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軽食を終えた後、お城に帰る前に侍女の方々へのお土産を選んでいた私は、紅茶の並ぶ店先でハーブティーの香りを楽しんでいた。
どの茶葉にもそれぞれ魅力があるから、迷ってしまう。
「気に入ったものは見つかりましたか?」
先程の件があってから、皆は以前より私を気にかけてくれているらしく、今も伊庭君が話しかけてくれている。
伊庭君も紅茶が好きで、ハーブティーを含め色々な紅茶を嗜んでいるという話を聞いた。
『うん、ここのカモミールティーが美味しかったからカモミールにしようかなと思ってるよ』
「僕もカモミールは好きですよ。今度久しぶりにまたお茶したいですね」
『そうだね。お父様ともこの前、丁度その話をしたんだよ』
「近藤さんにもゆっくりお会いしたいので嬉しいです。昔はよく庭でお茶をして、その後君と二人で遊んでいましたよね」
『うん、懐かしいな』
あの時は何にも考えていない子供で、兎に角今と比べ物にならないくらい気楽な人生を送っていたと思う。
最近は教養を身につけることばかりに追われて自由な時間が然程なかったから、今日のような一日はとても貴重だった。
「あの時と比べて髪が伸びましたよね」
『そうかな?』
「初めて会った時は、肩くらいだったと記憶しています」
思えばそうだったかもしれない。
髪型を気にする歳でもなかったから、山崎さん辺りに定期的に整えてもらっていた気がする。
『伊庭君、よく覚えてるね』
「君のことは忘れません。何があっても」
伊庭君の手が伸ばされて、髪の一束が彼の指先によって柔らかく持ち上げられる。
じっと見つめられたら目を逸らすことが出来ず、思わず彼を見上げていると、私の後ろから伸びてきたもう一つ手が伊庭君の手を払い退けていた。
「過度な接触は厳禁なんじゃなかったの?」
「沖田君……何の用ですか?僕は髪に触れただけで、彼女の身体には触っていませんよ」
「髪だってこの子の一部だと思うけど。自分の言った言葉には責任を持ったら?」
「沖田君には言われたくないですね。そもそも君に紅茶の味なんて分かるんですか?向こうで平助君達と一緒にお茶菓子でも見てて下さいよ」
「そう言う君は、さっきから紅茶じゃなくてこの子のことばかり見てるじゃない」
「そんなことはありませんよ。僕は彼女と紅茶を選んでいただけです、変な言い掛かりはやめて頂きたいですね」
私を挟んで口論を初めた二人は、私より頭一つ分は大きいから、私のことはもう視界にも入っていなさそう。
二人の仲が悪いところを目の当たりにして苦い気持ちになるけど、お土産の紅茶も決まったし、これを購入してそろそろこのお店を出ようと考えていた。
でも急に店の真横にある通りから悲鳴が聞こえて、振り返った後ろ。
すると大きな馬車を引く馬が暴れたのか、それはもう私の直ぐ目の前まで迫ってきていた。
窓ガラスが砕け散る音とともに、私の目の前に迫る黒い馬の影。
踏みつぶされる、そう思って目をきつく瞑った時、強い腕に私の身体は抱き寄せられていた。
「……セラ!」
総司の声が耳元で響いたかと思うと、力強く抱きしめられたまま、床に倒れ込んでいた。
でもその衝撃とは裏腹に痛みはなく、代わりに凄く温かい。
その理由は総司が私の頭や背中を守るように抱きしめてくれていたからだった。
「平気?」
心配そうな瞳が私を覗き込む。
『う……ん、総司は?』
そう聞いた時、轟音と共に店の屋根が崩れ落ちてきた。
大きな影が落ちてくるのが見え、私は咄嗟に目を閉じる。
けれど思ったよりも衝撃はなく、ただ息苦しさと重みだけが全身を押しつぶしている感覚だった。
「……セラ……大丈夫?」
頭上から聞こえたのは、総司の震える声。
私はそっと目を開き、暗がりの中に彼の顔を見つけた。
総司は私のすぐそばにいて、私の上に覆いかぶさるようにして身を挺してくれていた。
彼の身体の上には、巨大な木の板がのしかかっている。
総司は両腕で必死にそれを支えてくれながら、苦しそうに顔を歪ませた。
『総司っ……大丈夫?』
「うっ……なんと……か」
ぽたりと何かが私の首元に落ちてきて、よく見れば総司の左側の頭部から血が垂れてきていた。
『総司……血がっ……』
「……大丈夫だよ」
全然大丈夫じゃない筈なのに、総司は少し苦しそうに笑って私を見下ろしている。
それでも私達を押し潰す板が相当重いのか、彼の腕は震え、その重みに耐えるのは精一杯のように感じられた。
『待ってね、私も……んっ……』
私も必死に押し返そうとするけど、びくともしない。
力が足りなくて、腕がすぐにぷるぷる震え始める。
こんなに重いものを私のことを庇いながら総司が一人で支えているという事実を知って、渾身の力を腕に込めてみたけど状況は何も変わってくれない。
非力な自分が嫌で、歯を食いしばりながらも瞳が次第に潤んでいった。
「下手に動くと……危ないよ」
『でもっ、……このままじゃ……総司が……』
私のすぐ目の前にある総司の顔。
距離はあまりにも近く、互いの吐息がかかるほどだった。
必死に木板を押し返そうとする総司の額には汗が滲んでいる。
普段は余裕そうに微笑んでいる彼が、こんなにも苦しげな顔をしているのが辛く感じて、胸が痛くなるばかりだった。
『……んんっ……』
「大丈夫だよ、だから……じっとしてて」
かすかに笑ったその表情はどう見ても苦しそうなのに、震えた声には私を安心させようとする優しさが滲んでいる。
総司は私を抱きかかえるような形で、両腕で板の重さを耐えてくれていた。
『私も押すから、一緒に……んっ……』
でも何度試してみても重すぎてびくともしない。
総司の腕は小刻みに震え、彼の表情からも余裕が消えていた。
「……ちょっと、きつい……かな……」
それは総司にしては珍しい弱音だった。
けれどその言葉にはもう一つ別の意味があることに、私は気づいてしまった。
あと少しでも力が抜けたら、二人の唇が触れてしまう。
そんな状況に気づいた瞬間、私の顔は熱を帯びた。
総司も同じことを思ったのか、ふと目が合った瞬間、彼の瞳がわずかに揺れる。
互いに必死なはずなのに、今だけはまるで時間が止まったように感じられた。
「……っ、……無理……かも………」
掠れた声が落ちた時、総司の腕が限界を迎えたのか、ほんの僅かに板が沈んだ。
途端に彼の顔がぐっと近づき、今にも唇と唇が触れそうな距離に私は息を呑んだ。
呼吸が絡まりそうなほど近くて、互いの息遣いすら感じる距離に心臓が大きく跳ねる。
目を閉じるべきなのか、顔を背けるべきなのか分からず、ただ総司を見つめたまま、硬直することしか出来なかった。
触れてはいけない、それなのに嫌だなんて思わない自分の気持ちに動揺していた。
むしろ身体中に感じる彼の温もりや熱い吐息に、私の顔には熱が集まってしまった。
真剣な光を宿した総司の瞳と視線がぶつかると、自分の中の何かがふわりと浮き上がるような感覚に包まれる。
どうしよう………このままだと、もう……
『……そ……じ……』
今にも消えそうな声だった。
その時、総司がハッとしたように息を呑み、ほんの少し顔を横へと逸らした。
「……くっ」
それに気付いた私も反射的に逆方向へと顔をずらす。
その瞬間、総司の吐息が頬にかかり、彼の唇が頬にかすめる。
そのわずかな感触だけで、私はびくっと体を震わせた。
「……セラ」
微かに震えた声が耳をくすぐると、板を支える手が震え、心臓が破裂しそうなくらい跳ね上がる。
熱を帯びた吐息が頬を撫でるたび、身体の奥が甘く痺れた。
その時……
「セラ!今助けます……!」
外から聞こえてきたのは、伊庭君の焦った声。
「セラ!総司!無事か!?」
「待っててくれよ!」
今度は平助君と永倉さんの声も聞こえてくる。
「せーの!」
外から手が伸ばされ、総司の背中にのしかかっていた木板が持ち上げられた。
ふっと解放された身体が瞬間的に軽くなり、重心を失った総司の身体がぐらりと揺らぎ、私は咄嗟に彼を支えようとした。
けれど総司の肩から鮮やかな紅が広がっていくのが見えて、私は思わず息を呑んだ。
「大丈夫ですか!?」
『私は大丈夫だよ、でも総司が怪我をっ……』
総司の頭部は勿論、肩にも大量の血が滲んでいる。
板の破片か何かが肩に突き刺さったままだったのに、総司はそれでも私を護ってくれていた。
私の腕の中でぐったりした総司を見て、私は自分の心臓が一気に冷えていくのを感じた。
『総司……大丈夫……?』
「平気……だよ……」
「これは肩をやっちまってるかもな。平助、救助隊を呼んできてくれ」
額から流れた血液を拭おうと、ハンカチをあてる。
でもハンカチを持つ手は震えて、総司の身に何か起こることがこんなにも怖いことなんだと知った。
思わず溢れた涙が総司の頬に落ちると、総司は薄く目を開き、弱々しい笑顔で言った。
「泣かないの……」
『ごめんなさい……怪我させて……』
「セラのせいじゃないでしょ。セラこそ怪我は?」
『私は……大丈夫。総司が護ってくれたから……』
「よかった。セラが無事……で……」
微かに微笑んだ総司の瞳が、次の瞬間ふっと閉じられる。
そしてそのまま眠るように意識を手放してしまったから、私は思わず総司の手を握り締めた。
『総司……?総司っ……』
「大丈夫ですよ、もう直ぐ救助隊が来る筈です」
「あー……、肩にこれが刺さっちまったのか」
永倉さんが苦い顔をして見たのは、私と総司の上に載っていた大きな木板。
その一部に太い釘が数本飛び出ていて、そこには総司のものと思われる血液がついていた。
頭部の怪我はおそらく私が馬車と激突するのを防いた時に出来たものだろう。
その傷の深さは分からなかったけど、傷だらけの身体でこんな重い板を支えてくれていたことが分かり、余計に胸が痛くなった。
『私のせいで……総司に何かあったら……どうしよう……』
「君のせいじゃありませんよ。馬車引きの馬が棘を踏んで暴れてしまったようです、君に怪我がなくて良かったですが……沖田君の身体が心配ですね」
「総司は大丈夫だって、頭の傷も深くなさそうだしな」
永倉さんはそう言って私の肩をぽんぽん叩いてくれるけど、涙は中々止まってくれなかった。
救急隊の到着を待ちながら総司の苦しそうに歪む顔を見つめて、総司の無事を願うことしか出来なかった。
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