7
目の前で涙を零すセラは、少し困惑した様子で胸の内を話してくれた。
恐らくあの王女と会ったことで、前の世界での記憶が断片的に蘇り、セラの心を蝕んでいるんだろう。
その負荷に耐えられず、意識を手放してしまったのかもしれないと考えた。
だからどう言葉をかけるべきか悩みはしたけど、今の僕に出来るのはセラの心に寄り添うことだ。
過去は変えられないからこそ、今こうして過ごす時間を後悔のないようにしたかった。
「ねえ、セラ」
そっと彼女の頬に手を添えて顔を上げさせると、伏せられていた長いまつげがわずかに揺れ、ひとしずくの涙がこぼれ落ちた。
この泣き顔に、僕がどれほど心を奪われてきたのかはもう数えきれない。
それくらい綺麗で、儚くて、胸を締めつけられるような愛しさが詰まっていた。
だからこそ、この子のこの顔は絶対誰にも見せたくない。
僕だけが知っていたいと思わずにはいられなかった。
「さっき自信がないって言ってたけど、なんでそんなふうに思うの?こんなに可愛くて、僕なんて毎日どうしてこんなに君が好きなんだろうって考えてるくらいなのにね」
涙で揺れる瞳が、ようやく僕の方を見てくれる。
その視線に胸が熱くなって、思わず言葉を飲み込んだ。
でも不意にその瞳は不服そうな色へと変わり、すぐにまた逸らされてしまう。
『……それ、絶対嘘だよ……』
「いや、嘘じゃないから。なんで嘘って決めつけるのさ」
『だって私……可愛いくないもん……』
そう言った途端にぼろぼろと泣き出す様子から、本気でそう思っていそうで苦笑いをこぼす。
泣きべそをかいままのセラは頼りなくて儚くて、それと同時に愛おしくて堪らなかった。
「じゃあさ、僕が君を可愛いって思うのは、もうどうしようもない病気なのかもね」
『……病気?』
「自覚はあるんだよ。ちょっと見ただけで幸せになるとか、横にいるだけで落ち着くとか、どんな瞬間も見逃したくないって思ってることとか。もう重症だと思わない?」
ふざけた物言いを聞いてセラは僅かに微笑み、ふふって笑った声がすぐに涙で震える。
その音が胸に響いて、そっと彼女の髪に指を通した。
「僕はきっと君がどんな顔してても、結局可愛いって思うと思うんだ。泣いてるときも、怒ってるときも、笑ってるときも全部ね。だから何か理由があって不安になったのかもしれないけど、何も心配しなくていいよ。僕はこれから先もセラだけが好きだから」
僕の言葉を一生懸命聞いていてくれてるセラは、こくんと頷くとまた涙を溢れ先せて弱々しい声で呟いた。
『ごめん……ね、頼りなくって……泣き虫で……』
今日のセラは、完全に泣きモードらしい。
いつものこの子とは全然違って、中々涙は止まってくれない様子だった。
でもきっと前の世界で、セラはこうして僕を想って一人涙を流してくれていたのかもしれない。
そう考えればこの世界でこの子の涙を拭ってあげられることが本当に嬉しかったし、素直に感情を見せてくれるセラと過ごす今の時間がより大切に思えた。
「いいよ、泣きたい時は存分に泣いて」
『でも……』
「僕さ。セラが笑ってる時も好きだけど、泣きながら一生懸命なことを言ってくれると、もっとどうしようもなくなるんだよね。可愛すぎて」
セラの瞳が開かれて、その頬がようやく赤みを帯びてくれる。
頬の涙を拭えば僕を見上げた瞳は大きく揺れるから、そこに僕を映してもらえることがたまらなく嬉しい。
「僕はね、セラの全部が好きなんだよ。自信のあるところも、ないところも。綺麗なところも、一度泣くと止まらなくなっちゃうところもね。だから誰かと比べて欲しくないし、君はずっと君のままでいて」
セラはまた泣きそうになるのをぐっと堪えると、僕の胸に擦り寄ってくる。
そして僕が一番聞きたかった言葉を言ってくれた。
『総司、だいすき……ありがとう』
この言葉を言ってもらえるなら、僕は本当にどんなことでも出来る気がする。
まだ少ししゅんとしているセラの頬の涙を拭い、優しく抱きしめたまま、僕は彼女の髪に口づけた。
「僕も大好きだよ。もう君を不安にさせたくないな」
セラの泣き顔は困るくらい可愛いけど、辛い思いはして欲しくないと思う。
それが僕に関してのことなら尚更だ。
『……もう大丈夫だよ。今は……平気』
「ほんとに?」
『うん。総司の声、聞いてたら……ちゃんと信じられる気がしてきたの』
「それなら、よかったよ」
『総司が励ましてくれたから、元気でたよ。私、好きになった人が総司で良かった』
その言葉を聞いて、胸の奥が熱くなった。
まるで長く息を止めていたのを一気に解放されたみたいに、心がふっと軽くなっていく。
「あーあ、もう無理」
気付いた時にはそう口にしていた。
少しでも長く君のそばにいたいし、少しでも深く君に触れていたい。
『あっ……』
目の前の身体を腕の中に抱き上げて、すぐ側のベッドへ優しく下ろす。
泣いたあとの瞼はまだ赤くて、潤んだ瞳が僕を見上げてくるけど。
そんな顔を見つめられて、どうやって我慢しろって言うんだろう。
「君が泣くと困るけど、困るくらい可愛いから……本当にどうしたらいいんだろうね」
冗談めかして言いながら、セラの頬に手を添えてその涙の跡を指先でなぞる。
どうしても、この子に触れていたくなる。
『総司……』
「もう我慢できないんだけど。触ってもいい?」
小さく名前を呼ばれただけで、呼吸が甘くなる。
セラが頷いたのを確認してから、そっと唇を重ねた。
一度だけじゃ足りなくて、もう一度、今度は少し長く彼女の柔らかな唇を味わう。
セラが小さく息を呑んで、その肩が震えるのがわかった。
「もっとしてもいい?」
『……うん……』
許しをもらったら、もう止められない。
腕の中のセラを引き寄せて、髪に、額に、頬に、そしてまた唇に……何度も何度も繰り返す。
この想いが君にちゃんと届くまで、何度でも伝えたいと思った。
「僕もね、たまに不安になる時はあるよ。好きになったのが君じゃなかったら、こんなに苦しくなかったのかもしれないって思うくらいにはね」
セラの髪を撫でながら言った言葉に、彼女は瞳を揺らす。
僕の言葉の真意が気になっている様子に胸はまた高鳴って、どうしたってこの子が好きだと思い知らされる。
「だけど後悔したことは一度もないよ。僕も好きになった子が君で良かったし、セラじゃなきゃだめだったんだ」
こんなに胸が燻ってしまうのも、たまらなく愛おしくなるのも、相手が全てこの子だからだ。
セラと出会って初めて、僕は自分の中に揺れる大きな感情の波に気付いたんだから。
「大好きだよ」
セラの唇に自分のを重ね、深く刻むようにその柔らかさを堪能する。
舌先を優しく絡めてその熱に溺れ、もっと深いところまで味わった。
こうして触れることで、セラが忘れかけていた安心の場所をもう一度思い出してくれたらいい。
「時間が止まったらいいのにね。そしたらずっと君とこうしていられる」
『うん、私もよく同じこと考えてるよ』
「でも、そう思える相手がいるって結構すごいことだよね」
『そうだね、すごく幸せなことだと思う』
指先を絡めて他愛のない話をするこの時間が、この先もずっと続けばいい。
この空間だけは自分の立場や柵を忘れて、ただ目の前のセラのことだけ考えられるからだ。
「でもさ、もし本当に時間が止まったらごはんも食べられないし、お風呂にも入れないし、それはちょっと困るかな」
『え、そこ?』
「いや、だって現実的に考えるとね。たとえば止まったまま何日もくっついてたら、たぶん汗とかすごいでしょ?」
『そんなの気にしてるの、総司くらいだと思う』
「えー?君だって気にするタイプじゃない?ほら、髪が跳ねてるのとか朝ちょっと恥ずかしそうにしてたし」
『それは……言わないで』
「セラは気にしてるみたいだけど、僕はそういうとこ結構好きなんだよね」
『どうして?』
「だって完璧な君より、僕の前でだけちょっと抜けてる君のほうがずっと可愛いし」
『……もう……』
「今の顔も可愛いよ」
『ふふ、言いすぎ』
「あ、笑った。やっぱり、時間止めなくて正解だったね」
素直に言ったらまたくすくす笑ってくれる。
この笑い声が聞きたかったんだよね。
あの涙に沈んだ声じゃなくて、僕だけに向けてくれるあたたかな声。
「さっきのキス、もう一回してもいい?」
『うん』
頷いた途端、顔をそっと両手で包み込んで静かに唇を重ねる。
柔らかくて甘くて幸せで、何度だって確かめたいと思ってしまう。
「これで君の中に残ってた不安、ちょっとは消えた?」
『うん、少しあったかくなった』
「少しだけ?」
『ううん、たくさん』
「じゃああと十回くらいすれば、完全に消えるかな」
『本当にするの?』
「本当だよ。試してみる?」
くすっと笑いながら、また唇を重ねた。
もう何度でも、大好きな気持ちを全部この子に伝えたくて。
「……大好きだよ、セラ」
僕の言葉にセラは目を細めて、泣きそうなくらい優しく笑ってくれた。
その笑顔が僕のすべてを救ってくれるようだった。
どんなことがあっても僕はこの手を離さない。
この先のどんな不安も全部僕が消していく。
だからこれから先もずっと、君が不安になるたび何度でも言うよ。
君だけが僕の全部だって。
そう心の中で強く思いながら、彼女のぬくもりをさらに強く抱きしめた。
夜の静けさのなか、僕達の間だけがあたたかく灯っていた。
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