3

馬車は真っ暗な森の中、雨に打たれながらも進んでいく。
外には王宮騎士団の護衛が十数名、周囲を固めるように馬を走らせていた。
けれど和やかな雰囲気は長くは続かず、突然緊迫感に襲われた。


「敵襲だ!」


外から怒号が響くと、誰かの苦しそうな声が聞こえてくる。
御者が倒れたとわかった直後に馬車が止まり、揺れた拍子に私は座席から身を乗り出しそうになった。


『……あっ』

「セラ、大丈夫?」


総司の腕に支えられながら頷くと、総司は外に視線を映し険しい顔をした。


「ここで待ってて」


総司の声は低く静かで、その声の奥にある緊張が伝わってくる。
外を覗けば、雨の中を走るたくさんの黒ずくめの影。
松明の灯りがちらつき、鋭い金属の光が交錯して、その数は王宮の護衛の倍以上だった。


「ちっ、野盗か……」


薫殿下が小さく呟く傍で、総司は腰の剣を抜きながら言った。


「殿下とセラは馬車の中にいてください。殿下、セラが無茶をして馬車から出て行かないように見張っていてください」


そう言い残して、総司は迷いなく扉を開け、雨の闇の中に飛び出していった。


『あっ、総司……』


外では雷鳴と剣戟の音が入り混じり、地面を叩く雨がすべてをかき消している。
馬の嘶き、怒号、鋼のぶつかる音。
闇の向こうで総司の銀の刃が一閃し、泥と血を散らしていた。
私は窓越しにその光を追い、殿下も険しい表情で外を見つめていた。
総司の背中が閃光に照らされて、その姿を見つめるたび胸の奥が苦しく痛む。


『総司……お願い、無事でいて』


震える唇から思わず不安が零れ落ちてしまう。
殿下は馬車の窓から外を見つめたまま、小さく息を呑んだ。


「……おかしい」

『え……?』

「相手はただの野盗だろ?いくら数が多いとは言え、こっちの護衛は王宮騎士団の者だ。何故あんな簡単に……」


その言葉の直後だった、護衛の一人が苦しそうに膝をつき、そのまま倒れてしまう。
そしてまたもう一人、もう一人とどんどん戦力が失われていった。


『もう半数以上が倒れてしまっています、このままでは……』


私が呟くと、殿下は拳を握りしめていた。
外では、総司が雨を浴びながら敵を斬り伏せていた。
けれど多勢に無勢、次々に押し寄せる野盗に囲まれ剣を交わす音が絶えない。
いくら総司が強くても、相手の戦力を削る前に次から次へと総司に向かって剣が振り下ろされているから、交わすことで精一杯の様子だった。


「セラ、俺も沖田に加勢する」

『ですが殿下はこの国の王太子殿下です。殿下に何かあれば……』

「だからといって、このままだと全員やられる。セラは絶対にここから出るな。馬車の鍵もちゃんと閉めるんだよ」


殿下はそれだけ言い残し、扉を押し開けて外へ飛び出した。


『どうしよう……何か私にできることは……』


鼓動が苦しいほどに速くなる。
二人が命懸けで戦っているのに、ただ座って見ているだけなんて絶対嫌。
かと言って剣の心得もない私が無鉄砲に飛び出せば、逆に二人の足を引っ張ってしまう。
雨に濡れる馬車の窓越しに、私は必死にこの状況を頭の中で整理していた。

もう護衛の半数以上が倒れていた。
立っているのは総司と殿下、それに数人の騎士だけ。
二人は互いに背中を預けるようにして、必死に刃を交わしている。
それでも、押し寄せる敵の数は一向に減る様子がなかった。

見ていると、何かがおかしい。
剣腕だけで見れば護衛たちの方が勝っているのに、次々に倒れていくのは護衛の方。
きっと何か見落としていることがある筈だと考えた私は、敵がいない側の扉を開け、泥を踏んで馬車を降りた。
すぐ近くに倒れていた護衛の騎士のもとに膝をつき、傷口や脈を確かめる。
傷はごく浅いものしか見当たらないのに、彼の唇は青く呼吸が浅かった。


『……どうして?出血は少ないのに、脈が乱れてる』


けれど傷口に鼻を近づけた時、鉄臭い血の匂いに混じって、ほんの僅かに湿った草のような甘い匂いがした。


『もしかして……』


辺りを見渡すと、野盗の仲間の一人が倒れていた。
近くに転がっていた野盗の短剣を拾い上げると、予想通りその刃先からも湿った草のような独特の匂いがした。


『やっぱり……これに毒が塗ってある』


それは私がかつて嗅いだことのある、ある植物の毒の香りだった。
昔、薬学書でも読んだナイトベイン草。
体内に入れば神経を麻痺させ、全身に痺れが走る。
それに加えて幻覚や震え、発熱や呼吸困難などの症状を煩い、少量であれば命を奪うほどではないものの、戦う力を一瞬で奪う。
傷口は浅くても、毒が体内に入れば動けなくなるため、戦場でこれを使われたら致命的だ。
今ではもう、違法とされて使われなくなった毒……でもその名残は、こうしてまだ形を留めていた。

そういえば以前、山南さんが「最近は野盗による被害が増えている」と話していた。
女性は攫われるか、弄ばれて捨てられるのに対し、男性はみんな胸を一突きにされていたらしい。
その様子から誰もが野盗の腕が立つと噂していたらしいけど、もし毒で弱らせていたのだとしたら……。

でも、どうして今まで誰もその毒に気づかなかったのだろう。
少し考えて、すぐに答えにたどり着いた。

この毒は、雨に濡れると香りが薄れてしまう。
そして雨が流れていくうちに、傷口に入り込んだ毒の匂いは完全に消える。
けれど、体の中に取り込まれた毒の力だけは、解毒しない限り弱まることはない。
だから野盗たちは、きっと雨の日を選んで襲っていたのだと思う。
香りさえ消えてしまえば、どんな名医でも見誤るほど、見分けが難しい毒。
だからこそ、雨の夜は彼らにとって都合のいい闇だったのだろうと思った。

それに加えて、この剣は雨に濡れても、刃に薄い膜が残っていた。
普通なら毒は水に溶け、流れてしまうはず。
それなのに、この短剣は毒を守るかのように雨を弾いている。


『……油が混ぜてある。これが野盗の手口……』


すべてが繋がった。
この毒は、雨の日に使うために作られたものだったのだ。
水を弾く油を媒介にして毒を守ることで、どんなに雨が強い夜でも、その効き目が薄れることはない。
野盗たちはその性質を知っていて、雨の日を選んで動いていた。

私はずっと、野盗が気配を消すために雨を選ぶのだと思っていた。
けれど本当は毒の存在をうまく隠せるのは、雨の日だから。
人々は野盗たちの腕が立つと思い込んで恐れていたけど、もしそれが毒で倒れたところを後から刺されていただけだとしたら?


『……そういうことだったんだ』


護衛たちの力が、夜盗に及ばなかったのではない。
誰も、毒の存在に気づけなかっただけ。
彼らが倒れた理由を知らないまま、ただ強敵に敗れたと欺かれていたんだ。


『考えて……何か、できること……』


敵の剣で斬られた者は皆、毒に侵される。
でも逆に敵の剣を使えば、敵自身に毒を返すことができる。
総司と殿下に知らせなければと、私は迷うこととなく声を張り上げた。


『総司!殿下!敵の剣には毒が塗られています!奪った剣で応戦してください!それと、絶対に自分を傷つけないで!毒が入ったら、すぐに身体が動かなくなります!』


雨の音が激しくなり、あたり一面を白く霞ませていた。
その中で、総司が敵の剣を受け止めながらこちらを振り向いた。
濡れた前髪の隙間からのぞく瞳が、わずかに見開かれる。
殿下もすぐに地に落ちていた剣を拾い上げ、姿勢を低くして構え直した。

けれどその直後、私の目に映ったのは、馬車の上に影のように立つ一人の野盗だった。
黒い外套が雨に濡れ、剣の刃だけが光を反射していて、その直ぐ真下には殿下がいた。


『殿下!後ろ……!』


叫ぶより早く動いた身体。
殿下が振り向いた時には、もうその剣が目の前に迫っていた。
私は殿下のもとへ駆け寄り、勢いのまま彼を突き飛ばしていた。


「セラ……!」


鋭い痛みが腕を走る。
少し斬られただけなのに、毒のせいなのか直ぐに指先が震えて身体に力が入らなくなった。


「お前っ……何して……!」


驚いたような殿下の声が耳に届く。
その返事をするより早く、背後から襲いかかる数人の野盗が見えた。
でもその時、雨の幕を裂くように総司が飛び込んできた。


「セラっ……危ない!」


剣と剣がぶつかり合い、火花が散る。
総司の剣が一閃するたび、野盗たちの身体が崩れ落ちていく。
動きを止めることなく、総司は次々と斬り伏せていった。


「なんで出てきたのさ……!」


その声には怒りというより、焦りと悲しみが滲んでいるように聞こえた。


「セラはここから動かないで。あとは俺と沖田でやる」


殿下はそっと私の肩に手を置き、立ち上がる。
総司と殿下は私を護るようにその場に立ち、息を合わせるかのように二人の剣が雨の中で光を描いた。


「……ぐっ……くそっ……!」


野盗たちの動きが次第に鈍り始める。
浅い傷を負った敵たちは震え、やがて膝をついた。
総司と殿下が敵の剣を使うことによって、自らの刃に塗られた毒が今度は彼ら自身を蝕んでいた。

それでも、油断はできなかった。
総司と殿下以外、もう誰も動ける者はいない。
残された敵はわずか数人なのに、総司と殿下の息もだいぶあがっていた。


「ちっ、こいつ……化け物か」

「おい!まずは弱い方を狙え!」


野盗の声が響くと同時に、彼らは一斉に殿下へと襲いかかった。


「殿下……!」


総司が地面を蹴り、雨の中を疾風のように駆け抜ける。
その剣筋は速く圧倒的な強さなのに、敵の数が多い。
一撃を防いだ瞬間、別の刃が背後から迫るから、総司は殿下の前に出て、ついにはその身を盾にした。


『総司っ……』


鋭い音と共に血が飛び、総司の肩口に傷が走った。
それでも総司は一歩も退かずに敵の剣を受け止め、押し返し、返す刃で二人目を斬り伏せた。


「うああっ……!」


短い悲鳴が雨の音に紛れ、総司の頬に流れる血が、雨と混ざって溶けていく。
それでも総司は止まらなかった。
殿下を庇いながら、次々と敵の間に飛び込む。
自分の身体をいくら斬られても、まるで毒が身体を蝕む前に決着をつけようとしているかのように、総司の動きには一切の迷いがなかった。

剣の刃が何度も交錯するたび、私の心臓は強く痛んだ。
どうか、これ以上傷つかないで、そう願うことしかできなかった。

やがて最後の一人を斬り伏せた時、総司はゆっくりと剣を下ろした。
呼吸は荒く、肩が上下している。
血が滴り落ちても、彼はただ静かに殿下を見た。


「……殿下、ご無事ですか?」

「ああ……沖田のお陰で、無傷だ」
 

そして私の視線の先で、総司が微かに笑う。


「セラ、……君まで怪我をして」

『私は大丈夫、少しだけだから……でも、総司が……』


言葉の途中で喉が詰まった。
血に濡れた彼の手が、優しく私の頬を拭う。


「泣かないで。僕は平気だよ。君と殿下を護れたなら、それでいいしね」


雨の音が少しずつ弱まり、空の涙が止むように、静けさが戻ってくる。
総司の声が風のようにやさしく耳に届いた直後、彼の身体がふっと揺らぐ。
そしてそのまま、地面に崩れ落ちてしまった。


『総司……?総司……!』


地面に膝をついたまま、総司の顔を覗き込む。
頬に触れると、冷たい雨に濡れた肌の下に、微かに熱がある。
意識はなく、呼吸は浅く苦しそうだった。


『……いやだよ、総司……目を開けて……』


嗚咽が込み上げてきた瞬間、胸の奥に鈍い痛みが走った。
息が苦しくて、腕に負った傷口が、じんわりと熱を帯びて痺れていく。
視界が霞んで身体が傾いだ時、背後から支えるように温かな腕が伸びた。


「セラ、平気?」


耳元で殿下の声がするのに、その声がやけに遠くに聞こえる。


『私は……大丈夫です。ですが、総司が……』


必死に声を絞り出すけど、息が続かない。
殿下はすぐに私と総司を交互に見つめ、苦しげに眉を寄せた。


「セラと沖田を王宮へ運ぶ。護衛たちの救助と夜盗の捕縛は、近くに滞在している王宮騎士団に任せよう。ここに留まるのは危険だ」

『……はい……』


頷くことしかできず、息が荒くなっていく。
身体が鉛のように重くて、指先がうまく動かない。
殿下がその異変に気づいて私の頬に触れると、その手はひんやり冷たく感じた。


「お前……ひどい熱だ。まさか毒が……?」

『……殿下。この毒は、おそらくナイトベイン草のものです。昔……薬学書で読んだことがあります』


唇が震え、言葉が途切れそうになる。
それでも、伝えなければという思いだけで続けた。


『解毒には……ウィスタリアの根と、乾いた月桂樹の樹皮を合わせて煮出した煎じ薬が必要です。王宮の薬庫にあるはずですから……薬師の方お伝えいただけますか……?』

「分かった。すぐに手配する」
 

殿下の腕の中で、視界が滲む。
霞む空を見上げながら、必死に言葉を紡いだ。


『それを……飲ませてください……総司に……お願いします……』

「安心しろ。必ず二人とも助ける」


殿下の声には確かな決意が宿っていた。
揺れる腕の中、雨の匂いと薬草の香りを思い出しながら、薄れていく意識の中で総司の無事を願っていた。


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