10
夜も深くなってきた頃、セラが静かに瞼を開いた。
目を覚ましたことで、夢に縋っていた一瞬の猶予が消え、セラが辛い現実に引き戻されてしまう。
逃げ場もなく心が壊されてしまうのではないか。
そう思うだけで、息苦しくなるような恐怖が膨らんでいくようだった。
伊庭君も平助も、言葉を失ってただセラを見つめている。
三人して、どう声をかければいいのか分からなかった。
セラは僕と目が合うと、はっとして身体を動かそうとした。
けれどがしゃんと鎖が鳴り、細い手足は思うように動かない。
その鎖を見つめるうちに、夢ではなく現実だと悟ったのだろう。
小さな身体がわずかに震え、その瞳からは音もなくぽろぽろと涙が溢れ落ちていった。
「セラ……大丈夫?」
「……目を覚まされましたか……?」
「……身体……辛くないか……?」
セラは静かに息を殺して泣きながら、首をこくこくと縦に振った。
泣き喚きもせず、声を荒らげもせず、ただその小さな身体で悲しみを受け止めている。
その姿を目の前に、僕の視界がじわりと滲んだ。
「セラ、ごめんね……絶対に君だけは護りたかったのに……君を護れなかった僕を……許して……」
思わず口をついて出た言葉。
許されるはずがない、そもそも僕自身が自分を許せなくて、情けない涙が頬を伝った。
「本当に……ごめんなさい……君を護ることができなくて、僕はあまりにも……無力でした……」
「セラ、ごめん……セラを助けてやりたかったんだ……でも、どうすることも……できなくてさ……」
三人の瞳に浮かぶ涙を見て、セラは一度顔を歪ませて、さらに涙をこぼした。
けれどすぐに唇を結んだかと思うと、儚げな笑みを浮かべてみせた。
『謝らないで。私はみんなに沢山助けてもらってるよ。今日だって、護ってくれてありがとう』
その言葉はいつもなら胸に温かく広がるものなのに、今日は心を突き刺すものだった。
僕達に残されたのは、セラを護れなかったという事実だけ。
しかも、セラが一番傷つく形で。
「セラの優しさにも……時には困ったものですね。僕達は今日、君を護ることができませんでした。それは……事実です」
「俺たちが謝ってどうにかなることじゃないってわかってるんだ。でも……悔しくて……どうしようもないんだよ……」
「ずっと君を護りたくて剣を握ってきたのに……その結果がこれなんて……情けないよね。でも僕は……最後まで君の騎士でいたい。こんな状態でもう君を護れないのに……傲慢かもしれないけど」
吐き出される弱さすら情けないのに、慰めの言葉一つ見つからないのは、言葉で癒せるものじゃないとわかっていたからだ。
どんなに綺麗事を並べても、セラが受けた辱めも悲しみも消えることはない。
その現実が、ただ苦しかった。
けれどセラは僕達の言葉を否定するかのように、首を横に振り言ってくれた。
『一緒にいてくれるだけで、私は救われてるよ。いつも心配してくれて……護ろうとしてくれて……みんなのその気持ちがあるだけで、どれほど支えになってるか。だからみんなが自分を責めているのを見ると、私の方が苦しいよ。だってみんなをこんな風に巻き込んでしまったのは、私なのに……』
申し訳なさそうに涙を零しながらも、セラは必死に言葉を続けた。
『私はね、こうして傍にいてくれるだけで、ずっと……ありがとうって思ってるよ。それが伝わってないって思うと……それが一番悲しいから……みんなには何も気にして欲しくない。私は、これからも変わらず仲良くしてもらえたら、それが一番嬉しいよ』
言葉に詰まりながらも懸命に伝えようとする姿に、喉が塞がれてしまう。
伊庭君も平助も、深く俯き唇を噛んでいた。
『泣いてごめん。私はもう大丈夫だから』
セラはそう言っていつものように微笑むから、胸が痛む。
そして彼女が言った「これからも」という言葉を聞いて、言わなければいけないと口を開いた。
「……セラ、君に伝えなければいけないことがあるんだ」
セラの細い肩がぴくりと揺れた。
きっと何かを察したのだろう、瞳が恐怖で大きく見開かれていく。
それを直視するのは辛かったけど、僕は視線を逸らさずに続けた。
「……明日の朝、僕達四人は……処刑されることになったんだ」
沈黙が訪れた。
牢獄の冷たい空気が一層重くなり、呼吸すら苦しくなる。
『……そんな……』
小さな声が震えながら零れ落ちる。
セラはかすかに鎖を鳴らしながら身体を引き寄せるようにして、僕達を見つめた。
その顔に浮かぶ絶望の色は、胸を裂くほど痛烈だった。
『……待って……だって、私……まだ話を聞いてもらってないよ……?』
「あいつらは最初から聞く気なんてなかったんだよ。セラが意識を手放してここに戻された後、決定事項として伝えられたんだ」
「君は王太子殿下を毒殺した罪、僕達は王家に剣を向け反逆した罪があるとして、陛下と王女殿下のご意向の元、明朝公開処刑だそうです」
『明朝って……そんなに早く?第一、みんなは何もしてないのに……っ』
「大逆の罪人を長く生かしておけば国の威信を疑われるだけって言われたんだ。俺達が何を言っても無駄だってよくわかった。ここでは正しいかどうかじゃなく、誰がそう定めたかがすべてってことなんだろうけどさ」
『そんなっ……そんなのおかしいよ……。納得できない……っ、三人までどうしてっ……』
セラは僅かに取り乱したように身体を揺らし、必死な様相で牢屋の外に目を向けた。
『すみません……!どなたかいらっしゃいませんか……!?話を聞いてください……!』
「……セラ……」
『お願いです!一度だけ話を聞いてください……!この方達は無罪なんです……!』
「セラ……、ここには誰もいませんよ」
「多分、もう誰も来ないと思う。だから叫んでも聞こえないって」
『で、でも……駄目……だよ。みんなまで……処刑……な……っ』
動揺して大きく揺れた瞳からは、涙が溢れ落ちていく。
『それだけは……嫌だ……っ……うう……』
泣き崩れてしまうセラの様子を目の前にして、再び僕らの視界は歪む。
凄く悲しくてやるせないのに、僕たちのためにこうして懸命に抗おうとしてくれている。
その姿を見れば、もう十分過ぎる程だった。
「僕たちはもういいんですよ。仮に無罪になったとしても、君を一人でなんて逝かせません。自ら処刑台に上ります」
伊庭君の優しい声が聞こえる。
セラの濡れた瞳が、大きく揺らいで彼を見ていた。
「俺たちがセラを一人にするわけないじゃん。なあ、総司?」
続いて平助が、にかっと笑って僕に話を振ってくる。
その瞳には涙が浮かんでいたものの、とても温かい光を宿していた。
「当たり前だよ。なんのために僕たちがここまで毎日鍛錬を積んで強くなったと思ってるの?」
セラは泣きながらも、戸惑いがちに僕たちを見ていた。
僕たちがどんな想いでセラの傍にいたのか……それは同じ想いだからこそ互いに通じ合うものがあった。
「僕が君の騎士を希望したのは、セラと一緒にいたかったからだよ」
「それに俺は、セラとすっげー仲良くなりたかった」
「僕は君に頼られたかったですし、その笑顔を毎日近くて見ていたかったんです」
本音を言い合ってから、僕たちは顔を見合わせて少し笑ってしまった。
「ははっ、二人とも打算塗れじゃない」
「沖田君にだけには言われたくありませんよ」
「そうだって。俺と伊庭君は総司に比べれば可愛いもんだろ?」
「まあ、それは耳が痛い話だけどね」
笑って話す僕たちを見て、セラだけが戸惑いを隠せない様子で口を開いた。
『でも……処刑なんだよ?このままだと、明日にはもう……死んじゃうんだよ……?』
「そうですね。でも君を一人で逝かせるよりかはずっといいですよ」
「そうそう。セラだけが処刑になったら、それこそ俺死にたくなっちまうもん」
「知ってる?死んでも天国っていう場所があるんだよ。僕たちは四人で一緒に行けるんだから、むしろ最高じゃない」
セラは放心したまま、暫く何も話さなかった。
彼女が悲しみの淵でこの運命をどう受け止めるのか、不安でたまらなかった。
けれど泣いていた顔がまた更にふにゃりを歪み、その愛らしい泣き顔にまた心を奪われてしまう。
『みんな……優しすぎるよ……』
それは君も同じだ。
こんな状況になっても、僕たちを救うために必死になってくれる。
僕達のために、涙を流してくれる。
だから僕たちも君に優しくしたくなる。
それはもう、当たり前のことなんだ。
「僕たちは大丈夫だよ。僕たちにとって一番辛いのは、君を一人で逝かせることだから」
俯いていたセラの顔が上がり、涙に濡れた瞳が僕達を見つめる。
その瞳は全てを受け入れ、覚悟を決めたような色を宿していた。
『みんな、ごめんね。私を助けようとしてくれただけなのに、こんなことになって……本当にごめんなさい……』
「謝らないでよ。君に謝られると逆に辛いよ」
「そうですよ、これは僕達の意思なんですから。もし時間が戻ってたとしても、僕は同じ選択をしますよ」
「それにさっきセラも言ってくれただろ、傍にいてくれるだけでいいってさ。それは俺達も同じだって」
「それが伝わってないと悲しいって思うことも、全部君と同じだよ」
セラは涙で瞳を潤ませながらも、微笑んで小さく頷いた。
その笑顔を見れば、胸を押し潰していた絶望がほどけていくのを感じた。
きっと伊庭君も平助も同じだろう。
この子のために隣に立ち続けたい。
その思いだけが、まだ僕達を支えていた。
『私はみんなのおかげで、ここまで幸せに生きてこられたよ。本当にありがとう。三人がいてくれたから、毎日本当に楽しかった』
優しい音色で紡がれたその言葉に、僕は深く俯き涙を隠した。
本当は叫びたいほど悔しい。
犯してもいない罪で裁かれなければならないなんて、あまりにも残酷すぎるからだ。
だかこそ、せめて最後までセラの傍にいたい。
それが今の僕に残された、たった一つの願いだった。
「僕は最後まで君の傍にいるよ。どんな形になったって、それだけは絶対に譲らない」
僕がそう言うと、伊庭君も平助も小さく頷いた。
「僕もですよ。どうか最後まで、僕達にお付き合いください」
「俺も何て言われようが、絶対に離れないからな!」
セラは泣いているのに笑っていて、それでもしっかりと頷いた。
その愛らしい顔を目の前に、僕達の心にあった悲しみに小さな光が灯った気がした。
死を目前にしても、この子を想う気持ちだけは誰にも奪えない。
だから最後まで彼女の騎士でいよう、そう心に誓った。
その後、僕たちは眠ることもなく、ただひたすらに語り合った。
出会った頃の話や、互いに抱いていた第一印象。
初めて一緒に笑った時のことや、馬鹿みたいに小さなことで言い合いになったこと。
そして胸がいっぱいになるほど温かな時間をくれた日々。
話せば話すほど、思い出は次から次へと溢れ出して、止めどなく流れ込んでくる。
それだけ僕たちの時間が尊くて、失うにはあまりにも惜しいものだったと気づかされた。
セラも、涙を拭いながら何度も笑ってくれた。
その顔を見られるだけで、不思議と心が穏やかになる。
最後に傍にいられることが、不幸中の幸いだと感じるほどに。
だから、願わずにはいられなかった。
この世界で互いの命が終わったとしても、また次の世界で君に会いたい。
今度こそ君の命が続く世界で、セラと笑い合いたい。
伊庭君も平助も、城のみんなも一緒に。
その夢を、最後まで信じていたいと思った。
やがて、厚い鉄の扉の向こうから重い足音が近づいてきた。
鍵の金属音が響き、牢の扉が無情に開かれると、冷たい声が牢内に落とされた。
「時が来た。処刑場へ出ろ」
手首の枷以外を外された僕たちは一列に並ばされ、ゆっくりと石畳の廊下を進んだ。
牢を出れば外の空気は冷たく澄んでいて、東の空はすでに淡い朱に染まり、朝の光が城壁を照らし始めている。
その光は美しくも、僕たちにとっては死出の旅路を照らす残酷な輝きだった。
広場に出ると、人の群れが既に集まっていて、無数の眼差しが僕たちを貫いた。
処刑台は黒く巨大にそびえ、階段の先には鋭い刃が鈍く光を放っていた。
壇は高く、三方を囲むように柵が設けられている。
周囲には騎士たちが列をなし、民衆を押し留めているものの、ざわめきは止まらなかった。
「罪人だ」「反逆者だ」と罵声を浴びせる声もあれば、「本当に王太子を殺したのか」と囁く者もいる。
歓声と非難、好奇と恐怖が入り交じった熱気が、肌を刺すようだった。
僕らはひとりずつ壇上へと引き上げられ、階段を踏みしめる度に、心臓が胸を突き破りそうになる。
後ろから背中を押され、僕はついにその板の上に立たされた。
視線を上げると、広場を取り囲む群衆の数は予想以上だった。
幾百という瞳がこちらを見つめ、その中に憎悪も好奇心も、そして沈黙した涙も混じっている。
その一角に近藤さんの姿があった。
彼は群衆の後ろに押しやられながらも、必死にこちらを見ている。
その眼差しはただ一人の父親のものだった。
近藤さんはセラを見つめたまま、声をあげることもできず、ただ唇を震わせていた。
その傍らに立つ山南さんも唇を固く噛みしめていて、その肩がかすかに震えている。
さらにその後ろにいる山崎君は、冷静に振る舞おうとする表情の裏で、その眼差しだけが僕らへの悔恨とを訴えていた。
彼らもまた、王に背けば一族もろとも滅びる立場にある。
だからこそ、この場で声をかけることなんてできる筈もない。
「すまない」「許してくれ」……そんな叫びが聞こえてくる程の表情でこちらを見ていた。
そしてその視線にセラも気付いたのだろう。
小さく目を見開き、その足を一度止めた。
『……お父様……』
掠れるほどの声でそう呟いた時、透明な雫が彼女の頬を伝い落ちていく。
近藤さんの顔が苦痛に歪むのが見えて、僕の胸を深く穿った。
それでも最後に言葉を交わすことすらできない現実が、どんな拷問よりも残酷に思えた。
「これより、大逆と王太子殿下殺害の罪により、四名の刑を執り行う!」
騎士が前に出て声を張り上げると広場にどよめきが走る。
一歩前に出された平助の背中が、小さく震えているのが僕には見えた。
『平助君……今まで沢山ありがとう。平助君の明るさにいつも元気をたくさんもらってたよ。私もすぐに行くからね』
セラの声は涙で震えていて、その姿は胸が締めつけられるほどだった。
平助は少し顔を横に向け、いつもの調子を装うように笑ってみせた。
「へへっ、ありがとな。俺こそセラがいたから毎日頑張れたんだ。セラが見守っててくれるから、笑って死ねるって思ってる。総司と伊庭君も、またあとでな」
無理してる笑顔だって、僕には分かった。
それでも最後まで平助らしく笑っているその姿に、胸が痛くて息が詰まりそうだった。
僕と伊庭君も、なんとか笑顔を作って彼を見送った。
平助は騎士に押さえつけられ、処刑台の穴に首をはめられる。
すぐに重い刃が勢いよく落ち、残酷な音を立てた。
赤いものが飛び散って、木の床を一瞬で染めていく。
血の匂いがさらに濃くなり、息を吸うたびに胸が焼けるようだった。
『……ふ……ぅっ……』
セラが小さく息を呑み、僕と伊庭君の間で一歩後ずさる。
その肩は震えて、立っているのもやっとな様子で涙が頬を伝っていった。
それでも彼女は平助から目を逸らさず、最後まで見届けようとしている。
それがどれだけ勇気のいることか、僕には痛いほど分かるからこそ、この子をこの場に立たせてしまったことに悔しさが込み上げた。
「次!」
騎士の声が冷たく響いた。
伊庭君は顔色を失くしながらも、気遣うようにセラに微笑んだ。
「セラ、僕は君の騎士として生きられたことが本当に幸せでした。最期の時まで、君の隣にいられることを誇りに思います」
『伊庭君……本当にありがとう。いつも頼りにしてたし、私も伊庭君が騎士としてそばにいてくれて、心強かったよ。すぐに行くから待っててね』
「はい、また後で会いましょう。沖田君、あとはよろしくお願いします」
伊庭君は小さく笑い、僕はその目を見て頷いた。
騎士の一人に押さえつけられる彼の背中が、あまりにも静かで胸が痛い。
再び刃が落ち、乾いた音とともに赤い飛沫が舞う。
より濃くなった血の匂いが、辺り一帯を満たしていた。
『……ぅぅっ……』
「次!」
騎士の声が、今度は僕たちに向けられる。
世界が少しずつ音を失っていく中で、僕はセラの横顔を見た。
涙で濡れた頬、震える唇。
本当は、そのすべてを護ってあげたかった。
「セラ……君の専属騎士でいられたことは、僕にとって何よりも名誉なことだったよ。先に行って、伊庭君と平助と待ってて。すぐに君を追いかけるよ」
セラはその言葉を聞いて、顔をくしゃりと歪め、あの愛らしい泣き顔を僕に向ける。
何度も、何度も僕の心を攫ったその泣き顔は、今も尚、僕の心を掴んで離さなかった。
この世界に来たばかりの頃、僕が抱いていた君を護るという願いはここではもう朽ち果ててしまったけど。
それでも僕は、この世界の君も大好きで堪らなかったよ。
『……そ……じ……ありが……っ』
必死に言葉を紡ごうとしているのに、涙で声にならない様子だった。
けれど振り絞るように、セラは僕にだけ聞こえる声で言ってくれた。
『総司に会えたから……私、幸せだったよ。総司……だいすき』
愛情の込められたその言葉が胸に突き刺さり、目頭が熱くなる。
そしてまだ幼かった日の記憶が、鮮やかによみがえってくるようだった。
『私、総司と出会えたこと運命だと思ってるんだ』
幼い笑顔でそう告げてくれた、あの日のセラの言葉を思い出す。
あの頃はセラのかけてくれる言葉が、とにかく嬉しくて堪らなくて。
こんな日が来るなんて想像もしていなかった。
強くなればセラを護れると信じて疑わなかった。
視線を上げると、処刑台を見下ろせる王族の観覧席で王女が勝ち誇った笑みを浮かべているのが見えた。
安全な場所からこちらを観察しているその顔を見れば、胸の奥に暗くて鋭い殺意が込み上げた。
けれど……この処刑台にはセラを弄んだ王女の近衛騎士たちが控えとして設置されている。
セラを台座に押し伏せているその姿が、余計に僕の怒りを煽り、僕の中の怒りと悲しみが爆ぜた。
「……この子に触るな……!」
手首は枷でつながれたままでも、わずかに動ける。
僕は王女の近衛騎士の一人に頭突きを叩き込み、その隙に彼の腰の剣を抜き放った。
剣の感触が両手に伝わると同時に、視界が赤く染まるような感覚が広がり、驚愕した近衛騎士たちが駆け寄るより早く、叫びをあげた僕の剣は振り下ろされた。
「うわあああ!」
「……うぐっ……」
ただ少しでも、セラの悲しみや無念をこの場で削ぎ落としたい。
その一心だけが、僕を奮い立たせていた。
「殺してやる……!」
セラを弄び、僕の何より大切なセラを穢した奴ら。
嘲笑い、涙を踏みにじった奴ら。
そいつら全員、僕は絶対に許さない。
胸の奥にあったものが、すっと剣先に集まっていくような感覚がして、僕はがむしゃらに剣を振るった。
ひと振りごとに奴らの胸や首が斬り裂かれ、肉を断つ感触が腕に伝わってくる。
一人、二人、三人と、振り抜くたびに鮮血が飛び散り、木の床を赤く染めていった。
わかるのは血の匂いと、短く漏れた断末魔だけ。
五人目、セトの首筋に刃を滑らせる瞬間、彼の目が揺れたのが見えた。
それがあいつが見せた最期の表情だった。
群衆の悲鳴が、遠くで鳴っているように聞こえる。
叫び、逃げ惑う足音がざわめきとなって空気を震わせていた。
けれどそのざわめきの中でセラはただ、泣きながら僕を見つめていた。
僕が剣を振るうたびに、頬を伝う涙は止まらないのに、僕を見つめるその瞳は温かかった。
きっと、セラは分かっているんだ。
僕が最後まで剣を振るっている理由を。
こいつらを殺す理由を。
僕は君のためだけに、命が事切れる寸前まで剣を振るいたい。
「なにをしている!その罪人を殺せ!」
陛下の怒声が響くと、残っていた騎士たちが一斉に僕へ剣を向けた。
僕に向けられたいくつもの剣が皮膚を裂き、肉を貫いていく。
「……ぐ……かはっ……」
胸の奥まで届いた衝撃に、息が乱れ、視界がにじんだ。
身体は動かなくなってその場に倒れても、瞳だけはセラを探していた。
『いやあ……!総司っ……!』
泣き声が聞こえる。
僕に駆け寄ろうとしたセラは、すぐに騎士の一人に腕を掴まれ、押さえ込まれた。
「刑を執行しろ!」
処刑台の上、セラの首筋に光る刃が落ちた瞬間、世界の音がすべて消えた気がした。
胸が裂けるように痛い。
声を出したいのに出せない。
熱い息だけが漏れて、涙だけが頬を伝った。
「……セラ……」
唇が震え、やっとその名が零れた。
届かないと分かっていても、僕は君の名を呼ぶことしかできなかった。
セラの為に剣を振るうと決めてから、君が泣かなくてすむように、笑っていてくれるように、どれだけ願って剣を握ってきたか。
それなのに、僕はまた何ひとつ護りきれなかった。
こんな終わりしか用意できなかったなんて、自分が憎くて堪らない。
でも、次にまた回帰できたら。
次こそは、君が幸せに笑う姿を、すぐそばでずっと見守っていきたい。
そのためなら、なんだってする。
どんなに手を汚しても構わない。
君が笑ってくれる世界を、君が泣かない未来を、今度こそこの手で護り抜く。
だから、どうかまた君のいる世界へ。
また君に会いにいくよ。
血に濡れた視界の中でそう願いながら、僕はセラの最後の姿を焼きつけた。
意識がゆっくり遠ざかっていく中、セラの笑顔だけがぼんやりと胸の奥に残ったまま、僕は静かに命を落とした。
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