4

セラが眠りについてからも、僕はしばらく眠れなかった。
セラがまた、前の世界のことを夢で見てしまうのではないか、そんな不安が頭を離れなかった。

それに、もう一つ気になるのはあの本のこと。
セラが話していた悪夢の記憶や、先程のあの頭痛。
小さな出来事のひとつひとつが、見えない糸で繋がっている気がして、考えれば考えるほど深みに嵌っていくようだった。

けれどいくら考えを巡らせたところで、今すぐに答えが出るはずもない。
それならせめて、目の前にいるセラを一番に気にかけてあげることが大事に思えた。


『……ん……ぅ……ん……』


寝返りを打ちながら、小さな声を漏らす。
セラは眠っている時、よくこうして無意識に僕へ擦り寄ってくる。
その仕草があまりにも愛らしくて、つい笑ってしまった。
でも、同時に心のどこかでいつも思う。
この無防備な距離の近さは、僕の忍耐を試しているんじゃないかって。


「可愛いな」


誰にも聞こえない声で呟き、そっと華奢な肩に触れた。
指先で肌の温もりを確かめるように撫でていると、もっと触れたくなってしまう。
けれど僕の手が触れることで、セラの中の痛みを呼び起こしてしまったらと考えてしまえば、僕はすぐに手を離した。


「……ごめんね」


小さく吐き出した息が、静かな部屋の空気に溶けていった。

あと数日もすれば、近藤さんが帰ってくる。
僕達のことを話したら、近藤さんや山南さんはどんな顔をするだろう。
そして王太子の問題もまだ残っている。
何もかもが不安定に感じる中、セラは何も知らずに穏やかに眠っていた。

このまま時間が止まればいい。
そう思ってしまうほど、セラの寝顔は無垢で、綺麗だ。
この夜がまたすぐ消えてしまうのだとしても、せめて今だけは誰にも邪魔されたくない。
この子は僕のものだと、柔らかな髪に口付けを落とした。



それから数日が経った。
あの夜以降、セラは夢にうなされることもなく、いつもの明るさを取り戻していた。
学院へ通い、公爵家での公務やレッスンもこなして、まるで何事もなかったかのように忙しい毎日を過ごしている。

そして今夜、近藤さんがようやく公爵邸に戻られた。
久しぶりに騎士団の幹部達や、随行していた騎士達が一堂に会し、城内の食堂では賑やかな夕食会が開かれていた。
近藤さんは他国から持ち帰ったという上等なワインと果実酒を振る舞ってくれて、笑い声が絶えない夜だった。


「いやあ!皆で飲む酒はうまいな!やはり我が家が一番だ!」

「ははっ、僕も近藤さんが帰ってきてくれて嬉しいですよ」

「うむ、セラの世話を任せてしまってすまないな。だが総司や八郎、平助がいるから俺も安心して城を留守にできるぞ。ありがとうな!」

『ふふ、お父様嬉しそう』

「勿論、嬉しいとも!可愛い娘にも会いたかったしなあ!」


近藤さんはセラの頭を撫でていて、そんな様子をやれやれと言うように山南さんと山崎君が見守っている。
新八さんと左之さんあたりは相変わらず豪快にお酒を呑んで楽しんでるし、平助と伊庭君も笑顔で近藤さんと挨拶を交わしていた。
それぞれがグラスを片手に立ってお酒を嗜む中、セラが僕の傍にきて小声で話しかけてきた。


『お父様、だいぶ酔っていらっしゃるね。今夜話すのと、明日話すの、どちらがいいかな?』


セラは一刻も早く僕達のことを話したいのか、うずうずしている様子が見てわかるから、そんな様子が可愛らしい。


「今日は近藤さんも疲れてるかもしれないし、明日あたりにする?」

『でもお父様のご機嫌がいい時に話したいよね?』

「ははっ、確かに。でも近藤さんはいつも優しいじゃない」

『そうなんだけどね』


セラはくすくすと笑いながらも、僕を見上げる。
そして何かを強請るような愛らしい様子で、再び唇を開いた。


『ねえ、総司。私もお酒、飲みたいな』

「え?」

『だってもうすぐ私も十六歳だよ。去年の誕生日に一口飲んだだけだから、今日は少し飲んでもいい?』


前の世界にいる時、セラは王太子の勧めで一度ワインを嗜んでいた。
軽い一杯で顔を染めていたあの時の無防備な顔を思い出せば、あまり飲んでほしくないと思う僕がいる。


「お?セラちゃん、酒が呑みたいのか?」

「ならセラが好きそうなやつを探してやるよ」


僕達の会話を聞いていたのか、やや酔っ払い始めている新八さんと左之さんがやってきて、そう声をかけてくる。


「セラも酒呑めるようになったんだもんな」

「君と晩酌ができるなんて嬉しいです」


続いて平助と伊庭君もやってきて、四人はセラの好きそうなお酒をああでもないこうでもないと選び始めた。


「あんまり飲み過ぎたら駄目だよ」

『うん、少しだけにする』

「少しだけってどのくらい?一口?」


意地悪にそう聞いてみれば、セラは少し不服そうに僕を見上げた。


『一口だけだと、味がよくわからないよ』

「鈍感なんだね。セラの舌って」

『総司、意地悪……』

「沖田さん、お嬢様を虐めないでください」


今度は山崎君が傍に来て、いつもの凛々しい顔付きで僕を見ている。
そんな山崎君をセラは愛らしく見上げて言った。


『今夜は少しお酒を飲んでみたいなって思ったんです。折角飲める年齢になったのに、まだ一口しか飲んだことがないので』

「なるほど。確かにこういった機会に少し嗜まれておいた方がいいかもしれませんね。夜会で勧められることもありますから、今から限度を知っておくことは悪くありません」

『そうですよね、山崎さん』


セラが嬉しそうに笑うから、山崎君も満更じゃなさそうに微笑んでいる。
僕としては飲ませたくないけど、確かに避けては通れない道だろうと、苦笑いをこぼした。


「飲むのは構わないけど、酔わない程度にね」

『うん、気をつけるね』

「なあなあ、セラ!俺達でセラが好きそうな酒を選んできてやったぜ」

「新八さんや左之さんは強いものばかりを選んでいたので、もし渡されても気をつけてくださいね。これは軽い筈です」

『わあ、二人ともどうもありがとう』


セラは伊庭君から渡されたグラスを、両手でそっと受け取った。
グラスの中には淡い桃色のカクテルがゆらゆらと揺れ、光を受けてやわらかく輝いている。


「ピーチ・ブロッサムというそうです。香りは強いですが、度数は低めですよ」


伊庭君が説明すると、セラは嬉しそうに頷いた。
そして慎重に唇を寄せて、ひと口。
その瞬間、セラの頬がふわりと赤くなり、瞳がとろけるように明るくなった。


『とってもおいしい……。甘くて、口の中でふわって広がって、でもそのあとにちゃんと大人の味がする』


その言葉に、平助が目を瞬かせて吹き出した。


「ははっ、大人の味ってなんだよそれ」

『なんて言えばいいんだろう。喉の奥に熱が広がって、少し夢の中にいるみたいな感じ?』

「セラは本当に表現まで愛らしいですね」


伊庭君が笑みを浮かべ、山崎君も静かに頷いた。


「よかったですね。お嬢様に合う酒が見つかったのなら何よりです」


セラは皆を見回して、嬉しそうににこっと微笑んだ。


『はい、おいしくて幸せです。こんなお酒なら、もう少し飲めそうかな』

「もう少しってどれくらい?あと一口かな」

『ふふ、総司はそればっかり』


僕の言葉を聞いてセラが笑うと、誰もが優しい顔になる。
今の時間がただ心地よくて、こんな時間がずっと続けばいいと思っていた。


『本当においしいな……』

「セラ、そろそろやめておいたら?空になっちゃうよ」


飲みやすいお酒は、気付いた時にはだいぶ酔っていることもあるから危険だ。
実際セラの頬を色付いているし、その瞳も少しぼんやりして見えた。


『うん。でも残すのも勿体ないから』

「なんだよ、こんな子供騙しの酒飲んでんのか?」

「俺らがセラちゃんが喜びそうな酒持ってきたからよ。次はこっちを飲んでみ!」


セラの後ろから、左之さんと新八さんが陽気に笑いながら近づいてきた。
左之さんはグラスを持つセラの手を掴み、新八さんは悪戯っぽくその肩を抱き寄せる。
けれどその瞬間、セラの手からグラスが滑り落ち、甲高い音を立てて床に散った。


『……いやぁぁぁっ……!』

「うおっ、どうした?」

「な、なんだ?」


鋭く響いた悲鳴に、場の空気が一瞬で凍りついた。
セラは怯えきった様子で後ずさり、必死に二人の手を振り払っていた。
その反応の激しさに一瞬で場の空気が凍りつき、その尋常じゃない様子を見た僕も、胸の奥が強く締めつけられた。

理由は、すぐにわかった。
セラ自身が理解するより早く、心の中に刻まれた何かが反応しているのだと悟った。
動かなければ、そう思うのに、あまりに痛ましくて身体が追いつかない。
それでも足を踏み出そうとしたその時、セラのもとに先に辿り着いたのは山崎君と近藤さんだった。


「お嬢様……!」

「セラ!どうしたんだ!」

『やだ……!触らないでっ……!』


二人の差し伸べた手すら、泣きながら振り払う。
泣きじゃくる声が食堂の空気を震わせて、その手のつけられない拒絶の仕方に皆が言葉を失った。
それでも僕は、拒まれることを恐れながらも手を伸ばすことをやめられなかった。


「セラ……っ」


名前を呼んだ声に、涙で霞んだ瞳がこちらを探して細められる。
そしてセラが僕の姿を捉えた時、拒まれると思っていた腕の中へ、セラが自ら飛び込んできた。


『……うっ……総司……』

「……もう大丈夫だから……」


僕の背に回された小さな手が震えている。
食堂は静まり返り、セラの嗚咽だけが響いていた。
誰もが声を失い、僕はただその背をゆっくり撫でてあげることしかできなかった。


「何があったのですか?沖田くん」


静寂を破るように山南さんの声が落ちる。
その声には、抑えた焦りと疑念が混じっていた。


「いえ、大きな問題があったわけではないんですけどね。ただ……」


軽々しく左之さんと新八さんを咎めるわけにもいかず、視線で助けを求めるように二人を見ると、左之さんが気まずそうに口を開いた。


「いや、俺と新八がセラに酒を持っていったんだよ。その時、後ろから急に手を掴んじまったから、驚かせちまったのかもな。セラ、悪かった」

「俺もつい、酔った勢いで肩を組んじまったんだよ。すまなかったな、セラちゃん」

「それだけでお嬢様がこれほどまでに取り乱されたと?」


山南さんの声が少しだけ鋭くなる。
怯え切ったセラを見れば、その反応がその程度のことではないことは明らかだった。
でもこれ以上追及される前に場を落ち着かせる必要があると、僕は穏やかに口を開いた。


「恐らくセラも少し酔っていたので、急なことに驚いただけですよ。僕は最初から見てましたけど、左之さんと新八さんは今話したこと以外、何もしてません。山崎君や平助、伊庭君も見てたよね」

「ええ……。僕から見ても、それ以上のことはありませんでした」

「つーか、いきなり後ろからあんなことしちゃ駄目だって。二人とも反省してくれよな」

「そうですね。原田さんも永倉さんも、絡み酒はおやめください。特に年頃のお嬢様相手には、もう少し節度を持っていただかないと」


空気を戻そうとするように、山崎君が穏やかに締めくくる。
それでも、セラの小さな肩はまだ震えていた。
その震えが少しでもおさまるようにと、僕はそっと彼女の髪を撫でた。


「近藤さん。今日は折角ですが、セラを休ませてあげたいのでこの子を連れて部屋に戻っても宜しいですか?」

「ああ、勿論だとも。総司、セラのことは頼んだぞ」

「はい、お先に失礼します。セラ、行こうか」


誰も悪気はなかった。
でも、セラの中に眠る痛みがどれほど深いものかを、あの瞬間に思い知らされた。
胸の奥に重いものを抱えながら、僕はセラの小さな肩を支えて廊下を歩いた。


「ほら、もう大丈夫だよ。ここに座って」

『……うん……』

「待っててね。君の好きなゆずはちみつ、作ってあげる」


手早くゆずはちみつを作り、カップを彼女の前に置くと、セラはゆっくりと両手で包み込むように持ち上げた。
けれど唇をつける前にその手が小さく震えて、カップを戻すなりそっと僕の胸に顔を埋めてきた。


『……ぅ……』


泣き声がかすかに胸の奥を震わせる。
僕は何も言わずにその背を撫でた。
細い肩が震えるたびに、自分の心まで強く痛むようだった。


「いきなりだったから、びっくりしちゃったよね」

『……うん……』

「あんなふうに急に触られたら、誰だってそうなるよ」

『……でも、私……変だったよね……』

「変じゃないよ」


そっと彼女の髪を指に絡めながら、耳元で静かに言った。


『……原田さんも永倉さんも……何も悪くないのに……私……あとで謝りに行かないと……』

「あの二人のことなら気にしないで平気だよ。僕からも話しておくし、お酒の席でのことだから気に留める必要もないしね」


再び静かに涙を溢すセラに、どう言葉をかけてあげればいいんだろう。
恐らくセラ自身ですら、自分の置かれた状況に戸惑っている筈なのに。


『私最近……おかしくて、自分でも……今までの私じゃなくなっていくみたいで……怖くて堪らないの……』

「セラ……」

『理由が……わからないのに、変だよね。しっかりしないとって思うのに……こんなことで皆に迷惑かける自分が情け無いよ……』


この輪廻はいつまで繰り返されるんだろう。
いつになったらセラが笑って過ごせる未来に辿り着けるんだろう。
戻る度に状況が悪くなっていく今、セラを護ることの出来ない自分の無力さに怒りが湧いた。
それと同時に、僕の存在はこの子を苦しめているだけなのではないかという漠然とした不安が生まれる。
こうして抗っていればいつか幸せな未来にこの子を導いてあげられる、そんな楽観的な希望だけでは済まされない状況になっている気がした。

でもただ一つ言えることは、セラは何も悪くない。
自分を責めて欲しくないからこそ、僕はそっと彼女の身体を抱きしめた。


「理由なんて、考えなくてもいいんだよ」


耳元で囁くと、セラの小さな肩がぴくりと揺れた。


「誰にだって苦手なことや怖いことはあるよね。でもその理由を全て明確に説明できる人なんていないと思うんだ」

『だけど……』

「僕はね、セラが怖いって感じたのなら、その怖いと思う気持ちごと君を護ってあげたい。だから無理して笑わなくてもいいし、我慢する必要もないよ」

『……総司……』


かすれた声が僕の名前を呼んだ。
顔を上げると、涙で濡れた瞳がまっすぐ僕を見つめている。


『私、最近色々なことが怖くて、そんな自分がよくわからなくて……でも総司が傍にいてくれると、それだけで落ち着くの。だから頼ってばかりになっちゃってて、ごめんね……』

「謝らなくていいよ。僕だって君に頼ってるし、互いに支え合っていけばいいじゃない。僕は君に頼ってもらえると嬉しいしね」

『ありがとう、いつも優しくしてくれて。総司が優しくしてくれるたびに、心の奥があったかくなって……大好きだなって思うよ』


いつもなら照れくさそうに笑うのに、今日のセラは違った。
言葉の端々に滲むのは切実さ。
吸い込まれそうな程綺麗な瞳を目の前に、胸の奥に灯った想いが一気に熱を持つ。


『私、総司がいないと駄目みたい。本当にどうしようもなく、大好き』


懸命に僕を必要としてくれるその言葉を聞いて、苦しいほどにセラが愛おしくて堪らなくなる。
何かを求めるように見上げてくる瞳に、抗うことなんてできなかった。
僕は何も言わず、その頬を両手で包み込む。
涙の跡を親指でそっとなぞり、綺麗な唇に自分のを重ねた。


『ん……』


止まらなかった。
優しく深く舌を絡め、セラの全てを感じたいと思う。
途中、苦しそうに唇を離したセラの唇をまた奪い、その甘い口内を堪能した。


「……は……」


何度も名残惜しむように唇を重ねて、少しでも長くセラに触れようとした。
互いの呼吸が乱れて、胸の鼓動が触れ合い、こんなにも近いのにそれでもまだ足りないと思ってしまう。
柔らかくて温かくて、一度触れたらもう離れられなかった。


『ん……』


本当は、もっとセラに触れたくて堪らない。
腕の中で、この指先で、その温もりを確かめたかった。
でもそんな欲望を少しでも見せてしまえば、僕はこの子を傷付けたあの連中と同じに見做されてしまうかもしれない。
だから僕は唇を離し、ただ強く抱きしめることしかできなかった。
セラの髪に顔を埋め、香りを吸い込む。
この胸の痛みが少しでも静まるようにと願いながら。


『総司……』


甘く少し掠れた声が耳元で響き、その呼び方ひとつで、心の奥まで熱が走る。
顔を上げると、セラは潤んだ瞳で僕を見つめていた。


『私のこと……すき?』


そんな当たり前のことを今更聞かれて、思わず少し笑ってしまう。


「勿論、大好きだよ」

『どれくらい?』

「んー、前は地球がぶっとぶくらいって言ったから、今日は世界中の星を全部かき集めても足りないくらいって言っておこうかな」


くすくすと笑うその姿が見られて安堵したものの、その顔からは直ぐに笑みが消えてしまう。
そして再び僕を見上げた瞳は、少し寂しそうに揺れていた。


「どうしたの?」


問いかけるとセラはぴくんと肩を震わせ、言葉を探すように唇を噛んだ。
そして少し頬を染めながら視線を逸らす。


「セラ?」


しばらく沈黙が落ちたあと、セラは僕の胸元に顔を寄せて、小さな声で言った。


『今日の夜は総司にたくさん甘えてもいい?』

「ははっ、いつも甘えてるじゃない」

『そう……じゃなくて』


セラの顔がみるみる赤く染まっていく。
その様子を見つめていると、僕から視線を逸らしたセラは消えそうなほど小さな声で言った。


『たまには、総司に……触って……欲しくて……』


その言葉に、世界が一瞬止まった。
息が詰まりそうなほど、喉の奥が熱くなる。
セラの声は、僕の理性をあっけなく溶かしてしまうものだった。


「……本当にいいの?」


そっと手を取り、その小さな手のひらを指でなぞる。
それだけでセラは小さく身体を揺らし、まるでそのささやかな触れ合いすら心地よいと訴えるような熱を帯びた瞳で僕を見つめてきた。
その視線に込められた想いがあまりにも真っ直ぐで、僕の胸の奥に灯った熱が、もうどうにもならなくなりそうだった。


『総司が……気乗りしないなら、無理にとは言わないけど……』

「僕が気乗りしないなんて、そんなことあると思う?」


囁くように言って、指先で頬を撫でる。
セラの瞳は頼りなさげに揺れていて、我慢して触れずにいた日々が、かえってセラを不安にさせていたことを知った。


「僕はいつだってセラに触りたいよ。好きなんだから、当然でしょ」

『でも最近はずっと……そういうこと何も……なかったから』

「セラを大切にしたかったんだ。それに、そういうことばかり考えてる奴だって思われたくないじゃない。僕だって色々考えるんだよ」


少し冗談めかして言うと、ようやくセラが微笑んだ。
その笑顔が可愛くて、今すぐ抱きしめたくなる衝動を抑えるばかりだった。


『良かった……。何か他に理由があったらどうしようかと思ってたの』

「理由って?」

『……たとえば私の身体に……興味なくなったとか……』

「そんなことあると思う?セラのことなら、全部に興味あるよ」


僕の言葉を聞いて、小さく笑ったその顔がたまらなく愛おしい。


「ねえ、セラ。君が心配してたのは、僕が最近君に何もしなかったこと?それとも僕に触って欲しいっていうのも、本当の気持ち?」


傷ついた過去があるからこそ、確かめずにはいられなかった。
もし少しでも怖いと思っていたら、僕はセラに無理はさせたくない。
セラの中にある不安を、これ以上増やしたくなかった。

セラは唇を結び、ほんの短い沈黙のあと、小さく呟いた。


『総司に……たくさん触って欲しいよ。いつもね、もっと総司の近くにいたいって思ってたの』


その言葉を聞けば、喉の奥が熱くなり、嬉しさから息が詰まりそうになる。
僕を誘うような熱を帯びた表情が可愛すぎて、心が一瞬で堕ちた。


「そんなに可愛いこと言われたら、本当に襲っちゃうけどいいの?」

『うん……』


胸の奥にあったすべての理性が静かに溶けて、もう言葉なんていらなかった。
触れたら壊してしまいそうなほど愛しいと思うこの子を、ただ抱きしめたくて仕方なかった。

抱き上げた瞬間、腕の中で小さく身をすくめる感触が伝わる。
そのまま寝台に横抱きのまま降ろして、唇を重ねようとしたところで、ふわりと上がった小さな手のひらが、僕の口元をやんわりと塞いだ。


『だ、だめ……』

「……え?なんで?」


完全に色々昂っているのに、セラは小さく首を振る。
頬は赤く、目だけは真剣だった。


『だって……まだお風呂に入ってないもん』

「そんなの関係ないよ。それに僕はセラのありのままの匂いが好きだよ。そのままの君を味わいたいんだけど」


思ったままを口にすると、セラの瞳がぱちぱちと瞬き、頬がみるみる余計に熱を帯びていく。


『……そ、それは……だめ……。そういうの、恥ずかしい……』

「恥ずかしがるようなことじゃないのに。あ、もしかして僕が汚いとか、そういう理由?」

『そうじゃないの。折角、総司に触ってもらうんだもん。ちゃんと綺麗にしてからがいいの』


小さく言って、セラはガードするかのように胸元をぎゅっと両腕で抱きしめた。
そんな懸命に守るような仕草をされたら、それ以上は何もできなくなる。
セラの気持ちを汲んで、そっと身体を離すと、安堵したように彼女は小さく息を吐いた。
でもその表情は、どこか名残惜しそうでもあった。


『……お風呂、入ってくるね。私が戻ってくる前に寝たらだめだからね?』


肩越しにこちらを振り返って、恥ずかしそうにそんなことを言うから可愛いくて仕方ない。


「もちろん。僕もお風呂入ってくるね。その間に、変なこと考えないように気をつけるよ」

『変なことってなに?』

「んー、この後のこととか?」

『もう……余計なこと考えないで入って』


くすっと笑って、セラはそのまま部屋を出ていった。
閉まる扉の音を聞きながらも、先程までのセラの様子を思い出せば、胸の奥が熱を増した。

早く触れたい。
でもそれ以上に、セラが僕を想ってくれたその気持ちが嬉しくて仕方ない。
セラの残り香がまだ残る寝台の上で、僕はそっと指先を見つめながら、この後の時間を待ち遠しく思っていた。


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