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狩猟大会で、総司は惜しくも二位という結果だった。
でもその結果よりも気になったのは、殿下の仕留めた獲物が一位だと発表された時の総司の表情。
酷く傷付いたような、苦しみを堪えきれないような顔に見えてしまった。
『総司、今日はお疲れ様。あったかいハーブティーを用意したからとうぞ』
夜になり、総司を部屋に招き入れた私は、総司の前に温かいハーブティーを置いて敢えて明るく話しかける。
総司は柔らかく微笑むと「ありがとう」と言ってくれた。
『私も隣に失礼するね』
ハーブティーをそっと置いて、総司の隣に腰掛ける。
ソファーに座る総司は笑顔もないまま、ただぼんやりとハーブティーを見つめていた。
帰りの馬車でもあまり話さず、どこか心ここに在らずで外を眺めていた総司。
結果発表の後、殿下と二人で本部から離れた理由も気になってはいたけど。
何かあるのなら総司のタイミングで話してくれるだろうと、私は静かにハーブティーに口をつけた。
『あつ……』
総司のことを考えてぼんやりしていたのは私の方だったみたい。
淹れたてだったことを忘れて飲もうとしたから、思わず小さい声が漏れた。
「大丈夫?」
『……うん。ごめんね、お行儀悪かった……』
「僕の前ではそんなこと気にしなくていいよ」
柔らかい音色の声や優しい笑顔に心臓がとくんと高鳴って総司を見つめる。
そうすると総司の瞳が揺れて、当たり前のように顔が近付いてきた。
『……ん』
優しくて甘い総司のキスが好き。
唇も髪を撫でてくれるその手も温かくて、私を大事に扱ってくれていることがわかるから心から幸せを感じることができた。
背中に回された腕に引き寄せられれば身体は密着して、このままずっと総司の腕の中にいたいくらい。
「セラ、好きだよ」
『私も大好き……。総司が専属騎士になってくれてから毎日一緒にいられるから嬉しい』
「僕もだよ」
『ずっとずっと……こうしてたいな』
囁くようにそう伝えると、総司が小さく微笑んで髪を撫でてくれた。
ただそれだけのことが、どうしてこんなに幸せなんだろう。
たとえこの世界が全部壊れてしまっても、総司が傍にいてくれるならきっと私は大丈夫。
そんな気持ちになってしまう。
『今日の狩猟大会、かっこよかったよ。あんなに大きな鹿を仕留められるなんて驚いちゃった』
総司の様子から、あの結果に満足していないだろうことはわかっていた。
でも私は心から凄いと思うから、顔を上げてそう伝えた。
「……全然だめだよ、あんなんじゃ。殿下に負けちゃったしね」
『でも王家の方々は幼い頃から狩猟を嗜むことが多いでしょ?総司は騎士なのにあの結果は凄いと思う。私の中で優勝は総司だよ』
「あははっ、セラは僕贔屓だね」
『ふふ、今頃知ったの?』
総司は再び私を抱きしめ、そっと額にキスを落とす。
ようやく総司の笑顔が見られてホッとしていると、頭上からは大好きな優しい声が降ってきた。
「ねえ、セラ」
『うん?』
「もしセラがいつか他の誰かと結婚しないとならない状況になったら、君は僕を専属騎士として一緒に連れて行ってくれる?」
一瞬、息が止まった。
総司の腕の中は温かくて、心地よくて……まるで永遠がそこにあるように錯覚していたのに。
その言葉は、静かにその幻想を揺らしてしまう。
『……どうしてそんな話をするの?私は他の人との結婚なんて考えたくもないよ』
それは現実には起こり得ることなのかもしれない。
けれど私はそんな未来を望んでいない。
少なくとも総司以外の誰かの隣で笑っている自分なんて、想像もできなかった。
『だって私が誰といたいかなんてもう決まってるよ。専属騎士としてじゃなくて、ただずっと総司に傍にいて欲しい』
総司の腕の力が少しだけ強くなる。
それだけで私の想いがきちんと届いた気がして、胸の奥が少しだけほっとした。
「……ありがとう、セラ」
小さくそう言った総司の声は、少しだけ掠れていた。
まるで何かを堪えるみたいに。
だから私は、もう一度その胸に顔を埋めて、静かに囁いた。
『どんな未来が来ても、私は総司の傍にいたい。それだけは変わらないよ』
そう言いながら、ふとこの前観た演劇の物語を思い出してしまった。
あの登場人物達は想いを抱えたまま別々の道を選んでいたけど、私が同じ立場になったらそんな選択はできるのだろうかと考えてしまう。
「何考えてるの?」
ついぼんやり物思いに耽っていると、総司が不意に顔を覗き込んできたから目を瞬く。
『この前の演劇のお話……思い出して悲しかったなって考えてたの』
「確かに切ない話だったけど、悲恋だったからあそこまで人気でたんだろうね」
『うん。私も最初観た時は、いいお話だなって思ったよ。お互いを想う気持ちが本当に綺麗で、凄く素敵だなって思ったけど……』
でもそれは物語であり、自分自身のことではないからそう言えるだけ。
もし自分の身に降り掛かったら、一緒にはいられないけど本気で想える相手に出会えただけで幸せ……なんて、本当にそう思えるのかな。
「けど?」
『ううん。ただ……私は自分の中の大切な気持ちを押し殺して、生きていくなんて嫌だなって思っちゃっただけ』
総司の瞳が、わずかに揺れた。
それに気づいた私は、視線を逸らすように小さく笑って、膝の上で手をぎゅっと握りしめた。
『……わがままだって分かってるよ?立場とか役目とか大事なものがたくさんあるってこともちゃんと分かってる。それでも……自分の心に嘘はつきたくないから』
だって心に嘘をついたら、私が私でなくなってしまう。
自分の心を護れるのは他でもない自分自身だと思うから、私は決して自分の心を捻じ曲げたくないと思った。
『誰かに必要とされることは嬉しいし、期待に応えたい気持ちもあるけど……でも大切な人を想う気持ちまで我慢しないといけないなら、そんな人生……生きてるって言えるのかなって』
言っているうちに、喉の奥が詰まってくる。
そんな日が来ることを想像してしまえば、どうしても胸が苦しくなってしまう。
『だから今は演劇の主人公達みたいに、ちゃんと想い合ってたのにそれでも離れるしかなかったって……そういうの、綺麗だと思えなくなっちゃった』
そう言った私の手を、総司がそっと包み込んでくれた。
彼の眼差しは温かくて優しくて、でもどこか不安そうに揺らいでいるようにも見えた。
「僕も同じだよ。物語とは違って現実では理解してても簡単に割り切れることばかりじゃないしね」
総司の言葉に、私はそっと目を伏せたまま頷いた。
こうして話しているだけで、胸の奥にふわっと熱が灯る気がする。
だけどその温かさの奥にあるのは、消えない不安。
どうしてなんだろう……こんなに近くにいるのに、未来のことを考えると、時々どうしようもなく怖くなる。
『本当は一緒にいたいのに、一緒にいられない理由があるとか……誰かを傷つけないように、自分の気持ちを見ないふりするとか。きっとそういうのが、大人になるっていうことなんだよね』
「でも……そういう風に大人になるって、なんだか寂しいね」
『うん。すごく寂しい……』
そっと総司を見つめると、彼はまっすぐ私を見返してくれていた。
少し困ったように眉を寄せながらも、逃げることなく、受け止めてくれようとしているのが分かった。
『こんな話をしてたら少し怖くなってきちゃった……』
「大丈夫だよ。君が怖いって思ってるなら、その分僕が強くなるから」
『……総司にばっかり負担をかけさせられないよ』
「負担なんかじゃないよ。だって僕は君の傍にいたいから、誰より君の気持ちに気づいていたいし、誰よりも先に支えたいって思ってる。それに、できれば泣かせたくないな」
そう言って、少しだけ意地悪そうに笑った総司の表情に、思わず私もくすっと笑ってしまう。
『私、強くなりたいな。自分の気持ちと総司の気持ちをちゃんと護れるくらいには』
「じゃあ、まずは一緒にいよう。離れなければならない未来のことなんて、まだ先でいいよ」
その言葉に胸があたたかくなった。
いつか本当に別れなければならない時が来るかもしれない。
だけど、今はまだここにいられる。
その事実だけが、今の私の心を救ってくれる。
『……ありがとう、総司。私、ちゃんと自分の気持ちに嘘つかないようにするね』
「うん。僕もそうするよ」
そっと総司の手を繋いだまま、私は目を閉じた。
まるで、何かの約束を交わすみたいに。
きっと私達はこれからもずっと一緒にいられると信じて、未来の二人の笑顔を頭に思い浮かべていた。
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