3
この世界でも、文化祭当日がやってきた。
今回は以前までと違い、セラは音楽会に出場することはない。
そのことに安堵しながらも、外部から人が集まる催しは僕の心中を不安にさせた。
恒例のクラスの出し物であるカフェの業務を終えて、僕とセラは自由気ままに文化祭を楽しむ。
そして夕方、伊庭君とはじめ君が出る音楽会を観に行った後、正装に着替えるため僕達はドレスルームへと向かった。
「なんで男女別なのかな」
ドレスルームに辿り着き、僕は不服そうに言葉を漏らす。
苦笑いをしたセラは、僕の様子を見てくすりと笑った。
『普通のことだと思うよ』
「これだと君の護衛ができないじゃない。困るんだけど」
『少しくらい一人でも大丈夫だよ。ほら、他の子も皆入って行ってるし』
セラはそう言って、女子専用のドレスルームへと入ろうとする。
その手を掴み阻止すれば、大きな瞳が少し驚いたように僕を見上げた。
「駄目だよ、やっぱり君を一人にするのは危険過ぎる」
『でもそろそろ着替えないと……』
「別の場所で着替えればいいよ」
今までもちょっとした隙が命取りになった。
一人にした時間はほんの僅かだとしても、その時間ですらセラの命が狙われる危険性がある。
今度こそ死なせてなるものかとセラの手を取り歩いて行くと、後ろから少し慌てたようなセラの声が聞こえてきた。
『総司、別の場所ってどこに?』
「さあ、どこかな。これから探すよ」
『でも、文化祭でどこの教室も使ってるんじゃないのかな』
少し不安そうに言うセラの手を握ったまま、校舎の廊下を歩いていく。
セラの言う通り、あちこちの教室から音楽やざわめきが漏れていて、空いている部屋を探すのは一苦労だ。
でも諦めるつもりはなかったから、セラの手を引きながら色々なところを覗いて回った。
「どこか絶対にあるよ。君のそばを離れるわけにはいかないし、あと少し付き合ってくれる?」
『うん、私は大丈夫だけど……ふふ、総司ってほんと真面目だね』
「いや、真面目っていうよりセラに何かあったら嫌だからさ」
暫くしてようやく辿り着いたのは、裏手の階段下にある旧音楽準備室。
その部屋の一角をカーテンで仕切って簡易的な着替えスペースを作ると、セラは小首を傾げて僕を見上げた。
『ここで着替えるの?』
「うん、他にいい場所なかったし。ちゃんと仕切りも作ったから安心して」
『なんだか秘密基地みたい』
「君と僕だけのね」
冗談めかして言うと、セラは嬉しそうに笑って、カーテンの奥へと入っていった。
僕も急いで、持ってきた正装に着替える。
今日のために仕立てたブラックスーツは、ボタンやポケットの縁にだけさりげなくシルバーの刺繍があしらわれている。
顔の半分を覆う仮面は艶消しの黒に、右目の周囲だけほんの少し銀の飾りが施されていて、華やかすぎず、でも地味にはならないデザインだ。
ボウタイを締め終えたころ、カーテンの奥からそっと声が聞こえた。
『総司?もう着替えた?』
「うん。いつでもどうぞ」
少しの沈黙のあと、カーテンが音もなく開く。
そしてそこに立つセラを見て、僕は思わず言葉が喉に詰まった。
セラの白いドレスは、細い肩にかかるオフショルダーで、胸元から裾にかけて銀の繊細な刺繍が降り注ぐように広がっていた。
腰のあたりには小さなリボンが結ばれていて、全体のラインはふわりと流れるように優しい。
まるで夜空に舞い降りた星みたいで、改めて見惚れてしまう僕がいる。
「……綺麗すぎて言葉が出ないんだけど」
『あはは、大げさだよ』
「ほんとだよ。今日はもう、君しか見えないかな」
顔を隠すように、彼女が持っていた仮面をそっと頬に当てた。
それも白銀の繊細な細工が施された、蝶の羽を思わせる美しいデザイン。
仮面すら、この子の雰囲気にぴったりだった。
「仮面まで似合ってるとか、反則だよね」
『それは、総司だって』
ちらりと僕の姿に目を向けたセラが、恥ずかしそうに視線を落とす。
『……すごく、かっこいい』
「なあに?もう一回言って」
『何回もは言わない』
「なんでさ。聞かせてくれてもいいじゃない」
冗談っぽく笑いかけると、セラは小さくため息をついたように見えたけど、その目は優しい。
『総司とこうして並んで仮面舞踏会に行けるの、嬉しいよ』
「うん、僕もだよ。……あ、でも」
『うん?』
「ちょっと困ったことがあるんだよね」
『なに?』
「君が綺麗すぎて、舞踏会で他の誰かに取られそうだから正直憂鬱かな」
『取られたりなんてしないよ』
そう言って、セラはそっと僕の袖を掴んだ。
『私はずっと総司と踊るって決めてるから』
僕の胸の奥に、そっと灯るような安心が広がる。
セラの背中に回した手でその身体を引き寄せて、少し驚いた様子のセラの唇を甘く奪った。
『総……ん……』
柔らかく重なる唇の熱を感じながら、角度を変えて何度も重ねる。
次第に深く求め合えば、このまま二人きりでここにずっといたくなってしまうくらいだ。
僕達が星界学を履修していなければそれも可能だったけど、今夜は必ず会場に行かなければならない。
この世界でのセラとのワルツを楽しみに、行くしかないかとそっと身体を離した。
「そんな顔してたら駄目だよ」
甘く蕩けるような顔で僕を見上げるセラの唇を親指で撫でると、はっとした様子で顔を引き締めるから、その様子に笑ってしまう。
「とは言え、平助と伊庭君も君と踊る気満々だよ。やることを片付けたら急いで舞踏会に参加するって」
『二人も来てくれるの?』
「うん。あとはじめ君と千ちゃんも来るって言ってたよ」
『わあ、千ちゃんと踊りたい……』
「あれ?僕とずっと踊ってくれるんじゃなかったっけ?」
ちょっとだけ意地悪に視線を細めてみせると、セラは一度驚いた顔になって、すぐに焦ったように僕を見た。
『勿論総司とずっと踊りたいよ。ずっと一緒にいたいし……』
僕はくすっと喉の奥で笑いながら、彼女の柔らかな髪を優しく撫でた。
「うん、知ってるよ。冗談。でも仮面舞踏会は無礼講みたいなものだし、君は気兼ねせず楽しんで。誘われたら断りにくいだろうし、僕以外と踊ってる時はできるだけ近くで見てるからさ」
『でも、総司のことが気になって踊れないよ』
「僕のことは気にしないで大丈夫だよ。まあ、ひとつだけ嫌な予感があるとすれば王太子だね。恐らく君を誘ってくると思う。君が断れる立場じゃないってこともわかってるけど」
本当はそれが一番嫌だと思ってる。
でもそんなこと言ってしまったら、セラがまた気を遣ってしまうから取り敢えず余計なことは言わなかった。
それに平助達を呼んだのも、全部僕の判断だ。
初めての仮面舞踏会。
何が起こるかわからない以上、信頼できる護衛を配置しておくのは当然のこと。
平助も伊庭君も、はじめ君も千ちゃんも。
彼らはそれぞれ別の役割がある中で、それでもセラを護るために、終わり次第舞踏会の会場に足を運んでくれる。
セラは何も知らないけど、連携を取りながらセラを護ることができるように立てられた計画でもあった。
『私はずっと総司と踊っていたいけどな……』
「僕もそう思ってるよ。でも今日は付き合いもあるし、我慢しなくちゃいけないね。でも僕たちが結婚したら、その時はもう君を誰とも踊らせないよ」
淡々とした声で言ったつもりだったのに、言葉の中に少しだけ熱が混じる。
セラは少しだけ目を見開いて、それから頬を染めながら小さく頷いた。
『早く、そんな日が来ないかな。そうしたら私は、ずっと総司の隣にいられるんだよね』
「そうだね。君の左手を取って、誰の目も気にせずに堂々と踊るよ。僕が君の夫としてね」
彼女の指先をそっと取って、指を絡めながら唇を落とす。
舞踏会では好きに触れることは出来ないから、今のうちに触れておきたい。
それは、きっと少しだけわがままな僕の欲だ。
でもセラもまた、指先に力を込めて応えてくれる。
その温もりだけで何度でも立ち向かえる気がした。
「ねえ、セラ。今日は誰と踊ってもいいけど、最後の一曲は僕にくれる?」
『うん。絶対に総司と踊る。それが私のいちばんの願いだよ』
綺麗に微笑むセラに触れるだけのキスを落として、その身体をそっと腕に閉じ込める。
そろそろ僕達も会場に向かわなければいけない時間だ。
「じゃあ、行こうか。星を纏った君を、迎えに来る王子のつもりでエスコートしますよ」
『ふふ。総司は王子様っていうより、ちょっと強引な騎士さまだよ』
「じゃあその騎士にずっと護られてくれる?」
『喜んで』
夜の帳が学院に降りるころ、仮面舞踏会の準備が整ったという知らせがあった。
文化祭の最後を飾るこの催しは、毎年星界学を履修する生徒が中心となって企画されていた。
でも、仮面舞踏会はただの舞踏会じゃない。
この夜だけはすべての身分も名前も、顔さえも仮面の下に隠して誰でもない誰かとして過ごさなければならない。
そのため参加者は皆名前を名乗ることも呼ぶことも禁止されていて、代わりに胸元につけた番号札で呼び合うのがルールになっていた。
僕の番号は「11番」。
鏡の前で胸元のリボンを整えながら、その数字をもう一度そっと確かめる。
白地に銀で縁取られた札は、ひらひらと淡い光を受けて揺れていた。
会場の大広間に足を踏み入れると、
色とりどりのドレスやタキシードに身を包んだ仮面の人々で、すでに空間はあたたかい熱を帯びていた。
音楽が穏やかに流れ、笑い声や控えめなささやきが交錯する中、学院のホールが、まるで星の宮殿のように飾りつけられている。
僕とセラもオーナメント作りには参加していたものの、最終的にここまで立派に装飾されているとは思わなかった。
天井近くには透明な星球がゆるやかに浮かび、青白く揺らめく光が幻想的な模様を壁に落としている。
柔らかな弦楽の調べが流れ、舞踏会がゆっくりと始まっていた。
けれどどんな装飾も照明も、隣に立つこの子には敵わない。
静かな月光色のドレスに身を包み、銀の細工が美しく刻まれた仮面をつけているセラは、誰が見ても息を呑むほど綺麗だった。
僕はその隣に立ちながら、細く差し出された腕を自然と取って、彼女の歩幅に合わせるようにゆっくりと歩き出す。
片手には白手袋をしたままの彼女の手、もう片方は腰のあたりに控えめに添えて。
仮面の奥に隠された表情は読み取れないはずなのに、不思議と視線が集まってくるのを感じていた。
けれど当の本人は、自分が注目されていることにはまるで気づいていないまま、ただ隣にいる僕だけを見上げている。
その瞳の中に他の誰の影も映っていないことが少しだけ可笑しくて、そしてたまらなく愛おしかった。
こうしてこの子をエスコートするのが、どれだけ夢だったか。
肩越しに周囲を確認しながら、自然と彼女の少し前に立つ。
護衛としての役目を忘れたわけじゃない。
でも今この瞬間だけは、それをほんの少しだけ脇に置いて、セラだけを見つめていた。
「宜しければ最初の一曲、僕と踊って頂けませんか?」
セラに対する想いを隠さず、礼儀を尽くして声をかける。
それがこの場にふさわしい誘い方だと思ったからだ。
セラは少しだけ瞬きをしてから、嬉しそうに小さく頷いた。
そしてまるで子どもみたいに顔をほころばせて「是非」と返してくれた。
ワルツの前奏が流れ始めると、場内の空気が少し静まった。
仮面をつけた人々が、思い思いに距離を取りながら踊りの輪を作り始める中、僕はセラの腰に手を添えて、ゆっくりと彼女を導いた。
最初の一歩を踏み出した瞬間、ほんのわずかだけ緊張した気配が伝わってきたのに、セラの動きはすぐに滑らかになって、やがて音楽に身を委ねていく。
「緊張してる?」
冗談のように聞いたつもりだったけど、僕の方が少しだけ緊張していたのかもしれない。
セラもふわっと笑って、素直に「少しだけ」と返してくれた。
『でも嬉しくてたまらないよ』
そのときのセラの瞳は、仮面の奥にありながらも、月の光のように澄んで見えた。
セラの視線が静かに上がってきて、仮面越しに僕の目を探す。
その瞳がまるで僕の心を映しているようで、思わず僕の唇も緩んだ。
「踊ってる時のセラって、随分おとなしいんだね」
音楽に紛れるようなほんの小さな声でそう囁くと、セラはまた笑った。
そして僕だけにしか聞こえないくらいの声で、そっと答える。
『緊張してるだけだよ。だって総司とこんなふうに踊るなんて、夢みたいなんだもん』
「それは僕のセリフかな。君が隣にいて、僕の腕の中で笑ってる。それだけで、ちょっと息が詰まるくらいなんだけど」
『本当に?全然そんなふうに見えないよ』
「見えないようにしてるからね」
僕は微笑みながら、わざと少しだけセラの指先を握る力を強めた。
けれどそれは外からは目立たない、ごく自然な動きとして、ワルツの流れの中に溶け込んでいる。
彼女の表情が少しだけ驚いたように揺れて、でもすぐに、何かを悟ったように柔らかくほどける。
『……あったかい』
「僕もだよ」
踊りながら交わす言葉は、まるで音楽に寄り添うようにひとつひとつ丁寧に重ねられていく。
指先と手のひら、そして触れ合う距離の中に確かな想いが息づいて、誰がなんと言おうと、今この時間だけは僕たちだけのものだった。
「不思議だよね。仮面をつけてるのに、セラってすぐにわかるよ」
『本当?みんな同じような仮面なのに?』
「うん。君の動きとか、仕草とか、香りとか……全部、ちゃんとセラだよ」
僕は少しだけ彼女を引き寄せた。
外から見れば、ステップの流れに沿った自然な寄り添い。
けれど実際はセラの耳元に顔を近づけて、小さく囁く。
「誰にも渡したくないくらい綺麗だよ」
そしてその言葉の意味が伝わったのか、セラの睫毛がわずかに揺れた。
仮面越しの瞳が揺れて、すぐに唇は綺麗な弧を描く。
『総司、一つわがまま言ってもいい?』
「もちろん」
『このまま踊りが終わっても、少しの間だけ手を離したくないな』
「じゃあ、こっそり離さない方法、考えておかなくちゃだね」
音楽はまるで僕たちの会話に合わせるように、次第にゆるやかな終わりへと近づいていく。
でも、あと少し。
あともう少しだけ、この距離でいたかった。
誰にも気づかれず、二人だけに伝わる想いを抱きながら、僕たちは最後のターンへと身をゆだねた。
そして音楽が終わりの和音を奏で、会場が静かな拍手に包まれていく。
一組また一組と、ペアの手がほどけていく中。
僕たちだけは、そっと、まだ繋いだままだった。
「案外、誰も見てないものだね」
仮面越しに視線を送ると、セラは少しだけ唇を結びながら頷いた。
でもその手は僕の指先から逃げようとしなかった。
『見られたら、やっぱりまずいのかな?』
「まあ……平助や伊庭君、はじめ君あたりは煩いだろうね」
冗談めかして言うと、セラは控えめに笑った。
笑いながらもその頬はまだほんのり熱を持っていて、目元の柔らかさが揺れていた。
一番見られたらまずそうな王太子はまだ会場に来ていないから、セラを独占するなら今のうちだ。
次の演目の準備に移るよう促される流れの中で、僕たちは人波に紛れ、歩き出した。
『さっきの方法はもう思いついた?』
「んー、どうかな。例えば、これとか」
小さく笑って、彼女の手に僕の手をもう一度重ねた。
でも今度はほんの少しだけ、背中の影になる場所へ二人で移動して、そのままそっと指先を握り直す。
「こうすれば、後ろからは見えないし前からも気づかれにくいでしょ」
『ふふ。総司の悪知恵みたいなのって凄いよね』
「君がそういう顔するから、僕も頭を使うんだよ」
音楽はすでに変わり、新しいペアたちがまた踊り始めている。
でも僕たちは、ただ静かに立って、手を繋ぎ続けていた。
その小さな掌の温度が心地良くて、、指先から心に染みこんでいくようだった。
『まだこのままでもいい?』
「うん。僕も、まだ離したくないから」
彼女の手が、きゅっと小さく僕の手を握り返した。
仮面の奥で、どちらが先に微笑んだのかはわからない。
でもその一瞬だけは、どんな光よりも柔らかくて、僕たちの間に甘く満ちていた。
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