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体調が回復した次の日から、私は薫様に連れられて王都の色々な場所を回った。
広場で行われた楽団の演奏を聞いたり、綺麗な薔薇園に足を運んだり。
アストリア公国からあまり他国に出たことのなかった私にとってはとても新鮮で、色々な場所に実際足を運び、その目に触れることはとても勉強になると感じた。

けれど、どんなに綺麗なものを見てもどんなに美味しいものを食べても、私の心の中には総司がいる。
心から楽しんだり感動することができないのは、隣に総司がいないからだと思っていた。


「あーあ、一週間もあっという間だね。明日からまた公務に追われる日々が来ると思うと憂鬱だ」


一週間の長旅に疲れた私達は、王宮に戻りテラスでゆっくりお茶をしていた。
宿先での部屋は別々だったけど、寝ている時間以外は基本薫様と一緒に過ごしていたから、少しだけ気を張ってしまった。
でも薫様は、常に私を気遣い優しく接してくれていたから、こうした気遣いには感謝していた。


『そうですね。私も明日からは気を取り直して妃教育頑張ります』

「お前はあんまり憂鬱そうに見えないね」

『はい、全然憂鬱ではないです。慣れるまでは大変でしたけど、ルヴァン王国のことや王太子妃として相応しい立ち振る舞いを学べるのは楽しいですから』

「あんなのが楽しいの?変なやつ」


薫様はそう言って笑うから、私も合わせて微笑みを返す。
それに今言ったことは本心だけど、明日からまた総司に会える。
そのことが、ただ純粋に嬉しかった。


『一週間とても楽しかったです。本当にありがとうございました、薫様』

「礼には及ばない。俺も楽しかったし、セラが少しでも楽しめたなら良かった」

『はい、すっかり気持ちも明るくなりましたよ。私も薫様のために何かしたいので、公務がお忙しい時は、いつでもお仕事を回してくださいね?』

「お前にできるの?」

「公爵邸にいた頃は、公務のお仕事にも少し携わっていたんです。わからないこともあるかとは思いますが、教えていただければ尽力させていただきます」

「教えるのが手間じゃないか」

『もう、そんなことを言って。長い目で見たら、私を頼られた方が薫様にとってもいいことだと思いますよ?』

「ははっ、そんなに役に立つ自信があるんだ?」

『はい。いずれ頼もしい妃だと薫様に認めていただけるように精進するつもりですから』


もし本当に理想の妃になれたとしても、私の罪は消えないだろう。
この罪悪感もなくなってはくれないだろう。
むしろ善意からくる自分の行動ですら、今は取り繕うだけのもののように感じてしまうから、笑顔でそう告げた後、ふと目を伏せた。


「ありがとう。そうやって気遣ってくれて」


思わず顔を上げれば、ずっと悪戯に笑っていた薫様の笑顔がふっと柔らかくなる。
そして私の手には、彼の温かい手が重ねられた。


「千鶴は体調を理由に何一つ手伝ってくれないんだ。だから当たり前に全部自分でやるものだと思ってきたけど、セラがそう言ってくれると気持ちが楽になる」

『そう思って頂けるなら良かったです』

「大変な時は、本当にお前に頼ってもいいの?」

『はい、勿論です』

「わかった。じゃあその時は甘えさせてもらう。そのかわり、お前も俺に甘えてくれる?」


小首を傾げてそう尋ねてくる薫様は可愛らしかった。
でも私が甘えたいと思うのも、心から甘えられるのも総司だけ。
だから言葉に困ったけど、この流れで首を横に振ることはできなかった。


『はい』

「本当に?お前は全く俺に甘えてきてくれなさそうだけど」

『そんなことありませんよ。この旅行中もたくさん甘えさせて頂きました』

「は?どこが?」

『例えばおいしいものを沢山ご馳走になりましたし、綺麗な場所や楽しい場所にも沢山連れて行っていただきました』

「俺が言ってるのはそういうことじゃない。わかるだろ?」


今度は睨まれてしまったから、少し気不味くなり、視線を僅かに泳がせた。


「今、あからさまに目を逸らしたよね」

『逸らしてません。それにそういうのは、一緒に過ごす時間が長くなればなるほど自然とできるようになるものじゃないですか?』

「まあ、そうかもしれないけどね。そう言えば、聞きたかったんだけど」

『はい?』

「お前と沖田は知り合って何年経つの?」


いきなり総司の話を振られて、私は目を瞬かせる。
そして急に心に花が咲いたように色付いてしまうから、そのことに気づかれないよう静かな声で言葉を返した。


『あと少しで四年になります』

「四年?なんだ、意外と大したことないんだね」

『大したことない、ですか?』

「なんとなく、もっと幼少時代からの付き合いがあるのかと思ってた」

『知り合ってからの長さで言うと、護衛として学院に通ってくれている伊庭君と平助君の方が総司よりずっと長く知り合いですよ』

「それなのに、沖田がいいんだ?」

『え?』

「専属騎士。その二人じゃなくて、沖田がなっただろ」


今の質問には、驚いて身体が一瞬強張ってしまった。
気付かれないようにホッと息を吐き出して、私は薫様に微笑みを向けた。


『総司はアストリア騎士団主催の大会で優勝したんです。それに騎士階級も特級持ちなので、私の父が総司を任命しました』

「まあ、そうか。剣の実力で見れば確かに沖田が適任だったのかもしれないね」

『はい。実際総司は仕事の面でもとても真面目ですし、私自身何度も助けてもらっていますから』


当たり障りのないことしか答えられなかった。
頭の中には総司のいいところが沢山溢れてきてしまうけど、何一つ私自身の言葉としては話さなかった。

でもこの四年間、私達は幾度となく言葉を重ねてきた。
その中で総司の想いや考えていることも、何度だって感じてきた。
勿論全てを理解できているわけではないけど、総司が私に向けてくれる愛情だけは他のどんなものよりも信じることができる。
総司への想いが、私の心の中の一番大切な柱だ。


「まあ、騎士だから主人を護るのは当然の責務だろうからね」


たとえそうだとしても、総司は騎士という立場を超えて私を大切にしてくれた。
他愛のないやり取りをしている時でも私が幸せを感じられたのは、総司がいつも私を見つめて優しい眼差しを向けてくれていたからだ。
ただ好きとか、恋をしているとか……そんな言葉だけでは片付けられないこの想いは、きっと誰にも伝わらないだろう。
だけど、総司も同じ想いでいてくれていると信じられるから、それだけで十分だと思えた。


『そうですね。ですが、とても感謝しています。総司にも、伊庭君と平助君にも』


薫様はその言葉を聞いて、ふいと視線を逸らす。
その様子をただ黙って見つめていると、再び彼が私を見つめた。


「そう言えば沖田の休暇は昨日までだったんだ。今日からは別の任務に就いてもらってる」


薫様が穏やかな声で告げられた言葉に、胸の奥が小さく震えた。


『……別の任務、ですか?』

「ああ。と言っても国境沿いの防衛任務だ」

『防衛……それは、安全なんですか?』


問いかけながら、自分でも声が心細く揺れているのが分かった。
総司は私のために近衛騎士としてここに来てくれたのに、どうしてそんな遠い場所に?
そう思っても薫様に直接聞けるはずもなく、一番怖いと思ったことだけを口にしていた。


「心配はいらない。あれは宮廷の騎士団が交代で就いている任務なんだ。防衛といっても、敵が攻めてこない限り剣を抜くことはない。実際は他国への牽制に置いているだけにすぎないからね」

『そうなのですね』


安堵の吐息が唇からこぼれそうになる。
でも胸の奥はまだ波立っていて落ち着かなかった。


『近衛騎士でも、そのような任務に就くものなのですか?』

「騎士だから、国のためにいざという時は戦ってもらわないと困る。近衛騎士と言っても、護衛だけが務めじゃないんだ。それはお前がいた公爵家でもそうだっただろ?」


薫様の静かな言葉に記憶が自然と呼び起こされると、確かにそうだった。
総司はいつも私の傍にいてくれたけど、時には他の任務に呼ばれて数日戻らないこともあった。
そのたびに私は不安で、帰ってくるまでずっと窓辺に座って夜を過ごしていたことも思い出した。


『……確かに、そうでした』


そうだとわかっても、やっぱり不安は消えない。
防衛任務とは言え、万が一敵が攻めてきたら戦いになる。
剣を振るい、命を賭ける戦いに。

私は総司が怪我をするのが怖い。
総司が血を流して倒れることを想像してしまうと、胸が締めつけられて、彼が戻ってくるまで何も手につかなくなってしまう。
薫様はそんな私の気持ちを悟ったように、やわらかな声を落とした。


「大丈夫だ。俺の知る限り、今まで一度も防衛戦になったことはない」

『……そうなのですね。それを聞いて少し安心しました』

「ああ。心配しないで待っていればいい。戻ってきたらまたお前の近衛として働いてもらうよ」


私はかろうじて笑みを浮かべ、そっと頷いた。
でも安心しているふりをしただけで、心の中は全然違う。
総司の姿を思い浮かべれば浮かべるほど、不安でたまらない。
けれどその気持ちを表に出すわけにはいかなかった。

どうか総司が今日からの任務で苦しい思いをしませんように。
防衛戦にはならず、怪我をせずに戻ってきてくれますように。
そう切に願いながら、最後に会った総司の微笑みを思い浮かべてばかりいる私がいた。


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