7
王国を揺るがせた野盗の襲撃を防いでから、数週間が経ったある日のこと。
僕とセラはその功績を讃えられる形で、王宮の晩餐会に招かれていた。
王太子殿下を救ったことで王家の威信を守ったと言われているその出来事は、今は国内の貴族界で広く知られ、まるで英雄譚のように語られているらしい。
国王陛下から直接お言葉を賜ったあと、煌びやかな大広間の片隅で、僕達はそっと視線を交わし、わずかに微笑み合った。
『国王陛下、とてもお優しい方だったね。それに私達のことを温かい目で見てくださっていた気がする』
「僕もそう思ったよ」
以前の世界での国王陛下は、あまりに威厳に満ちていて、容易に言葉を交わせるような存在ではなかった。
けれど今夜の陛下は穏やかに僕達を見つめ、「これからも二人でルヴァンとアストリアを支えていってほしい」と言ってくださった。
その言葉の中に、僕達の関係を理解した上で、静かに背中を押してくれるような意思を感じたからこそ嬉しくて堪らない。
この世界では、ようやく二人で並んで歩いていけるのかもしれないという確かな希望が僕の中に芽生えていた。
「セラ、沖田」
不意に聞き慣れた声に呼ばれ、振り返ると笑みを浮かべた王太子が立っていた。
『殿下、今夜はお招きいただきありがとうございます』
「お招きいただき光栄です、殿下」
「今夜の主役はセラと沖田なんだ。かしこまらなくていい」
王太子は僕たち二人を順に見やり、にやりと口角を上げる。
「それにしてもドレスとタキシードの色まで揃えてくるなんてね。最初見た時、婚約発表でもするのかと思ったよ」
山南さんがさりげなく選んでくれた白と金の装いは、どこか対になるような仕立てだった。
並んで立つと、まるでセラの相手だと認められたような気がして、そのことがただ嬉しかった。
その言葉に気恥ずかしさを感じていると、目を見開いたセラも頬を赤くしてすぐに言葉を返していた。
『これは、その……城の方が配慮してくださったんです。それにそのことはまだ内緒なんですよ?』
僕たちが交際していることも、将来を真剣に考えていることも、もちろんまだ公表できるわけではない。
近藤さんや山南さんからもそう言われているし、殿下や陛下にも内密にして頂くよう伝えてあった。
「ははっ、わかってるよ。そんなに慌てたら、余計に怪しいと思うけど?」
『それは……気をつけます』
「殿下、この子は顔に出易いんですからあまりからかわないであげてくださいよ」
「はいはい。それより、セラに話しかけたそうにしている連中が沢山いるみたいだよ。挨拶してきたら?」
周りを見ると、老若男女さまざまな客がセラに微笑みを向けている。
社交界デビューをまだ迎えていない彼女が公の場に出るのは滅多にないことだから、声をかけたいと考える人が多いのだろう。
「セラ、近くにいるから挨拶に行ってきてもいいよ」
いずれ爵位を継ぐ彼女にとって、この場は将来の人脈作りにも役立つはずだ。
僕ばかりが独占しているわけにもいかないだろうと微笑むと、セラは嬉しそうに頷き、王太子に会釈して声をかけてきたご婦人と話しはじめた。
「陛下がね、お前たちのことを褒めてたよ。若いのに見事な働きだったって」
「勿体ないお言葉です。ですが陛下にそう仰っていただけるなんて、光栄ですね」
殿下は軽く口元を緩め、ふと視線をセラの方へ流した。
「ちなみに陛下から、セラは俺の婚約者にしてもいいんじゃないかって言われたんだけど」
あまりにさらりと言われたものだから、一瞬で思考が止まる。
その反応が面白かったのか、王太子は喉の奥で小さく笑った。
「あはは、冗談なんだからそんな顔をするなよ。お前たちの邪魔をする気なんてない。沖田とセラの幸せは、友人としてちゃんと見届けたいんだ」
あの夜までは、こんな穏やかな微笑みを殿下から向けられる日が来るなんて、想像もできなかった。
セラと共に積み重ねてきた日々が未来を変え、こうして平穏をもたらしているのだとしたら、信じ続けてきたことは間違いじゃなかったのかもしれないと微笑みを浮かべた。
「僕は殿下に友人として認めていただけたことが嬉しいですよ。何よりも心強いですしね」
「改まって言われると、少しくすぐったいな。でも、俺もお前たちと出会えて良かった。俺はいずれルヴァンの王になるけど、その時はこの国や管轄下の国々をお前たちと共に支えたいと思っているからね」
「僕もセラも同じ想いですよ。殿下に頼ってもらえるような忠実なしもべになりますから」
「しもべって言うな」
うんざり気味にそう言った後、くすりと笑った王太子はいつになく清々しい様子で、僕からセラへと視線を移した。
「それにしてもセラは人気者だね。今日はさほど若い連中は招待されてないけど、婦人方は皆、自分の息子を紹介したくてうずうずしてるらしい」
その言葉に促されて視線を向けると、彼女の周りには絶えず人の輪ができていた。
誰かが縁談を持ちかけ、誰かが茶会の誘いをし、誰かが息子の話をしている。
それをセラは、ひとつひとつ丁寧に、柔らかな笑顔で返していた。
以前なら、胸の奥がざらつくような感情が生まれていたかもしれない。
でも今は不思議と、穏やかにその光景を見ていられる、
それはきっと、あの子の想いはこれからも変わらず僕にあると信じることができるからだろう。
それからしばらくして、王太子がその場を離れると、セラが僕のもとへと戻ってきた。
「お待たせ」と小さく笑ったその頬は、ほんのりと紅を差したように赤い。
「顔赤いよ。どれだけワイン飲んだのさ」
『でも、折角皆さんが勧めてくださったから』
「駄目だよ。酔ったら危ないでしょ?ほら、それ貸して」
セラの手の中にあったグラスを受け取って、自分の唇を寄せる。
琥珀色の液体が喉を落ちていく間、ふと視線を感じて見下ろすと、彼女の大きな碧眼が僕を見上げていた。
とろんとした光を湛えたその瞳は、まるで僕を誘っているかのように見えてしまうから苦笑いをこぼした。
「テラスでも行く?少し涼めば酔いもさめるし」
『うん、行きたいな』
こうして僕の提案を嬉しそうに受け入れてくれるところが可愛いと思う。
並んで歩きながら、宮廷の喧騒を背にして外へ出ると、夜風が頬を撫でた。
音楽も笑い声も遠くなり、月明かりだけが僕らを包んでいる空間は、ここが王宮だということすら忘れそうなくらい心地良く感じられた。
『総司』
「ん?」
『タキシード、とっても似合ってるよ。かっこいい』
その一言に不意を突かれて言葉を失う。
酔っているせいもあるのか、彼女の瞳は少し潤んでいて、その熱を帯びた光が僕の胸の奥を焦がした。
危うく引き寄せてしまいそうになるのを耐え、その場でただ微笑みを浮かべた。
「セラもすごく綺麗だよ。王国中で一番だ」
目の前にいるセラのは幻想的で儚くて、まるでこの世のものとは思えないくらい綺麗だ。
触れていないと消えてしまいそうで、思わず伸ばした手がそっと手袋越しにセラの手を取る。
この世界でこそ二度とセラを失わないようにと、触れる指先に力を込めた。
「デビュタントが待ち遠しいな」
胸を張って彼女の隣に並べるようになりたい。
足枷のように感じていた生まれも立場も、この子が認めてくれれば、そんな自分でも良いと思えた。
ずっと空っぽで、ずっと何かを手にしたくて足掻いてきたけど。
絶対に手に入らないと思っていた何よりも尊い存在が、こうして僕の傍にあることが今もまだ夢心地だった。
『うん、待ち遠しい。私、早く総司と……』
そう 言いかけて、セラは唇を閉じた。
それ以上を言わないのは、この場所をわきまえているからだろう。
でも言葉よりもその瞳が雄弁で、胸の奥がふっと緩む。
『もう少ししたら帰ろう?挨拶回りも一通り終わったの』
「そうだね。帰って早く部屋でゆっくりしたいかな」
『私も同じだよ』
きゅっと僕の手を握り返すなり、僕を上目で見つめてくる様子には、いまだ心を奪われてしまう。
どうしようもなく心が波立ち、触れてはいけないとわかっているのに、触れずにはいられないから困った話だ。
「だいぶ酔ってるでしょ」
『ううん?』
「心配だな。デビュタントを迎えても、僕をおいて夜会ばっかり行かないでよ」
『行かないよ。それにそれは総司こそ。浮気したら怒るから』
セラがそんなことを言うなんて珍しくて、思わず笑ってしまう。
少し頬を染めた顔を見て、胸の奥が温かく色付いていった。
「僕が他の誰かを見ると思う?」
『思わないって信じてるけど』
その小さな照れが、たまらなく愛しくて。
目の前のセラを少しでも安心させてあげられるように、柔らかく告げた。
「うん、信じてよ。僕の目に映るのは、セラだけだから」
『……うん』
風が二人の間を通り抜けていく。
遠くで響く音楽がまた夜を包み込み、その中で僕らはただ手を繋いで立っていた。
触れた指先に確かな体温が宿り、この温もりを何度繰り返す時間の中でも守り抜こうと、心の奥で静かに誓った。
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