5

建国祭の式典が始まり、その後に続くのは花贈りの儀。
誰もが見守るこの場で、微笑みを絶やさずに立ち続けるのは、思っているよりずっと神経を使うことだった。

整然と並ぶ列の先から、次々と貴族の青年たちが進み出てくる。
綺麗に包装された一輪の花を手にして、丁寧な言葉を添えながら差し出してくれるたび、私は笑顔でお礼を返した。
でも穏やかな声を向けられても、心はずっと落ち着かない。
胸の奥に抱えた不安は消えてくれなかった。

……どうしてだろう、視線が怖い。
優しく笑いながらも見つめてくる男の人たちの眼差しが、どうしてか息苦しく感じる。
花束を受け取る瞬間、差し出された手が触れそうになるだけで、身体がわずかにこわばった。
彼らはただ礼を尽くしてくださっているだけなのに……。
それなのに、誰かに乱暴に手を掴まれたような錯覚がよぎり、私は思わず裾を握りしめる。
笑顔を崩さないように、震えそうになる唇をそっと噛んだ。


『ありがとうございます。とても綺麗な花ですね』


どうにか声を出して、目の前の青年に微笑みを返す。
彼は嬉しそうに頭を下げ、次の青年がまた私の前へと進み出た。


「セラお嬢様、昨年の建国祭でもお花を献上させて頂きました、パブリック家のレオニールと申します。僕のこと、覚えていらっしゃいますか?」


彼の物腰は穏やかで、笑みも上品だった。
私は小さく頷き、微笑みを浮かべる。


『はい、勿論です。昨年も素敵なお花をありがとうございました』

「覚えてくださっていたとは、なんて光栄なことでしょう。本日はこの花を、改めてお受け取りいただければ幸いです。我が家の庭園で、あなたのためだけに咲かせた花でございます」


差し出された白薔薇を受け取ろうと手を伸ばした時、彼の指が私の手を包み込む。
指先から心臓にかけてぞくりと嫌な感覚が広がり、身体の奥まで冷たいものが走った。


『あ、あの……』


声が震えた。
けれど彼は気づかないまま、少し身を乗り出してきた。


「どうかお許しを。ほんの少しの間だけでも、お話をする機会をいただけませんか?何度かお手紙を差し上げましたが、すべてお返事を頂けず……。せめて今日は、直接お声を聞ければと願っておりました」


その声音は丁寧なのに、どこか強引で、逃げ道を与えない響きだった。
怖くて、触れられたくなくて。
その手を振りほどきたいのに、場の空気がそれを許さない。
込み上げてくる恐怖心に言葉を失った、その時だった。


「お嬢様に、そのように一方的に触れるのはお控えいただけますか?」


よく通る声がすぐ隣から響いたと同時に、総司が私を庇うように一歩前に出てくれる。


「お嬢様にはまだ式典のお役目がございます。これ以上はご遠慮願えますと幸いです」


表情には穏やかさを保っているのに、目だけが鋭く彼を見据えていた。
その眼差しに射抜かれたように、青年ははっと息を飲んだ。


「……っ、そ、そうでしたね。大変失礼をいたしました」


彼はすぐに手を引き、俯いたまま一歩、二歩と後ずさると、しょんぼりとした様子で人混みの中へ消えていった。
私が胸の前で花を抱きしめるようにしてそっと息をつくと、総司は僅かに口元を緩めて小さく囁いた。


「大丈夫?」


その声を聞いただけで、不思議と胸のざわめきが消えていった。
式典の喧騒の中でも、その声だけはまっすぐに心へ届く気がした。


『うん、もう平気。ありがとう、総司』


総司はそれ以上何も言わなかったけど、私を見つめる眼差しはどんなものよりも優しく感じられる。
総司がいるから大丈夫……そう言い聞かせて、私は再び笑顔を浮かべた。



それから暫くして、建国祭の式典も花贈りの儀もすべて終わり、ようやく公爵邸へと戻ってきた。
控えの間に入れば、張り詰めていた緊張が少しだけほどけていくのを感じる。


「いやあ、今日は晴天で本当に良かったな。空まで我らの建国を祝ってくれているようだ」


穏やかな声でそう言ったのは、お父様。
お父様の言葉に笑顔で頷くと、その顔は嬉しそうに綻んでいた。


「そうですね。街の方もさぞ賑わっていることでしょう。建国祭は民にとっても、一年で最も待ち遠しい行事ですから」


山南さんが微笑んでそう言うと、その隣にいる山崎さんが視線を移したのは、部屋の隅に積まれた花の山。


「それにしても、今年もすごい数の花ですね。お嬢様の人気は衰えるどころか、ますます高まっているのでは?」

「確かに、昨年よりも更に増えましたね。ですが、それは当然かもしれません。アストリアの白百合は誰よりも清らかで美しい、その名にふさわしい方なのですから」


穏やかに微笑む山南さんの言葉に、思わず頬が熱くなった。

確かに年々、頂く花の数は増えている。
けれど私はまだ、正式に社交界デビューをしていない年齢。
顔や名前をすべて覚えるのは到底難しくて、それが少し申し訳なく感じられた。


『私はまだ社交の場に出ていないので、この機会に交流を深めようとしてくださっているのですよね。ありがたいです』

「とても、そんな穏やかなものには見えなかったけどね」


隣で総司がぽつりと呟いた。
うんざり気味に吐き出された言葉を聞いて私が瞬きをすると、お父様たちは少しだけ苦笑していた。


「ともかく、あの人数から花を受け取ったのだ。セラも疲れただろう。このあとは例年通り好きに過ごしなさい。建国祭を楽しむのも務めのうちだ」

「そうですね。もし建国祭の様子をご覧になりたいのであれば、沖田君とお忍びで出かけてもよいでしょう。護衛も兼ねて、彼がいてくれれば安心です」

「セラ、どうする?建国祭の様子、見に行く?」


総司がやさしい声でそう尋ねてきてくれた。
でも、あの人の波……あの視線の群れを思い出すと、胸の奥が苦しくなる。
それに花を受け取るたびに近づいてくる男の人達の手。
笑顔を向けてくれる彼らは、皆礼儀正しく穏やかだったのに、息が詰まるような恐怖を感じてしまった。

どうしてこんなふうに感じてしまうのだろう。
理由もわからないのに怯えている自分が嫌で、強い罪悪感が込み上げた。
あの人たちは悪くないのに。
ただ笑顔で花を手渡してくれただけなのに。


「……セラ?」


総司の声が近くで聞こえて、気づけば心配そうに覗き込む彼の顔があった。


「大丈夫?疲れたなら、無理して建国祭まわらなくてもいいんだよ」

「確かに少しお顔色が優れませんね。無理をなさらないほうがよろしいかと」


四人の穏やかな眼差しを受けて、私は慌てて微笑んでみせた。


『いいえ、元気ですよ。今日は少し緊張してしまっただけです。昨年は本調子でなくてあまり回れなかったので、今年の建国祭は満喫したいです』


昨年は私が体調を崩していたし、総司も式典の後はすぐに別の任務へ向かわなければならなかった。
でも今年の建国祭は、総司が初めて私の専属騎士として隣にいてくれる。
総司と一緒に建国祭を笑って過ごしたかった。

思い返すのは、二年前の建国祭。
あの日、初めて二人で人混みを抜けたこと。
あのときの楽しかった時間を、今でもはっきり覚えている。
だからこそ、今年はもう一度、あの日の続きを過ごしたかった。
今度は、想いが通じ合った総司と一緒に。
互いに同じ想いを抱いているという、穏やかな幸福を確かめながら、もう一度あの街を歩きたいと思った。

私がそんな思いを馳せていると、隣の総司が優しく微笑んだ。


「じゃあ、行こうか。目立たない格好に着替えたら、すぐに出かけよう」


その言葉に自然と頬がゆるんで、素直に頷いた。

支度のために部屋に戻ると、侍女の方々が用意してくださった衣服が整えられていた。
淡い生成りのワンピースに、くすみ桃色のスカート。
上には白いレースのショールが掛けられ、腰には小花柄の布をきゅっと結ぶ。
髪は後ろでゆるくまとめて、薄いスカーフを頭に巻かれた。
いつもの宝石や飾りは外し、指先まで柔らかく馴染むような布の感触。
鏡に映る自分は街を歩く商家の娘のようだから、新鮮で嬉しかった。

支度を終えて部屋を出ると、総司がすでに待っていた。
彼もまたいつもの騎士団の制服ではなく、街の青年のような格好をしていた。
淡い灰青のシャツの上に薄手のジャケットを羽織り、黒のパンツに磨かれた靴。
金具のついた剣帯は外されていて、その代わりに腰に革の鞄を下げている。
少し乱れた前髪が光を受けてやわらかく揺れ、その姿に思わず息を呑んでしまった。


「似合ってるね。本当に商家のお嬢さんみたいだ」


総司の穏やかな笑みが、胸の奥をくすぐったくさせる。
私が微笑み返していると、お父様の声が響いた。


「おお、二人ともいいじゃないか。とても公爵家の人間には見えんな。街を歩いても誰も気づくまい」

「ええ、とてもお似合いですよ。とは言え、お嬢様の可憐さはどうしても隠せませんね。沖田君、細心の注意を払って護衛してください」

「ええ、任せてください。セラお嬢様のことは、僕がしっかりお護りしますよ」

「沖田さん。二年前の反省を踏まえた上で、今日の護衛をお願いします」

「はい、心得てますよ」

『二年前の反省ってなに?』


山崎さんの言葉に、苦笑いを浮かべる総司。
私が首を傾げていると、総司は少しだけ困ったように目を細めた。


「なんでもないよ。さ、行こう」


その笑みがやけに優しくて、追及する気になれなくなった。
代わりに静かに笑みを返して、三人に挨拶をする。


『では、いってまいります。少しだけ街の様子を見てきますね』


お父様が頷き、山南さんと山崎さんもそれぞれ柔らかく頭を下げて見送ってくれる。
そうして私たちは、公爵邸を出て馬車へと乗り込んだ。

扉が閉まり、車輪がゆっくりと動き出す。
窓の外には祭りの旗が揺れていて、総司の隣で胸の奥が高鳴った。
あの日の続きを、穏やかに過ごせますように。
そんな願いを込めて、総司の横顔を盗み見た私がいた。

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