5

ワルツの音楽を聴きながら、僕は王女の手を取りセラと王太子のすぐ近くまで足を進めた。
この位置であれば、何か起こった時でもすぐにセラを護ることができるし、会場も見渡せる。
辺りに気を配りながらも口元には笑みを浮かべ、王女の目の前に立っていた。


「ワルツお上手なんですね」


軽やかな音楽に合わせて、王女は社交の仮面を一糸乱さず優雅にそう言った。
極力会話は避けたいところだけど、ここで何かやらかせばまた前の世界の二の舞になる。
だからこそ、今回はこちらが先手を打てばいい。
どう振る舞えば王女の関心を逸らせるかなんて、だいたいもう分かっているからだ。


「いえ、僕なんてまだまだですよ。それに今日は少し緊張していますし、余計にうまく踊れている自信がありません」

「緊張なさっているのですか?」

「はい。まさか王女殿下のワルツのお相手という光栄な機会を頂けるとは思っていませんでしたから。もし失礼がありましたら、どうかご容赦を」


一つ一つの言葉に感情を乗せすぎないように、けれど礼は尽くす。
僕の笑みは、ただ飾りのように静かに浮かべているだけだ。


「そんなに硬くならないで大丈夫ですよ。私は、総司さんにリードして頂けて嬉しいですから」


口ではそう言っているけど、実際には何も思っていないはずだ。
たかだか騎士一人のことなんて、この人にとってはどうでもいいことなのだろう。
同じように、僕もこの会話に心を乗せてなんていなかった。

以前、王宮にいた頃。
この王女に本気で憧れていた近衛兵は少なからずいた。
けれど面白いくらいに誰もが報われず、全く相手にされていなかった。
特に忠義一辺倒な連中ほど余計に。

それを見ていたからこそ、僕は分かっている。
この王女にとって従順は関心の埒外。
自分の感情を昂らせる刺激こそが好奇心の源なんだ。
だから僕はこの世界では一切反抗はしないし、逆らわない。
興味を持たれないためにも、徹底的につまらない男を演じるべきだろうと踏んでいた。


「けれど……セラさんはとても可愛らしい方ですね。あんな素敵な方の従者なんですもの。総司さんも、本心では私よりセラさんのほうが綺麗だと思ってらっしゃるんでしょう?」


笑顔のまま、王女は僕を試すように言った。
セラの名前がその唇から出るだけで、胸の奥がざらつく。
でもそんな素振りはおくびにも出さず、僕は眉一つ動かさないまま答えた。


「いえ……王女殿下のお美しさには、どのご令嬢も敵わないと僕は思っていますよ。王女殿下に初めてお会いした時、まるで絵画の中から抜け出してきたようなお方だと感じましたしね」

「それはあなたの本心かしら?」

「はい、勿論。今日のことは明日にでも騎士団の連中に自慢しますよ。王女殿下のワルツのお相手を務めたと話したら、周りはみんな羨ましがるでしょうから」


もっともらしい言葉を、いかにも真心から出たように口にする。
でも実際の僕の目は、この人を見てなどいない。
視線はあくまで自然に、でも気配の先は少し離れた場所にいるセラに向けられていた。


「ふふ、真面目に褒めてくださるなんて面白い方ですね」

「そう思っていただけるなら光栄です」


表情筋を最小限に動かして柔らかく微笑む。
この会話が早く終わってくれればと、心の底では願うばかりだった。

それでも、舞曲はまだ終わらない。
次のステップへと足元は移り、彼女の重心の移動が腕に伝わる。
王女の身体は華奢で軽いけど、その存在感は油断ならないものだった。


「そんなに私を慕ってくださるのなら、あなたを私の近衛騎士にしてさしあげましょうか?」


ああ、きたな……と心の中で小さく息を吐く。
口調は柔らかくても、これは誘いじゃない、ただの試しだ。
セラの足元を崩せるかどうか、まずはその土台にある僕を引っ張ってみている。
セラから何かを奪えるのなら奪ってやろうとする気配すら、微かに漂っていた。

でもここでやんわりと断れば、その理由が何であれ、嫌がらせのように僕を近衛騎士に任命しようとするかもしれない。
だから僕は戸惑いと高揚が入り混じったような芝居を浮かべ、わざと呼吸を一泊遅らせた。


「……そう仰っていただけるのなら、これほど光栄なことはありませんね。王女殿下の近衛騎士だなんて僕には夢のようなお話です」

「総司さんはよく気が利くもの。踊りも悪くない。なにより騎士階級特級をお持ちですし、優秀な方は好きですよ」

「そのように評価していただけるなんて恐縮です。王女殿下のお傍でお仕えできるなんて、この上ない名誉ですから。セラお嬢様の護衛ももちろん光栄でしたが、やはり王女殿下のようなお方の近衛に選ばれるなんて、比べものになりませんよね」


セラを護れるなら、いくらでも自分の印象なんて捨ててしまえる。
だから芝居だと気づかれないように、絶妙な匙加減で心から喜んでいるようにに声を弾ませる。

すると王女は満足そうに微笑んだ。
そしてその刃をゆっくりと引き抜くように言葉を重ねた。


「それでしたら……本当に呼んでさしあげましょうか?セラさんには、この後私からお話します。あなたが私の近衛騎士になることになったと」


その一言に、さすがの僕も背中に汗が伝うのを感じた。
でもここで慌てれば、それこそ以前の時のように王女の駒にされてしまう。
それだけは絶対に避けなくてはならないと、頭の中で懸命に言葉を選んだ。


「……ええ。僕なんかでよろしければ、そのお話、喜んでお引き受け致します。もしセラお嬢様に誤解されてしまったとしても、それは仕方のないことです。僕は王女殿下の命に背くことはしたくないですから」


その瞬間、王女の眉がぴくりと揺れたのがわかった。
言葉の裏を読んだというより、読んだ末に失望したんだろう。

僕は彼女にとって誰かを裏切ってでも上位に立ちたい男に見えたはず。
つまり上の人間に媚を売る、ただのつまらない騎士。
そんな男に誰が興味を持ち続けるだろう。


「……そう。総司さんは、意外と野心家なんですね」

「とんでもない。僕にあるのは野心なんて立派なものではなく、ただ与えられた役割を懸命に熟すだけです」


丁寧に微笑みながら、僕は心の中でそっとあの子を想う。
不安な心情のまま返答を待っていると、王女は小さく息を吐き出し、少し低くなった声で言葉を放った。


「総司さんのような方が、セラさんの専属騎士だなんて……あの方も少し気の毒ですね。自分の主人を簡単に捨てることは、騎士としての忠誠心をお持ちではないということではないですか?」


言葉は柔らかいのに、その奥にひそむ感情は冷たかった。


「私、そういう人は信用できないの。だから残念ですけど、近衛騎士の話はなかったことにさせて頂きます」


それは優雅な微笑みのまま、冷酷に告げられる棄却だった。
音楽が終わると同時に王女は僕から手を離し、くるりと背を向ける。
僕は慌てて後を追う素振りを見せながらも、内心では笑みを浮かべていた。


『殿下、お相手どうもありがとうございました』

「こちらこそ」


王女の元に行けば、セラと王太子がにこやかに会話をしている。
その様子を目の前に、王女は少しつまらなそうに口を開いた。


「薫、私は先に帰ります」

「は?もう帰るの?」

「セラさん、ではまた。今日はお先に失礼致しますね」


にこやかな笑みを浮かべた王女に、セラは丁寧に頭を下げる。
去っていく姿を横目にほっと息を吐き出すと、王太子がうんざり気味に呟いた。


「しつこく行きたいって言うから連れてきたのに、もう帰るとか……本当に勝手だよね」

『体調が優れなかったのではないですか?』

「いや、あれはそんな感じには見えなかった。まあ、あいつのわがままはいつものことだけど」

「王女殿下お一人で大丈夫なんですか?」

「護衛がいるし平気じゃない?あいつの気まぐれにいちいち付き合ってられないよ」


どうせなら王太子にも一緒に帰って貰えたら最高だったけど、こればかりは仕方ない。
とりあえずセラと王女の接触を避けられたことに安堵していると、セラとふと目が合った。
セラは仮面の下でもわかる程目を瞬いて、僕にふんわりと微笑んでくれる。
でもどことなく元気がないようにも見えて、僕と王女がワルツを踊ったことを少なからず気にしているのだろうと苦笑いをこぼした。


「遅くなってしまってすみません、平助君が仮面をなくしたと言うので探すのに手間取ってしまって」


伊庭君の声が耳に届いてセラから視線を移すと、伊庭君と平助、はじめ君と千ちゃんが正装姿で僕達の傍へとやってくる。
王太子がここにいる以上、三人でいるより大人数の方がありがたい。
これ以上セラと手を取り合って踊って欲しくないからこそ、僕は皆を歓迎するように笑顔を浮かべた。


「待ってたよ。相変わらず馬鹿だね、平助は」

「違うんだって。俺とはじめ君の仮面が似てたからさ、はじめ君が自分のだと思って鞄にしまっちまってたんだよ」

「すまなかったと何度も言っているだろう。そもそもあんたが床に落としたままにしていたのが悪いと思うが?」

「どっちもどっちだと僕は思います。正直疲れ損ですよ」

「三人共、その話はもういいじゃない。男なんだから終わったことをいつまでもぐちぐち言わないで?それより、セラちゃん!お待たせ!」

「千ちゃん、みんなも待ってたよ!千ちゃん、仮面姿も可愛い!」


抱き合ってはしゃぐセラと千ちゃんに、いまだ言い合いをしている三人。
王太子の存在を置いてけぼりに皆で盛り上がっているから、王太子もさすがに眉を顰めて僕に視線を送った。


「随分と騒がしい連中だね」


その言葉を聞いて、ようやくぴたりと皆の動きが止まる。
そして今更王太子の存在に気付いた四人は、それぞれ慌てて彼に丁寧な挨拶をしていた。


『殿下、皆私の大切な友人なんです。伊庭君と平助君は私の護衛をしてくれていて、はじめは幼い頃からの知り合いです。そして千ちゃんは』

「私はセラちゃんの最初で最後の親友です!」


千ちゃんが遮ってそう言うと、王太子は苦笑いをしながらも「そうなんだ」と一言。


「ねえ、セラちゃん!私と踊りましょう?」

『うん、踊ろう!』

「なあ、セラ。俺とも踊ってくれよ」

「僕とも是非お願いします」

「俺の相手もお願いしたい。だがあと何曲あるのだろうか?」

「つーか、じゃんけんで順番決めといた方がいいって」

「平助君はどうしていつもじゃんけんで大切なことを決めたがるのですか?じゃんけんは気乗りしません」

「俺とて同じだ。だが他に方法がないのではないか?」


わいわいと話しながら会場の中央に移動して行く皆を見つめながら笑っていると、王太子は僕にぽつりと話しかけてきた。


「沖田は行かなくていいの?」

「僕はここで護衛を兼ねて見てますよ。少し離れた場所の方が全体を見渡せますし、あの子の近くには腕の立つ三人がいますしね」

「ふうん、沖田はあいつらのこと信用してるんだ?」

「そうですね。たまにぶつかることはありますけど、セラを護ることに関しては皆真っ直ぐですから」


だからこそセラは、皆といて今凄く楽しそうに笑っている。
その様子を見れば僕の心まで満たされるから、口元が自然に弧を描いた。


「セラはあいつらといて楽しそうだ」

「僕達はいつもあんな感じですよ」


仮面舞踏会の会場は、煌びやかな光と音に包まれていた。
笑い声やワルツの旋律が天井の高みへと舞い上がり、仮面の奥で微笑む生徒たちの誰もが、今夜だけは身分も立場も忘れたかのようだった。

そしてセラもその中にいた。
白と銀のドレスを纏い、仮面越しに微笑む姿はまるで夢の中の姫君のようで、彼女のまわりには自然と人が集まってくる。
どの顔も彼女の隣にいたくてしょうがないという気持ちが隠しきれていなかった。


「人気者だね、セラは」

「殿下のほうこそ、さっきから何人に囲まれてたか。数えきれませんでしたけど」

「それはまあ、仕方ないよ。立場が立場だからね」


王太子はただじっとセラや皆を見つめながら、暫く黙ってその様子を眺めているようだった。
僕も、千ちゃんと手を取り合って嬉しそうに踊るセラを見ていたけど、王太子が不意に僕に話しかけてきた。


「ねえ、沖田」

「なんです?」

「もし俺がセラとの婚約を考えてるって言ったら、どうする?」


その言葉に、僕の中で時間が一瞬止まったような感覚があった。
心臓の鼓動が強く嫌な音を立てる。
けれど僕はすぐにそれを表に出さず、ゆっくりと王太子の方に顔を向けた。
その横顔は相変わらず穏やかで、感情の色は読めない。
けれど目だけは鋭く光を帯びてて、次の一言が落とされた。


「沖田は、俺の邪魔なんてしないよね?」


それは問いという形をとりながらも、実質的には警告だった。
僕に対して牽制をかけるような、静かな圧を孕んだ声色。
けれど僕はそれにも、動じた素振りは見せなかった。


「……また、随分と急な話ですね」

「急じゃない、少し前から考えていた。ただきっかけがあっただけさ」

「きっかけ、ですか?」

「最近、気づいたんだ。あいつって人の心に真っ直ぐ触れてくるだろ。気を抜くとすぐ懐に入ってくるから、それが妙に気になって仕方なくてね」


その声音には、ほんの少しだけ苦笑が混じっていた。
でもそれは自分自身の戸惑いを隠すための照れ隠しのような笑いに感じたから、僕はしばらく口を閉ざしその言葉の意味を慎重に測った。


「どうしてセラなんです?殿下なら正直、選びたい放題でしょ?」

「それ、本気で言ってる?」

「ええ。本気ですよ」

「俺が望めば誰でも落ちるっていうこと?」

「言い方が悪かったですね。殿下は誰からも敬愛されている方です。だからこそ、婚約者を決める際は王妃としての資質を第一に考えられるものだと思ってましたけど」

「そういうことなら尚更セラは適任だ。家柄、教育、立ち居振る舞い……そして何より、他人に流されずにしっかり自分の意志で行動できる」


そう言って、王太子はこちらを見た。


「沖田は、それでも反対する?」


真正面から目を見て問われて、僕は目を逸らすこともできなかった。
いつも涼しい顔をしていられるのに、この時ばかりは喉の奥が熱を持つような気がして苦しくて堪らなかった。


「僕はセラの専属騎士です。その責務を全うするのが僕の役目ですから、それ以上のことは僕の立場からは言えませんね」

「そういう言い方、ずるいよね」

「そうですか?」

「本音を飲み込んで、顔色一つ変えずに護衛としての責務って言えば、角が立たないって分かっててそうするんだろ」

「僕がセラのためにできるのは、その程度なんです。あくまで立場としては、ですけど」


王太子は少し黙っていたけど、今度ははっきりとした笑みを浮かべた。


「やっぱり沖田は厄介だな。気持ちを隠してるつもりでも隠し切れてないよ。セラが困った顔をする時、いつもお前の視線が真っ先に動いてる。俺が気付いてないとでも思ってるの?」

「…………」

「ねえ、沖田。あいつを護るために何も言わないっていうのは、ある意味では逃げだと思わない?」


王太子は少なからず僕の想いには気付いている。
それがどの程度のものかまではわからなくとも、主人という枠を超えてセラを大切に想っていることは隠せるものではないだろう。

王太子の声には、どこか呆れたような響きが混じっていたけど、それは怒りや咎めというより、むしろ諦めに近い感情のようにも思える。
こうして王太子が穏やかなのは、前の世界の時とは違って僕とセラとの仲が気付かれていないことと、僕が立場を弁えたふりをしていること。
そして最初に築いたのが友人という関係だったからかもしれない。


「正直な気持ちを言わせて頂くと、僕としては……心配ですね」


沈黙を破って口にした言葉に、王太子がわずかに視線を動かした。


「相手が殿下だからというわけではありません。ただ王族の一員になるということは、それだけで覚悟が要る。嫉妬や詮索、政略に権力闘争。生半可な気持ちじゃ到底やっていけない。僕はとてもセラをそんな場所に送り出す気にはなれません」


胸の奥に渦巻く感情を、なるべく穏やかに整えて言葉にする。
これは警告でも非難でもない。
ただひとりの騎士として。
それ以上にセラを誰よりも案じている僕自身として、本心を口にしただけだった。


「それは確かにそうだ。王族になるというのは、自由を手放すことだ。多くの人の思惑に晒されて、それでも毅然として立ち続けなければいけない。セラにそれを背負わせることに迷いがあるのは理解できる。だから俺も軽い気持ちでセラを選ぼうとしているわけじゃない」


その口ぶりに嘘はなく、言葉の一つひとつに重みがあった。
きっと王太子として、何度も自分にそう言い聞かせてきたことでもあるのだろうと感じられた。


「でも王族になれば得られるものもある。絶対的な後ろ盾、何不自由ない生活、誰にも踏み込まれない護られた居場所。それをセラに与えてあげられる。それが俺の愛し方だよ。俺の立場じゃ、それしかできない」


正論だ。
綺麗ごとでも強がりでもなく、王太子なりの真摯な告白だったと思う。
何が正しくて何が幸せかなんて答えは人によって違う。
そのどれもが間違っているわけじゃないからこそ、僕は穏やかに口を開いた。


「でもセラは……好きな人と結婚することを望んでますけどね」


その瞬間、王太子の表情がかすかに変わった。
眉がわずかに寄り、今までにない反応だった。


「……まさか、あいつ……好きな男がいるの?」


その問いかけは静かな音色の中にも胸の内を探るような響きがあった。
だからこそ僕は肩をすくめるようにして、あっさりと答えた。


「いるみたいですよ」


内心のざらつきを隠すように、グラスの中身をひと口、口に含んだ。
王太子の視線が鋭くなり、その先にいるのは、まだ何も知らずに微笑むセラ。
その視線を辿るように、王太子がもう一度尋ねてきた。


「まさかあの中にいるの?セラの護衛とか……あの斎藤ってやつ?」


軽はずみに誰かの名前を挙げるのは、あまりに危険だった。
だから少しだけ辺りを見回すと、ふと視界に入ったのは大仰な装飾の仮面。
その人物を見つけ、僕の瞳は細められた。

いた。
ルヴァン王国の管轄下にあるディラント大公国の嫡男。
前の世界で、セラに酷いことをした大公子だ。
手を挙げたことも、言葉で貶めたことも……僕は決して忘れてはいない。


「……あいつですよ」


僕が指を差した先を見た王太子の顔が、僅かに歪んだ。


「あいつ?ルヴァンの管轄だから知ってるけど……良い噂なんてひとつも聞かない。性格最悪で女性に対しても粗野。セラはあんな奴が好きなの?」

「僕もやめておけって言ってるんですけどね。でもセラはすごい好きみたいで、聞かないんですよ」

「意味がわからないんだけど。仮に本気であいつが好きなら、セラの見る目を疑うね」


眉間にしわを寄せて本気で軽蔑するようにそう言った王太子の横顔を見て、僕は思わず心の中で小さくほくそ笑む。
こんなにあからさまに嫌悪を滲ませた王太子を見るのは、この世界では初めてだ。


「このことはセラに言わないでくださいね。殿下に告げ口したことが知られたら怒られてしまうんで」

「わざわざ言わない。それに……あんな奴なら、まだ沖田の方がマシだ」

「その言い方も、どうかと思いますけどね」

「でもお前は騎士だ。仮にセラがお前を好きだったとしても、それが叶うことはない。でもあの大公子なら立場的にはセラと結婚できる枠内にいるからね」


その言葉を聞いて、胸に小さな痛みが走った。
事実だからこそ、反論できない。
僕がどれだけセラを好きでいても、一般的な常識の範疇では僕たちは結ばれる枠にいない。
いつだって現実は冷たくて理不尽で、こういう時に爵位がいかに大事かを思い知らされる。


「立場の都合だけでセラの心が動くなら、誰も苦労しませんよ。セラはそんなことで相手を選ばないと思いますけどね」


王太子の視線の先では、セラが伊庭君と軽く踊りながら笑っていた。
そのそばで平助がちょっかいをかけて、千ちゃんとはじめ君が呆れ顔で見守っている。
セラはその中心にいて、幸せそうに微笑んでいた。

短く返事だけを落とした王太子は、その後何も話すことはなく何を考えているのかもわからない。
ただ願うのは、今日の僕との会話でセラに対する興味が少しでも薄れてくれたらいい。
そう願うことしか出来なかった。

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