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その日の夕方、総司と馬車に揺られていた私は、薫様とのことを正直に話すべきなのか悩んでいた。
言うことが誠意なのか、敢えて言うべきではないのか、私にはどちらが正解かわからない。
自分を総司の立場に置き換えて考えてみても、その答えは出なかった。


「疲れた?」


私の顔を覗き込んだ総司は、そう言って気遣うように優しく微笑んでくれる。
余計な話をして総司を悲しませたくないと思ってしまえば、彼に話すという選択肢は胸の奥にしまわれていった。


『疲れてないよ。今日の授業内容はとっても面白くて、王宮の礼法の他に、歴史のことも教えていただいたの』

「へえ、どんなこと習ったの?」

『たとえばね、さっきまでいた迎賓の間にも昔は諸国の使節が並んでいたことがあるんだって。そういうのを知ると私もちゃんとしなきゃって思えて、ちょっと背筋が伸びる気がするんだ』


そう話しながら、私はそっと総司の肩に寄り添った。


「セラは偉いね、いつも前向きで」

『ううん、そんなことはないけど……でも私、ちゃんとここでも頑張りたいんだ。総司がそばにいてくれるから、そう思えるんだよ』


本当は怖くてたまらない。
未来のことも、今の立場も。
でも、できることなら総司の前ではそんな弱さは見せたくなかった。
だって総司を不安にさせたくないから。
私の傍にいることを、総司に後悔して欲しくないから。

総司の懐に身体を預けるようにして、ゆっくりと両腕を回す。
総司の広い胸の中はあたたかくて、何より私の居場所だと感じられた。


「……そっか。じゃあ、今日はずっと甘えてていいよ」


耳元でささやかれたその声に、涙が出そうになった。
私が何も言わなくても、総司はいつだってこうして私に寄り添ってくれる。
もし私が弱さを見せたとしても、きっと総司は責めることなく受け入れてくれる。
でもそれがわかるからこそ、益々言えなくなってしまう。


「最近はどう?あの王女に意地悪されたりしてない?」

『うん、千鶴様は先日まで体調を崩されてたから全くお会いできてないの。でも今日はこの後、薫様と千鶴様と一緒に夕食を摂る予定なんだ』

「……それ、平気なの?」

『うん?』

「心配だな。セラ一人だと、あの二人に虐められるんじゃないの?」

『ふふ、それはないと思うよ。ちゃんと仲良くするから大丈夫』


総司は私からそっと身体を離すと、今度は私の頬に優しく触れた。


「何かあればすぐに僕に言うんだよ」

『うん、ありがとう』

「王太子とは、最近どうなの?」


別に薫様と何かあったわけではない。
でも今朝の失態が頭を過れば、心臓はどくんと嫌な音を立てた。


『特に何もないよ?』

「本当に?」

『うん。前までと同じで、友人としてたまに話すくらいだから』


総司に嘘をついてしまった……。
ううん、私は変わらず薫様を友人だと思ってる。
今朝のことは事故みたいなものだし、今後は絶対気をつける。
それに薫様の気持ちを知ったところで、私の想いは何一つ変わらないまま総司にある。
だから余計な心配を与えることはしないほうがいいと、自分に言い聞かせていた。


「……そっか。ごめんね、色々聞いて」

『ううん、総司に気にかけてもらえることは嬉しいよ』

「無理だけはしないで。何かあった時に君が一人で抱えたままだと、僕は気づいてあげられないかもしれないから」


総司の言葉や眼差しは変わらず私を優しく包み込んでくれるから、胸の奥がちくりと痛んだ。
こんなにも大切に思ってくれる人に、私は隠し事をしてしまった。
その罪悪感は総司の笑顔を見るたび、増幅していくようだった。
それでも私は、今のこの関係を護りたい。
あの夜の総司の涙を思い出せば、これ以上総司が悲しむ姿は見たくなかった。


『うん。総司のこと、頼りにしてるね』


顔を上げて見つめると、総司は静かに瞬きをして、それからほんの少しだけ笑ってくれた。


「うん、僕はいつだって君の味方だから」

『……ありがとう、総司』


言葉を交わすたびに、私はやっぱりこの人を好きでよかったと思う。
総司の優しさはいつだって押しつけがましくなくて、私が傷つかないようにそっと包んでくれる。
それがどれほど大きなものか、言葉にはできないくらい。


「……もうすぐ着くね」


カーテンを少し開けてそう呟く総司の横顔は、少し寂しさを含んでいるように見える。
それに気付けば胸が痛み、また未来への不安が募った。


『総司も……何かあれば話してね?』

「僕は何もないよ。今は君の護衛と多少の任務が入ってるくらいだし」

『うん。でも……ほら、気持ちの面とか』

「気持ちの面って?」

『ここでの暮らしが総司にとって辛かったりしたら、無理しないで教えてほしいってこと。その時は総司がアストリアに戻れるように薫様に掛け合ってみるから』


そう言った直後、総司の表情がふと揺れた気がした。
笑っていたはずの目元に、ほんのわずかな陰が落ちる。


「……それ、本気で言ってるの?」

『うん。私は、総司が笑っていられる場所にいてほしいって、そう思うから』


たとえそれが私の傍ではなかったとしても。
喉の奥まで出かけたその言葉は、どうしても口にできなかった。

馬車の揺れが静かに響く中、総司は私からそっと視線を逸らすと、少しの間黙っていた。
けれどやがて、ゆっくりと口を開く。


「僕にはもう、アストリアに帰る選択肢なんてないよ」


その声は静かだったけど、どこかきっぱりとした強さが込められていた。


「だって、君がここにいるから。セラが王宮で過ごすことが決まったその時から、僕にとって帰る場所は君の隣だけになったんだよ」

『……総司』

「それなのに、そんなふうに言われたら……なんて言えばいいのかな。君が僕のこと、ここにいてほしくないって思ってるみたいに聞こえて少しだけ複雑だよ」


そんなつもりはなかった。
誰よりも総司と一緒にいたいと思ってるし、ただそれを押しつけたくなかった。
でも総司は私の言葉を別の意味で捉えてしまったのかもしれない。
そう思えば、心の中に僅かな焦りが浮かんだ。


『……違うの、総司。私、そんなふうに思ってないよ』


掴まれていた指を、そっと包むように握り返す。


『私は……総司が隣にいてくれて本当に幸せだよ。どんな形でも、総司と一緒にいられることが私にとって一番大切なことだと思ってるよ。でも、もし総司が辛いって思った時に、総司にただ我慢させるのは嫌だったの。私の大好きな総司が、総司らしくいられないのは一番悲しいから……だからその時はちゃんと私に教えて欲しいって……そう思っただけ』


目の奥がじんわりと熱くなる。
それを堪えるように奥歯を噛みしめていると、総司の指先が私の手の甲を優しくなぞった。


「大丈夫だよ。セラの傍にいることが、僕が一番に望んでることだって何度も話してるでしょ?」


総司が本当にそう思ってくれていることはわかってる。
でもその想いを優先させることが必ずしも正しいわけではないということも、私は知っている。
実際ここに来て、ここでの暮らしを始めてそう実感した。
そう感じてしまうくらい私達が一緒にいられる時間なんて、限られたものだったから。


「王宮に来てから確かに戸惑うことは多いけど、でもそれは君も同じだよね。僕だけが大変なわけじゃない。君は僕よりもっと重たいものを背負ってるし、きっと僕よりもずっと大変だと思うんだ」

『そんなこと……』

「だからね、セラ。僕は君のために、ここでやれることをやりたい。少しでも君の力になりたい。それは僕が選んだことなんだ。誰かに言われたからでも命じられたからでもなくて、君の隣にいたいって僕自身が選んだことなんだよ」


その言葉が胸の奥に染み込んでいく。
総司の瞳はまっすぐで、ひとつも曇っていなかった。


『……ありがとう、総司』


言葉が紡げなかった。
これ以上は総司の気持ちを否定することになってしまうから、ただ私の気持ちが伝わっていると信じたかった。


『総司のこと、大好きだよ』


言葉では伝えきれないくれない、本当に本当に大好きだよ。
人前では言えないし、一度も誰にも打ち明けられなかった想いだけど、私の特別は生涯で総司一人だけだ。
その気持ちを込めて伝えれば、総司がゆっくりと顔を上げさせてくれる。
そして大切な宝物に触れるように、優しく唇を重ねてくれた。
たったの一回、それでもその温もりには総司の愛情が込められている気がした。


「僕も好きだよ、セラ」


たとえどんな未来が待っていても、この気持ちは決して変わらない。
だから総司だけは護りたいと強く思った。


馬車の外では、車輪の音が徐々に小さくなり、やがて止まったことが分かる。
総司がカーテンを開ければ、窓の外に広がるのは夕闇が静かに降り始めた王宮の中庭。
灯りのついた回廊が、まるで金糸のようにゆらゆらと揺れて見えた。


「着いたみたいだね」

『……うん』


総司の手が離れ、離れなければならない時間がやってくる。
毎日繰り返しているのに慣れなくて、私はこの時間が一番嫌いだった。
明日また会える、そう思って自分を励ましても、一緒にいられる時間なんて一時間にも満たない。
その僅かな時間のために総司の自由や未来までもを拘束している自分が、酷く醜く思えてしまう瞬間だった。


「お嬢様、着きましたよ」


総司は優しく微笑むと、ゆっくりと馬車の扉を開けてくれる。
私はドレスの裾を持ち上げて一歩踏み出し、石畳の上に降り立った。
けれど扉のすぐ前には、予想していなかった人の姿。
そこにいたのは深い藍色の外套を羽織り、壁に軽く肩を預けながら立っている薫様だった。


「セラ、待ってたよ。お前を迎えに来たんだ」   

『ありがとうございます、薫様』


自然と声は敬意を帯びる。
そして薫様は一歩前に出て、総司の方へと視線を向けられた。


「それから沖田。お前も来なよ、皆で夕食を食べよう」


唐突なその言葉に、私は目を瞬いた。
総司も軽く眉を動かしながら、すぐに姿勢を正して答える。


「僕がご一緒しても宜しいのですか?」

「千鶴が沖田にも声を掛けたらいいって言ってたし、お前がいても異存はない。俺もお前に話があるしね」


総司が僅かに戸惑うように私を見やる。
薫様はその視線を追うようにして、小さく笑った。


「で?どうするの?」

「殿下がそう仰ってくださるなら、是非ご一緒させていただきます」

「じゃあ行こう、案内する」


薫様はそのまま踵を返し、そのまま夕食の席がある方向へと歩き出していった。
私は、隣に立つ総司とつい目を合わせてしまう。
そして夕食を一緒に摂れるということに、嬉しさから口元は緩んだ。
それは総司も同じで、私の笑顔を見て彼も嬉しそうに微笑んでくれる。
何も言葉は交わしていないのに、その一瞬で気持ちが通じ合った気がした。

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