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今日は、アストリア公国建国祭。
それはこの公国が生まれてから数百年、春の訪れとともに開かれる最大の祭典だ。
今年、僕はセラの専属騎士としてその場に立っていた。
柔らかな陽光の下、淡いピンク色のドレスに包まれたセラは、まるで春の精霊そのもののように綺麗だ。
薄絹の袖が風を含んで揺れるたび、金色の光の粒が頬に降りて、彼女のまわりだけ別の世界みたいに淡く滲んで見えた。
思えば、僕がアストリア公国に来て建国祭の日を迎えるのは今年でもう四度目になる。
一度目はまだ見習いで、門の外からその雰囲気を眺めることしか出来なかった。
二度目はお忍びでセラと人混みの中を歩いて笑い合った。
別任務があって彼女の護衛に立つこともできなかった三度目は、式典のみの参加で終わったけど。
四度目の今日はこうしてセラの傍に立つことが出来るから、それだけで嬉しく思う。
けれど四度目の建国祭は今日が初めてなわけではない。
この日を僕は、以前の世界で一度経験していた。
あの日も、セラはこの広場に立っていた。
毎年決まって、建国祭の式典の終わりには「花贈りの儀」が行われる。
若い騎士や貴族の青年たちが、想いを寄せる相手に一輪の花を贈る伝統行事だ。
セラにも毎年、両手に抱えきれないほどの花が贈られるから、僕はそれを横で見て少し面白くない気分になるのが恒例だった。
そんな僕も毎年、その日の最後にセラに一輪の花を贈る。
それはただの習慣のようでいて、僕の中では大切な約束のようなものになっていた。
けれど今日は、セラの横顔がどこか違って見えた。
舞台裏で式典の開始を待つ間、彼女は思い詰めた表情のままずっと黙っていた。
顔色が悪く、今にも泣き出しそうな顔をしている。
いつもなら明るい眼差しで前を見つめているのに、今日は焦点が合っていないようだった。
「どうしたの?体調悪い?」
『ううん、大丈夫』
「でも手、震えてるよ?辛いなら無理しなくていいよ」
僕の視線の先で、セラの指先や華奢な肩が小刻みに震えている。
その仕草を見れば、ふと以前の世界でのことが蘇り、胸の奥が冷たくなる感覚がした。
処刑台の上で、泣きそうな顔で震えていたあの時。
群衆の冷たい視線や敵意が一斉に僕たちに向けられていた。
あの場に立たせてしまった自分の無力さや、あの時の息苦しさは今も心の奥に残っている。
セラ自身は覚えていなくても、心のどこかであの時の恐怖がまだ残っているのではないかと思わずにはいられなかった。
だから僕は、そっとその手を取って握った。
周りの目があるからほんの一瞬だけだったけど、セラは潤んだ瞳で僕を見上げた。
「大丈夫だよ。僕がいるから」
『総司……』
「ほら、一人一人の顔をよく見てみて」
舞台裏から群衆の方を指差せば、セラは素直にその方向へと視線を向けた。
「あの家族は、お父さんと息子で花を持って嬉しそうにしてるね。この後、隣にいるお母さんに二人で渡すんじゃないかな。それにあそこにいる女の子達はなんだかそわそわして見えるけど、好きな人から花をもらえるか気が気じゃないのかもしれないね」
他愛のない話だったけど、少しでもセラの気が紛れたらいい。
そう思って言葉を続けた。
「あ、あの老夫婦は手を繋いで開催を待ってるよ。歳を重ねても、あんな風に仲が良いなんて憧れちゃうな」
『……うん、そうだね』
「ここにいる人達を見てると、今日の建国祭を凄く楽しみにしてることがわかるよね。だからセラも気負わないで、今日を楽しめばいいんだよ」
誰も今のセラに敵意を向ける人なんていない。
むしろセラがこの場に立てば、この子の愛らしさに皆釘付けになるばかりだ。
だからセラに自信を失ってほしくない。
この子らしさを取り戻して欲しいと思って告げた言葉だった。
『ありがとう、総司。私……沢山の人を見たら少し怖くなっちゃって。おかしいよね、皆はただ建国祭を楽しみに来てくださってるだけなのに』
セラは小さい声で、ぽつりとそう告げる。
『でも今一人一人の顔を見たら、心配することないんだって思えたよ。私も今日の建国祭、皆と同じように楽しみたいから、その気持ちを忘れないようにする。さっきまでの不安もなくなったよ』
その瞳にはもう先程までの怯えた色はなくなっていた。
そのことに安堵していると、セラは花が咲いたように微笑んで言ってくれた。
『総司ってすごいね。私が心配に思っててもすぐに気付いてくれる』
「僕は何もしてないよ。殆ど隣に立ってるだけだし」
『そんなことないよ。それに総司が隣にいてくれることが一番心強いの』
そう言いながら、セラは小さく笑った。
その笑顔があまりにも可愛くて、今すぐ抱きしめたくなるけど、それは夜まで我慢だ。
「じゃあ、僕も君の隣で胸を張らないとね。護衛が頼りなく見えたら困るし」
『ううん、総司は大丈夫。だって私の自慢の騎士様だから』
その言葉に、僕は思わず微笑む。
セラの声は小さかったのに、どんな音よりはっきりと届いた気がした。
「じゃあ、君の騎士として僕もちゃんと務めるよ。あと、夜は君に渡すものもあるしね」
セラはそれが花贈りの儀のことだともうわかっているのだろう。
嬉しそうにはにかんでから、僕を見上げた。
『良かった。今年も貰えるのかなって、少し心配してたんだ』
「なんでさ。僕が君を差し置いて、他の子に花を贈ると思うの?」
『そういうわけじゃないけど……でも、いつもこの時期はそわそわしちゃうみたい』
その言葉で思い出す、一緒に街を見て回った建国祭のあの日。
花贈りの儀の最中、セラは花を差し出さない僕を見て少し寂しそうにしてたっけ。
あの時は別に意地悪でそうしたわけじゃないけど、ただその日の最後に渡してセラの笑顔を僕が独占したかった。
そしてその気持ちは今もこれからも、ずっと僕の心に在り続けるのだろう。
「じゃあ来年は、敢えて渡さないっていうのも面白いかもね」
『全然面白くないんだけど。そんなことしたら、その日一日は総司のこと嫌いになるからね』
「ははっ、一日だけなんだ」
『じゃあ、次の日も』
「ふうん?」
『やっぱり一週間』
「へえ、一週間もね。本当かな」
口の端を上げて見下ろしていると、セラは不服そうに顔を背ける。
でも暫くすると僕の様子を伺うように、ちらりと僕を見上げる仕草がまた可愛い。
『私は総司がお花をくれるまで、ずっと待ってるもん。総司が約束してくれたから』
花贈りの儀がある限り、僕はこれからも君だけに花を贈る……そう言ったあの日の約束を、セラが今も覚えていてくれる。
それが、たまらなく嬉しかった。
からかう気なんて起きなくて、ただその想いに応えるように、そっとセラの髪を撫でる。
春の日差しが彼女の柔らかな髪に淡い光を落としていた。
「うん、待ってて」
短い一言。
それだけで、セラはすべてを分かっているように微笑んでくれた。
『忘れないでね』
「当たり前だよ」
僕がそう答えると、セラは少しだけ唇を緩めた。
遠くで鐘の音が響き、建国祭の始まりを告げる。
広場に集まった人々のざわめきが次第に静まり、視線が一斉に前方へ向かっていく。
僕はその流れに合わせて、セラの隣に並んだ。
誰の目にも、僕たちはただの公爵令嬢とその護衛騎士の姿にしか見えないだろう。
けれどほんの少し肩が触れるその距離に、僕たちだけの時間が確かに流れていた。
式典の舞台へと続く道を、一歩ずつ進む。
緊張も、歓声も、セラの隣では不思議と遠く感じた。
『こうして歩くと、一番最初の建国祭のこと思い出すね。あの時も今日みたいに一緒に歩いたよね』
「そうだね。あの時は、君の歩幅に合わせるよう意識して歩いてたけど」
『今は違うの?』
「うん。もう合わせる必要なんてないよ。自然と同じになるから」
セラは驚いたように僕を見つめ、それから小さく笑った。
その笑顔を見て、僕も口の端をゆるめる。
鐘の余韻が風に溶け、春の花びらが舞い落ちた。
その中を僕たちは並んで歩く。
いつのまにか、意識しなくても僕たちは同じ歩幅で歩けるようになっていた。
それはまるで、時間が僕らの呼吸をひとつに整えてくれたみたいだと考える僕がいた。
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