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その後、何を話したのかよく覚えていない。
ただ一刻も早く総司に謝り、全てを正直に伝えたかった。
でも今夜は二人で話す時間は作れる筈もない。
気付けば食事は終わり、解散の時間がやってきた。
近衛騎士の詰め所に戻る総司とは、ここで別れなければならない。


「じゃあね、沖田。明日からもセラの護衛、頼んだよ」

「はい、お任せください。今夜は僕までお仲間に入れて頂きありがとうございました」

「総司さんともお話できて楽しかったです。是非またご一緒しましょうね」

「ええ、僕も楽しかったですよ」


笑顔で皆が話す中、私は懸命に笑顔を作っていた。
おやすみの一言は言いたくて総司を見つめていると、翡翠色の瞳ととふと目が合った。


「どうしたの?やっぱり少し飲み過ぎた?」


穏やかに微笑んだ総司は、私を見てくすりと笑う。
その様子はあまりにもいつも通り過ぎて、逆に違和感を感じてしまうくらいだった。


『ううん、今は酔ってないよ』

「それならいいけど。ゆっくり休むんだよ、明日また迎えに行くから寝坊しないようにね」

『うん、ありがとう……』

「じゃあおやすみ。王太子殿下と王女殿下も、おやすみなさい」


会釈して去って行こうとする総司の背中に、慌てて「おやすみなさい」と告げる。
すると少し振り返って微笑む総司はやっぱり普段と何も変わらない様子で、そのままその場から去って行った。


「じゃあ俺達も部屋に戻ろうか。セラは俺が送っていくよ」

『いえ、私は一人で部屋まで戻れますよ』

「駄目だ。折角の俺の申し出を断っていいわけないだろ?」

「セラさん、薫をよろしくお願いしますね。では、おやすみなさい」

『千鶴様、今夜はありがとうございました。おやすみなさい』


千鶴様は私達とは逆方向に進み、私は薫様に連れられるまま自室を目指す。
心の中は総司のことでいっぱいで、早く明日を迎えて総司と話がしたかった。

部屋の前に着き、心ここに在らずのまま薫様を見上げる。
すると彼はまた当然のように部屋に入ろうとするから、私は慌てて部屋の扉を押さえた。


「ちょっと、なに?」

『今日は薫様も真っ直ぐお部屋に戻ってください』

「は?なんで?」

『千鶴様も仰ってたじゃないですか。婚前に男の人をお部屋に入れるのは、良くないことですから』

「千鶴が言ったことを気にする必要はない。いいから手を退けてよ」

『駄目です、今はまだいい加減なことはしたくありません』

「お前、何を怒ってるの?」

『怒ってるわけではありません。ただ、やっぱり……こういうのは良くないと思ったので』

「でもそんなことを言ってたら、お前は俺とまともに話もしてくれないじゃないか」


少し寂しそうに紡がれた言葉を聞いて、私は唇をきつく結ぶ。
薫様の言い分もわかるけど、私が断れずに流されてしまったせいで総司をきっと傷つけた。
だから同じ過ちを繰り返したら駄目だと、首を横に振った。


『でしたら昼間、薫様がお時間ある時にお話しましょう?ですが夜は困ります』

「なにそれ。まるで俺がお前に何かしようとしてるみたいな言い方だね」

『そういう意味ではないんです。ただ夜は落ち着かないといいますか……』

「そうなの?昨日は俺がいるのにすやすやとよく寝てたけどね」

『あれは……ただ、気づいたら寝てしまってただけです……』


小さくそう返すと、薫様はくすっと笑った。
その笑顔はいつも通り穏やかで優しくて、こちらの調子が狂ってしまう。


「気を張ってると眠れないだろ?でもお前は俺がいる時はよく眠れる。つまりは、そういうことなんだよ」

『え?違います。そういうことではありません』

「じゃあ、どういうこと?」


一歩だけ近づいてくる気配に、私は一瞬で背筋がこわばった。
扉の取っ手を握った手に力を込めて、それ以上近づかれないように、視線を上げる。


『薫様は、どうしてそんなふうにおっしゃるのですか?』

「え?」

『たまたま寝てしまっただけなのに、そこに意味を持たせないでください』

「なんで?俺がいると安心できるってお前が無意識に思ってるから眠れるんじゃないかって、そう思っただけなんだけど」

『もう、違います』


薫様を少し睨み、声を強くして告げた。
けれど薫様はくすくすと笑って、どこか楽しそうにしている。


「あーあ。よく分からないけど、今夜は機嫌が悪いみたいだね。酒のせいかな」

『薫様のせいです……。皆の前であんな誤解を与える言い方をされなくても……』

「お前、俺に文句を言うなんて生意気だね」

『生意気な私はほうっておいて、薫様はもうお部屋に戻られてください』


ぴしゃりと告げたつもりだった。
けれど薫様はまるで応える気などないように、私の隣でふっと笑った。


「お前にそう言われて素直に引き下がれるほど、俺は大人じゃないよ?」


その声音が、どこか甘えるようで、困らせるようで。
まるで子供の悪戯みたいに、私の心の隙間を探している。


『……今夜は少し……疲れているのです』

「俺だって疲れてる。でもお前と話すと少しだけ気が紛れるから、こうしてるのに」

『だからといって、相手の気持ちを無視するのは良くないと思います』

「そう言われると少し傷つくな。お前だって俺の気持ちを汲み取ってくれていないじゃないか」


薫様の気持ちを汲み取っていないのは確かだから、そんな最低な自分に唇を噛みしめた。
でもこうなることも苦しくなることもわかっていて、総司といることを選んだのは私だ。
心を鬼にしてでも総司を優先させる、それは私の中で変わらない結論だった。


『至らない点が多くて申し訳ありません。ですが本当に……今日はもう、お引き取りください』


視線を合わせるのも難しくて、扉の取っ手にそっと手を添える。
だけどそのとき、すぐ横から言葉が落ちてきた。


「……なんでそこまで拒まれるのか俺にはわからないよ。俺は何か、お前に嫌われるようなことをした?」


低くて静かな声。
さっきまでの茶化すような響きは、そこにはなかった。


『嫌ってなどいません』


絞り出すように答えると、薫様はゆっくりと息を吐いた。


「だったらどうして。たかだが会話をするくらいで、そんなふうに拒むの?お前の考えていることが、本当にわからなくなる」


言葉が出てこなかった。
薫様にはきっとどれだけ説明しても伝わらない。
だってこの人は私の心の中に、総司の姿があることなんて知らない。
知ってはいけないから。
胸の奥で何度も押し殺してきた感情が、今夜は少しだけ溢れそうになって、それをごまかすように私は小さく笑った。


『今日は……お酒のせいなんでしょうか。身体が重くて、頭も痛いので早く休みたくて……本当にそれだけです』


やっとの思いで言葉にすると、薫様はしばらく何も言わず、私の顔をじっと見つめていた。
何かを読み取ろうとするような、静かな瞳だった。


「……そう。だったら今夜はお前の気持ちを尊重してあげるよ」


それはさっきまでの声より少しだけ優しくて、わずかに苦味を含んでいた。


「でも次は、俺の相手をしてくれるよね?」


言葉に詰まり、私は小さく頷くことしかできなかった。
それで納得してくれたのか薫様は一歩引き、ようやく廊下へと身を翻す。
振り返ることもなかったその背中が角を曲がって見えなくなるまで、私はただ扉の前に立ち尽くしていた。

そして静寂が戻り部屋の中に入ると、どうしようもない想いが胸を押し上げてくる。
込み上げるものが次々にこぼれて、頬を伝っていった。


『ごめんなさい……総司……』


私はまた総司を傷つけてしまった。
総司以外の人と夜を過ごすなんてこと、絶対にしてはいけなかったのに。
自分の言葉の弱さや行動の曖昧さで、総司に誤解を与えてしまったことが悔しくて情けなくて、またもっと自分が嫌いになった。

でも私は泣いていい立場じゃない。
悪いのは、全部私なのに。
慌てて指先で涙を拭い、どんな顔をされても逃げずにきちんと明日伝えようと心に決める。
好きなのは総司ただ一人だけだと思いながら、私の名前を呼ぶ総司の姿を何度も頭に思い浮かべていた。



そして迎えた次の日、いつもよりずっと早く身支度を終えた私は、不安と緊張を抱えながら総司が部屋に迎えに来てくれるのを待っていた。
人目があるところでは話せないから、馬車に乗ったらすぐに話そう。
そう考えていると、いつも通り部屋の扉がノックされた。


「おはよう、セラ」


扉を開けた先に見えた総司の笑顔はいつも通りだった。


『おはよう、総司』

「少し早いかなって思ったんだけど、準備は終わってる?」

『うん、今日は少し早く目が覚めたから』

「そっか。昨日は夜遅かったし、疲れてるんじゃないかなってちょっと心配してたけど、顔色悪くないみたいで安心したよ」

『ありがとう、元気だよ』


変わらない声、変わらない眼差し。

不安だったのに。
心のどこかで、睨まれるんじゃないか、口をきいてもらえないんじゃないか、そんなふうに怯えていたのに。
総司は何もなかったように、いつもの総司のままだった。


「今朝はだいぶ冷えるよね。寒くなかった?」

『うん、少しだけ寒かったかな』

「もう少し厚着した方がいいんじゃないの?」

『でも室内は暑かったりするから、このくらいで丁度いいの、多分』

「多分って、随分曖昧だね」

『うん、でも侍女の方々が折角用意してくださったのに色々言うのは申し訳なくって』

「ははっ、セラらしいね」


自然と笑いが漏れるのが、自分でも不思議だった。
今日ばかりは総司とこんなふうに笑えるなんて、思っていなかった。


「今日の午後の講義は一人で受けるの?」

『ううん、午後は薫様と千鶴様と一緒に……』


その名前が口から出た瞬間だった。
総司の目がふっと逸れて、真横を向く。
そのとき見えた横顔にぞくりとするような冷たさが走り、私は思わず息をのんだ。

それは奥深くに沈められた激情が、抑えられないまま横顔の隙間から零れ出たようだった。
目の奥に走った明らかな怒りや、息が詰まるような異様な空気が総司の周りにだけ満ちて、私の全身にまで伝わってくる。
それはほんの一瞬だったけど、確かに感じ取れてしまった。

総司が、とてつもなく怒っている……
それがどうしてこんなにも怖いと感じるのか自分でもわからないまま、私の中にはひやりと冷たいものが這い上がってきた。


「そうなんだ。大変そうだけど、頑張って」


私が動けずにいると、総司は再び私の方を向いていた。
柔らかい笑みを浮かべて、まるで何事もなかったかのように小首を傾げている。


「セラ?どうしたの?」


いつもみたいに朗らかな声で話してくれるのに、今は総司の笑顔の裏に、かすかに滲む怒りの気配が感じとれる。
心臓が激しく音を立てて、私はそれ以上何も言えなくなってしまった。
何でもない顔で隣に立つ総司の見てはいけないものを見てしまったような感覚に囚われて、何故だか足元がふらつくような気がした。


『あ……ううん……なんでもない……』


総司はいつも、優しくて穏やかで。
冗談を言っては笑わせてくれて、時々膨れることはあっても、怒鳴ったり、怒りをぶつけてきたりすることは一度もなかった。
だから私の見てきた総司が、彼の全てだと思っていた。
でもそれはただ、私の前で全てを曝け出していないだけかもしれない。
本当は私の知らない総司の一面もあるのかもしれないと考えてしまう私がいた。


『……っ……』


何かが壊れてしまいそうな気がした。
怖いと思ってしまった自分が情けなくて、余計に胸が痛くなる。
私が知らなかった、総司の顔……。
あの横顔の影が、どうしても頭から離れなかった。


「今日は寒いけど天気がいいね」

『……うん』


返事のトーンは穏やかで、やっぱり何も変わらないように思えるからこそ余計に不安が募る。
ずっと知っているつもりだった人が、急に遠くに行ってしまったような気持ちにさせられた。
瞳が潤みそうになるのをなんとか我慢して、そっと視線を落とした。
胸の中にずっとひっかかっていた言葉が、頭の中で繰り返される。


あの日、薫様が言った「お前は沖田のことをわかってないんだね」というあの言葉。
あの時は、そんな筈はないって思っていた。

でも、今になって思い知らされる。
私は本当に総司のことを、わかっていなかったのかもしれない。

どんな時も私を護ってくれて、優しく微笑んでくれるその裏で、総司はどれほど感情を隠してきたんだろう。
私にはその痛みに寄り添うことすらできていなかったのではないかと、そんな考えが頭をかすめて胸が苦しくなる。

怒ってくれればいいのに。
無理に優しくしてくれなくていいのに。

そう思ってしまうのは、多分怖いからだ。
総司の優しさの奥に、私がまだ知らない何かが隠れているような気がして、それに気づけない自分が情けなくて悔しくて、悲しかった。
だって私は今まで、一生懸命総司のことを見つめてきたつもりだったから。

もう一度彼の顔を見ようとそっと視線を上げかけて、結局総司を見れないまま目を伏せた。
揺れる気持ちに蓋をするように、ただ黙って歩くことしかできなかった。


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