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その日の夜、僕達は当たり前のように二人寄り添って夜を過ごしていた。
沢山の言葉を交わし互いの想いを確かめるように唇を重ね、幾度となく自分の想いを素直に伝えた。
でも明日から、この日常は一変して変わってしまう。
こうして隣で眠ることも、触れることも出来なくなるかもしれない。
その事実が僕の心中に暗い影を落とした。


「ん……」


いつのまにか眠ってしまっていたらしい。
目を覚ますと、部屋の時計の針は夜中の二時を指していた。
ふと隣を見れば、僕の腕の中にいたはずのセラがいない。
僕は辺りを見回して、勢いよく上体を起こした。


「セラ?」


自室を探し、隣のセラの部屋に顔を出してもあの子はいない。
焦る気持ちで部屋を飛び出した僕は、セラの行きそうな場所を頭に巡らせ、星が見えるバルコニーへと向かった。
静かにドアを開ければ、セラがぼんやり星空を見上げて佇んでいた。
涙に濡れた横顔は、前の世界で僕が王宮に行く前日の夜のことを思い出させるから、あの時の想いと重なって心はより痛くなった。


「セラ……」


以前の時のように後ろからそっと小さな身体を抱きしめると、セラの肩は揺れ、少し驚いたように僕を見上げる。


『総司……、びっくりした……』

「それはこっちの台詞なんだけど。隣にいないからびっくりしたよ」

『ごめんね、なんだか眠れなくて……向こうに行く前に、もう一度ここから星空を見たくなったんだ』


この場所で僕達は沢山話をして心を通わせてきた。
一度目の世界の時からここで交わした言葉は僕にとって忘れられない大切なものばかりだ。


「懐かしいな」

『うん?』

「ここで君と最初に話した時のこととか思い出したんだよ。あの頃、専属騎士のことは別にいいやって僕が言っちゃったから、君に少し冷たくされててさ。ここで話した時にようやく誤解を解けたんだよね」

『ふふ、そんなこともあったね』

「本当は専属騎士の話を聞いた時からなりたくて堪らなかったんだ。でも、あの頃は素直にそう言えなかったんだよね」


今よりずっと子供で、拒絶されることを恐れて本心を隠していたあの頃。
自分に自信が持てないことが嫌で、とにかく一日も早く強くなりたかった。
今は剣の腕には自信がついて、専属騎士就任の夢も叶って、あの頃の僕が求めていたものは全て手に入ったのに。
結局僕は本当の意味での自信は持てていない。
セラの未来を欲すること自体が身の程を弁えていないことだとしたら、僕はこの先もずっと劣等感を抱えたままなんだろうか。


『それは私も同じかな。今みたいに総司に何でも話せていたわけじゃなかった気がする。でも総司のことが知りたくて、理由を作ってよく会いに行って……毎日手探りだったけど、それが凄く楽しかったな』


やきもきすることもあったし、やたら不安になったり、もどかしかったり。
色々な感情を持て余していたけど、今思えば確かに楽しかった。
セラの笑顔を見るだけで嬉しくて、僕もセラに会うためだけによく庭園に足を運んでいたよね。


「そうだね。あの頃から君のことが好きだったけど、今はもっと君が好きになったよ。きっと君と過ごす時間が増えれば増えるほど、僕は君を好きになると思う」


だから僕は回帰を繰り返した分、君のことが大好きだ。
好き過ぎて、僕はもう君のことを手放してあげられない。
だからこそこの前……王宮への動向を許してもらえないかもしれないと知った時、本当にどうにかなりそうだった。
一度離れた日々を経験しているからこそ、二度とそんな日々を過ごしたくなかった。

でも僕はやっぱりこの子の命を奪うことだけはできそうにない。
あんなに切羽詰まった状況でも、この身体に刃を突き刺すことはできなかった。
明日からの日々が互いにとって辛いものだとしても、結局僕はこの世界でも迫ってくる運命に従うことしかできないでいる。
こうして世界を何度も渡り歩いているのに、好きな子一人を幸せにすることすら叶わないでいた。


『嬉しいな。でも……過ごす時間が増えたことで少しは嫌になった部分とかある?』

「えー?嫌になったところ?」

『うん。あったらちゃんと教えて?』


あまりにも真剣にそんなことを聞いてくるから、僕は思わず笑ってしまう。
でもセラはほんの少しだけ唇を結んで、目だけは真っ直ぐに僕を見上げてくる。
その表情があまりにも真面目だから、少しだけ意地悪を言ってみたくなった。


「あるよ。毎朝君が僕より早く目を覚ましてるところとか、ちょっと悔しいなって思う」

『ふふ、それは嫌っていうことになるの?』

「ううん、そうじゃないよ。寝顔見られてるのが悔しいだけ。可愛いとか言われても恥ずかしいしね」

『でも可愛いよ、総司の寝顔』

「ほら、また言う」


わざと肩をすくめて見せると、セラがくすっと笑った。
その笑い声が風に溶けて、夜気に揺れる葉の音と混じり合う。
明日から始まる王宮での生活を前にして、こうして静かに話せる時間は、もう残りわずかだった。


『他には?』

「他って言われても……なんだろう。強いて言えば、優しすぎるところかな」

『私そんなに優しいつもりはないけど。総司の方が優しいよ』

「君の方がずっと優しいよ。この前だって、僕の幸せを優先して僕をここに残らせようとするしね」

『それは……だって……好きだから。好きな人には幸せになって欲しいって思うでしょ?』

「そういうところが優し過ぎるんだよ。僕はそんなこと求めてないのにね」


セラの瞳は揺らいで、少し気まずそうに視線を逸らす。
僕が王宮に行くことに、彼女の中には少なからずまだ迷いはあるんだろう。
その表情は頼りなさげで、儚いものだった。


「僕はセラのことが大好きだよ。何よりも大切だし護りたい。君の幸せを誰よりも願ってるのも本心だ。でも……君が幸せならそれでいいなんて、僕は言えないかもしれない。君の幸せの中に僕がいないと嫌なんだ」


身勝手なことを口にしている自覚はあった。
でもこの期に及んで、君が幸せならそれでいいなんて綺麗事を言うつもりはない。
僕は君が好きだからこそ、君の未来も全て欲しくてたまらない。


「だから僕は君の隣で生きていたい。それだけは変えられそうにないかな」


僕を見上げた瞳に夜空の光が映り込み、とても綺麗だった。
大きく揺れて僕をじっと見つめると、不意に柔らかく細められた。


『私の幸せの中にはいつも総司がいるよ。これまでも、これからも』


その言葉が胸の奥にじんわりと沁みて、伸ばした手でそっとセラの手を取る。
星の光も風の音も全てが優しくて、少しだけ切なかった。


「僕は王宮に行っても君を諦めるつもりはないし、君が王太子と仲良くしてるところを見たら不機嫌になるかもしれない。僕が近くにいることで君の重荷になるかもしれないけど、そこは大目に見てくれる?」


綺麗事で終われない想いを、こうして正直に口にしてしまえば居た堪れない感情にもなる。
少し不安に思いながらも返事を待っていた時。


『ふふっ』


セラは目を細めて、少し照れたように微笑んだ。
まるで僕の不器用な気持ちが、全部わかってしまったかのような、あたたかくて優しい笑みだった。


「……なんで笑うのさ」

『だってそんなふうに言ってくれるの、嬉しいなって思ったから』

「嬉しいって……今の、わりと重たかったと思うけど」

『ううん。重たくなんてなかったよ。総司が私を想ってくれてるのが、ちゃんと伝わったから』


その声には曇りがなかった。
さっきまでの迷いの色を湛えた瞳も、今はただまっすぐに僕を映している。


『私ね、総司が一緒に王宮に行くって言ってくれた時、本当は凄く嬉しかったの。これからもずっと傍にいて欲しいって、そう思っちゃったの。でも他の人と婚約する立場でそんなこと言うのはあまりにも勝手でしょう……?総司が辛い想いをすることをわかってるのに、総司を縛ること……したくなくて』


セラはぽつりぽつりと、小さな声で話をしてくれる。
瞳には次第に涙が浮かび、それに耐えるように僅かに眉を顰めていた。


『総司に幸せになって欲しいって思う気持ちと、傍にいたいって思う気持ちで頭の中がぐちゃぐちゃになっちゃって……。今も正直不安はあるの、いずれ総司がこの選択を後悔する日が来るんじゃないかって……』


あの日、僕は半ば無理矢理この子に同行の許可を迫ってしまった。
だからずっとセラの本心が知りたかった。
でもセラの想いを知った今、自然と手が伸びていた。
彼女の頬に流れた涙を指先でそっと拭うと、そのまま静かに顔を覗き込む。


「後悔なんかするわけないよ。僕は誰かに命令されたから王宮に行くわけじゃない。君を手放したくないから、自分の意思で選んだ道なんだよ」


そう言った後、ほんの少しだけ笑ってみせた。


「ずっと一緒にいたいって君がそう思ってくれたなら、僕はそれでいいよ。たとえ未来がどう転んでも、後悔するような気持ちにはならないよ。君がくれた今のこの気持ちを僕は大事にする。君と一緒にいることを選んだ自分を、僕は信じるつもりだから」

『……総司』


彼女の瞳が揺れながら僕を見つめてくる。
涙を溜めたまま、その目はまっすぐに僕の言葉を受け止めてくれていた。


「僕さ、昔から欲張りなんだと思う。君の気持ちだけじゃ足りなくて、君の未来も、時間も、隣にいる権利も、全部欲しくなる。君が僕のために何かを諦めるのは見たくないし、君には君の人生があって君なりの考えがあるから、僕はそれを否定するつもりはないけど……でも、そこに僕を含めてほしい。どんな形であっても、君の未来に僕がいてほしいんだ」


その言葉は、まるで祈りのようだった。
沈黙が訪れて、ふたりの間に夜の静けさが流れる。
木々が風に揺れる音、遠くで鳴く鳥の声、そして君の小さな呼吸音。


『それは私も同じだよ。総司の未来に私がいて欲しい。ずっと傍にいて欲しいし、本当は離れたくない。どれだけ辛くても、総司が近くにいるなら頑張れるって思えたから』


控えめな声と共に、彼女の手がそっと僕の指を握り返してくる。


『でも、もし私のせいで総司が傷ついたらって考えると……怖くて堪らなくなるの。だから辛くなったらちゃんと私に教えて欲しい。絶対に無理はしないって約束してくれる?』

「うん、約束するよ」


僕は頷いて、そっと彼女の手を包み込んだ。


「君に心配かけるようなことはできるだけしたくないけど、苦しくなったらちゃんと話すよ。君にだけは、本当の気持ちを隠したくないから」

『……ありがとう。そう言ってもらえて良かった。総司に無理をさせることの方が、私はずっと辛いから』

「僕もだよ。だから無理はしないでほしい。たとえどんな言葉でもどんな弱さでも、君が見せてくれるなら僕はちゃんと受け止めたいって思ってるよ」


繋いだ手に力を込めながら、僕はそっと言葉を続けた。


「僕はね、折角傍にいるのに、君を追い込む存在にはなりたくない。頼ってもらえないほどの重荷にはなりたくはないんだ。だから……君が無理をしなくていい形で、一緒にいられたらいいと思ってる。困った時はお互い支え合っていけばいいよ」


セラはゆっくりと顔を上げて、僕を見つめた。
夜の光がその瞳に反射して、星よりもずっと綺麗だった。


『……支え合うって、なんだか不思議。今まで私が護らてばかりだと思ってたのに』

「僕の方こそ、ずっと君に護られてきたんだよ。君の笑顔や言葉、想いにどれだけ救われてきたかわからないしね」


どの世界に渡ってもセラは僕に微笑み優しい言葉と愛情を僕に与えてくれた。
その全てが今の僕の想いを形作ってくれたのだから、僕はその分君に愛情を返したい。


「明日から、きっとたくさんのことが変わるよね。僕たちの距離も、置かれた立場も、今までみたいに自由じゃないかもしれない」

『……うん』

「それでも君と一緒にいられるなら、どんな形でもちゃんとその日々を大切にしていきたいって思ってるよ。だからこの先どんなことがあっても、僕は君の傍にいる。何が起きてもそれだけは変わらないよ」

『ありがとう、総司。私も約束するね。何があっても私の心にはいつも総司がいるよ。どんな未来が待っていても、総司がいれば大丈夫って思えるから』


その言葉を聞いた瞬間、肩の力が抜けたような気がした。
まだ不安は残っている。
だけど君と話せてよかった。
こうしてまっすぐな気持ちを交わせたことが、何よりも大切だった。

きっとこの時間が長くは続かないことを、僕達は知っている。
明日になれば、またそれぞれの役割を背負って歩いていかなくてはいけない。
けれどそれでも、こうして気持ちを交わせたこの夜のことをきっと忘れたりはしない。

僕たちの真上では、星が滲むように光っていた。
その下で、何度も繰り返してきたこの時間が、ようやく本物に変わっていくような気がした。
たとえ明日からの世界がどんなものでも、僕は君の隣にいる。
運命を変えられなくても、君の笑顔だけは護ってみせる。

ほんのひととき、何も奪われない夜が続くようにと願いながら、僕はもう一度、君の指をそっと握りしめた。

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