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はっとして身体を揺らせば、公爵家の所有している馬車の中だった。
硬い座席の感触と、車輪が石畳を叩く音が耳の奥に響く。
目の前には伊庭君と平助がいて、二人ともぐっすり眠っていた。
外を見ればもう辺りは暗く、どうやら夜らしい。

任務の帰りだろうか。
馬でなく馬車を使っているということは、危険地帯での護衛や討伐任務ではなく、王都からの依頼で行われた貴族間の機密文書の護送か領地視察への随行あたりだと思う。
こうした任務は、移動中に記録や報告をまとめる必要もあるから、騎士団の中でも信頼の厚い者が選ばれることが多かった。

僕はふと、自分の右手を見つめた。
指先に力を込めてみれば、問題なく握れるし震えもない。
また過去に戻ってきたことを実感すると、胸の奥からじんわりと熱が込み上げてきた。


「伊庭君、平助」


眠っている二人の肩を揺すって、そのまま腕を伸ばし、無遠慮に抱きしめた。


「ぐえっ……!な、なんだよ、総司!」

「……驚かせないでくださいよ。せっかくいい気持ちで寝ていたのに」


二人の声を聞いた瞬間、目の奥が熱くなる。
僕の中の時間の感覚では、彼らは目の前で処刑されたばかり。
首が斬られ、夥しい量の血が地面を染めていく光景がいまだ離れない。
でも今はこうして息をしていて、温もりもある。
そのことがただ嬉しかった。


「仕方ないじゃない、二人と話したかったんだから。僕をほっといて寝ないでくれる?」

「そんなことを言われても知りませんよ。連日任務続きで疲れていたんです」

「総司はいいよな、セラが課題とか手伝ってくれるんだからさ」

「僕は専属騎士の仕事もあるからね」

「よく言いますよ。専属騎士になってまだ数週間しか経っていないじゃないですか」


軽口を交わす彼らの声が懐かしくて、胸の奥が少し痛む。
そして今回はいつの時点に回帰したのだろうと、二人をじっと見つめた。

回帰するたびに思うけど、死んだ後で過去に戻るこの感覚には未だに慣れない。
僕の意識はあくまで前の世界を覚えているのに、この世界にいる今の僕がどんな日々を過ごしていたのかは、以前の記憶を頼りにするしかないからだ。


「今日っていつ?何があったの?」

「今日は四月二日ですよ。普通に学院に行って、その後はこうして任務を遂行しただけですけど」

「お前すっげーへこんでたじゃん。星界学の授業で王太子殿下と同じグループになるハメになったってさ」


嫌な予感がしていた。
やっぱり今回の回帰ポイントは、前回より半年以上も先。
つまり、セラと王太子はすでに出会ってしまっている。

拳を握りしめ、胸の奥のざわめきに眉を顰める。
すると僕の沈黙に気づいたのか、二人が顔を見合わせて僕を見つめた。


「大丈夫ですか?そんなに王太子殿下のことが気になるんでしょうか?」

「そこまで心配しなくても、刺激しないようにしてれば大丈夫だって。セラならうまく付き合えると思うぜ」

「セラだから心配なんだよ。気に入られ過ぎて求婚でもされたら大変じゃない」

「いや、まあ……そうかもしんないけど」


窓の外、流れていく夜の光がぼやけて見えた。
回帰を繰り返すたびに、失いたくないものが増えていく。
けれどその中心にいるのは、いつもセラだった。


「二人は、変な夢とか見てない?」


僕はぽつりと尋ねた。
揺れる馬車の中、伊庭君と平助は僕の向かい側で、どちらも半分眠たげな顔をしていた。


「特に見てないと思いますよ」

「つーか、変な夢って?」

「例えば、処刑される夢とかさ」


至って真剣に聞いたつもりだった。
けれど、二人は同時に吹き出して笑い始めた。


「いきなり何を言い出すかと思えば。やめてくださいよ。そんな不吉な夢、見るはずないじゃないですか」


伊庭君が笑いながらそう言い、平助は肩を揺らして続けた。


「そうだよ。夢って実体験を元に脳が勝手に作り出すって言うだろ?処刑なんて現実味なさすぎて、見たくても見れねって」


セラは回帰するたび、前の世界のことを夢で見たり、ふとした拍子に何かを感じていることは必ずあった。
中庭でのこと、短剣のこと、王女のこと、そしてリュネットという馬のことも。
セラは間違いなく、以前の世界の記憶を完全にはなくしていない。
だからこそ回帰直後の彼女は精神的に少し不安定で、僕もそれを何より気にかけてきた。

でも目の前の二人は、けらけらと笑っている。
つい先程まで一緒に涙を流し、処刑台に登ったとは思えないほど、あまりに穏やかで。
なぜセラだけにその記憶の断片が残るのかと、考えてしまう僕がいた。


「……そっか。二人がそう言うなら、良かったけどね。でも、もし処刑される夢とか見たら、ちゃんと僕に教えてよ」

「どうしたんだよ。やたら拘ってるけど、総司が処刑される夢でもみたのか?」

「まあ、そんなとこ。僕と一緒に平助と伊庭君も処刑されてたから、二人も同じ夢をみたのかなーって」

「道連れにするのはやめてくださいよ。僕は沖田君と違って罰せられるようなことはしません」

「笑顔で酷いこと言わないでくれる?沖田君が処刑される前に助けます、くらい言ってよ」

「ははっ、確かに。でも気をつけろよー。案外正夢になっちまったりして」


平助が悪戯っぽく笑う。
けれど僕は、その冗談を素直に笑えなかった。
なぜなら王太子と関わらないでいられる未来は、もう残っていない。
セラと王太子に接点がある限り、あいつはまたセラに惹かれてしまう。
そして彼女を自分の婚約者に望むだろう。
そうならないために、僕にできることは何か……それを懸命に考えていた。


「……いや、冗談だからな?そんなに落ち込まないでくれよ」

「僕も沖田君に何かあれば助けますよ。だからなんでも話してください」


優しい声が、少しだけ胸に沁みる。
今までずっと、自分一人でどうにかするべきだと思っていた。
記憶を保持したまま回帰できるこの能力で、絶対にセラを護ってみせると考えていた。
でもこれでもう四度、僕はセラを救えないまま、あの子の死を見てきている。
その無残な死に際を思い出してしまえば、僕らしくもなく弱気になり、この世界もいずれ終焉がくるのではないかと、不安でたまらなくなった。

けれど僕には信頼できる人達がいる。
伊庭君や平助、近藤さんや山南さん、山崎君も。
この人達になら、正直に話してみてもいいのかもしれない。
きっと僕の話を信じて、セラを護るため力を貸してくれるはずだと思うことができた。


「伊庭君、平助。君達に大事な話があるんだ」

「どうしたんです?改まって」

「突拍子もなくて、信じてもらえないかもしれないんだけどさ」

「うん、なんだよ?」


二人は真剣な面持ちで、僕の言葉を待ってくれている。
だから今こそ告げようと、口を開いた。


「実はね、僕はもう何度も死に……」


その瞬間だった。
胸の奥で、何かがひどく軋む音がしたような気がした。
次の刹那、内臓を握り潰されるような激痛が身体を貫いた。
喉が塞がれ、息が吸えない。
世界が遠のいていく感覚の中で、僕は目を見開き、口からごほっと鮮血を吐き出していた。

痛みは肉体のものではなかった。
言葉そのものを押し殺す、見えない鎖のような圧力が胸に食い込み、意識を引き裂いていくようで声が出ない。
言ってはいけないという冷たい命令だけが、頭の奥に響くようで。
口にしようとした秘密は、まるで禁じられた呪いのように僕の体を縛り、全身から力を奪っていった。

僕の手のひらにこびりついた血が、妙に鮮やかに見えた。
吐血のはずなのに、胸の奥は不思議と静かで、身体のどこにも負荷がないことだけが逆に怖かった。
回帰のことさえ誰にも話さなければ、きっとこの身体は問題ない。
そう頭では分かっているのに、額を伝う冷や汗は止まらなかった。


「沖田くん……!?」

「お、おい……!どうしたんだよ!」


慌てた声が耳に届く。
僕は一度ゆっくり息を吸い込み、ハンカチを取り出して血を拭った。
手の震えが、自分のものとは思えないほど頼りなかった。


「大丈夫ですか……!?あ、公爵邸はもうすぐそこです!すぐに治療してもらいましょう!」

「俺がおぶってやるから!総司は寝ててくれ!」


必死に呼びかけてくる二人の顔を目の前に、僕はいつものように笑ってみせた。


「いや、大丈夫だよ。元気だから」

「元気だからって……血を吐いたんですよ?只事じゃないですよ!」

「そうだって!念の為医者に診てもらわねーと!」

「本当に平気なんだよ。さっきの血は、ほら、鼻血だと思ってくれたらいいから」

「何言ってるんですか?口からいきなり鼻血を噴く人は見たことありません」

「本当に大丈夫だってば。今日は咳がやたら出てたから、ちょっと喉が切れて出たんでしょ」

「ぜってー駄目!医者に診てもらわないっていうなら、セラや近藤さんに言うからな」

「あの二人に言ったらそれこそ大事になっちゃうじゃない。ちゃんと診てもらうから、言わないでよ」


馬車の揺れに身体を預けながら、僕は手をハンカチで押さえつつ、二人の心配を軽く受け流す。
けれど公爵邸に着いてからも二人は律儀に僕に付き添ってくれて、結局公爵邸のお抱え医師に診てもらうことになった。


「特に問題はないようですね」


医師の先生が診察後に微笑み、僕にそう告げた。
この身体は回帰前の時より調子がいいし、これでまたあの子を護れる筈だと右手の拳を握りしめた。


「ほら、言った通りだったでしょ」

「良かった……。まじで焦った」

「念の為、診て頂くのは大事なことですよ。これで僕たちも安心して寮に戻れます」

「そんなに心配してくれて、二人って僕のこと大好きなんだね」

「は?ちげーし」

「冗談を言っている元気があるなら良かったですけどね」


あれほど慌てていたのに、医師の診断を聞いた途端、ようやく安心したかのような顔をしているから、僕はつい笑ってしまった。
二人と一緒に医務室を出ると、廊下を通りかかった山崎君が僕たちに気づいて足を止めた。


「どなたか怪我をされたんですか?」

「怪我はしてないんだけどさ。総司がさっき馬車の中で血を吐いちまって」


平助の言葉を聞いた山崎君の表情がわずかに強張る。


「血を吐かれたのですか?」

「いや、別に問題はないよ。今医師の先生からもそう言ってもらったしね」

「恐らく喉か鼻が傷付いていて出ただけだろうと先生も仰っていました。ただ……その割にあまりに鮮やかな血液だったように見えたので、心配していたんですよ」

「そうですか……。何事もないのでしたら良かったですが、あまり無理はされないでください」


山崎君に頷いてみせると、彼は少し間を置いてから再び口を開いた。


「今日はお嬢様も体調がすぐれなかったようで、夕方倒れてしまったんです」

「え?セラが?」

「と言っても、近藤さんがお支えになり正確には倒れてはいません。熱もなく今は普通に過ごされていますが、急に泣き出されたので心配をしていたんです。もしかして、学院で何かありましたか?」


心配していた通り、回帰することは少なからずあの子の負担になっている。
前回の回帰直後もぼろぼろ泣いていたし、今回は特にあんなことがあった後だ。
セラのことを心配に思いながら言葉を詰まらせていると、伊庭君と平助も眉尻を下げてお互い顔を見合わせていた。


「セラは大丈夫でしょうか……。僕の知る限りでは、学院では問題なく楽しそうに過ごしていたと思いますが」

「俺も基本ずっと近くにいたけどさ、特に何か嫌がらせをされたり困ったことがあったりってことはなかったと思うんだ」

「沖田さんは、何かご存知ないですか?」


僕は一度目を伏せてから、穏やかに答える。


「僕も特に学院では何の問題もなかったと思うよ。ちょっと疲れでも出ちゃったんじゃない?」


なぜセラだけに、わずかにでも記憶や感情の干渉が起きるのか。
そして、なぜ僕は死に戻りしていることを誰にも話せないのか。
頭の中でその二つの疑問が巡るうちに、嫌な考えが浮かび上がる。
セラを救う力だと前向きに捉えてきたこの能力は、決して手放しで良いと言えるものではないのかもしれない、そんな漠然とした不安がほんの一瞬だけ胸をかすめた。


「それなら良かったです。お嬢様も特に何もないとは仰っていたのですが、お嬢様が泣くことは滅多にないので心配していたんですよ」

「確かに心配だよな。話してくれてありがと、山崎君」

「僕達もセラのことは気をつけて気にかけようと思います」

「宜しくお願いします。沖田さんもお大事になさってください」

「ありがとう。僕もセラのことで何か気づいたことがあればすぐ報告するよ」


そう言って彼らと別れると、僕は静かに専属騎士の部屋へと足を急がせた。
早くまたセラに会いたい、その想いが自然と歩調を速めさせる。
そして自室に戻るなり、隣のセラの部屋に通じるドアを軽く叩いた僕がいた。

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