3
僕とセラが学院へ復学する日がやってきた。
僕達二人に加え、王太子と王女の四人。
なんとも妙な組み合わせで、同じ馬車に揺られて学院へ向かっていた。
向かいに座るセラは、終始柔らかく微笑んでいて、その表情がどこか子どものように輝いて見える。
まるで長く待っていた約束の日が、やっと訪れたとでもいうような顔だ。
『久しぶりの学院って、こんなに胸が高鳴るものなのですね。本当に楽しみ』
セラが嬉しさを隠しきれない声でそう言うと、王太子が口元を緩めた。
「学院に通うだけでそんなに喜ぶなんて、お前はやっぱり変わってるね」
王太子は肩をすくめながらも、目尻を少しだけ和らげている。
からかっているようでいて、本気で嫌味を言っているわけじゃない。
むしろ満更でもなさそうだ。
「セラさんと通えるようになるなんて、私も嬉しいです」
セラの隣に座る王女が微笑んでそう言うと、セラもぱっと彼女に笑顔を向ける。
『私もです。こうしてご一緒できるなんて、夢みたい』
「ふふ、本当にそう。でもクラスが別々なのは少し寂しいですけど」
『そうなんですよね。でもお時間が合う時は、お昼をご一緒できたら嬉しいです』
「お声掛けさせていただきますね、今から楽しみです。私カフェテリアにも一度行ってみたいの」
『おいしいクレープがあるんですよ、是非今度一緒に食べましょう?』
……いつのまにこんなに打ち解けたんだろう。
二人はこの後も自然と話題を見つけ、他愛のないことを楽しそうに話し始める。
季節のこと、学院の制服のこと、授業の内容。
僕はその光景を、なんとも言えない気持ちで見つめていた。
この世界では、王女は今のところセラに何もしていない。
けれど僕の中には前の世界での記憶がある。
そのせいでこうして無邪気に笑い合っている二人を、素直に微笑ましいとは思えなかった。
王女が何か企んでいるとしたら、僕が先に気付いて阻止する必要があると王女の様子を注意深く窺っていると。
そんな僕の視線に気づいたのか、王太子が意地悪な笑みを浮かべて声をかけてきた。
「沖田。お前、さっきからやたら熱心に千鶴を見てるね」
「え?」
不意を突かれ、思わず間の抜けた声が出る。
「まさかうちの妹に気があるの?」
全くの見当違いの言葉に、僕は目を見開いたまま一度言葉を失う。
「ふふ、総司さんにそう思って頂けるなんて光栄です」
「いや、僕は……」
「まあ、俺の妹は可愛いからね。沖田が気にするのはわかるけど、身の程をわきまえてもらわないと困る」
楽しそうに言っているあたり、王太子は本気で怒っているわけじゃなさそうだった。
僕は内心でげんなりしながらも、僅かな微笑みを浮かべて答えた。
「王女殿下に想いを寄せるなんて、身の程知らずなことはいたしませんよ」
王女も僕がそんな気持ちを抱いていないことは分かっているはずだ。
むしろこのやりとりは、王太子の軽口に付き合わされているようなものだから、軽く受け流すようにそう言った。
するとふと目の前のセラと視線がぶつかる。
また寂しげに目を逸らされるんじゃないかと思えば、少しだけバツが悪い気持ちになった。
でもセラは唇をきゅっと結んだあと、いつものようにふんわりと微笑んでくれた。
その様子から信じていると言われているようで、胸の奥がわずかに熱くなる気がした。
「まあ、千鶴よりセラの方が可愛いけどね」
王太子が突然そんなことを言い出せば、今度はセラが目を見開いて首を横に振った。
『そんな、それはあり得ないですよ。やめてください』
「なんで?俺からしたらお前のほうがずっと可愛い」
「総司さん、今の聞きました?いくらなんでも薫の態度は酷いと思いませんか?」
王女が少し眉をひそめてこちらを見る。
僕は軽く頷き、そこでふと思いついたように笑った。
「そうですね。セラを褒めるのは構いませんけど、学院でも惚気ていたら殿下のファンの子達が悲しみますよ」
「そんなものはいないし、いたとしたってどうだっていい」
「薫が女の人に興味を示すのはセラさんが初めてよね」
「余計なことは言うな、千鶴」
軽くたしなめる声に場は和らいだように見えたけど、僕の胸の奥には別の感情が沈んでいた。
これからも、こんな妙な関係は続いていくのだろうか。
本音を隠して、笑ってやり過ごして。
僕は慣れているけど、セラは違うのではないかと気にかかる。
愛らしく微笑むその笑顔の合間に、ふとセラの瞳が揺らいだことに気付いてしまった。
やがて学院の門が近づくと、馬車がゆっくりと止まり、僕たちは順に降りた。
先を行くセラと王女は並んで歩き、肩を寄せるように笑っている。
何を話しているのかは聞こえないものの、柔らかな笑顔と楽しげな仕草だけで、十分に胸を温められる光景だった。
その少し後ろを、僕と王太子が見守るように歩いて行く。
すると僕の横、視線を前に向けたまま、王太子がふいに言った。
「セラと千鶴は、随分と仲良くなったみたいだ」
「そうみたいですね。でも、殿下はどうなんです?」
「どうって、何が?」
「セラとは仲良くなれました?」
自分でも、わざとらしい聞き方だと思う。
けれどセラ本人からは聞きにくいことだった。
もし二人が急速に距離を縮めていたとしても、セラはきっと僕を気遣って話さないだろう。
軽く聞いたつもりでも、僕の内心は穏やかじゃなかった。
でも、知らないまま蚊帳の外に置かれるのは、それ以上に嫌だ。
王太子は視線を前に向けたまま、小さな声で呟くように言った。
「仲良く……なれたなら良かったんだけどね」
少し思い詰めた横顔が、ほんの一瞬だけ見えた。
「なかなかゆっくり話す時間も取れない。残念ながら、これと言って進展なしだ」
「意外ですね。てっきり頻繁にあの子の部屋に会いに行ってるのかと思ってましたけど」
「そうしたいのは山々だけど、あいつがね……話すなら昼間にしてほしいって言うんだ。夜に部屋に来られるのは困るらしい。やたら警戒されてるみたいで、やり難いったらないよ。俺は別に、無理やりどうこうしようなんて思ってないのに」
ため息混じりの声を聞いて、僕は胸の奥で静かに安堵する。
やっぱり、セラは僕のために王太子と距離を置いてくれている。
先日のことを思えばその理由も明確だから、その気遣いが嬉しかった。
「殿下も苦労されてるんですね。ご愁傷様です」
「その言われ方は釈然としないな。そもそも沖田、お前は俺に協力してくれないわけ?」
「嫌ですよ、なんで僕が。セラのことが好きなら、自力で堕としてみてください」
口では軽く流しながら、心の中でははっきりと思う。
悪いけど、あの子の心は渡さない。
むしろセラが靡かないと知って、他の令嬢に心移りしてくれれば万々歳だ。
「使えないやつだね。まあ……まだ時間はある。焦らずいくつもりだ」
「そうですよ。それに警戒されてるってことは、殿下もちゃんと男として見られるってことですから。良かったじゃないですか」
「どこが良いんだよ。お前、俺を馬鹿にしてるの?」
「してないですって。それに殿下なら大丈夫だと思いますよ」
「そんな適当なこと言われても、ちっとも嬉しくないね」
そう言った殿下の視線の先には、陽の光を浴びて微笑むセラの横顔があった。
それを見つめる彼の眼差しは、切なさと未練を滲ませていて、前の世界のことを思い出させた。
セラが命を落とした時の、胸を抉るようなこの男の声をまだ忘れられない。
だからこそ複雑な気持ちを抱え、僕は視線を逸らした。
「そういえば、俺は明日からしばらく王宮を留守にする。公務で他国を回るから、一ヶ月程は戻れない。その間、沖田がセラを気にかけてやってくれ」
「一ヶ月もですか。殿下も大変ですね。セラのことは僕がしっかり護りますので、ご安心ください」
「ああ、頼んだよ。あいつは真面目だから、頑張り過ぎて倒れられたら困る。注意深く見てやってくれ」
僕同様、殿下もセラには過保護らしい。
苦笑しながら、「お任せください」と小さく頭を下げた。
その後王太子や王女と別れ、僕達は数ヶ月ぶりに自分達のクラスへと顔を出す。
僕達に真っ先に気づいた平助は、顔にわかりやすく花を咲かせてにかっと笑った。
「セラと総司じゃん!」
「久しぶり」
「今日から復学されるんですか?お二人が来てくれて嬉しいです」
伊庭君も同じように微笑みを浮かべて僕達のところへとやってきた。
『今日からまた通うからよろしくね。私も二人に会えて嬉しい』
「俺も俺も!なんだよ、今日来るってわかってたら菓子とか沢山用意してたのにさ」
『ふふ、それ校則違反だよ。でもお菓子パーティー、いいね』
「だろ?まじ今度持ってくるから!」
「元気そうで安心しましたよ。王宮での暮らしはどうですか?少しは慣れたのでしょうか?」
『うん。だいぶ慣れてきたところだよ。今日からは妃教育と学業を並行して頑張るつもりなんだ』
「無理はされないでくださいね。勿論君でしたらうまく両立できると思いますが、何か困ったことがあればいつでも声を掛けてください。セラの力になれるのでしたら本望なので」
平助と伊庭君の柔らかい眼差しが心地良い。
セラも同じことを思っているのだろう、安堵したような彼女らしい微笑みで嬉しそうに頷いていた。
『ありがとう、頼りにしてるね』
「伊庭君ってセラへのアピールがいつも抜かりないよね」
「沖田君は黙っていてください。久しぶりの再会に水をさすのは感心しませんよ」
「でも総司もセラも久しぶりに会ったら王族の近寄りがたい雰囲気でも出ちまってんのかなって心配してたけどさ、変わってなさそうで安心したぜ」
『わからないよ?私はもう王宮暮らしをしてるし、これからはすこーし、偉く振る舞っちゃうかもね』
セラがわざとらしく得意気に言えば、伊庭君と平助は嬉しそうに笑っている。
「君が偉そうにしているところ、見てみたい気もします」
「確かに。試しに偉ぶってみてくれよ」
『えー?』
セラは笑いながら小首を傾げると、少し考える素振りをしてから目を細めて微笑んだ。
『二人とも、わたくしの前にひれ伏しなさい?こき使ってあげるわ』
「…………」
ぽかんとした平助と伊庭君を目の前に、セラの顔は僅かに赤く染まっていく。
どこかで聞いたことのあるこの台詞。
ここではない世界で、学院祭の日、僕の前でセラが女王様になりきった時のものだと思い出した。
あまりにも真顔で固まった二人の表情に、笑いが止まらなくなる。
「あっはは、平助と伊庭君の顔っ……」
『もう、どうして無反応なのっ……』
平助なんかは瞬きすら忘れたみたいにぽかんとしてるし、伊庭君に至っては口を半開きのまま硬直だ。
「いや、だって急に何言ってんだよ。セラがそんなこと言うなんて反則だろ」
『だって、平助君が試しにやってみてって言ったんだよ?』
「なんつーか、ちょっと心臓に悪いって」
『でも、これは前に読んだ本に書かれてた台詞だもん』
セラは慌てて否定しながら僕の方をちらりと見てくる。
視線が合った瞬間、その耳まで赤くなっていくのがわかった。
平助も顔が赤いし、伊庭君を見れば彼も僅かに頬を染めていた。
「……いや、ですが、似合ってましたよ。ちょっとドキッとしてしまいました」
『それなら良かった……のかな』
「たまには傲慢なセラもいいものですね。今日一日は是非、先程の感じで僕をこき使ってください」
『え……』
「ははっ、伊庭君はセラに奴隷のようにこき使われたいらしいよ」
「それなら俺もあやかりたい!」
平助が勢いよく手を挙げると、セラは目を丸くして、すぐに首を横に振った。
『もう、何言ってるの?わたし、そんなことしないから』
「でもさっきこき使ってあげるって言ったのはセラだよ。だったら平助と伊庭君をまとめて使ってあげたらいいんじゃない?」
「是非、命令してみてくださいよ」
伊庭君が穏やかに促したものの、セラは両手を胸の前でぶんぶん振った。
『絶対無理、そんな恥ずかしいことできないよ』
「じゃあ、お茶を持ってきてくらいならいいんじゃない?」
「確かに。それくらいなら可愛いもんだよな」
平助の言葉を聞いてセラは半ば困った様子で考えてから、そっと僕達を見回し控えめに言った。
『……じゃあ、わたしのためにお茶を淹れてきなさい?』
「お、おう!任せとけ!」
「仰せのままに、お嬢様」
平助はなぜか胸を張り、伊庭君もにこやかに立ち上がる。
その様子をセラは苦い顔して見ていたから、僕は再び笑ってしまった。
「ほらね、やればできるじゃない」
『もう、総司のせいだよ』
「えー?僕のせい?それは光栄だな」
笑って返すと、セラはさらに顔を赤くする。
その様子があまりにも愛らしくて満足していると、セラに勢いよく抱きついてきたのは千ちゃんだった。
「セラちゃん!ようやく来てくれたのね、もうずーっと待ってたのよ!」
『千ちゃん!久しぶりだね、会えて嬉しい』
「私もよ。待ちくたびれて死ぬかと思ったんだから。斎藤君だってセラはいつ来るのだろうかって毎日のように呟いていたのよ」
『ふふ、ありがとう』
千ちゃんの後ろからやってきたはじめ君も、セラを見ると嬉しそうに頬を緩めていた。
「元気そうで安心した。今日からはまた通常通り通えるのか?」
『うん。復学したから、また前みたいに学院に通うよ。また仲良くしてね』
「ああ、当たり前だ。セラの話を聞きたい故、今日は沢山話してくれ」
「私も聞きたいわ。だって未来の王太子妃様だもの。守秘義務がどうとか言わせないんだから」
『ふふ、わかったよ。二人に話したいこと沢山あるよ』
嬉しそうな笑顔を見ると、僕まで嬉しくなる。
でも腑に落ちない点が一つ。
「ねえ、二人とも。僕のこと忘れてない?」
僕もセラと同じタイミングで休学して、今日は久しぶりの登校なんですけど。
それなのに二人の視界にすら入れてもらえてない気がする。
「あら、沖田君。久しぶり」
「あんたもいたのだな」
「うわ……、その反応は地味に傷付くんですけど」
少し悪戯な笑みを浮かべた千ちゃんとはじめ君の様子に笑ってしまうけど、そんな僕達を見てやっぱりセラも笑っていて。
この時間がずっと続けばいいと、ふとそんなことを考えてしまった。
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