6
王宮での療養を終え、私達は数日ぶりに公爵邸へと帰った。
邸に足を踏み入れると、懐かしい香りが広がって心が自然と穏やかになる。
応接間ではお父様と山南さん、山崎さんが待っていてくださった。
「セラ、総司!無事に戻ってきてくれて何よりだ!」
お父様の低い声には、安堵と喜びが滲んでいる。
「ただいま戻りました」と言った私の隣では、総司も穏やかに微笑み、静かに頭を下げた。
「ご心配をおかけしました、近藤さん。山南さんに山崎くんも」
「ええ。お二人ともお元気そうで安心しましたよ」
「おかえりなさい。お二人がお戻りなるのを待っていました」
山南さんと山崎も微笑んで私達の帰りを喜んでくれている。
皆で微笑み合っていると、お父様が腕を組みながら誇らしげに頷いた。
「陛下のご意向で、今回の一件を正式に公表することが決まったと聞いたぞ。ルヴァン王国を騒がせていた野盗の一味を捕えたことや、毒の正体を突き止めたことがお前たち二人の働きによるものだと、陛下自らがとても称賛されているそうだ」
お父様の大きな手が私と頭に置かれ、優しく撫でてくれる。
幼いころ、こうしてお父様に撫でてもらえることが嬉しかったことを思い出しながら、喜びを噛み締めるように口元を緩めた。
「それに総司。お前が一人で野盗と対峙し、セラと殿下を護ったと聞いた。本当によくやってくれたな!」
お父様はぐっと総司の肩を掴み、そのまま力強く抱きしめる。
突然のことに総司はわずかに目を丸くしたけど、すぐに笑いながらもお父様の背に手を添えた。
その光景がなんだか微笑ましくて、私はつい笑ってしまう。
いつも冷静で穏やかな総司が、少し照れたように頬を赤らめている姿は、どこか新鮮だった。
「ありがとうございます、近藤さん。でも僕は当然のことをしただけですよ」
「いやいや、当然などと言うな。お前がいなければ、セラも殿下も無事では済まなかっただろう。誠に素晴らしいことだ!」
その言葉を受けた総司は、少しだけ目を伏せ、静かに微笑んだ。
総司が認められていく姿を見るたびに、誇らしさと愛しさが入り混じった気持ちでいっぱいになる。
『今回も総司は凄く強かったんですよ。王宮騎士の方々が全員戦闘不能になってしまった中で、総司だけが私と殿下を護りながら大勢の野盗たちと戦ってくれたんです。傷を負っても脇目も振らずに次々と敵を倒していって、本当にもう、凄くかっこよくて……!』
あの夜の光景が脳裏に浮かぶ。
血と雨の匂い、冷たい風の中で見た総司の背中。
どんなに傷ついても倒れず、私たちを庇い続けた姿が、今も鮮明に焼きついて離れない。
その時のことを夢中で話していたら、皆がくすくすと笑っていることに気づいて、思わず言葉を止めた。
『あ……その……ちょっと熱くなり過ぎてしまいました……』
頬がほんのり熱を帯びると、山南さんが微笑みながら私の方を見た。
「お二人を見ていると、こちらまで胸が熱くなりますね。沖田君の活躍が目に浮かぶようです」
「いえ、僕が勝てたのはセラが毒の存在に気付いてくれたからですよ。馬車の中にいるように伝えたのに、飛び出してきたと思ったら、「敵の剣には毒が仕込まれているから、その剣を奪って応戦して」って、僕と殿下に叫んだんです。あれがなければ、僕達は無事に戻っては来れませんでした」
「沖田さんの剣の腕は勿論、お嬢様の機転も素晴らしいですね」
「ええ、まったく……君たちには驚かされます。将来に向かって努力を重ねておられる矢先に、このような功績を残されるとは。さすがとしか言いようがありません」
「そうですね。正にお二人が力を合わせたことで今回の事件が解決されたのですから。もしいずれ婚約の発表があった際にも、誰一人として異を唱える者はいなくなるのではないでしょうか」
山南さんと山崎さんの優しい声掛けが嬉しくて、言葉が詰まる。
隣を見ると、総司が小さく笑って、ほんの少しだけ肩をすくめていた。
「そう言っていただけるのはありがたいですね」
「ふふ、あらためておめでとうございますと言いたいところですが、まだ早いですからね。とにかくお二人とも、本当によく頑張りました。今宵はゆっくりお休みください」
『はい、ありがとうございます』
穏やかな笑い声が響く中、窓の外には夕陽が差し込み、柔らかな光が部屋を包んでいた。
ようやく帰ってこられたこの場所で、再び皆と笑い合える。
そのことが、何より嬉しかった。
『実は殿下に今回の功績のことで、何か望むものはないかとお尋ねいただいたんです』
皆の笑い声が少し落ち着いたころ、私は少しだけ姿勢を正して、お父様に向き直った。
「ほう、そうか。それはまた、ありがたいお言葉だな。それでセラは何と答えたのだ?」
『私は、総司とのことをお話ししました。いずれ婚約や結婚の話が出たときに、陛下にもご承諾をいただきたいとお願いしたのです。殿下は私たちを応援してくださって……陛下にも、その旨をお伝えくださると』
「そうか。殿下に直接願いを伝えるとは、大した度胸だ。父としては、誇らしいよ」
「ええ、殿下にお話しされたということは、それだけお覚悟があったということ。お二人の絆がどれほど確かなものか、私もよく分かりました」
「殿下のお心がそこまで動かされたのは、お嬢様と沖田さんの想いが真摯だったからでしょうね」
「お前がこの家に来た時は、まさか将来うちの娘を娶るとは思わなんだが……まったく、運命というのは面白いものだな」
「恐れ入ります、近藤さん」
総司は少し照れたように笑いながら、静かに頭を下げた。
「努力を重ね、信頼を築き、そして互いに支え合ってきたお二人ならきっと、この先も大丈夫ですよ。このまま前に進んでいってください」
『ありがとうございます。総司と共に歩いていけるように、これから先も努力を忘れません』
「僕も同じ想いです。決して努力を怠らず、お嬢様を支えられるように日々精進していきます」
私達の言葉を聞いたお父様は、静かに頷き、満足そうに微笑まれた。
「ならば……父として、もう何も言うことはないな」
お父様や山南さん、山崎さんに王太子殿下も、皆私達のことを認めてくれている。
その事実が嬉しくて、心に新しい光が灯ったように思えた。
その後、お父様の執務室を出て、総司と一緒に私の部屋へ戻った。
扉を閉めると胸の奥に溜まっていた緊張がふっと解けて、思わず小さく息を吐き出す。
この数日間は色々なことがあったけど、あれほど遠くに感じていた未来が、今は手を伸ばせば届くところにあるような実感がある。
その喜びから思いのままに総司の方へ振り返った時、総司が私をきつく抱きしめた。
『総司?』
驚く間もなく、総司の腕がしっかりと私の身体を包み込む。
いつもの穏やかな抱擁とは違って、まるで私の存在を確かめるような強さだった。
腰や背中に回された腕に力強く引き寄せられれば、身体が少し浮いてしまいそうになるくらい。
「セラ、ありがとう」
『ふふ、何が?』
「僕とのこと、真剣に考えてくれて。まさかセラがここまで動いてくれるなんて、思ってもみなかったんだ。だから今、すごく嬉しいよ」
腕の力を緩めた総司が、私の頬に手を添える。
総司の瞳には、ここしばらく見えていた不安の影がもうなくなっている。
それが何より嬉しくて、私も自然と笑みをこぼした。
『私もすごく嬉しい。幸せだよ、総司』
総司は瞳を揺らすと、そっと私を抱き寄せた。
今度の抱擁は、包み込むように優しくて、息をするたびに彼の体温が心に染み込んでいく。
静まり返った空気の中でふたりの鼓動だけが重なり合い、その響きはまるでまだ見ぬ未来を誓い合うように穏やかで確かな音だった。
「僕さ……この先、どんなことがあっても、君を手放さないから」
思わず息を呑んで顔を上げると、真剣な眼差しがまっすぐに私を見つめていた。
「僕が君を幸せにするよ。セラが僕を信じてくれた分、僕は何があっても君を護るし、君が僕を選んで良かったって思えるように君に相応しい人になりたいと思う。だからこれからもずっと一緒にいよう」
その言葉には、いつもの穏やかさの中に隠された強い意志があった。
思わず顔を上げると、真剣な光を宿した総司の瞳がまっすぐに私を見つめていた。
総司の言葉が胸の奥に沁みて、こらえていた涙が込み上げてきてしまう。
頬を伝う一雫を止められず、慌てて指先で拭った。
『私も総司にずっと好きでいてもらえるような女の子でいたい。総司に私といて幸せだって毎日思ってもらえるように、ちゃんと努力していきたい。私もこれからもずっと総司と一緒にいたいよ』
涙をこらえながら微笑んだ時、もう片方の瞳からまた一粒、涙がこぼれ落ちた。
それを見た総司が、優しく笑って、私の目元にそっと唇を寄せる。
その仕草は涙を拭うよりも優しく感じられて、少し擽ったいくらい。
「セラがそう思ってくれるのは嬉しいよ。でもね、セラは僕にとって本当に……なんて言えばいいのかな」
総司は少し言葉を探すように眉を下げて、それから穏やかに微笑んだ。
「言葉では足りないくらい、特別で愛おしい存在なんだ。君が何をしても、何を言っても、僕は君が大好きで可愛くてたまらないんだよ。だから気負わないで、そのままの君でいて」
その想いは真っ直ぐすぎて、恥ずかしさが胸に広がる。
それを隠すように、私は小さく息をついて呟いた。
『……総司は、私を甘やかしすぎだよ。調子に乗って、わがままな悪女になっちゃったらどうするの?』
「ははっ、セラの悪女っぷりも見てみたいけどね。もしそうなっても僕は君が好きだし、ちゃんと更生させる自信もあるよ。僕が一生かけて手を焼くっていうのも、案外悪くないかな」
『もう……すぐそういうこと言う』
頬を僅かに膨らませると、総司は少し困ったように笑って、指先で私の髪を耳にかけてくれた。
その手の優しさにも鼓動が早くなり、言葉が続かなくなる。
「ねえ、セラ」
『うん?』
「可愛いね」
不意に言われた言葉に、余計にまた胸が跳ねる。
出会ったばかりの頃から総司はよく私にそう言ってくれていたけど、こうして改まって言われると、どうしても照れてしまう私がいた。
「僕は君が笑ってくれると、本当に幸せな気持ちになるよ」
大好きな声が耳に届くたび、言葉にできないほどの想いが溢れそうになる。
返事をしたいのに、喉の奥が詰まって声が出ない。
ただ、総司の瞳を見つめることしかできなかった。
そっと、総司の手が私の手を包み込み、彼の胸の上へと導かれる。
指先に触れたのは、熱を帯びた鼓動。
その場所は思っていたよりも速く、力強く打ち続けていた。
「僕のここ、ずっとセラのために動いてるんだ。君を想うたびに速くなる。本当に、止められないんだ」
いつも総司に触れるたび、初めて恋をしたみたいに私の胸は高鳴ってしまう。
それは私だけだと思っていたから、総司も同じ気持ちなんだと思うだけで、胸がいっぱいになった。
『私も同じだよ。総司を想うと胸がいっぱいになって、ドキドキして、幸せで……でもたまに好きすぎて苦しくもなるの。今も……心臓が……破裂しそうなくらい』
この気持ちがどれほど真剣で、どれほど深いものなのかを自分でも痛いほど感じる。
総司を想えば想うほど、胸の奥が締めつけられて、息がうまくできなくなる。
でもその苦しささえ愛おしくて堪らない。
だからこそ言葉を紡ぐたびに、涙が込み上げそうになってしまうけど、総司はそんな私の頬に手を添えて、ゆっくりと微笑んだ。
「セラって本当に……ずるいくらい可愛いね」
頬が熱を帯びていくのが自分でもわかって、視線を逸らそうとしたのに、総司の手がそっと私の頬を包み、動きを止めた。
「ねえ、顔を見せて」
その優しい声に逆らえなくて、ゆっくりと顔を上げる。
視線が交わった瞬間、世界が静まり返るような気がした。
総司の瞳に私だけが映っているその事実が、嬉しかった。
「セラのこと、どうしようもないくらい好きだよ。君の笑った顔も、泣いた顔も、照れた顔も、全部」
囁く声が近くて、指先が頬を撫でるたびに、心音が早くなる。
何も言えずに瞬きをすると、総司の指が頬から滑り、唇の輪郭に触れた。
引き寄せられるように唇が重なれば、心の中にまた大きな総司を想う花が咲く。
『私も大好き』
唇が離れたあと、総司の瞳が私を見つめてくる。
そのまなざしが優しくて、愛されてると思うことができる。
でも同時に、ほんの少しだけ不安も混ざる。
あと一年と少し……私がデビュタントを迎えて、結婚できる年になるまで。
その間に、もし総司の気持ちが遠くへいってしまったら……そんなこと考えたくないのに、心の奥に小さな不安の影が差した。
『ねえ、総司。私がデビュタント、迎えるまで……絶対に待っててね?』
甘えるように言葉を紡ぐと、総司は目を瞬かせて、それから優しく笑った。
「待ってるって、この前も言ったでしょ」
『うん、でも……もう一回、言いたくなったの』
「どうして?」
『だって、総司はかっこいいし優しいし、強い騎士だから。誰かが総司のことを本気で好きになっちゃったら、困るでしょ』
言いながら、指先で総司の服の裾をつまんだ。
自分でも子どもっぽいってわかってるのに、言わずにいられなかった。
総司は少し苦笑して、私の髪をそっと耳にかける。
「セラがそんなふうに思ってくれるのは嬉しいけど、僕が優しくするのは、セラだけだよ」
『ほんと?』
「ほんと。セラがいるだけで、僕のもう充分なんだ」
その言葉に、もう何も言えなくなって、ただ顔を彼の胸にうずめた。
総司の鼓動がゆっくりと響いて、まるでその音が私を包み込むようだった。
『じゃあ、ちゃんと待っててね。私、早く大人になりたいな』
「うん。僕も、その日が待ち遠しいよ」
あと一年。
この時間を重ねながら、総司への想いを、もっともっと大きくしていきたい。
その日、デビュタントの会場で手を差し出してくれるのは、誰でもない総司であってほしい。
そう願いながら、私は彼の腕の中でそっと目を閉じた。
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