嬢様はどこに出しても恥ずかしくない素晴らしいご令嬢です。自信をお持ちください。立派にご挨拶をされたと、沖田君が申しておりましたよね?」

「そうです。お嬢様の振る舞いは、私ども騎士団の誇りでもありますよ」


山崎君までもが真摯な声で続けると、セラは少しだけ俯いたまま、小さく「ありがとうございます」と呟いた。
その目元が、わずかに潤んで見えたのは気のせいかはわからないけど。
僕はセラの様子を見つめながら、胸の奥に少しずつ広がっていく不安を抑え込むことしかできなかった。


「セラ、よく頑張ったな。突然のことだったろうに、立派に挨拶をしてくれて父として鼻が高いよ」

『……お父様……』

「それに付き添ってくれた総司。お前にも礼を言わなければな。よく気を配ってくれた。ありがとうな」

「いえ、僕は当然のことをしただけですよ」


そう答えると、近藤さんはにこっと笑って、「そういうところがまたお前らしいな」と呟いた。


「ところで、王太子殿下というのはどんな方なんだ?」


その問いにセラが少しだけ考えるように視線を落とし、それから柔らかく答えた。


『とても優しい方ですよ。凛としていてしっかりされていて。公務も真摯に取り組まれているそうです』

「ほう、それは頼もしいな」

「国の将来を担う方がそのようなお方であれば、臣民としても安心できますね」


山南さんが穏やかに頷き、山崎君も続ける。


「お若いのに、すでに責任を自覚しておられるのですね。なかなかできることではありません」

「確かに、城内でも信頼されているという空気でしたよ」


僕もそう付け加えると、セラは静かに頷いた。


『私もああいう方を目の当たりにして……とてもいい刺激になりました』

「うむ、そうか」


近藤さんは満足げに腕を組みながら、少し顎に手をやった。


「それで思い出したが……王太子殿下がいらっしゃるということは、王女殿下も当然おられるのだろう。セラは彼女とは知り合いなのか?」


その瞬間だった。
セラが手にしていたスープスプーンが、かすかに揺れた。
口元には笑みを浮かべたままだけど、その目はどこか遠くを見ているようだった。


『……はい。少しだけお話ししました。王女殿下は……憧れてしまうくらいとても綺麗な方でした。立ち居振る舞いも気品があって……本当にお姫様そのもの、という感じで』


笑顔のまま語るその声に、どこか力がなかった。
そしてその言葉を聞いた近藤さんが、まるで共感するように大きく頷いた。


「それはわかる気がするぞ。俺も昨年に一度だけお見かけしたことがあるが、確かにあの方の佇まいには見惚れるものがあった。まさに王族の中の王族というか……貫禄があったよ」

『……はい』


セラの声は、先ほどよりも少しだけ小さくなっていた。
さっきまでかろうじて保っていた笑顔も、ほんのわずかに揺らいでいるように見える。
けれど近藤さんは気づかず、悪気のない調子でさらりと続けた。


「それに見た目の美しさも格別だったな。あの目元の気品や横顔の線の美しさ……あれは誰が見ても圧倒されるだろう。あの眼差しと微笑みだけで、男というのは皆一瞬にして心を奪われてしまうかもしれんな」


その瞬間、セラのスプーンを持つ手がぴたりと止まる。
彼女の長い睫毛は伏せられ、自信なさそうに肩が少しだけすぼまってしまった。


『本当にそう思います。私も王女殿下のようになれるよう、努力致します』


……やっぱり。
その反応に、僕は胸の奥が掴まれたような気分になった。
そしてどこかしゅんと肩を落としたようなその様子に、山南さんがふっと表情を引き締めて近藤さんに目を向けた。


「……近藤さん」

「ん?なんだ?」

「……少々、お話が過ぎたようですね」


山南さんの穏やかな忠告に、近藤さんは「……む?」と瞬きをして、それから自分の言葉に思い至ったように気まずそうに口を閉じた。
けれどしんとした空気の中で、山崎君が言った。


「俺は、お嬢様の方が何倍も素敵だと思います」


その静かな声に、セラははっとして顔を上げた。


「お嬢様は見目が美しいだけではなく、優しさや品のある振る舞い、人を想う心……それらがちゃんと備わっておられます。それに俺は王宮での護衛任務で王女殿下とは何度か言葉を交わしたことがありますが、あの方にはお嬢様のようなあたたかさはないと、俺は思います」


言葉は穏やかだったけど、その誠実さに満ちた眼差しにセラは何も言えず、ただ静かに唇を結ぶ。
その沈黙を、僕がそっと引き継いだ。


「僕も、君の方がずっと綺麗だと思うよ」


セラの長い睫毛が微かに揺れ、僕の方をちらりと見た。


「外見だって君の方が可愛いし、人の気持ちに寄り添える優しさがある。それって何よりも大きな魅力だと思うんだ。君は王女殿下に憧れてるみたいだけど、僕からすればちょっと不思議なんだけど。だって見た目も中身も、君の方がよっぽど人の心を動かしてる。それに気づいてないのは、多分君だけだよ」


そう言って微笑むと、セラは息を呑んだように小さく肩を震わせ、唇を結び直す。
すると山崎君と僕の言葉を受け取るように、今度は山南さんが静かに続けた。


「お嬢様、どうかご自身のことを、もっと大切に見つめてください」


その言い方は柔らかく、どこか祈るような響きがあった。


「確かに、王女殿下には人の目を惹きつける威厳や、華やかさがあるでしょう。ですがお嬢様はそれとは違う、もっと深い魅力を持っておられる。それに気づく人間こそが誠実な目を持つ者だと私は思いますよ」


その言葉にセラは胸元で手を組み、少しだけ俯いて、それからゆっくりと顔を上げた。


『……ありがとうございます。皆さんにそう言っていただけるなんて……少しもったいないような気もしますけど……でも、とっても嬉しいです』


かすかに震えた声だったけど、その顔にはようやく本物の笑みが戻っていた。
その微笑みに僕は胸の奥で小さく安堵の息をついた。


「……よし。それじゃあ食べるとしよう。せっかくの料理が冷めてしまうからな」


近藤さんがそう言ってナイフを手に取ると、ようやく空気が動いた。
それからの食卓は、穏やかな会話がぽつぽつと戻ってきた。

山南さんが何気なく紅茶の香りの話をし、山崎君は黙って魚を骨ごと外す器用さを見せて、近藤さんが「それはすごいな!」と感心する。
セラもそれを見てふふっと小さく笑った。
その笑顔はもうさっきのような遠いものではなかった。

大丈夫だ、少しずつでもいつものセラらしさを取り戻してくれたらいい。
誰かと比べなくても、君は君のままでちゃんと輝いてるから。
僕はそう思いながら、静かに湯気の立つスープに手を伸ばした。


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