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総司が近衛騎士に就任してからも、妃教育に専念する日々が続いていた。
私たちが言葉を交わせるのは、少しの移動時間と、馬車に揺られている間だけ。
それは本当に些細な時間だったけど、私にとって何よりも大切なものだった。


『……ん……』


王宮に戻る馬車の中、総司の唇の熱を感じながら、彼の胸元と服をそっと握る。
すると腰に回された腕に引き寄せられて、もっと深く重なった。
柔らかな舌が私のを包み込み、優しく探るように動く度、息が上がり頭の中は総司一色になる。


「可愛い……」


一度唇が離れ、呟くようにそう言った後、総司は再び口づけた。
唇を重ねるだけでは足りないとでも言うように、彼の舌が再び私の奥へとゆっくり侵入してくる。
甘く優しいのにどこか焦がれるような激しさが混じっていて、その熱に全てを溶かされるような感覚になった。


『……ん……ぁ……』


思わず洩れてしまう声を、総司の口元が塞いでくれる。
重ねる唇の隙間から微かに息が混じって、私の身体はますます熱を帯びていった。
総司の手が私の頬から首筋、肩や背中をゆっくり撫でる。
服の上から感じるその指先の動きは、まるで私の存在を一つひとつ確かめるようだった。


『……もう息、吸えない……』


唇が離れた瞬間、少しだけ潤んだ声でそう言うと、総司はくすりと笑って私の髪にそっと指を通す。


「ごめん、つい長くなっちゃった」

『もう……』


顔を伏せると、額にかかる前髪を総司が静かにかき上げてくれる。
その仕草がまるで触れられていない場所まで火照らせるようだった。


「ねえ、セラ」

『うん?』

「……いや、やっぱりなんでもないよ」

『え?なに?気になるよ』

「なんでもないってば」


総司が何を言いかけたのか知りたいのに、教えてと言っても総司は何も話してくれない。
思わず少し膨れると、総司は苦笑いをして私を見ていた。


「そんな顔しないで。もう少しで離れないといけないんだから、セラの笑った顔を見せてよ」

『そういう言い方もずるいよね?』

「仕方ないじゃない。君の笑った顔を見ないと一日が終われないんだから」


それは私も同じだよ。
大好きな総司の笑顔が見たいし、名前を呼びたい。
好きだってちゃんと伝えて、抱きしめたい。

だから私は総司の胸に頬を寄せて、その身体をきつく抱きしめた。
彼の腕の中にいる時だけは、自分の弱さも寂しさもほどけていくような気がした。


『総司、大好き。世界で一番、総司だけが大好き』


少し息を詰めて言ったその言葉に、総司は一瞬黙ったあと、ふっと笑って肩越しに言った。


「ははっ、本当に僕だけ?」

『うん。総司だけだよ』


そう言いながら、私は彼の胸元に顔を埋める。
鼓動がすぐそばにあって、心地良い体温がこんなにも近くにあるのに、どうしてこんなにも不安になるんだろう。

こうして抱きしめて言葉を伝えていても、ふと考えてしまう。
私のこの気持ちは、あとどれくらい真っ直ぐに総司に届いてくれるんだろうって。

一年後、二年後……もし本当に、薫様との婚姻が避けられなかったら。
もし、子供ができたら。
私はその時も同じように、こうして大好きって言えるんだろうか。
総司の胸に顔を寄せて、その名を呼ぶことができるんだろうか。

……きっと、できない。
そう思った。

だってそれはあまりにも酷い。
総司に対しても、薫様に対しても……あまりにも残酷で身勝手なことだから。

そのことが分かっているからこそ、未来のことを考えるのが怖くてたまらない。
考えれば考えるほど胸が締めつけられて、逃げ出したい衝動に襲われる。
怖くて苦しくて、目を背けたくなる。

でもそれでも私は総司と生きる道を選んだ。
理性では到底選べないと知りながら、それでも心が総司を求めてしまった。

今が良ければそれでいいなんて考えているわけではなのに。
気がつけば私は、まさにその今にしがみついている。
先のことに背を向けたまま、ただ総司の温もりを頼りにしている。
それがどれほど脆く愚かなことか分かっていても、離れることができなかった。


『ごめんね』


ぽつりと、そんな言葉が口をついて出た。
すると総司が私の背に回していた腕をゆっくり緩めて、私の顔をのぞき込んだ。


「どうして謝るの?」

『私の今の立場で好きって言うのは、身勝手だってわかってるから』

「セラは身勝手なんかじゃないよ。もし仮に本当に身勝手だって言うなら、それはお互い様だしね」

『それは違うよ……』


目を合わせられなくて少しだけ視線を逸らすと、総司はそっと私の頬に指先を添えてきた。


「違わないよ。僕は君がこれからどんな立場になるかを知っていても、離れるつもりはない。明日になっても、またその次の日になっても……僕は変わらず君に好きだって伝え続けるよ。触れたいと思ったらこうして触れるし、それをやめることなんてきっとできない。セラを想えば想うほど、君を縛ってまうのかもしれないけど、それでも僕はどうしても君を手放せなかったんだ」


総司の声は穏やかなのに、どこか痛みを孕んでいた。
そして必死に私についていくと言ってくれた、あの夜の総司を思い出した。
総司は私といることが幸せだと、その形に拘らずに私を選んでくれたけど。
できることなら私は、総司に幸せをあげられる女の子でいたかった。
胸を張って総司が大好きだと伝えられる、まっすぐな想いを抱きしめていられる、そんな女の子でいたかったのに。


『……わたし……』


総司の前ではせめて笑顔でいたい。
だから思わず泣きそうになるのを懸命に堪えていると、総司は何も言わずに私を抱き寄せてくれる。
その腕の中で、迷いも痛みも言葉にできなかった想いも何もかもが溶けてなくなってしまえばいいのにと思った。


「大丈夫だよ。何があっても君を一人にはしないし、僕がずっとそばにいるから」


どこまでも優しくて、どこまでも苦しい言葉だった。
今にも崩れてしまいそうな自分の心が、総司のその言葉でようやく繋ぎとめられている気がした。
そばにいてくれる、それだけで本当は救われているのに。
言葉にしなくても総司はそれを全部、分かってくれている気がした。


「怖い未来のことなんて、今は考えなくていいよ。だって僕たちには今がある。君が僕を見てくれているこの瞬間がある。それがどんなに尊くて幸せなことか、君が教えてくれたんだよ。だから未来のことばかり心配して、今を蔑ろにはしたくないんだ」


そう言って、総司は私の髪を優しく撫でてくれる。
私を元気付けようとしてくれるその言葉や指先に感じるその熱が、胸の奥にある不安をそっと温めてくれた。


『私もそう思いたい。今を大切にしたい。総司と一緒にいる、この時間を』


その言葉は、覚悟だった。
怖くても苦しくても逃げずに、ちゃんと今の気持ちを抱きしめようって。
だから総司に少しでも幸せをあげられるように、私は微笑む。
総司が今日のことを思い出した時、頭に浮かべる私の顔が泣き顔なんて嫌だから。


『先のことはわからないけど、総司と笑い合えた時間は消えたりしないから……それだけで前を向いていこうって思えるよ。だから、ありがとう。励ましてくれて』


私がそう言うと、総司はほんの少しだけ目を細めて、優しく微笑んだ。


「セラが少しでも元気になれたなら、それだけで僕は嬉しいよ」


そう言って、私の髪に指先をそっと滑らせるように撫でてくれる。
その仕草に込められた優しさが、胸の奥深くまで静かに沁みていくのがわかった。

総司の瞳には、どんな私のことも受け止めてくれるようなあたたかさがあった。
揺れて、迷って、まだきちんと前を向けない私の弱ささえ優しく包んでくれるような深い眼差し。

こんなに誠実に私の心を大切にしてくれる人は、きっと他にいない。
総司の隣にいられることが、どれほど幸せなことか。
胸が熱くなるたびに、その思いを痛いほど感じてしまう。


『私、ちゃんと変わっていきたい。もっと強くなりたいよ』

「セラは、もう十分強いよ。自分では気づいてないだけでね」

『……そうかな』


自信なんてきっとまだ持てない。
でも総司の言葉に、少しだけ現状に向き合う勇気を持てたように感じた。


『でもね、もし私が変わっていけるとしたらそれは総司のおかげだよ。私は総司と一緒に、ちゃんと歩いていきたいの』


自分で思っていた以上に、私は今の時間を大切に思っている。
この時間があるから、私は毎日前を向いて努力し続けることができるんだよ。
だから、たとえ形が定まらなくても、不安が消えなくても、今ここにある優しさと繋がりをどうしても手放したくなかった。

総司は何も言わずに私の手をそっと握る。
その温もりに私は静かに目を閉じた。
この手をこれからも離さずにいられるように。
たとえ未来がどんなかたちで訪れたとしても、この想いが消えないように。
私はきっと何度でも、こうして総司の手を握り返したいと思うから。


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