7

夜の暗闇が宮廷の窓に溶けていく頃、呼び出しを受けていた僕は仕事を終えてすぐ、王太子の私室へ向かった。
垂れてくる汗を拭ったものの、体にはそのままの疲労が残っている。
王宮の廊下はやたら静かで、足音だけが規則正しく響いた。

王太子の部屋の前に立ち、扉を叩くと、すぐに「入れ」という声が返ってる。
室内へ足を踏み入れると、机に書類を広げたまま椅子に腰かけていた王太子が顔を上げた。


「遅かったな、沖田。俺を待たせるなんていい度胸してるよ」

「申し訳ありません。ですが、仕事を終えてすぐに来たんですけどね」

「まあ、そういうことにしてあげてもいいけど」


王太子は軽く笑い、手元の紙をひらひらと掲げてみせる。
そこには任務の命令書らしき文面が並んでいた。


「読んでみてくれ。沖田に就いてもらう仕事だ」


僕は一歩前に出て、その紙を受け取る。
視線を走らせると、そこに記されていたのは国境近くの反逆勢力への対処だった。


「国境防衛ですか?」

「そうだ。最近になって反逆分子が動きを見せている。数は多くはないが、放っておけば面倒なことになるからね」

「……で、僕を含めた数人の騎士でその連中を片付けてこいと?」

「察しがいいな。お前はすぐに呑み込んでくれるから助かるよ」


王太子は静かに笑った。
笑みはいつもと変わらないようで、どこか冷たくも感じられた。


「外交上、今は微妙な時期だ。表立って大軍を動かせば、隣国はこれを王国の攻勢と受け取るだろう。大事を取るならば、外に紛争の火種を見せたくない。だから現地の治安回復として、騎士団の一部を差し向けるのが得策だと考えた。勿論、状況次第では増援を手配するつもりではいるが、まずは現地を固め、交戦が長引くようなら補給線を確保して持ちこたえてくれ」

「つまり表向きは小競り合いの鎮圧……ってわけですか」


僕は紙を見つめたまま黙り込んだ。
文面は簡潔に書かれていたものの、任務内容ははっきりしている。
二十名ほどの部隊で国境へ出て、反逆勢力の進軍を押さえ込む必要があり、増援は状況を見て派遣されるとのことだ。


「反逆勢力の名前を聞いても?」

「ドランヘルの残党だ」


その名を聞いた瞬間、思わず眉をひそめて紙から目を上げた。


「まさかあの、ドランヘルですか?」

「そうだ。あいつらはしつこい。数こそ減ったが、戦に慣れた連中ばかりだ。甘く見れば痛い目を見るからね」

「それを二十人程度でなんて、冗談ですよね」

「本気だけど?」


王太子はまるで面白がるように唇を吊り上げた。


「無理だとでも言いたいのか?躊躇わずに人を斬れるお前ならやれるだろ。まずはお前達が現地を抑え、増援まで持ちこたえてくれればいい」


僕は一度口を閉ざした。
けれど胸の奥では既に苛立ちが膨れ上がっていた。


「僕はセラの近衛としてここにいます。彼女の護衛を放棄するようなことはできませんよ」

「護衛、ね」


王太子は小さく笑い、指先で机の縁を弾いた。


「明日から俺とセラはしばらく王宮を離れる予定だ。俺たちの護衛は俺の近衛に頼んであるから、セラの心配は要らないよ。だからお前の護衛は当面不要だ。その代わりに、沖田を今回の任務の先遣隊長に任命する。名誉なことだろ?」

「ですが、この任務には納得できません。敵の数も情報の正確さも不透明で、国境での衝突ともなれば一週間や二週間では済まないかもしれない。僕に率いろと仰せですが、王宮に来たばかりで、尚且つ近衛騎士である僕がこの任務に就く理由が見えないんです」

「沖田。俺はお前の納得なんて必要としてない。命令に従えないなら、お前はもう不要だと見なすけど、それでいいの?」


一瞬、部屋の空気が張り詰めた。
その言葉には脅し以上のものが込められていたからこそ、背中にら嫌な汗が伝うようだった。


「……不要、ですか」

「そうだ。そもそも、この状況でよく言えるな。お前とセラの関係を表に出していないだけでも感謝してほしいくらいだ。それともお前はセラを巻き込んで、大事にした方がいいと思ってるの?」

「そんなわけがないじゃないですか」

「言っておくが、俺はセラにお前達の関係のことを話すつもりはない。そんなことを話せば、あいつが苦しむだけだろうからね。お前がどういうつもりでここに来たのかは知らないけど、セラを護りたいなら何を選択するべきなのかはお前にだってわかるはずだ」


その言葉を聞いて思い出したのは、前の世界でのことだった。
シャンデリアが並ぶ王宮の大広間で、王太子に迫られた選択。
僕があの時セラを諦め、あの子の幸せをただ願っていたら別の未来があったのか。
セラがあんな死を遂げることはなかったのではないかと、何度だって考えた。
結局どちらを選んでも僕達が引き離される運命であるなら、僕は今度こそ君を諦める選択をしてあげるべきなんだろうと唇を噛み締めた。


「僕が断れば、殿下はどうなさるおつもりですか?」

「お前をセラを唆した者として断罪するだろうね。でもそれはセラが一番苦しむ方法だと思わないか?それにセラは余計に俺を遠ざける。だからこの方法は俺としても気乗りはしない。俺はセラに嫌われたくはないからね」

「……つまり、僕にこの任務で戦死しろと?」


核心をついた言葉を聞いて、王太子は微笑んだ。
それは美しく整った顔立ちに似合わない、冷酷な笑みだった。


「それはお前次第だ、沖田。お前の力が大したことないなら、そうなるだけのことだろ。その時はこの国のために潔く死んでくれ。それが騎士の務めだろうからね」


机越しに視線が絡む。
挑発のようなその笑みに、僕は言葉を返せなかった。
ただ、胸の奥で燃えるような熱と冷たい怒りがせめぎ合っていた。


「セラは、僕がこの任務に就くことを知っているんですか?」

「勿論知らない。あいつはさっき、自分の護衛がないなら沖田に休暇を与えてやって欲しいと言ってきたからね。俺は快く承諾してあげたんだ」

「僕に休暇なんてあるんですか?」

「あるわけないだろ。お前は明朝出発だ。早く部屋に帰って、少しでも休んだ方がいいんじゃないか?」

「はっ……、セラに嘘をついたんですね」

「お前だって嘘塗れじゃないか。セラにも本当の自分なんて見せる気ないだろ」


確かに僕は、セラに醜く歪んだ自分の一面は見せていない。
それでも僕は、あの子の前では自然体でいられた。
気張ることもなく穏やかに過ごすことができた。
セラに優しくしていたのも、僕の本心がそうしたかったからだ。
それを嘘塗れだと言われるのは心外で、拳を握りしめて王太子を睨みつけた。


「……その顔を見れば、お前の本心がよくわかるよ。俺のことなんて、最初から友人だと思ってすらいなかったんだろ」

「当たり前じゃないですか。むしろ一番セラに関わって欲しくないと思ってたんですから」

「それなら残念だったね。これは沖田が一番望まない展開だったわけだ」

「そうですね。でもそれは殿下も同じではないですか?」

「なんで俺が?お前が消えてくれさえすれば、こっちは何の問題もない」

「本当にそうですかね。僕がこれで死ぬことになれば、セラが僕を忘れて殿下を好きになると?」

「ああ。人の気持ちなんて変わるものさ。お前が死ねばセラはいずれ俺を見てくれる。わかりきったことだ」

「すごい自信ですけど、それは絶対にないと思いますけどね」


笑いながらそう言ってのければ、王太子の眉が僅かにだけど確実に歪んだ。


「僕がこの任務で死ぬとしましょうか。そうすれば、セラの心は余計に僕から離れられなくなると思いますよ」

「は?お前こそ、その自信はどこから来るんだよ。死んだら何も残らない。忘れ去られるだけじゃないか」

「何も残らないからこそ、セラは僕への想いだけは消えないように残してくれます。そういう子ですから」

「ははっ、お前……救いようのない馬鹿だね。自惚れるのも大概にしたら?」

「ただの自惚れだと思います?僕は確信があるからそう言ってるんですよ。僕がこれで死んだら、あの子の心は永遠に僕のものだ」


僕達はこの世界でも幾度となく言葉を重ねてきた。
その中でセラの想いや考えていることも、何度だって感じてきた。
きっとあの子は今も僕を王宮に連れてきてしまったことを後悔していて、自分の存在が僕を縛っていると思っている。
僕が強引についてきただけだから気にする必要なんてないのに、僕を想って心を傷めてしまう優しい子だ。

だからこそ、王太子に僕にも休暇を与えるように要請してくれたのだろう。
自分だけ王太子と王宮を出て過ごすことが、あの子にとってはただの重荷であり、罪悪感でしかないからだ。

そんな中、もし僕がこの任務で命を落とすことになったらセラはきっと自分を責めてしまうだろう。
自分のせいで僕が死んだと、そう思い込んでしまうのだろう。
そしてその感情は呪いのようにあの子を縛り付けて、雁字搦めにしてしまうに違いない。
せめて僕への想いだけは裏切らない、そう思って僕に捕らわれたままになってしまうんだろうね。

だから僕はこの任務を遂行したとしても、易々と命を落とすわけにはいかない。
僕はこんな方法であの子の心を縛り付けたいわけじゃないからだ。


「そう思えるなら良かったじゃないか。それなら死んでも淋しくはないだろ」

「殿下は僕を消したいんですね。セラに嫌われずに」

「俺はお前を殺す気なんてない。ただ、お前が死んでも困らない状況を作っているだけだ」


結局以前の世界と同じ展開だと、悔しさと怒りで胸が締めつけられる。
胸にあるのはただ一人、セラの傍であの子を護りたいという想いだけなのに、その想いさえ利用されて僕を縛る鎖になる。


「さあ、選んでもらうよ。命令に従ってその身を国のために捧げるか、罪を裁かれて消されるか」


僕が選ぶべき選択はもう決まっている。
この任務で生きて帰ってこれたとしても、僕の行く末なんて目に見えてることだけど、セラが頑張って生きているこの世界で、僕もまだ足掻き続けていたかった。


「分かりました、任務は受けます。ですが、僕はそう簡単に死にませんけどね」

「いい返事だ、沖田。楽しみにしているよ」


僕は頭を下げ、王太子に背を向けた。
扉を閉めた瞬間、肩に重い影が落ちた気がしたけど、歯を食いしばり歩き出した。

最後に一目会えないかとセラの部屋の近くまで行ったけど、部屋の前には護衛騎士が三人、厳重に扉の前に立っている。
「明日も来てくれる?」とそう言って僕を見上げたセラの顔を浮かべながら、心を苦しくさせることしか出来なかった。

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