3

ベッドの上に横たわる時間は、驚くほど長く感じる。
天井ばかりを見つめて過ごす日々は、退屈で仕方がなかった。
だけどそんな時間もセラといると、あっという間に過ぎていく。
療養生活が始まって何日か過ぎた今は、セラに会えることだけを楽しみにここでの毎日を過ごしていた。

セラは妃教育で多忙を極めているはずなのに、合間を見つけては僕のもとへ来てくれる。
明るく話題を振って、わざと冗談めかして僕を笑わせてくれたり、甘い果物を少しずつ切って口に運んでくれたり。
退屈を気遣ってか、僕の好みそうな本を選んで持ってきてくれるのも嬉しい。
何気ないことなのに、それがどれほど僕の心を救ってくれているか計り知れない。
セラが傍にいるだけで、不思議と力が湧いてくる気がしていた。


『今日はこの本を持ってきたの。こういうの好きかなって思ったんだけど、どうかな?』


セラが差し出したのは革表紙の旅の記録集だった。
見知らぬ土地の風景や人々の暮らしが丁寧に記されていて、僕は思わず口元を緩めた。


「へえ、よく分かってるね。こういうの読むの好きなんだ。自分が行ったことのない場所の空気を想像するのって、結構楽しいんだよね」


その言葉に、彼女はぱっと笑顔を見せた。


『良かった。私もこういう本、好きなの。行ってみたくなっちゃうよね』

「そうだね。でも僕は別に、どこか遠くに行かなくてもいいかな」


開いた本に視線を落としながら、言葉がこぼれる。


「こうしてセラがいてくれるだけで、十分に世界は広がってる気がするしね」

『総司……』


何気なくそう言っただけなのに、セラからは切なげな声が返ってきた。
潤みを帯びた瞳に射抜かれ、何故か胸の奥が疼いてしまう。


「ほら、そんな顔しないで」


軽く笑ってみせたものの、セラは気遣うように僕を上目で見つめた。


『総司……無理はしてない?何か心配事とかあったら、なんでも話してね?』

「そんなのないよ。だからセラも心配しないで」


本心を言えば、今後の僕の処遇が気になる。
あの王太子が僕の存在に目を瞑るとも思えないし、かと思えばこうして僕に療養する場や休暇を与え、セラの見舞いまで許可している。
今回の任務で増援が来なかったのも王太子の策略だと思っていたけど、最終的には増援が送られこうして僕は今も生きている。
何度考えてみても、まるで状況が読めなかった。

けれど王太子は以前、僕とセラの関係に気付いていることをセラに話すつもりはないと言っていた。
実際セラもそのことについては何も話してこないし、知らないのであれば心労を与えることはしたくない。
僕が自由に動けない身体でいるうちは尚更、余計な行動は起こさない方がいいだろうと大人しくしていた。


『それならいいんだけど……』

「僕はね、セラが傍で笑ってくれるだけで元気になれるんだよ。だからそんなに悲しそうな顔しないでよ」

『うん。でも私はやっぱり総司の力になりたいの』

「もう十分なってるよ」


即答すると、彼女の瞳が驚きに揺れる。


「果物を食べさせてくれたり、本を読んでくれたり……そういうことがどれほど僕を支えてくれてるかわかる?」


静かに告げる言葉は偽りではなかった。
セラが傍にいてくれるからこそ、僕はいつも前向きでいられる。
俯いたセラは、少しして恥じらうように微笑んだ。


『よかった。総司にそう思ってもらえるなら、私も嬉しい』


その儚い微笑みを見て胸の奥が震え、護りたいと思った。
どんな未来が待っていようと、どれほど自分の身体が壊れていこうと、セラだけは絶対手放さない。
その想いだけはどうしたって変わらないと強く思った。



そして日々は流れ、療養生活も二週間が過ぎた。
毎日同じ景色ばかりを見ていると、時間の流れが歪んでいるみたいに感じてしまう。
傷は少しずつ癒えているはずなのに、思うように動かない身体が歯痒くて仕方がなかった。

そんな中で、今日もセラは僕のもとに来てくれる。
彼女が笑顔で部屋に入ってくるだけで、張りつめていた気持ちがふっと緩むのを感じていた。


『総司、今日の体調はどう?』


セラはベッド脇に腰かけ、まっすぐに僕を見つめてそう聞いてくる。
その眼差しが真剣だからこそ、僕はいつも通り、軽口で返してしまった。


「調子はいいよ。もういつでも復帰できるかな」


自分でもそれが強がりだってわかってる。
胸の奥では、不安ばかりが渦を巻いているのに。
セラもそんな僕の心情には気づいているんだろう。
でも余計なことは何も言わず、柔らかく微笑んで僕を見つめた。


『それなら良かった。でも今は焦らないで、ゆっくり治してね。総司なら大丈夫だよ』


その言葉や優しさがあまりにも真っ直ぐで、ずっと隠してきた弱音が、ふと口を割って零れてしまった。


「なんか……右手がね、まだうまく力が入らないんだよ。それが不安でさ」


正直、食事のときにフォークを持つだけで違和感がある。
二週間も経ったのに、こんな調子で本当に元に戻るのか、漠然とした不安がのしかかっていた。
セラは小さく瞬きをして、僕の顔をじっと見つめる。
ほんの一瞬だけ瞳が揺れたけど、すぐに柔らかな笑みを浮かべてくれた。


『総司がそう思う気持ち、分かるよ。今までずっと剣を握ってきたんだもん、思い通りに動かない右手を前にしたら、不安になるよね』


そう言いながら、彼女はそっと僕の手に触れる。
震えを隠すように、か細い指先で包み込んでくれていた。


『でも総司が今まで、ずっと人一倍頑張ってきたことを知ってるよ。だから今は焦らなくてもいいんだよ。右腕は長い目で見てゆっくり治していきましょうって医師の先生も仰っていたし、これから徐々に良くなっていくと思うよ』

「そうだといいんだけどね。でもずっとこのままじゃ、君を護れないでしょ?それだけは嫌なんだ」


護りたい気持ちばかりが溢れて、身体が追いつかない。
その事実が、僕の一番の恐怖だった。
するとセラは首を横に振り、静かに言った。


『ありがとう、いつも私のことを気にかけてくれて。でも私は、総司が私のことを真剣に考えてくれるだけで、もう十分過ぎるくらいだよ』

「そうは言っても、どうしても焦りは出るよ。こんな寝てばかりじゃ、身体も鈍るしね」


愚痴なんて言いたくないのに、口から出るのは後ろ向きな言葉ばかり。
そんな僕の右手を包んでいたセラの小さな手には、柔らかく力が込められた。


『総司は今まで、ずっと一生懸命走り続けてきたでしょう?努力家で、誰よりも強くて、私にとって一番の騎士様で……だけど、たまには少し休んでもいいんじゃないかな』


その声はひだまりのように温かくて、僕の不安まで優しく包み込んでくれるようだった。


『気持ちを楽に構えていたら、身体も自然と良くなるかもしれないよ。心と身体は繋がってるって言うし、総司はもう十分すぎるくらい強いんだから大丈夫だよ』

「セラは優しいね」


嬉しいんだ、本当に。
一生懸命に励ましてくれる健気さが愛しくて、だからこそ余計にこの子を護りたいと思う。
思うように動かない自分の身体がもどかしくて仕方ない。
するとセラは少し首を傾げて、真っ直ぐ僕を見てきた。


『ねえ、考えてみて?もし総司が逆の立場で、私が今の総司みたいな状態だったら、総司はどう思う?』

「え?」

『総司もきっと同じように声をかけてくれると思うの。焦らなくていいよ、君は君のままでいいよって。私も同じ気持ちだよ』


その言葉が、驚くほどすんなりと胸に落ちた。
もし逆の立場なら、僕だってセラに無理はしてほしくない。
ただそばにいて、笑ってくれるだけでいい……そう思うだろう。

セラも、同じ気持ちでいてくれている。
そう気づいた瞬間、熱いものがこみあげてきて、思わず彼女の手を強く握り返していた。


「ありがとう、そう言ってもらえると心が軽くなるよ」

『私の気持ち、伝わった?』

「うん、伝わったよ」

『ふふ、良かった』

「セラって凄いね。僕が何を言ってもちゃんと受け止めてくれて、最後には不安を軽くしてくれる。益々好きになっちゃうんだけど」


自分でも驚くくらい、正直な気持ちが口から出ていた。
弱音と一緒に、心の奥に押し込めていた想いまで溢れてしまったみたいだ。

セラは一瞬きょとんと僕を見て、それから頬をほんのり赤らめて微笑んだ。
その笑顔があまりにも可愛くて、胸の奥がまた熱くなる。


『私だって同じだよ。総司の言葉にいつも励まされてるから』

「でも今の僕は、寝てばかりで役立たずだけどね」


苦笑混じりにそう言ったけど、セラはすぐに首を振った。


『違うよ。総司がここにいて、私の名前を呼んでくれて……それだけで私は幸せなの。総司はいつだって、私の力になってくれてるよ』


情けない自分も、不安に押し潰されそうな夜も、剣を握れない右手のことも。
セラが傍にいるだけで、全部小さなことのように思えてしまう。
セラは笑顔のまま、そっと僕の枕元に置いていた果物の皿を手に取った。


『今日はね、苺を持ってきたの。甘くて美味しいから、元気が出ると思うな』


そう言って、フォークで苺をひとつ刺し、僕の口元に差し出してくる。
僕は小さく息をついて、素直に口を開いた。


「うん、甘くておいしいね」

『でしょう?もうひとつどうぞ。怪我が治る魔法の苺だから食べないと損だよ』


セラの楽しそうな声に釣られて、僕も笑ってしまう。
こんな風に無邪気に笑えたのは、いつぶりだろう。


「セラ」


柔らかい髪に触れ後頭部に添えた手で引き寄せれば、セラの瞳は揺れて頬も染まる。
そっと唇が重なれば、たとえ療養中でもこうして過ごせる今が幸せで堪らない。


「好きだよ」

『私も総司が大好き。これから先も総司だけが大好きだよ』


潤んだ瞳で見つめられれば、セラの想いが痛いほど僕の心に流れ込んでくるようだった。
これから先もセラは僕だけを見つめてくれる、そう信じることができるから、今はただ身体を回復させることに専念しようと、大切な小さな身体を抱きしめた僕がいた。


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