6

仮面舞踏会が終わり、僕たち四人は夜の余韻をまとったまま城へ戻った。
平助や伊庭君と別れ、柔らかな灯りのともる城内に入ると、僕とセラは軽く言葉を交わしてそれぞれの部屋へと散っていく。

でもそうして別れるのはもう形式みたいなもので、僕たちは何の約束をしなくとも当然のように隣り合った部屋の前で立ち止まる。
そしてどちらからともなくドアを開けると、誰の目も届かないその場所でお互いそっと抱きしめ合った。


『今日、とっても楽しかった』

「僕もだよ。最初と最後は君と踊れたしね」

『うん。舞踏会も文化祭も総司と沢山いられて嬉しかったよ』


僕の腕の中、幸せそうに頬を肩に預けたセラの髪を撫でる。
この笑顔を壊したくなかったから、迷った末、王太子との話は今はまだしないことにした。


「仮面姿も良かったけど、やっぱりこうして顔が見られる方が僕は好きかな」


指先でセラの頬に触れると、ほのかに色づいた肌が指に伝わってくる。
僕を見上げる瞳もどこか恥ずかしそうで、それがたまらなく愛しかった。

唇を重ねたのはほんの一瞬だけ。
それでもまるで火が灯ったみたいに胸の奥が熱くなるのが自分でもわかった。


『総司は今日あんまり踊らなかったね?良かったの?』


セラと二曲、そして王女殿下と一曲踊っただけの僕は、大抵の時間を会場の端で過ごしていた。
その理由はセラを護衛したかったことともう一つ、セラの姿を少しでも長く眺めていたかったからだった。


「うん、別にセラ以外と踊りたくないしね」

『でも千ちゃんが折角誘ってくれてたのに』

「僕はいいんだよ。セラの護衛がしたかったし、それに……」

『それに?』


小首を傾げてそう尋ねてくるセラを見下ろしながら、僕はにやりと微笑んだ。


「それに、セラにやきもち焼かれても困るしね」


セラは少し驚いた様子で目を瞬くと、直ぐに首を横に振った。


『私は別にやきもちなんてやかないよ?』

「へえ、それ本当?」

『うん、本当』


真顔でそう言い切ったセラは、まっすぐな瞳で僕を見つめていた。
冗談に乗るでもなく拗ねるでもなく、その様子は嘘を言っているようには見えなかった。
でもそれはやきもちではないだけで、何も感じてないわけではないんだろう。
王女と踊った後、少し元気がなさそうに見えたのは、きっと気のせいじゃない筈だとセラの髪を優しく梳いた。


「そっか。じゃあセラは僕が他の女の子と手を繋いで踊ってもなんとも思ってくれないんだ?前は他の人と踊って欲しくないって言ってくれてたのにね」

『なんとも思ってないわけじゃないよ。それはもちろん……あまり嬉しくはないなって思うけど……でも仕方ないことだから……』

「でもやきもちはやかないんでしょ?それって大して何も感じないってことだと思うんだけど」


セラの感情を引き出すように敢えてそんな言い方をしてみれば、セラも少しだけ眉を顰めて僕を見上げた。


『そういうわけじゃなくて、私だって色々考えることはあったけど……』

「ふーん?じゃあ僕が王女殿下と踊ってた時、何を考えてたの?」

『それは……楽しそうに二人で何を話してるのかなって気になったりとか。それに……演奏者の方々が間違えて……曲が早く終わっちゃえばいいのにって思ったし……』


つまりきっと僕がセラを気にしていたように、この子もワルツの間、僕のことを見ていてくれたのかもしれない。
それに今の言葉は立派なやきもちのように感じられたから、可愛らしい物言いに思わず少し吹き出してしまった。


『どうして笑うの?私、全然面白いこと言ってないよ』

「はは、ごめん。セラの考えてることがなんだか可愛いからさ」

『私はたった一曲のワルツで、こんなこと考えちゃう自分が嫌だけど……』


セラは「だから言いたくなかったの」と少し困った様子で顔を俯かせた。


「そんなこと別に気にする必要ないのに。何を話したのか気になるなら、君に全部話したっていいしね」

『それはいいよ。そんなことしてもらったらまるで私が総司のことを信じてないみたいだから、それは嫌なの……』


なんとなくセラの言いたいことはわかる気がする。
僕達は想い合っているからこそ、相手に依存するのではなく互いに尊厳を保ちながら自分の足で立っていたい。
それがセラの中にある真っ直ぐな強さなんだと思う。

でもこうして少し頼りなさげなセラを見ていると、どうしても抱きしめたくなってしまう。
そっと手を伸ばせば、セラは大人しく僕の腕の中にとどまってくれた。


「でもさ、もし君が不安になった時はそれを伝えてくれるのは嬉しいよ。素直に話すことも僕を信じてくれてることと同じでしょ?」


セラは何も言わなかったけど、ふんわりと微笑んで頷いてみせる。
そして僕の背中に腕を回すと、擦り寄るようにそっと胸に頬を寄せた。


「でさ、僕は我慢できないから聞いてもいい?」

『え?』

「王太子と何の話をしたの?」


ぽかんと僕を見上げたセラは、あっけらかんとした様子でそう聞く僕を見上げて目を二度程瞬いた。


「セラのことは信じてるけど、あいつがセラに何を言ったのか聞いておきたいんだ」


なぜって、あいつはセラとの婚約を考えてると言った。
僕にまであんな話をするということは、恐らくかなり本気かもしれない。
そのことを考えれば不安で胸が軋むから、僕はセラにそう問いかけていた。


『殿下とは……私がね、殿下が公務や学業を両立されてて凄いですねって話したの。私も頑張らないとって。そうしたら、無理をすると自分を潰すから頑張り過ぎないようにって励ましてくれたかな』

「ふうん、他には?」

『あとは、私が総司の方ばかり見ちゃってたみたいで……どこ見てるの?って言われたの。それで王女殿下が綺麗で憧れてることを話したら、お前の方が綺麗だよって……社交辞令を……。話したのはそれくらいだよ』


それ、多分社交辞令でもなんでもないよね。
まあ実際セラは可愛いから、その程度の会話ではなんとも思わないけど……きっとこの世界の王太子は以前とは違い、一人の男としてではなく、ルヴァン王国の王太子としてセラを選ぼうとしている。
だからこそ感情のまま動くのではなく、慎重に考えているようにも感じられた。


「そっか……、話してくれてありがとう」


セラの頭をぽんぽんと撫でると、少し照れくさそうに僕を見上げている。
だから迷いはしたけど、僕も正直に王女との会話を話すことにした。


「僕も今日は王女殿下と色々話したんだけどね、とにかく全部真逆に話してきたんだ」

『真逆に?』

「うん、そう。そうしないとあの人は危険だからね」


セラはよく意味がわからないというような様子で首を僅かに傾げている。
その様子を眺めながら、僕は再び口を開いた。


「まずはセラの方が綺麗だと思ってるんでしょ?って聞かれたよ。だから僕は王女殿下に敵うご令嬢は他にはいないって言った。王女殿下と踊れることは本当に名誉なことですって」


セラは瞳を揺らしながらも口を挟まず僕の言葉を聞いていてくれる。
そして言い難い話ではあるけど、今後のために情報共有は必要不可欠だろうと再び僕は言葉を続けた。


「それと僕が王女殿下を素直に褒めたから、そんなに慕ってくれるなら王女の近衛騎士にしてあげるって言われたんだ」


予想もしていなかったのか、セラの瞳が見開かれその顔は青ざめていく。
そうなることがわかっていたからこそ、この話をするのは心苦しくはあった。


「勿論僕はセラの傍にいたいから、敢えて言ったんだ。喜んでお引き受け致しますって。王女殿下の命に背くことはしたくないってね。そうしたら……」


そこまで話した時、セラの瞳には完全に涙が溜まっていてぎょっとする。


『え……?総司は……王女殿下の近衛騎士に……なっちゃうの……?』

「いや、ならないよ。なるわけないでしょ?僕が引き受けますって言ったのは、あの人の興味を削ぐためだよ。従順でつまらなくて忠義だけが取り柄の何の面白味もない騎士だと思ってもらうために、わざとそう答えたんだ」

『わざと……?』

「そう。忠実に従うフリをしてその場で跳ね返さない。僕がセラを特別に想ってるって気づかれないように、真正面から否定もしない。そうすれば王女は僕に関心がなくなる、それだけのことだよ」


セラの瞳が、ゆっくりと僕を見つめる。
不安の色がまだ少しだけ残っているけど、それでもちゃんと僕の言葉を受け止めようとしてくれていた。


「あの王女は僕達がお互いを大切に想ってるとわかった瞬間引き離そうとしてくると思う。だから君にも気をつけてもらいたくて、この話をしたんだ」

『どうして引き離そうとするの……?』

「さあ。ただ実際、そういうことを過去にもしてるみたいだよ。多分、人の不幸を見るのが好きなんじゃない?自分が満たされてないんだよ」


あまり詳しく話せば、それはそれで不審に思われるかもしれない。
だから必要最低限に留めてセラに報告した。


『でも……お引き受けしますって言って本当に王女殿下が総司を近衛騎士にしたら総司はどうするつもりだったの……?』

「最悪そうなったら、王太子に言って力になってもらえないか頼むつもりでいたよ。今回のことは正直僕も賭けだったし、ただ自分の直感を信じたんだ。断ったら絶対に駄目だってね」


以前の世界では、いくら言葉を尽くしてみても駄目だった。
僕の気持ちなんてまるで無視で、相手が一番されたくないと思っていることを敢えてしてくる人だということは明確だった。
だから逆に僕が近衛騎士の立場を欲しがれば、あの王女はそれを僕に与えたくなくなる。
その計算が当たったから本当に良かったわけだけど。


「……セラ?」


ふと気付けば、セラはいまだに涙を溜めて唇を結んでいる。
そんな顔をされてしまえば前の世界のセラを思い出して胸が苦しくなるから、細い肩にそっと手を置いた。


「僕がいたいのは、君の傍だよ。どれだけあの人に誘われたって、君を置いて行くなんてありえない。だからそんな顔しないで」


頷いたセラは微笑んでくれたけど、すっかり元気がなくなってしまった。
僕も王太子の今日の言葉を思い出せば複雑な心境になるから、こうしてこの世界でもあの双子と関わらなければならないことに辟易する。


「もしかしたら王女が君に、今日の僕とのことを敢えて話してくるかもしれない。でもセラは悲しい顔とか見せたら駄目だよ。何言われても気にしない素振りをしておいて」

『もし私が総司のことを気にかけてるって知られたら、引き離されちゃうかもしれないってこと……?』

「可能性としては十分あり得るよ」

『王太子殿下は王女殿下がそういうことをしてるって知らないんだよね……?』

「あいつがどの程度あの王女の素行を気にかけてるのかは知らないけど、少なからず知ってはいるんじゃない?面倒だから野放しにしてるのか、一緒に面白がってるのかは知らないけど」


僕が近衛騎士として王女の下についた時も、あいつは終始無関心だった。
表向きは妹に歩調を合わせているように見えても、その実、深く関わるつもりはないのが透けて見える。
だから僕に向けられるのは軽い嫌味程度で、本気の視線が向くのはいつだってセラが絡む時だけだった。
だから恐らく以前言っていた通り、王女がセラに何かをすればきっと王太子は黙っていない。
でもそれはあくまでも僕とセラの関係が知られていなければの話だ。


『私も気をつけるね、王女殿下には弱みを見せないようにする』

「うん、そうして。あの王女に弱みを握らせたら多分容赦なくやられるよ」

『そんな風に全然見えないのに……』

「王女っていう立場に守られてる分、余計に厄介だよね。でも大丈夫だよ、僕達の関係が知られなければいい話だから」


セラをそっと腕に抱きしめ、このまま時間が流れることを怖いと思う。
ここに来たばかりの頃のただ夢を見てがむしゃらに走っていた自分を思い出しながら、この想いがずっとセラに届けられることを願うばかりだった。


- 340 -

*前次#


ページ:

トップページへ