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一週間は、想像していたよりもあっという間に過ぎていった。
王太子殿下からの婚約の申し出を将来を見据えた内諾としてお受けすることになった私は、妃教育を受けるため、明日にはこの公爵邸を離れ王宮での暮らしを始めることになる。
私と、私に同行してくれる総司の門出を祝うために、お父様が公爵邸の大広間で、ささやかだけど心のこもった祝宴を開いてくださった。
「お二人がここを離れしまうのは、寂しくなりますね」
そう言った山南さんは、穏やかな笑みを浮かべながら私の方へと視線を向けてくださった。
「俺も同じ気持ちです。沖田さん、どうかお嬢様を支えてあげてください」
山崎さんは薄く微笑みながらそう言うと、総司を真っ直ぐ見つめていた。
「うん、わかってるよ。そのために僕も一緒に王宮に行くんだからね」
総司はいつも通りの調子で返しながら、私の方を一度だけ見やった。
その目には言葉にしない約束のようなものが込められている気がして、胸の奥が温かくなった。
幼い頃から山南さんと山崎さんには本当にたくさんのことを教えていただいた。
私が道を踏み外さないように、ずっと傍で見守ってくださった大切な方々。
そのお二人にきちんと感謝を伝えたくて、私は静かに一礼をした。
『長い間、本当にありがとうございました。山南さんと山崎さんがいてくださったので、私は毎日穏やかにここで生活することができました』
「……お嬢様のお言葉は、もったいないくらいです」
山南さんはゆるやかに目を細め、私の成長を喜ぶように小さく頷かれた。
「これから先は少し距離のある場所から見守ることになりますが、どうか自信を持って進まれてください」
「困ったことがあればすぐに知らせてくださいね。俺たちはいつだってお嬢様の味方です」
山南さんと山崎さんの温かい言葉を聞いて、堪えていたものが一気に胸までこみ上げてきた。
でも泣き顔は見せたくない。
せめて今日くらいは笑顔で過ごしていたかった。
そう思いながらぎゅっと拳を握りしめた時、ゆっくりと私のもとへ歩み寄ってきたのはお父様だった。
凛とした佇まいなのに、どこか寂しげな笑顔で。
それでも私の目をしっかりと見て、いつもの穏やかな声をかけてくださった。
「セラ、お前が俺の娘で本当に良かったと思っているぞ。芯があって優しい、俺の自慢の娘だ」
そう言いながら、お父様はそっと私の肩に手を添えた。
その温もりが胸にじんわりと広がっていくようだった。
『ありがとうございます、お父様。そんなふうに思ってくださって、私は……本当に幸せです』
目元が熱くなって、言葉が途中でつかえてしまった。
けれどお父様は何も言わずに、ゆっくりと頷いてくれる。
「王宮の暮らしは、きっと楽なことばかりじゃない。だけどな……お前なら、きっと大丈夫だ。俺はそう信じているよ」
『はい、向こうでも精一杯頑張ります』
「俺は誇らしいよ。お前が立派に育ってくれて、自分の力で一歩を踏み出していくなんてな」
その一言に、堪えていた涙が溢れてしまった。
するとお父様も涙目で目頭を押さえながら、再び優しく笑ってくれた。
「困ったことがあったら、何でも相談しなさい。泣きたいときは、無理に笑わなくていい。父親というのは、そういう時のためにいるんだからな」
『はい。私……お父様に育てていただいて、今日までずっと幸せでした。大事に、大切にしていただいて、本当に……本当にありがとうございました』
声を絞り出してお父様の胸にすがるように飛び込むと、大きな腕がしっかりと私を受け止めてくれた。
しばらくそのままでいた後、お父様は私の隣に控えていた総司の方へ向き直った。
「総司、お前がいてくれると思うと心強いよ。俺にとって何よりもありがたいことだ」
お父様はそう言うなり総司を思い切り抱きしめていたから、思わず私は笑ってしまった。
総司は一度驚いたように目を瞬いたけど、私を見てすぐに少し照れたように微笑んだ。
「ありがとうございます。セラを託していただけること、僕にとってこれ以上の光栄はありません。必ず傍で支えます」
「ありがとうな。セラのこと、よろしく頼んだぞ」
総司は「お任せください」と返事をすると、三人に向かって深く頭を下げた。
「あの日、僕をここに受け入れてくださってありがとうございました。ここで過ごした日々があったから、僕は今こうしてここに立っていられます」
お父様が嬉しそうに総司の肩をぽんと叩いた。
その後ろで山南さんも山崎さんも、優しく頷いてくださっている。
私達の旅立ちをみんながこんなふうに見送ってくれることが、ただただありがたくて、それと同時に切なくなった。
三人と別れると、今度は伊庭君と平助君が私達の元へとやってくる。
少し寂しそうに微笑みながらも、平助君はすぐにいつものようににかっと笑って言ってくれた。
「セラと総司がいなくなるの、正直すげー寂しいけどさ。向こうでもちゃんとやれよ?そんで、学院では今まで通り一緒にいてくれよな!」
『うん、もちろんだよ。これからも変わらず仲良くしてね』
「よっしゃ、それ聞けたら十分!何かあったら何でも話してくれよ!」
平助君の率直な言葉が、胸の奥を少しだけあたためてくれる。
その隣で少し寂しそうに微笑んでくれていた伊庭君も静かに頷いた。
「実を言えば、僕も少し戸惑っています。お二人が王宮へ行かれるということが、まだ現実として捉えきれていなくて。でもこうして見ていると、セラと沖田君なら大丈夫だと思えるんです」
『ありがとう、伊庭君。そう言ってもらえると、ほっとするよ』
「……それでも、やっぱり寂しくなるでしょうね。でも学院でまたお会いできますから、どうかこれまで通り仲良くしてください」
『うん。私もこれまで通りに伊庭君や平助君といられたら嬉しいな』
「王宮に入ったとしても、僕達は何も変わらないよ」
何も変わらない……その言葉に同意するよう頷いた。
でも本心では、本当に何も変わらずにいられるのか不安に思う気持ちもあった。
だって少なからず私と総司の生活は一変する。
アストリアでの生活しか知らない私にとって、明日からの生活は何一つわからなすぎて、うまく想像することもできなかった。
「セラが慣れない場所で気疲れしないように、そばにいるからね」
『ありがとう、総司』
「ま、総司がいれば心配ないか。無駄に真面目だし、セラが困ってたらなんだかんだで手を貸すだろ?」
「無駄に、は余計だよ、平助。でもこの子のことはちゃんと護るよ。セラが困った時には、気づけるようにしておくつもりだから」
そう言う総司の表情は、普段通りの穏やかな笑みの中にどこか真剣な色を滲ませていて、胸の奥があたたかくなった。
『ありがとう。頼りにしてるね、総司』
「それなら僕達は安心して送り出せそうですね。ほんの少し、名残惜しさは残りますが」
「でもさ、見送りは笑ってしないとな!」
『ありがとう、二人とも。こんな風に見送ってもらえて、本当に嬉しい』
私の言葉に三人の表情がふとやわらぎ、また少しだけ寂しさが滲んだ。
それでもこの場所に大切な人たちがいてくれるから、私は頑張らなければならない。
未来の王太子妃になるための準備を明日から始めていくんだ。
「じゃあさ!みんなで向こうで飲もうぜ!」
「ちょ、痛いですよ。平助君、引っ張らないでください」
「ほら、セラも行こう」
『うん』
私の手を引く総司に微笑み返して、私は明るく頷いた。
でも心はどこか置き去りのまま、その夜はただひたすら笑っていた。
こんな日々はずっと続くと思っていたけど、明日から私はこの公爵邸の一員ではなくなる。
あの息苦しく感じていた王宮がいつか……私にとって居心地の良い場所になるのかはわならないけど。
私と総司が選んだ道がどうか幸せに続いていますようにと願うことしかできなかった。
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