6
馬車の窓の外に広がる王宮の庭が、ゆっくりと後ろへと流れていく。
金の縁取りをされた門を越えた瞬間、私はそっと息を吐いた。
ほっとした気持ちが胸を満たしたのも束の間、代わりに押し寄せてきたのは、強烈な喪失感とやるせなさだった。
これが夢ならどんなにいいだろう。
ぐらりと心が揺れて、目を伏せた時だった。
「……セラ、力になってやれずすまなかった」
隣に座るお父様は、どこか悔しげな声でそう言った。
その言葉と同時に、温かくて大きな手が私の手の上にそっと重ねられる。
まるでまだ幼かった頃に戻ったみたいに守ろうとしてくれているその優しさが、胸の奥に染みわたっていくようだった。
私は涙が堪えきれなくなりそうになりながら、ぎゅっと唇を結んで首を横に振った。
『お父様は今日ずっと、私を護ろうとしてくださいました……謝らないでください。私、感謝しています』
「お前は優しいな。そう言ってもらえると……少しは救われるよ」
その言葉には安堵が滲んでいたけど、父の瞳には深い迷いと痛みが宿っていた。
「だがな、セラ……正直を言えば、陛下のお申し出を断るのは容易なことではない」
『……わかっています。わかっていますけど……どうしても心がついていかないのです』
「我が家がどういう立場に置かれているか、セラも十分に理解しているはずだ。代々王家を支え忠誠を誓ってきた公爵家が、王太子の申し出を撥ねつけたとあっては、陛下も黙ってはおられまい」
『……はい』
「もちろん無理強いはしない。だが……お前が決めることは、我ら公爵家の未来を大きく左右するということだけは忘れないでいてくれ」
お父様の言葉は決して脅しではなかった。
ただ現実をまっすぐに伝えてくれているだけだとわかっていたからこそ、痛くて堪らなかった。
父がどれほど私を想ってくれているかは、今日一日を通して身に染みるほど伝わってくる。
私が進まなければいけない道も、もう明確だった。
ふと、総司のことを思い出す。
今日の晩餐で聞かされた真実……総司は既に殿下から話を聞いていて、婚約の話を知っていたという。
私が何も知らずに今日の席に臨むことを分かっていながら、総司は何も言ってくれなかった。
でも、どうして……?
口止めされていたとしても、私たちの関係なら何か言葉をかけてくれてもよかったのに。
この前、自分の気持ちには嘘をつきたくないと話してくれたばかりだったのに……その言葉を信じたのに。
どうして私は……たったの一言も聞けなかったの?
胸の奥が悲しみに覆われていく。
感情が爆発しそうだったけど、お父様の前では泣きたくなかった。
だから私は少しだけ視線を逸らしながら、小さな声で短い返事をしただけだった。
やがて馬車は公爵邸の正門をくぐり、石畳を軋ませて止まった。
玄関に降り立った私は、そっと父に一礼して自室へと向かった。
本当なら真っ先に総司に会いに行くつもりだった。
どんなナイトドレス着て、どんな風に声をかけよう……そう思って準備していたのに。
でも今は、怖い。
この胸に渦巻く感情を整理できないまま総司に会えば、何を口にしてしまうか分からない。
だから私は静かに、誰にも気づかれないように部屋の扉を開け、忍び足で中へと入った。
カーテンの隙間から差し込む月明かりに導かれるように、ドレスを脱いでバスルームへ向かう。
シャワーの音が、水に混じって流れていく涙の音をかき消してくれることを願うことしか出来なかった。
でもいくらお湯を浴びても、胸の奥に溜まった哀しみは洗い流されることなく、ただ溢れていくばかりだった。
『これからどうすればいいの……』
殿下との婚約の話、お父様からの言葉、総司との未来。
それら全てが私の中で渦巻いて、出口の見えない迷路に迷い込んでしまったようだった。
身を清めたあとも、心は重たいままだった。
私はぼんやりとしたままナイトドレスに着替え、髪を緩やかにほどいてベッドに腰を沈める。
今からでも総司の部屋に行こうか迷ったけど、どうしてもその勇気が出なかった。
総司に会ってその顔を見て優しい声を聞いたら、きっとまた心がぐちゃぐちゃになってしまう。
泣きながら問いただしてしまうかもしれない。
そんな自分を、総司に見せたくなかった。
だから今日は寝てしまおうとベッドの中に身体を滑り込ませて、コンフォーターを胸元まで引き寄せる。
嫌なことを掻き消すようにぎゅっと目を閉じたとき、隣接されたドアの向こうから聞き慣れた声がした。
「セラ?帰ってるの?」
その一声で、心臓の鼓動が早くなる。
そしていつもの大好きな声を聞いて、また一気に涙が湧き上がってきてしまった。
どうしよう、会いたくない。
私は思わず肩を震わせて、何も言えなくなってしまった。
「……入るね」
その言葉と共にがちゃりとドアの開く音がして、淡い柑橘の香りと共に優しい足音が私の方へと近づいてくる。
私は総司が来る方向に背を向けたまま、何も言わずに声を押し殺していた。
「セラ」
名前を呼ばれても返事はしなかった。
話せばきっと、抑えていた気持ちが溢れてしまう気がして。
「……黙っててごめんね。でも僕の口から言うなって殿下言われてたからさ」
直ぐ側のベッドが沈み、総司はきっとそこに腰掛けたんだろう。
いつも撫でてくれる総司の手が、今夜もそっと私の髪を労わるように撫でてくれていた。
優しくて大好きな総司の手、大好きな声。
こうして話したくないと思ってしまう夜だって、私は総司が大好きで堪らない。
そう認めてしまえば気持ちが溢れて止まらなくて、言葉にできない代わりに涙となって溢れ落ちていった。
ページ:
トップページへ