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次の日の朝、私と総司は王宮に行くため慣れ親しんだ公爵邸を出た。
お見送りに来てくれた方々に涙は少し見せてしまったけど、こうなった今も実感が湧かない。
夜になればまた、いつものあたたかな場所へ戻ってこれる気がしてしまう。


「セラ」


名前を呼ばれたと同時に、隣に座る総司が私の左手にそっとあたたかい手を重ねてくれる。
私を労わるような視線は、私の心情をすべて理解した上で支えてくれようとする熱が含まれていた。


「大丈夫だよ、僕がいるからね」

『ありがとう、総司……』


潤んでしまった目元をごまかすように微笑み、総司の指に自分の指を絡める。
不安で堪らない今の心を支えてくれるのは、総司の温もりだけだった。


「あれ?泣きたいの?今のうちに泣いておく?」


不意に総司に顔を覗き込まれて、私は驚きから思わず唇を結ぶ。
見透かされていることに恥ずかしさを感じるけど、総司はいつもと何も変わらない様子でくすくすと笑っていた。


『もう泣かないよ』

「あっそう?今にも泣き出しそうな顔してたけど」

『それは……少しだけね?でも、もう平気』

「えーそれは残念かな。可愛い泣き顔が見られると思ったんだけど」


私が片頬を膨らませて睨むと、総司は眉を下げながらも笑ってる。
いつも通り明るく振る舞う総司の言葉には、泣きたい時は泣いていいよという意味が込められているとわかったから、その優しさが嬉しかった。


『私、総司がいてくれてよかった。一人だったら、もっとずっと不安だったと思う』


もしあの夜、一人で王宮に上がる決意を覆していなければ、今頃私はこの馬車の中に一人だった。
大好きな総司とも離れ、慣れ親しんだ場所からも離れて、ただ孤独と戦うしかなかったと思う。
けれど今、私の隣には優しく微笑む総司がいてくれる。
それがどれだけ特別で心強いことか身に沁みてしまう。


「やっぱり僕を連れてきて良かったでしょ?」


少し得意気にそう言った総司の様子が可愛いくて笑ってしまった。


『うん、そうだね。総司には申し訳ないけど、総司がいるから頑張りたいって思えるよ』

「僕が好きでしてることだから、君が申し訳なく思う必要はないよ。僕だって君がいれば、どんな場所ででも頑張ろうって思えるしね」


総司の言葉が嬉しくて微笑むと、そっと唇が降ってくる。
こうして触れ合える時間はもうなくなると思えば視界はまた涙で歪んでしまうけど、今のこの時間を大切にしたいと総司の胸元の服を掴んでいた。


それから馬車に数時間程揺られた先。
王宮の白い尖塔がゆるやかな丘の向こうに姿を現し、胸の奥で何かが波打つのを感じた。
何度か見た景色なのに、馬車の窓から改めて見上げるそれは思っていたよりずっと大きく感じた。

馬車が王宮の正門前で止まると、扉が静かに開けられる。
すぐに凛とした背筋を伸ばした騎士たちの列が視界に入り、その奥に王太子殿下の姿があった。


「ようこそ、セラ。お前をここへ迎える日を、ずっと心待ちにしていたよ」


王太子殿下が穏やかな笑みを浮かべて私の前に立っていた。
光を柔らかく反射する黒髪とどこまでも深く澄んだ瞳。
私はこの人と一緒にいずれこの国を支える立場になるというのに、とても現実だと思えなかった。


『お迎えくださりありがとうございます、殿下。今日より、よろしくお願いいたします』


声が自然と震えた。
緊張とこれから始まる新しい生活への不安とが、胸の奥で静かに重なっていたのかもしれない。


「ああ、よろしくね。今日は案内を任せている者が、この後の流れを説明してくれる予定だ。でもその前にセラには、まず両親に挨拶をしてもらうよ。準備はいい?」

『……は、はい。大丈夫です』


思わず同じ言葉を繰り返してしまった私に、殿下は微笑んだ。


「不安にならなくて平気だ。ひとつずつセラの歩幅で進んでくれればいい。セラがここにいること自体が、すでに十分な意味を持っているからね」


その言葉に、少しだけ肩の力を抜くことができた。
王宮の空気は張り詰めていて、歩くだけでも息が詰まってしまいそうだったけど、殿下のその声が私の不安を少しずつ溶かしてくれるようだった。

そして、私の少し後ろには総司がいてくれる。
殿下の横に視線を移すと、彼は静かに立っていた。
柔らかい光の中でその表情は落ち着いて見えたけど、総司も少し緊張していることがわかる。
私のためにここにいてくれる総司の気持ちに応えるためにも、私は怖気付いていたらだめだと思った。


「沖田。お前にはこれから王宮付きの騎士として、新しい任務と居住先が与えられる。今日はその手続きと、必要な儀礼の確認があるよ」

「承知しております、殿下」


王太子殿下は、私と総司の顔を交互に見つめたあと、少しだけ口調を和らげるように言葉を継がれた。


「沖田はこれまで、公爵家の護衛として忠実に職務を果たしてきた。その実力と誠実さは俺も評価してるつもりだよ。でも王宮内の規律や儀礼は、他と一線を画すものだ」

『それは……違いがある、ということなのでしょうか?』

「ああ。ここは国の心臓だ。全てが礼に始まり、礼に終わる。たとえ過去にどれほどの功績があろうとも、王宮に仕える騎士としてそれ相応の段階を踏まなければならないんだ」


殿下の言葉には柔らかな響きがあったけど、そこには厳格な伝統の重みがあった。


「まずは王宮内の居住区に入ってもらって、内部の規律や儀礼、各部署の構成や権限関係について学んでもらう必要がある。護衛の任務に就くには、王宮警備隊との連携や、王族周辺の動線にも熟知していなければならないからね」

「はい」

「だから騎士として公に任務に就くのは、正式な認可を受けてならになる。沖田のように公爵家の直属護衛から王宮に入る場合、通常は一ヶ月から二ヶ月の研修期間が必要になるよ。個人差もあるけど、任務に関わる以上、例外は認められない決まりだ」

『一ヶ月……』


ふと小さくこぼしてしまった声が自分でも頼りなく感じて、気持ちを引き締める。
今は寂しさを感じている場合ではない。
総司が私のためにこの場所で頑張ろうとしてくれているのだから、私も自分のやるべきことを努力しようと再び殿下を見つめた。


「その間、セラの護衛には信頼のおける王宮騎士を任命する。王族の周辺警護や王族の護衛を専門とする者達だから決して未熟な者ではないし、安心するといいよ」

『はい。ありがとうございます、殿下』

「沖田には、学びと実務の両方を通して、王宮の全体像を把握してもらう。そのうえでお前が再びセラの傍に立つときには、より強くより信頼される存在となっているはずだ」

「ありがとうございます。そのお言葉に恥じぬよう、学び備え、努めてまいりますよ」


そう返した総司は目を逸らすことなくまっすぐ殿下の言葉を受け止めていた。
総司の真面目さが、私にはとても誇らしくて。
努力している総司と肩を並べるために、懸命に努力してきた今までの自分の日々を思い出した。


『総司、頑張ってね。私も王宮での生活に早く慣れるように努力する。総司が護衛についてくれる日を楽しみに待ってるね』

「うん。僕も、一日も早く君の元に戻って来られるように頑張るよ。僕は君の護衛としてここに来たんだから、ちゃんとその役目を果たすよ。期待してて」

『ありがとう』


せめて総司に心配をかけないよう、精一杯の笑顔で頷いた。
あたたかくて、少しだけ寂しい始まりだった。

でも私達の距離は、心の中では変わらないまま。
王宮の高い石壁が私達を分けても、この広い場所のどこかて総司が私を想ってくれていると思えるだけで、歩いていける気がした。


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