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ぼんやりした意識の底でゆっくりと瞼を開けると、見慣れない天井が目に入った。
頭が重くて、身体もまるで自分のものではないように動かない。
そんな私を覗き込むように、殿下が椅子に腰かけ私を見つめていた。


「セラ……良かった。目が覚めたんだね」


低く優しい声が耳に触れて、夢と現実の境がようやく輪郭を取り戻していく。


『……殿下……?』

「身体はどう?辛いところはある?」

『いいえ、大丈夫です』

「それなら良かった。それに、もう安心していい。お前が言っていた通りに薬師へ伝えて、すぐに解毒剤を作らせたんだ。沖田も無事だよ」


その言葉を聞いて、意識の奥に沈んでいた恐怖が一気に蘇る。
苦しそうに顔を歪ませ倒れた総司、血に濡れた彼の姿。
私は慌てて起き上がろうとしたけど、殿下の手がそれを制した。


「慌てなくて平気だ。沖田なら隣で寝てるよ」


言われた方に目を向けると、右側のベッドで総司が静かに眠っていた。
包帯が巻かれた腕や肩が痛々しく見えるけど、その胸が規則正しく上下しているのを見て、瞳には涙が少し湧き上がってしまった。


『……総司……良かった……』

「沖田は斬られた傷は多かったけど、どれも浅い。解毒も済んでいるから、しばらく休めば問題ないはずだ」

『ありがとうございます。殿下が迅速に対応してくださったおかげです』


私が感謝の気持ちを言葉にすると、殿下は小さく眉を寄せ、息を吐いた。


「どうしてお前が礼を言うんだか、理解に苦しむね。助けられたのは俺の方だ」

『いいえ、私は何も』

「お前が毒の存在に気づかなければ、俺達はあの場で確実にやられていた。しかもお前も沖田も、王宮騎士でもないのに命懸けで俺を護って……馬鹿がつくほどお人好しじゃないか」


そう言って、殿下は眉尻を下げて笑った。
けれどその笑みは温かくて、私もつられて笑ってしまう。


『ふふ、馬鹿とは心外ですね。大切なご友人をお護りしただけです。困った時に助け合うのは当然のことだとお話しましたでしょう?』

「それでも、俺は助けられてばかりだよ」


殿下は目を伏せ、手のひらを見つめるように言った。


「お前の知識がなければ、護衛達も救えなかった。毒の正体を突き止めたのも、お前だ。礼を言うよ。お前達のおかげで、遭遇した野盗達は全て捕えることが出来たしね」

『少しでもお役に立てたのなら嬉しいです。あの時は、殿下も総司も無事でいてくださることだけを願っていました。なのでこうして皆で戻って来ることができて良かったです』


そっと総司の寝顔に視線を移す。
その穏やかな呼吸を見ていると、胸の奥にあった不安が静かに溶けていくようだった。
あの恐ろしい出来事の中、総司が生きていてくれた。
それだけで、涙が出るほどありがたかった。


「それにしても、お前は薬学についても随分詳しいんだね。あの毒の存在は俺も知ってはいたけど、なんでナイトベイン草だってわかったの?」

『もしかしたらと思い、倒れていた騎士の方の傷口の香りを嗅いだんです。そうしたら以前嗅いだことのある香りだったのでわかりました』

「へえ、香りでね。雨の中で良くわかったね」

『恐らく、あと少し時間が経ってしまっていたらわからなくなっていました。王都で噂になっていた野盗事件が雨の日ばかりに起こっていたのは、雨で毒の匂いを消すことが目的だったと思うんです』


私は、自分の考えを静かに殿下へ話した。
ナイトベイン草の毒は雨で匂いが消えること。
油と混ぜることで、雨の中でも剣に残るように細工されていたこと。
そして野盗の腕前だと恐れられていたのは、実際には毒によって動けなくなった者を刺していただけだったこと。


「……なるほど。つまり、今までの犠牲者達は、最初から満足に戦えてすらいなかったわけだ」

『はい。ですから、今後の対策としては解毒薬を常備するか、ナイトベイン草の流通を厳しく取り締まる必要があると思います』

「ああ、その件は陛下にも報告するつもりだ。本当によくやってくれた」


その言葉は、王太子としてではなく、一人の友人としての声に感じられる。
安堵と優しさが混ざった響きが静かな部屋の空気に溶けた時、右側からは大好きな人の声が聞こえてきた。


「あー、傷が痛むなー」


その声に反応するように視線を横へとずらすと、総司が寝たままこちらを見て微笑んでいた。


「沖田、目が覚めたのか?」

『総司、目が覚めて良かった。傷は大丈夫?』

「まあ、なんとか。それより僕をほっぽらかして二人でずっと話してるから、寂しかったんだけど」

「まったく……起きてるなら言えばいいじゃないか。思いの外、元気そうで良かったけど」


殿下は総司の前まで行くと、彼の寝ているベッドへと腰を下ろした。
その瞳を見れば総司を案じていることはわかったから、その様子を見て心が温かくなった。


「ええ、僕はぴんぴんしてますよ」

「いつから起きてたんだか」

「いや、なんだか身体が重くて最初は目が開かなかったんですよね。あの毒は結構厄介でしたから」

『総司、身体は大丈夫そう?辛いところとかない?』

「平気だよ。君こそ大丈夫?」

『私も全然元気だよ、大丈夫』


毒の余韻で怠さは残っているけど、総司と話したら元気が出た。
あとは総司の傷付いた身体が一日も早く治ることを願うだけだ。


「セラはいつも無茶をするから困っちゃうよね。毒の件は確かにお手柄だったけど、野盗達の前に出てきちゃうから冷や冷やしたよ」

『ごめん……』

「沖田の戦い方も相当な無茶をしていたと思うけどね。でもそんなお前達に俺は助けられた。沖田にも礼を言うよ。それに怪我をさせて悪かった」


あまりに素直に紡がれた言葉を聞いて、総司は一度目を瞬かせると、ぷはっと吹き出していた。


「殿下に頭を下げられるのは、なんだか変な気分ですからやめてもらいたいな」

「お前達は命の恩人だ。頭くらい下げたっていいだろ」

「駄目とは言いませんけどね。でも野盗達を捕えることができたなら良かったです。王都の治安維持に貢献できたのであれば本望ですよ」

「この件は陛下も酷く感謝している。俺の命を護ってくれたこともね。近いうちに褒美をとらせるつもりだけど、今は何より回復に専念してくれ。近藤公にも連絡を入れてある。身体が楽になるまでは、王宮で療養してほしい。お前達を手厚くもてなす準備は整っているから、いくらでもいてもらって構わないよ」


優しい声が、胸の奥まで染みわたっていく。
そのまま殿下は椅子から立ち上がり、私に小さく微笑んでから「また様子を見に来る」と言い残して部屋を出ていかれた。
扉が静かに閉まる音が響くと、部屋の中は一瞬にして静寂に包まれた。

その静けさの中で、隣のベッドから衣擦れの音がして、私は顔を向ける。
総司がゆっくりと上体を起こして、私のそばに腰を下ろしていた。


「身体、本当に大丈夫?」


包帯が巻かれた腕がそっと伸びてきて、指先が私の頬に触れる。
その掌の温もりを感じられることが嬉しくて、涙がこみ上げそうになった。


『うん、大丈夫だよ。総司こそ毒は抜けた?傷……痛むんじゃない?』

「どれも浅いから問題ないよ。毒ももうほとんど抜けたんじゃないかな。こうして動けるしね」

『良かった……。総司が倒れた時は、どうしようかと思ったよ。怖くて仕方なかったの』

「それは僕の台詞だよ。馬車の中から出ないようにって、言ったのにね」


優しい叱り方に、思わず小さく笑ってしまう。
あの時は、じっとなんてしていられなかった。
総司の言いつけは守れなかったけど、彼の眼差しはただ柔らかかった。


「セラには驚かされるよ。こんなにか弱いのに、僕や陛下を護ろうとするんだから」

『別にか弱くなんてないよ』

「僕からしたら赤ちゃんと変わらないくらい、か弱いですよ」

『赤ちゃんって……』


流石にそこまで弱くはないと眉を顰めてしまうと、総司はくすくす笑っている。


「でもいつも思うんだけどさ。セラにはセラの戦い方があって、ちゃんと周りを護る力があるんだよね。今回だって、君がいたからあの苦しい状況の中でも勝つことが出来たと思ってるよ」

『私だけだったら無理だったよ。総司があの場で私の言葉を信じて、戦ってくれたから勝てたんだよ』

「じゃあ僕とセラが力を合わせたら、きっとどんなことでも乗り越えられるね」


総司の言葉が心の奥に届いて、嬉しくて堪らなかった。
私はいつも護られてばかりいて、ずっと甘えてばかりで……総司のために何をしてあげられているんだろうと考えていたから。
でも今回の件は、私と総司が力を合わせて立ち向かったからこそ道が開けたと思うことができる。
その事実は私と総司の未来を明るく照らしてくれるみたいで、胸が熱くなって瞳が潤んだ。


『うん、私もそう思う』


私に総司が必要なように、総司にとっても必要な人でありたい。
ただ感情だけではなく、総司の人生を共に支えていける人になりたいと思った。


「でも心配だな」

『心配?何が?』

「今回のことで、セラは今まで以上に陛下や王太子からの注目を浴びるでしょ。しかも結局こうして暫く王宮に滞在することになっちゃったしね」


穏やかな口調の中に、小さな不安が滲んでいた。
総司が私を案じてくれるたびに胸が温かくなるけど、同時に心配をかけたくないとも思う。

建国祭でのあの出来事以来、総司の胸の奥の不安を少しでもやわらげたいと思いながら毎日を過ごしてきたけど、一日も早くこの想いを形にしたい。
総司に悲しい顔はさせたくないと思いながら、私は静かに彼の手を取った。


『今回のことは、総司の強さと誠実さを知ってもらえる良いきっかけになったと思うよ。総司がいたから、みんな無事に戻ってこられたんだもん。それは殿下だって、きっとわかってるはず』

「そうだといいけどね」

『そうだよ。だって総司は誰よりも勇敢で、誰よりも優しい人だもん。今回のこともそう。私と殿下のために戦ってくれて護ってくれて、どうもありがとう』


そう言った直後、総司がふっと目を細めて、寂しそうに笑った。


「僕は優しい人間なんかじゃないって、何度も言ってるでしょ」


その声には、ほんの少しだけ影があった。
けれど私には、その影の奥にある温かさがちゃんと見える。
どれだけ本人が否定しても、私の知っている総司はいつも誰かのために剣を振るい、傷つくことを恐れずに人を護ろうとする人だと思えた。
でも総司が自分自身をそう思うなら、私は敢えて否定はしない。
だって私の中にいる総司は、どんな言葉で飾らなくても、もう変わらないから。


『それでもいいよ。たとえそうだとしても、私は総司が大好き』


笑って答えると、総司の指が顎をすくうように動いた。
見上げた視線の先で、綺麗な翡翠色の瞳がやわらかく揺れている。


「僕もセラが好きだよ」


囁きとともに、唇が触れた。
息をすることも忘れてしまうほど、優しくて、あたたかい。
触れた唇が離れても、総司の手はまだ頬に残っていて。
そのまま、額と額を合わせるようにして小さく息を吐いた。


「本当は優しい人間になりたいんだ、君の前だけでは。でも何が本当の優しさなのか、よくわからなくなる時があるんだよね」


そう言うと総司は少し困ったように笑って、また唇を重ねた。
今度は何かを誓うようにゆっくりと。
その優しさの中に、彼の愛の深さと不器用さがすべて溶けている気がした。


『私はね、総司の全部が見たいって思うよ。優しい時も、そうじゃない時も。どんな顔をしてても、私は見ていたい。だからありのままの総司でいてね』


総司が背負ってきたものや不安に想う心を、全て理解することは出来ないかもしれないけど、あまり悩まないでほしいと思った。
何より優しくありたいと願うその気持ちこそ、とてもあたたかくて優しいもの思うから。


『私は総司がそばにいてくれるならそれで幸せだよ』

「ありがとう。僕もだよ」


私は頬に触れていた総司の手にそっと自分の手を重ねて、静かに微笑む。
すると総司の顔が再び近付いて、そっと唇が重ねられた。
あたたかい呼吸が重なって、目の前の総司のことしか考えられなくなる。
まるで世界の中に、今は二人だけがいるようだった。


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