5
いつ意識を手放したんだろう。
目を開けると、天井が見えた。
ぼんやりとした視界の中で、自分が柔らかな寝台に横たわっていることを理解する。
微かに薬草の香りが漂い、周囲は静かだった。
ここは……?
「目を覚ましましたか、沖田君」
優しい声がしてそちらに目を向けると、山南さんが椅子に腰掛け穏やかな表情でこちらを見つめていた。
淡い陽光が窓から差し込み、彼の眼鏡に反射する。
その中から覗く瞳は、僕を労るような温かみを帯びていた。
「……ここは公爵邸ですか?」
「ええ。君は怪我を負って意識を失っていました。覚えていますか?」
そう言われて、脳裏に浮かんだのは、木の板が崩れ落ちる瞬間。
反射的にセラを庇い、腕に全体重がかかるほどの衝撃が襲った。
息が詰まりそうな苦しさの中、目の前にいたセラの揺れる瞳、震える吐息。
そして、触れそうになった唇。
思い出した瞬間、胸の奥が熱くなった。
「はい、なんとなく覚えていますよ」
「なんとなく、ですか。それにしては随分と穏やかな顔をしていますね」
山南さんが少し意外そうに目を細めた。
「もっと痛がるかと思いましたが……何か、いい夢でも見ていたんですか?」
「夢じゃないですよ、現実ですけどね」
思わず口をついた言葉に、山南さんが小さく笑う。
「なるほど。沖田君にとって今回の騒動は悪いことばかりではなかった、ということでしょうか?」
否定できなかった。
それどころか、思い出すだけでらしくもなく鼓動が速くなる。
あの時のセラの顔や、驚きに瞳を揺らしながらも拒むことなくただじっと僕を見つめていた愛らしい表情。
あの距離や肌に直接触れる体温も全て、どれほど僕の心を乱しただろう。
あんなに緊迫した中でも、感情というものはこんなにも自分を揺さぶるものなのかと苦笑いをこぼす。
けれど思わず視線を逸らし、ベッドの脇に目を向けると、あどけない寝顔で眠るセラがそこにいた。
「……あれ?セラ?」
僕のいるベッドに頭を預けて、すやすやと眠るセラの姿に僕は思わず目を瞬く。
小さな肩がゆっくり上下し、細い指が軽くシーツの端を掴んでいる。
伏せた顔の頬には、まだ涙の痕が残っていた。
「君は随分お嬢様を泣かせてしまったみたいですね」
「そんなに心配かけちゃったんですね」
「ええ。お嬢様はずっと君の傍にいましたよ。涙を流しながら、何度も君の名前を呼んでいました」
そっか……。
僕が眠っている間にどれほど心を痛めてくれたんだろうと思えば、あまり心配はかけたくないと思う。
「山南さん」
「何ですか?」
「僕はもっと強くならないといけませんね」
呟くようにそう言うと、山南さんは柔らかく微笑んでくれる。
眠るセラの顔をそっと見つめる僕に、穏やかな口調で話しかけてきた。
「怪我はいかがでしょうか?幸い頭はかすり傷程度でしたが、肩の傷は深いので完治までには少し時間が必要かもしれませんね。どうやら落ちてきた板から釘が飛び出ていたようで、それが刺さってしまったのだろうという報告を受けていますよ」
「そうですか……。今は動いてないんでそこまで痛みませんけど、利き腕の方じゃなくてまだ良かったです」
「そうですね。とは言え、まさかこのようなことが起こるとは思いませんでしたよ。沖田君に任務をお願いした私としても、申し訳なく思っています」
「いえ、僕は別に大丈夫ですよ。これでも怪我の治りは早い方ですから」
何よりセラを護れたならそれでいい。
余程泣いたのか瞼を赤く染めたまま眠っているセラの横顔を眺めて、そう思っていた。
「お嬢様を護ってくださりありがとうございます。彼女もとても感謝していましたよ。と言っても戻られてから泣き通しで……夜中もずっと付き添っていたみたいですが、ようやく眠ってくれたようで安心しました」
「え、夜中って……僕に付き添っていて大丈夫なんですか?というかここの部屋はどこです?」
近藤さんの許可がおりていたのか気にしてしまう僕に、山南さんは僕の心中を察したかのように話し始めた。
「ここは城内にある医務室ですよ。近藤さんは昨日から遠方に行かれていて今はこちらにはいないので、私が彼女に泣きつかれてしまったというわけです。あんなに聞き分けのないお嬢様は初めてでした」
「ははっ、そうですか」
「随分と仲が宜しいみたいで良かったですね」
にっこり微笑まれても、その言葉に他意がないのか山南さんの場合は気になるところだ。
「言っておりませんでしたが、ここだけの話、私も沖田君と同じで元々は没落した貴族の出なんですよ」
唐突に始まった山南さんの話に、その意外性から彼を見つめる。
僕にとっての山南さんはどう見ても貴族出身のお堅い印象だった上、何故彼がその話を僕にするのかも分からなかったから、余計にその話の続きが気になって仕方がなかった。
「なので沖田君を見ていると昔の自分を見ているようで、応援したくなってしまうみたいですね」
「山南さんがそんなことを思ってくれていたなんて意外ですね。僕みたいな素性の知れない奴は警戒されてるのかな、なんて思ってましたし」
「最初は君を騎士団に入れるべきか否か判断が難しかったですよ。ですが君の剣術を見た時に、その真っ直ぐさに感銘を受けましてね。その人の生き様は剣捌きに現れると言いますから、君なら立派な騎士になれると思いましたよ」
思えばあの時、山南さんは僕をここの騎士団に迎え入れることに肯定的だった。
この人からもここで生まれ変わる機会を貰っていたことに気付かされる。
「山南さんには頭が上がらないな。感謝しています、あの時僕に騎士団に入る機会を頂けたこと」
「私は話の流れで同意したまでですよ。そもそも最初に提案をされたのはお嬢様ですから」
「あの提案には最初は僕も驚きましたよ。それに絶対無理な話だと思っていましたしね」
「確かにあの時の沖田君は、全てを諦めたような顔をされていたように思います。でも今はすっかり変わりましたね」
「そうですか?」
「ええ、とても生き生きしているように見えます。以前お嬢様が、この場所が沖田君にとっての居場所になればいいとおっしゃられていましたが、実際ここで過ごされてみていかがです?」
最初は馴染むのが大変だった僕も、今では正規騎士団員になり、仲間やこの城の人達ともうまくやれている。
少し前まで、この家と無関係だったことが信じられない程、ここでの生活が居心地良くなっていた。
何より大きいのは、セラが僕の傍にいて応援してくれていることだ。
この子を護るために強くなることが、今の僕の目標であり生きる理由だ。
「毎日楽しいですよ。強い人も多くて良い刺激にもなります。生活の心配もない上、好きな時に稽古出来るなんて贅沢な話だと思いますしね」
「それだけですか?」
「あとは近藤さんも物凄く良い方ですよね。僕を色眼鏡で見ないところとか、本当に好きだな」
「他には?」
「勿論、山南さんや山崎君にも色々助けて頂いて、感謝してもしきれないですよ」
「それで?」
「…………」
この人は僕に何を言わせたいんだろうと眉を顰めてみるけど。
折れてくれないだろう山南さんにため息を吐き出して、正直に口を割ることにした。
「この子が応援してくれるんですよ。だから僕もこの場所で頑張って、早く強くなりたいなって……素直にそう思ってます」
「そうですか」
終始笑顔の山南さんは、結局僕に居心地が良いと思う一番の理由を言わせたかっただけらしい。
満足した様子で頷いていた。
「おわかりだとは思いますが、近藤さんはとてもお優しい方です。没落貴族の出である私を評価してここまで押し上げて下さいました。だから沖田君、君も頑張り次第で未来が開けることを忘れず頑張って下さい」
「山南さんにそう言って貰えると心強いですね。頑張ります」
「それは良かったです。ですが一つだけ気をつけて下さいね」
「え?」
「近藤さんはお嬢様のことになると周りが見えなくなることがありますから。下手に手を出して、気付いたら死刑……なんてことにならないように気をつけて下さい」
「…………」
「では、私はこれで。お大事になされて下さい」
折角山南さんと良い話が出来たと思っていたのに、最後の言葉が怖過ぎてぞっとする。
勿論セラに手を出すことなんて出来るわけがないけど、眠るあどけない顔を眺めながらふと昨日のことを思い出した。
正直、板に押し潰された時は釘が刺さった肩が激痛だった挙げ句、重過ぎて最悪だった。
おまけに少しでも気を抜けばセラを潰してしまうわけだから、死に物狂いで耐えていた気がする。
でもそんな中でも、力なんて殆どないのに一生懸命板を押し返そうとして頑張ってる姿とか、目の前の僕を見て唇をきつく結んだ顔とかがとにかく可愛いくて、あんな状況でも幸せを感じてしまった僕がいる。
しかも泣きながら僕を心配してくれる姿なんて、もう堪らなくなるわけだけど、彼女に抱くこの感情には会うたびに振り回されっぱなしだ。
でも僕はこの想いが成就しないことは分かっているし、だからこそ深入りしてはいけないことも理解している。
恋心にうつつを抜かしてばかりいるより、今はまず誰よりも強くなる、それが僕の一番の目標だった。
でももし、僕がこの城で一番強くなれたら。
この子の隣にいるのに相応しい男になれたら。
この子を望んでもいいのだろうかと考えてしまう自分もいる。
「……泣き過ぎだよ、セラ」
苦笑しながら、セラの髪をそっと撫でる。
そして、ふと以前この子が言った言葉を思い出した。
ーー『私、総司と出会えたこと運命だと思ってるんだ』
運命という言葉は嫌いだった。
自分で変えられない理不尽な運命なんて、くそ喰らえだとすら思っていた。
でも、僕達が出会えたことは凄いことだと。
僕の存在はセラの人生を大きく変えるかもしれないと言ってくれたこの子の言葉は、僕の心にすっと染み込んできた。
いつもなら、運命なんていう言葉は鼻で笑って終わりにするところなのに。
セラがあんな風にまっすぐな瞳で言うものだから、僕は何も言えなくなった。
もしも運命がこの子との出会いを導いてくれたのだとしたら、それは僕にとって何よりも大切な絆になる。
そして僕がセラと出会った意味があるのだとすれば、それはたったの一つだけ。
セラをこの手で護ることだ。
『んん……』
身動ぎしたセラの髪を指で梳く。
柔らかくて、心地よい感触が指先に残る。
彼女の小さな肩が、かすかに動いた。
泣き疲れて眠ってしまったのだろう、目尻にも涙の跡が残っていた。
「まったく、どっちが怪我人なのか分からないよね」
そう言いながらも、胸がきつく締め付けられるようだった。
僕なんかのために、こんなに心を痛めてくれる。
この子の瞳に浮かんでいた涙を思い出すと、またどうしようもなく好きになってしまいそうだ。
「泣くほど、僕のことを心配してくれたんだ?」
誰に尋ねるでもなく、静かに呟く。
本当なら僕なんかのためにこんな顔をしてほしくない。
でもセラがこんなにも僕のことを想ってくれていることが、どうしようもなく嬉しかった。
セラのために強くなる。
その決意が、今まで以上に固くなった。
もう二度と、セラを泣かせたくない。
そして……
「セラ」
そっと彼女の頬に手を伸ばしかけて、触れる寸前のところで止める。
目の前にある寝顔は、愛おしすぎるほどだった。
目を逸らすことも出来なくて、本当にどうしようもないくらい心が惹かれることがあるんだと、身をもって知った。
「ありがとう」
僕は本当にセラの運命になれるのかな。
君が望むような騎士に。
隣に立つことを許されるような存在に。
いや、弱気になっていても意味がない。
そんなの、なれるかどうかじゃなくなるしかない。
だってこの小さな手を、僕の手で護り抜きたい。
誰かに任せるのではなく、他の誰でもない僕の力で。
この子が困った時、真っ先に頼ってもらえる存在になりたいんだ。
そう思いながらもう一度、セラの名前を呼んだ。
まるで祈るみたいに、想いを込めて。
愛おしい。
この子を護りたい、ずっとそばにいたい。
でも、それを今口に出すわけにはいかない。
だって僕は、セラを護る騎士だから。
どんな想いも今はまだしまっておかなければならない。
でもいつかきっと、君の隣に立てるだけの強さを手に入れたら、その時には全部話すよ。
この胸にある想いも、君に抱いてる願いも全部。
だからそれまで、もう少しだけ。
こうしてただ一緒に過ごせる時間を大切にしていきたいと思っていた。
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