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夜の王宮は静かで、渡り廊下を歩く私たちの靴音だけがかすかに響いていた。
薫様と並んで歩いていると、天井の三角窓から覗く夜空が目に入る。
星がこぼれそうなほど瞬いていて、今夜はとても澄んで見えた。
「良かったね、沖田が無事目覚めて」
私の自室に着くと、薫様の低く穏やかな声が聞こえてくる。
私は小さく頷いて、込み上げるものを必死に押さえながら言葉を紡いだ。
『はい。薫様が王宮医師の方々に迅速に対応してくださるよう、お声掛けくださったおかげです。本当にありがとうございました』
涙で声が震えてしまう。
総司が医務室に運ばれてきたあの日を思い出す。
全身血に濡れ、呼吸も浅く、声をかけても返事はなくて。
医師には「今夜を越せるかはわからない」と言われていた。
あの三日間、私は何度も崩れ落ちそうになった。
妃教育の合間を縫って、ただ彼の枕元で祈ることしかできなかった。
私の命を差し出してでも総司を救ってほしいと、何度も願っていた。
そして今日、総司がようやく目を覚まして私の名前を呼んでくれた。
まだ苦しそうな顔だったけど、「大丈夫だよ」と微笑んでくれた。
あの瞬間、世界が光に包まれたように思えた。
それがどれほど特別で大切なことなのか、私はようやく気付かされた。
「前に言った俺との約束、覚えてるよね」
薫様がふと、探るような眼差しでこちらを見る。
私は迷わず頷き、涙をこぼしそうになりながらも微笑んだ。
『勿論です』
「それならいいけど。沖田と話して、やっぱり気が変わったなんて言われたら困るからね」
『むしろその逆です。今回のことで、本当に大切なことが何かわかりました』
「大切なこと?」
薫様に促され、私は胸に手を当てて言った。
『はい。私は総司が元気に生きていてくれたら、それで幸せです。今はまだ身体もぼろぼろで……とても元気とは言えませんが、これから少しずつ回復して、アストリアでまた健康に暮らしてくれたら……それ以上はもう、何も望みません』
そう言い切ると、胸の奥にあった想いが次々とあふれてきた。
一緒にいたい気持ち、大好きだと想う気持ち、隣で笑い合っていたいと願う気持ち、私だけを見ていてほしいという気持ち……。
数えきれないほどあるけど、そのすべてよりも私が一番に望むのは、総司が生きていてくれること。
総司の命が消えてしまうかもしれないと気付いたとき、ようやくその結論にたどり着いた。
だからこの先一緒にいられなくても、二度と笑い合えなくても、この空の下で総司が生きていてくれるだけで、私はまた歩いていける。
総司の幸せを願うことができるだけで、私は十分幸せだ。
「そう。まあ……沖田はそうは思わないだろうけどね」
薫様の言葉に、胸が少し痛んだ。
きっと総司は「一緒にいることが幸せだ」と言ってくれるだろう。
もちろん私にとってもそうだ。
けれど理想だけに縋って大切な命を失ってしまったら、もう取り戻せない。
今回、あと少しでも気付くのが遅れていたら。
もし増援が間に合わなかったら……私は一生総司を失っていたかもしれないから。
「そういえば、医師が言ってたんだ。沖田の右腕……恐らく以前のように剣を振るうことは難しくなるだろうって」
『……それは、完治はできないということですか?』
「まだ断言はできないらしいけどね。ただ筋を痛めた上に損傷が深い。今後も力が入りにくくなる可能性が高いらしい」
その言葉を聞いて、胸の奥が抉られるように痛んだ。
なぜなら私は、総司がどれほど努力を重ねてきたか知っている。
人一倍努力して、誰よりも強くあろうとしてきたのに。
その夢や誇りを奪われてしまうかもしれない現実が、あまりに酷で……涙が滲む。
薫様はそんな私を見つめ、ひとつ小さくため息を洩らした。
「言っておくけど、これはあくまで可能性の話だ。今から悲観的になる必要はない」
『……はい。ですが、このことを総司が知ったらと思うと、どうしても……』
「その件だけど」
薫様は言葉を区切り、少し真剣な顔つきになった。
「沖田をアストリアに戻すには、表向きの理由が必要だ。王宮の近衛騎士が、わずか数か月で任を解かれて戻るのは不自然だからね。そこで今回の負傷を理由にする。重傷を負い、回復に長い療養が必要となったため、職務の継続が困難になった……という理由にすれば陛下も近藤公も納得せざるを得ない」
『確かにその理由が一番自然かもしれません』
「それにアストリア騎士団に戻すことは決して降格にはならない。むしろ身を賭して国を護った結果の負傷だと伝えれば、沖田の名誉は保たれる。それが筋の通った説明になると思うしね」
薫様の言葉に、胸の奥で小さく安堵が広がった。
総司が誇りを失うことなくアストリアに戻れるようにしてくださっている……その気遣いが、痛いほど伝わってきた。
『ありがとうございます、薫様。総司のことを真剣に考えて頂けて、本当に感謝してもしきれません』
声が震えてしまったけど、どうしてもその一言を伝えずにはいられなかった。
そんな私の様子を見ていた薫様は、少し視線を逸らしながらぽつりと口を開いた。
「礼は必要ない。お前と約束したことだからね。セラが納得する形で終わらせなければ、それこそ沖田に未練が残るかもしれないだろ?それは俺にとっても望むところじゃない。だから仕方なく善処してやっているだけだ」
少しつんとした言い方だったけど、それが薫様なりの優しさだと思える。
その奥にある思いやりが伝わってきて、胸が温かくなった。
『薫様が私のお願いを聞いてくださったから、私も薫様との約束は絶対に守ります』
そう告げると、薫様はふっと目を細めて笑った。
「当たり前だ。沖田がアストリアに戻ったら、もう遠慮はしないけど、いいんだよね」
そう言いながら、隣に座っていた薫様が身を乗り出すように顔を近づけてきた。
突然の距離に思わず瞬きをしてしまったけど、逃げずに微笑んで頷いた。
『はい。その時は改めてよろしくお願いします』
「わかった。それなら沖田の容態が安定する一ヶ月の間は、好きにしたらいい」
『え?』
「見舞いくらいは許すと言っているんだ。お前が全く顔を出さなければ、それこそ沖田に疑念を抱かせる。だからと言って、今後のことを事前に話せばあいつは必ず反抗するだろ。だから極力、今は言わない方がいい」
確かに……と思った。
私は小さく唇を噛みしめ、ぽつりと打ち明けた。
『そうですね。実は私も、総司にこのことをうまく話せる自信がなくて……』
公爵邸でのあの夜、総司が涙をこぼした姿を見た。
その姿を見てしまえば、私には突き放すことなんてできなかった。
総司を悲しませたくない、一緒にいたいと願う気持ちが勝ってしまって……その結果、私は彼を余計に傷つけることになった。
もう同じ過ちは繰り返さないと誓ったけど、もし私の口から「アストリアに戻ってほしい」と告げたら、総司は納得してくれないかもしれない。
そして薫様と対峙するようなことになれば、ここまで整えていただいた話も壊れてしまうかもしれない。
それだけは絶対に避けなければと、私は意を決して言葉を紡いだ。
『総司の容態が安定したら、このことは決定事項として薫様から総司に話していただけませんか?私の意志だと伝えて頂いて構いません』
「お前はそれでいいの?」
『はい。それが一番、私たちにとっていい選択だと思うんです。これ以上……私の事情に総司を巻き込んで、辛い思いをして欲しくないですから』
声は少し震えてしまったけど、迷いはなかった。
私が言葉を重ねれば重ねるほど、総司を傷つけてしまうかもしれない。
だからせめてお見舞いに行く間だけは、今まで通りに笑い合いたい。
私達に残された最後の時間を、少しでも穏やかで温かな思い出にしたかった。
そして、総司がここを去る日。
私は一枚の手紙を書こうと決めていた。
その一枚に、総司への想いをすべて記して……それで終わりにする。
それが総司を護るために私が出した、揺るぎない答えだった。
薫様は短く息をつき、真っ直ぐに私を見た。
「わかった。陛下には俺から話を通しておく。許可がおりれば、陛下から近藤公に正式な通達が届くはずだ。そのうえで、俺自身からも近藤公に書簡を送るよ」
その言葉に、胸の奥が少し軽くなった。
どこまでも先を見据えて、出来る限りの対応をしてくださっている。
それは薫様の強さであり、私にはできないことだった。
『ありがとうございます。よろしくお願いします』
私は小さく頭を下げ、微笑んだ。
けれどその笑顔の裏で、総司の儚げな笑顔が胸に浮かんでしまう。
総司はまだ知らない、もうすぐ別れが来ることを。
それを隠したまま、あと少しだけ一緒に過ごそうとしている私を許してほしい。
どうか、この選択が間違いではありませんように。
どうか、総司がアストリアで幸せに暮らしていけますように。
胸の奥で必死に祈りながら、総司の幸せを願う私がいた。
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