5

それは、本当に唐突な知らせだった。


『……国王陛下に、夕食に招かれたのですか……?』


私の問いかけに、お父様は目尻を下げ、穏やかに笑みを浮かべた。


「そうだ。陛下ご自身からの招待だぞ。ありがたいことだな。王太子殿下が気を回してくださったのかもしれん」


お父様はまるで旧知の友人にでも会うような落ち着きで話していたけど、私は胸が少し重たくて静かに俯いた。

休日だというのに、またあの王宮に行かないといけないなんて。
それにどうしてこのことを王太子殿下が事前に教えてくださらなかったのか……それも、少しだけ引っかかっていた。

それでも私の立場上、国王陛下からのお誘いを断ることなどできるはずもなくて。
自分の部屋で侍女の方々に髪を整えてもらいながら、鏡に映る自分の姿を見つめた。

白と藍を基調としたドレスには、繊細な刺繍が施されている。
整えられた緩い巻き髪をそっとなぞりながら、小さく息を吐き出した時。
総司が任務を終えて、私の部屋へと訪れた。


「あれ?どこか出かけるの?」

『……国王陛下に夕食のご招待を頂いたの。もう少ししたらお父様と王宮に行ってくるね』


そう言いながら立ち上がると、ドレスの裾が柔らかく揺れた。
総司はほんの一瞬だけ目を見開いたけど、すぐにいつものように穏やかな表情を浮かべた。


「そっか。頑張っておいで」

『ありがとう』


総司の声はどこか遠くから響いているように感じた。
私の髪をひと撫でした総司の指先が優しくて、余計に切なくなってしまう。


「いつも可愛いけど、今日は特に綺麗だよ。だから自信持って」


総司の言葉に私の心臓は反応して、自然と鼓動が早くなる。
照れくさい気持ちになりながらも、思わず頬が緩んでしまった。


『総司にそう言って貰えると嬉しい』

「最初の頃は、僕に可愛いって言われても嬉しくないとかなんとか、酷いこと言ってたのにね」

『だって……あの時は適当にみんなにそう言ってるのかもしれないって思ってたから』

「ははっ、それも酷いよね。でもようやく信じて貰えたなら良かったよ」


微笑み合えばどちらからともなく唇が重なって、また心音が早くなる。
こうして胸が高鳴るのも、可愛いって言って貰えて嬉しいのも、相手が総司だからだよ。


『今日、総司と一緒にいたかったな。なるべく早く帰ってくるね』

「折角招待を受けたんだから、ゆっくり話しておいで。君は陛下や王太子殿下にとって、大事なお客様なんだからさ」


いつもなら他の男の人の名前が少しでも話題に出ると、少しむっとした顔を見せて「はいはい、王太子殿下ね」なんて皮肉めいた冗談を言うのに、今日の総司は静かだった。

優しすぎる声、まっすぐな瞳。
そしていつもより少しだけ悲しそうにも見える表情。


『……総司?』

「ん?」


思わず呼びかけたくせに、口に出そうとした言葉はするりと喉の奥で消えてしまった。
何を訊きたいのか、自分でもよくわからなかった。
でもほんのわずかに、胸の奥に引っかかる何かがある。
それでも総司はいつもと変わらない微笑みで私の前に立っていた。


「僕は平気だから、君は君のすべきことをしておいで。応援してるよ」

『……うん。ありがとう』


そうだよね、総司の言う通り私には私のすべき道がある。
その役割をきちんと熟せないようでは、いずれ総司の隣に胸を張って立てなくなる。
だからあまり考え過ぎずに、今日という日を頑張ろうと微笑んだ。


『頑張ってくるね。だから夜は一緒にいてくれる?』

「もちろん。君が戻ってくるの待ってるよ」


夜にはここでまた総司と一緒に過ごすことができる。
そう思えば憂鬱な気持ちが薄れて、私なら大丈夫だと思えた。

総司に笑顔で手を振って私は自室をあとにする。
王宮へ向かう馬車の中、お父様は落ち着いた様子で窓の外を眺めながら話しかけてきてくださった。


「緊張しているようだな」

『はい、少しだけ』

「無理もないことだが、あまり気負わずにいればいいと思うぞ。いつも通りでいなさい」

『……ありがとうございます、お父様』


やがて馬車が王宮の正門に到着すると、私たちは衛兵たちの整列のなかを通されて、厳かに迎え入れられた。


「ようこそ。お待ちしていましたよ、近藤公爵。そしてセラ譲」


玄関口に立っていたのは、まるで絵画のように整った装いの王太子殿下だった。
濃紺の礼服に身を包み、銀の装飾が月光のようにきらりと光っていた。


「セラ、綺麗だよ」

『ありがとうございます、殿下』


私はできるだけ綺麗にカーテシーを返したけど、その言葉はどうしても総司に言われた時のようには心に響かなかった。
嬉しくないわけではないのに、どうしてこんなに胸が静かなままなんだろう。
自分でも不思議なくらいだった。


「では、ご案内します。陛下がお待ちです」


王太子殿下に導かれて、私とお父様は広い王城の回廊を歩いた。
大理石の床に私の靴音が吸い込まれていく音が、妙に静かに感じられて、ますます気持ちが引き締まる。

そしてたどり着いたのは、金と青で彩られた大広間。
まるで舞踏会でも開かれるような壮麗な空間に、豪華な晩餐の席が設けられていた。


「父上。近藤公爵とセラ嬢をお連れしました」


王太子殿下の声に、奥に座していた国王陛下がゆっくりと立ち上がった。


「よく来てくれたな、近藤公爵。セラ嬢も。今日はお招きできて光栄だ」


お父様は威儀を正して、静かに一礼する。


「もったいないお言葉、痛み入ります。陛下にお目通り叶いますこと、誠に光栄に存じます」

『本日はお招きいただきありがとうございます、陛下』


私も続いて、心を込めてお辞儀をした。
胸の内側が少しだけ波立ったのは、国の頂点に立つ方の存在感のせいだったかもしれない。
そしてそんな私の緊張を他所に、静かに晩餐の時間が始まった。

料理は一皿ごと芸術のように綺麗なのに、私は緊張であまりよく味わえなかった。
けれどお父様は堂々と、時に笑みを交えて陛下の話を受け止めていた。


「近藤公爵、先日の北の国境の件、聞いておられるか?」

「はい、報告は受けております。あの地は気候柄、騎士団には一層の鍛錬が求められるかと存じますな」

「ふむ、やはりそうか……それについて、セラ嬢。君はどう思うかね?」


唐突に国王陛下に名を呼ばれて、私は背筋を伸ばした。


『……そうですね、私が聞いた限りでは、北の国境は寒さが厳しく、補給の困難が大きな課題のようです。ですので……騎士団の訓練向上は勿論、周囲の民の暮らしの見直しや物流の整備も重要だと……そう思います』


少し震える声だったけど、陛下は頷きながら口元に笑みを浮かべてくださった。
 

「うむ、良い着眼だ。さすがは近藤公の娘だな。聡明で礼儀正しい」


その言葉に、お父様もどこか穏やかに目を細めていた。
すると、王太子殿下が静かに言葉を添えてくれた。


「セラは学院でも誰よりも努力を怠らない方です。僕にとっても、とても頼りになる存在ですよ。いつも助けられています」

『いいえ、私こそいつも殿下に沢山助けて頂いてます』

「謙遜しなくていいよ。本当に君のような人がそばにいてくれることは、僕にとって心強いことなんだ」


まっすぐに向けられたその視線を受け止めながら、私はふと……総司は今の私をどう見ているのだろうと考えてしまった。

私は公女として、誰に見られても恥ずかしくないように振る舞えているのかな。
総司が少しでも誇らしいって思ってくれるような、そんな私でいられているのかな。

どんな会話をしていても、胸の奥にあるのは別の想い。
私はただ早くこの晩餐を終えて、総司のところに戻りたいと考えてしまっていた。


他愛のない世間話を交わしながらも時間は流れ、私達の前には白磁の皿に盛られた美しいデザートが並べられる。
薔薇を象った砂糖菓子の上に、淡く光るジュレがそっと添えられていた。
甘い香りがふわりと鼻をくすぐり、私は安堵の息を胸の奥で吐く。
やっと終わりが見えてきたと思った、その時だった。


「時に近藤公」


低く落ち着いた声が、食卓の中心を打つように響いた。


「君はセラ譲の将来についてどのようにお考えなのかね?」


不意打ちの問いに、私は胸の奥が縮こまるのを感じた。
お父様はそっと背筋を正し、柔らかな笑みを浮かべながら答えた。


「恐れ入りながら、娘の将来につきましては何より本人の意志を第一にと……そう心得ておりますぞ」

「ふむ……それはつまり、親としての君の意見は無い、ということかね?」


穏やかに笑ってはいるものの、国王陛下の言葉にはどこか鋭さがあった。
王冠の下にある目は、まるで鷹のように私たちを見下ろしているようだった。


「ねえ、セラ」


今度は王太子殿下が、ゆっくりと声をかけてくる。
その声音は一見穏やかなのに、どこか威圧感を秘めた響きを持っていた。


「今日はとても楽しい晩餐だったよ。セラの立ち居振る舞いは見事だよね。まるで此処にいるべき人のようだ」

『もったいないお言葉です。殿下』

「僕は事実を言っているだけさ。君がここにいる未来はきっと悪くないと思うよ」

「そうだな。王城に足を踏み入れるにふさわしい才と品位を彼女は備えておる」

『……恐縮です。ですが、私などまだまだ未熟です』


笑顔を崩さず、丁寧に頭を下げた。
でも込み上げてくる嫌な予感に胸の奥がざわつくのを感じてしまう。
お二人の視線はまるで囲いを作るように、やさしくも逃げ場をふさぐようだった。


「父上。もし許されるなら、僕は正式にセラとの未来を考えたい。そう思っています」

「おお、よい心がけだ。近藤公はわが息子との婚約について、いかがお考えか?」


お父様は一度私を見てくださった。
だから私は、懸命に断って欲しいという気持ちを込めてお父様を見つめ返した。
するとお父様はそんな私の心情を察してくれたのだろう、その瞳にはあたたかい色が宿って見えた。


「陛下、ありがたきお申し出にございます。ですが娘はまだ年若く、まずは無事にデビュタントを迎え、世の中をもう少し知る機会を……と思っておりましてな」

「そなたの娘君ももうすぐ十六を迎えるのであろう?婚約には丁度良い時節ではないか」

「父上。この年齢で先延ばしにしては、むしろ他国に先を越されてしまいそうで僕は少し心配ですよ。彼女を手放すなど、考えたくもありません」

「はははっ、我が息子は相当セラ譲を気に入っているらしい。近藤公、こうなればわが王家の一員として迎え入れることが、最善ということではないのかね?」

「しかしですな、陛下」


私の未来が決定事項のように語られていく。
まるで私の意志なんて、最初から必要ないかのように決められてしまうのは絶対に嫌だった。
それなのに言葉が喉に引っかかってしまったように何も言えないでいると、お父様が私を庇うように口を開いてくださった。
けれどそれはすぐに打ち消され、陛下の低い声がテーブルを滑るように響いた。


「……近藤公。我が息子ではご息女にとって何か不足でもあると、そう申されるか?」


その声には棘があった。
瞳を細めて、まるで試すようにお父様を見つめるその様は、微笑みをたたえていながらも明らかに問い詰める色を含んでいる。
お父様は少し困ったように笑い、そして柔らかく首を横に振った。


「いやいや、とんでもない。殿下ほど立派なお方は滅多におられませんぞ。ただ娘の胸の内を無視して進めることだけは、致したくないのです」

「ふむ……」


そう言いながら、陛下の視線が今度は私に向けられた。


「ではセラ譲。我が息子のことをどう思っておる?」

『……王太子殿下はとてもご立派で頼りになるお方です。公務にも真摯に取り組まれ、民の声に耳を傾けられる……私にとって大切な……ご友人です』


少しだけ、間を置いた。
あえて友人と言葉にした瞬間、テーブルの空気が少し揺れたような気がした。
王太子殿下は、わずかに目を細めて笑った。


「……そうか。大切な友人、ね。ありがたいことだ」


陛下もまた、静かにワインを口にしながら言葉を落とした。


「友とは、互いに信頼を育み助け合うものであるな。……して、信頼の果てに愛が芽吹くこともあるやもしれん。近藤公もそうは思わないか?」


国王陛下が満足げに微笑む。
でも目を見開いて言葉を失う私の横で、お父様は柔らかく言葉を返してくださった。


「陛下、殿下。まことにありがたきお言葉にございます。ですが、やはり娘はまだ幼くこれから出会う人々や、触れるものごとから多くを学ぶ歳にございます。今はまだ先々を急がずとも、時を重ねてから……」


言葉を選びながら、必死に守ってくれているお父様の姿に胸が痛くなる。
けれど陛下の声が、それを容赦なく切り裂いた。


「先程からそなたの態度、気に食わん。王家の申し出に異を唱えるというのは、王家の意志を退けるということと相違ない」

「決してそのようなつもりではございませんぞ。ただ娘の気持ちが定まらぬうちは……」

「定まる前に、道を示すのが親というものだと私は思うがね」

「しかし……」

「よく分かった。つまり、そなたたちは我が王家を敵に回すということで宜しいかな?」


食卓の空気が、ピンと張りつめる。
まるで音ひとつ立てれば、誰かの首が落ちるような緊張。
王太子殿下が静かに椅子を引いて立ち上がり、こちらへと歩み寄ってきた。
私は震えてしまいそうな手をきつく握り、恐る恐る彼を見上げた。


「ねえ、セラ」

『……はい』

「君にとって僕は、大切な友人だったね?」

『……はい。それは、変わりません』

「なら、どうしてそんなに距離を置こうとするの?僕はただ君に手を差し伸べているだけなのに」


その声は優しくて、どこか切ない響きを装っていた。
でも瞳の奥には明らかに、逃がさないという光があった。


「僕といれば君は守られる。王家の後ろ盾がある。それがどれだけの意味を持つか、君は知っているはずだ」

『……私は……』


言葉が喉でつかえて出てこない。
お父様が私を助けようと口を開きかけたその時、陛下が再び声を放った。


「近藤公。貴殿は王国の信義を重んじると、たしか過日に申していたな」

「はっ……いかにも」

「ならば、この席での申し出に応えることが貴殿の忠義というものではないのかね?それとも我が国に忠義など誓っておられぬということかな」


そう言われてはもう逃れられない。
お父様は静かに目を伏せ、苦しげに息を吐く。
そして私を見つめるその視線は、痛みを含んでいた。

このまま沈黙を続ければ、承諾と同義になる。
けれどこの言葉の先で、私は一番大切なものを失ってしまう。
総司の顔が浮かんでしまえば、絶対にここで負けるわけにはいかない。
潤んでしまった瞳でお二人を見つめ、私はその場でそっと立ち上がった。


『……どうか……もう少しだけ……考えるお時間をいただけませんか?陛下、殿下……』


声が掠れてしまわないよう、唇の裏側をそっと噛みながら懸命に絞り出した言葉だった。
それがどれほどの意味を持つのか、私自身にもわからない。
でもすぐに答えを出せるような話ではない。
私の人生を、そして心を大きく揺るがす話だから。

国王陛下は一瞬だけ、沈黙の間を置かれた。
その眼差しには冷ややかな光が潜んでいるのに、口元の笑みだけは崩れないままだった。


「……よかろう」


ゆっくりとした言葉で陛下は応じてくださった。
でもその声音はまるで、逃げ道のすべてを封じるような威圧感を纏っていた。


「だが考えるというのは逃げることではないのだぞ。セラ譲」

「君のように聡明な人なら理解していると思うけど、選ぶというのは責任を持つということだからね」


そう言った王太子殿下の言葉が、私には一層重く心に深く刺さった。
私は目を伏せながらも、精一杯礼を尽くして小さく頭を下げる。
感情の波が胸の奥でせめぎ合い、揺れ動く心をどうにか立て直そうと、足元に力を込めて立ち続けた。


「期限は一週間としよう。セラ譲の返事を心から楽しみにしているよ」


そう告げると国王陛下は悠然と立ち上がり、従者を引き連れて静かに晩餐の間を後にされた。
その背中が遠ざかるほどに、私の胸の奥に押し寄せる焦りと不安が、重く形にならないまま積もっていく。

一週間。
あまりにも短い期間に、息を呑んだまま私はその場から動けなかった。
でもそんな私の心とは裏腹に、王太子殿下の表情はどこまでも穏やかで、むしろどこか満足げにも見えてしまった。


「近藤公、よろしければ馬車までお送りしたい。セラにも少し話したいことがあるので」


柔らかに告げられたその言葉にお父様は静かに頷いた。
王族への敬意を崩さぬままゆっくりと立ち上がり、殿下の意図を察してくださったのだろう。


「セラ、俺は先に馬車に乗っている。殿下とゆっくり話してきなさい」


その言葉と共にお父様は私の肩に優しく手を置き、そっと送り出してくれた。
夜空の下、星々が煌めく静かな石畳に王太子殿下と私だけが残された。


「ねえ、セラ。俺との婚約は、嫌?」


その問いは思っていたよりも穏やかで、先程のように私の答えを急かすものではなかった。
国王陛下といるときは殿下もきっと気を引き締めているのだろう。
今目の前にいるのは、学院で会ういつもの王太子殿下だった。


『殿下との婚約が嫌というわけではありません。ただ私には王太子妃というお立場は荷が重すぎるように思えて……。私のような者には、身の程が合っておりません』

「お前なら何の問題もないよ。むしろ俺はお前以外を考えたことがない」


言葉の端々から真剣さと穏やかな信念が滲んでいて、殿下の声は私の心をさらに締めつけた。


『ですが……私は、王家に入れるような教育はこれまで受けておりません。ふさわしくないのです』


どうしてもこの話は受け入れるわけにはいかない。
だからこの言葉は、全てを覆してくれる盾になると思っていた。
でも……


「それは心配しなくていい。俺と婚約したら、セラには王宮で暮らしてもらうつもりだ。そこできちんと妃としての教育を受けて貰うことになるよ」


微笑みながらそう言われた瞬間、頭の中が真っ白になった。
それは今の生活に別れを告げるという意味だったから。

少しの空いた時間、庭園を歩きながら総司と話す何気ない日常も、総司が差し出してくれる優しい笑顔も……そのすべてが、殿下と婚約した瞬間に終わってしまう。
そう考えれば胸がとても痛くなって、言葉を探そうとしても何も出てこなかった。

足元から、音もなく崩れていく感覚。
まるで知らないうちに用意されていた道筋の上を、ただ歩かされているみたいで、視界がぼやけて世界の音が遠ざかっていくようだった。

そのとき。


「……あはっ」


殿下が小さく笑った。


「お前って本当に素直だよね。そんなに悲しそうにされると、さすがに俺も傷付くんだけど」

『……申し訳……ありません……』

「別に謝らなくていい。まあ、お前は家族や護衛達とも仲が良さそうだし、その歳でいきなり家を出るのは寂しいよね。多分悲しむだろうって俺もわかってたから、ちゃんと策は打ってあるんだ」

『……策、ですか?』


どこか誇らしげな様子で、殿下は微笑む。
そしてその次の言葉が、私の思考を完全に止めた。


「俺と婚約した暁には、沖田も一緒に王宮へ連れてくればいい」

『……え?』

「もう沖田には話してある。あいつの承諾も得てるよ」


何を言われたのか、すぐには頭が追いつかなかった。
ただ理解しようとすればするほど鼓動が早くなり、次に出た言葉は少し震えてしまった。


『……そ、それは……総司が……もうこのお話を知っていたということですか?』


ようやく絞り出した声に、殿下は軽く頷いた。


「ああ、そうだよ。俺の口から言いたかったから、沖田に口止めはしておいたけどね」


……嘘。
総司が……婚約の話を知っていた?
なのに、どうして……私に何も言ってくれなかったの?


「沖田に聞いたらさ、セラの近衛騎士として王宮でも変わらずお前を護るって言ってたよ。あいつがいれば、セラの心細さも少しは減るだろ?」


近衛騎士として変わらず護る……?
そんなふうに、総司は答えたの?
私が他の人と婚約することを前提に、それを……受け入れたの……?

言葉が出ない。
息をするのも忘れて、ただ呆然と立ち尽くしていた。


「……あれ?あんまり嬉しそうじゃないね。沖田一人じゃ役不足?」

『いえ……、そういうわけでは……』

「セラ、何も心配することはないよ。お前の幸せは俺と沖田で護る。だから、俺と結婚しよう」


まっすぐに向けられたその瞳には、迷いも揺らぎもなかった。
その誠実さがどうしようもなく苦しくて、私は小さく頭を下げる。


『殿下、あたたかいお心遣いありがとうございます。一週間後に……お返事を致します』


かろうじて言えた言葉だった。
そしてゆっくりと馬車の扉を開き、沈みゆく夜の静けさの中で、馬車中へと乗り込んだ。
窓の外にはまだ、王太子殿下の姿がある。
でも私の心はもう暗く深い霧の中を歩き始めているみたいで、うまく微笑むこともできなかった。


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