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忙しい毎日を過ごす中、私は十六歳の誕生日を迎えた。
デビュタントまではあと一年。
その日が来るのを指折り数えながら、総司との交際を続けていた。

そんなある日。
今日は学院に入ってから初めての学院祭で、私は朝からずっと胸を弾ませていた。
友人たちと過ごす時間がこんなにも楽しいと思えるなんて、入学した頃の私はきっと想像もしなかったと思う。

昼間はクラスでカフェを開き、慣れない接客に笑い合いながら紅茶を運んだ。
夕方には、伊庭君やはじめが出場する音楽会へ。
そして夜になり、総司と私は星界学の生徒たちで主催する仮面舞踏会へと向かった。
会場には天井から透明な星球が吊るされていて、音楽に合わせて淡く色を変え、星を模した灯りとしてゆらゆらと揺れている。
ひとつひとつの光が夜空の星のように瞬いて、まるで天上の舞踏会に迷い込んだみたいに綺麗だった。


「セラ、僕と踊って頂けますか?」


私の手を取った総司は、紳士らしく頭を下げて私をエスコートしてくれる。
仮面から覗く翡翠色の瞳が吸い込まれそうな程綺麗で、私は胸を高鳴らせながら微笑んだ。


『はい、喜んで』


総司に手を引かれるままホールの中心へと進み、綺麗な音楽に合わせてワルツを踊る。
公爵邸で総司と手を取り合いながら何度も練習したステップ。
最初のころは足を踏んでしまったり、目が合うたびに顔が熱くなったりして、上手には踊れなかった。
今もその頃の癖が少しだけ残っていて、恥ずかしさからふと目を逸らしてしまう。
それを見た総司が、くすっと小さく笑った。


「お嬢様は、一体いつになったら僕とのワルツに慣れてくれるのかな」

『お嬢様って呼ばないで』

「でも君は、アストリア公爵家の大事なお嬢様でしょ」

『じゃあ総司のことも騎士様って呼ぶからね』


小さな言葉のやり取りの中に、二人だけの秘密が宿る。
公の場では決して明かすことのできない想いを胸に隠して、ほんの少しの冗談を交えて笑い合うのがいつもの私達だった。

でも私達の周りには、婚約者同士で寄り添い合うペアもいるから、愛を惜しみなく言葉にしながら踊るその光景が、少しだけ羨ましく思えてしまう。
私もいつかあんな風に、総司の隣でありのままの気持ちで笑っていたい。
この人が私の大切な人だと胸を張って言える日が一日も早く来ることを、心の奥で願っていた。


「セラ」


音楽に身を委ねていると、総司が不意に私の名前を呼んだ。


「どうして俯いちゃうの?」

『あ、ごめん……』

「ちゃんと顔を上げて。自信持って踊らないとね」


社交界デビューまであと一年もない。
たくさん練習に付き合ってくれた総司の想いに応えるためにも、ワルツを綺麗に踊れるようになりたいと意識して顔を上げた。
総司はそんな私を見て柔らかく微笑み、私にだけ聞こえる小さな声で言ってくれた。


「綺麗だよ」

『……本当?』

「うん。この会場の中で君が一番綺麗だ」


その言葉を聞いて、花びらが舞い上がるように胸の中に温かい光が広がった。
たとえそれ以上言葉を交わせなくても、総司の瞳が語ってくれる。
君を大切に想っている、と。
その眼差しがあたたかくて切なくて。
私はまた総司のことがもっと好きになってしまう。


『ありがとう。総司も一番かっこいいよ』

「ははっ、それこそ本当かな」

『本当だよ。だって総司は、私が選んだ自慢の騎士様だもん』


私の想いが少しでも届くように、心を込めて言った言葉だった。
だって、私は総司を騎士としてだけではなく、将来を共にする相手としても選んだのだから。


『次に総司と踊る時は、きっと私のデビュタントだよね?』

「そうだね、多分そうなるかな」

『待ち遠しいな』

「僕もセラがデビュタントを迎える日を楽しみにしてるよ」


何度この会話をしたかわからないけど、どうしても言いたくなってしまう。
デビュタントを迎えて、総司と婚約して。
早く総司との未来を確実なものにしたい。
早く早く、その日の私になりたいと願いながら、総司の顔を見上げてワルツを踊っていた。


『デビュタントの日の私は、多分世界で一番幸せな気持ちで総司とワルツを踊ってると思う』

「ははっ、それなら僕もそうだよ。その日の君をエスコートできたら、世界で一番の果報者だ」

『ふふ、早くその日が来ないかな』


そう言った時、音楽がゆるやかに終わりを告げ、拍手が鳴り響いた。
けれど私の心の中では、まだ旋律が続いていた。
総司と見つめ合うだけで、世界が優しく輝いて見えたから。

この夜が終わっても、私は今日のことをきっと忘れない。
総司との未来を夢見ながら踊ったワルツは、今までで一番幸せだった。


「お相手、ありがとう」

『こちらこそ』

「みんな、来るの遅いね。殿下もまだだし」

『そうだね。人も凄い増えてきたから、すぐに見つけられるといいけど』


広いはずの会場なのに、人の波が幾重にも重なって、少し息苦しいほどだった。
殿下や平助君の姿を探しても見つからず、わたしは小さく息を吸って、目の前の総司を見上げた。


「まあ、来なくてもいいけどね。そしたら僕がずっと君の相手役になれるし」

『ふふ』


その言葉が嬉しくて、微笑んだまま少し俯く。
けれど、そんな穏やかな時間は長く続かなかった。

総司の元に、近くにいた華やかなドレスに身を包んだ令嬢たちが集まってくる。
「次はわたくしと踊っていただけませんか」と、遠慮がちだけど確かな熱を含んだ声。
総司は柔らかい笑みを浮かべながら、一人ひとりに丁寧に断りを入れていた。

他の人に向けられたその笑顔を見て、少しだけ胸にちくんと刺さる。
きっと、私が一人になってしまうと思って断ってくれているのだろう。
でもそれでは彼女たちにも申し訳ないと思い、私はそっと数歩だけ後ろに下がった。

距離を取った時、総司の姿が少し遠く見えた。
楽しげな音楽が響く中で、私だけが違う時間の中にいるようで、無意識に唇を結ぶ。
ほんの少しの寂しさと、うまく言葉にできない不安が胸をかすめた。
でも舞踏会は元々、さまざまな人が自由に踊り合うもの。
私だけが総司が独占したら駄目だと自分に言い聞かせた、その時だった。
背後からいきなり、とても強い衝撃が走った。


『……っ』


左側の背中に思い切り人がぶつかってきて、身体がふらつく。
倒れかけたところを目の前にいた一人の男性が支えてくれたけど、その腕は優しく助けるものではなく、押さえつけるように強く感じられた。


「大丈夫ですか?セラ譲」


低い問いかけの直後、だんっという鈍い音とともに、右足に鋭い痛みが走った。
目の前の人に踏みつけられた感覚と、焼けつくような痛みが足元を駆け抜け、息が詰まる。


『……ぅ……』


声にならない声が漏れた。
私を支えていた男の人はすぐに私の身体から手を離し、さっきぶつかってきたもう一人の男の人と目を合わせると、人混みの中に紛れていった。
仮面が彼らの顔を隠し、誰だったのかもわからない。
けれど……あの目線にあったのは、間違いなく悪意だった。


『……っ』


どうして?
私、誰かに恨まれてる?
そもそもあの人達は誰で、何の目的でこんなことを?

不安が心に侵蝕していく中、足を動かそうとしても、痛みが指先からずきんと広がっていく。
骨が軋むような感覚に、思わずその場に膝をついた。


『……っ、いた……』


歯を噛みしめ、あまりに強い痛みに動けなくなる。
立ち上がるのが怖くて放心していると、周囲の喧騒の中で総司の声だけがまっすぐに届いた。


「……セラ!」


人の波をかき分けて、彼がわたしの前に膝をつく。
仮面の下からのぞく瞳が、真剣に揺れていた。


「どうしたの?何かあった?」

『……あ、ううん。ちょっと人とぶつかっちゃっただけ』

「本当に?大丈夫?」

『うん、全然大丈夫。心配かけてごめんね』


どうしても、総司に心配をかけたくなくて。
私は小さく息をのんで、無理に微笑んでみせた。
総司のそばから離れたのは私自身だったのに、たった数秒の間にこんなことになってしまうなんて。
まるで気を引きたくてそうしたみたいで、そんな自分がひどく情けなく思えた。

総司の背後では、さっき彼と話していた女の子たちがこちらを見ていた。
その視線がほんの少しだけ刺さるようで、なんでもないふりをしようと慌てて立ち上がろうとした。
けれど足に力を込めた途端、鋭い痛みが走り、身体がふらりと傾く。
そんな私を総司の腕が迷いなく支えてくれるから、そのいつもの温もりがあたたかい程、胸の奥が少しだけ苦しくなった。


「無理しないで」

『……ありがとう、大丈夫だよ。もうすぐ皆も来るかもしれないし、総司は他の人と踊ってきて』

「セラを置いて踊るわけないでしょ?」

『本当に大丈夫、平気だよ。だから私のことは気にしないで』


にっこり微笑んでみたけど、仮面の下の切れ長な総司の瞳は僅かに細められてしまう。
その光の奥に、心配と少しの苛立ちが混じっているのがわかった。


「もう断ったんだよ、僕の意思でね。それでもセラは僕に他の子と踊ってこいって言うの?」


思いの外、強い言葉が返ってきたから、私は言葉を失い俯いてしまう。
本当は誰にも総司を取られたくなんてなかった。
だけどあの場でわがままを言ってしまえば子どもみたいに思われる気がして、つい強がりを口にしてしまっていた。


『……ごめん……なさい……』


難しいな……。
こういう時、なんて言えば良かったんだろう。
最初から素直に、他の子と踊らないでって言えば良かった?
それともさりげなく、隣にいて欲しいって言うべきだった?
私は総司が大好きで……だからこそこうして稀に、どんな言葉で彼に気持ちを伝えればいいのか迷ってしまう時がある。

それはきっと、総司との未来が現実的になり始めた頃くらいから。
どうしても総司には、私をずっと特別に想っていて欲しい。
私を大好きなままでいて欲しい。
総司からの愛情を失いたくないというわがままな気持ちが、自分の中で強くなり過ぎている自覚はあった。


「謝らなくていいよ」


総司は私の心の中の想いに気づかないまま、いつものように微笑んでくれる。
その優しさに触れれば自分が少し狡い人間に思えて、返した微笑みは少しぎこちなくなってしまった。


「セラ、顔色が良くないよ。さっき痛そうにしてたけど、心配だから見せて。一度ここを出よう」

『ううん、折角の舞踏会だもん。まだいたいな』

「でも、本当に平気なの?無理したら駄目だよ」

『無理なんてしてないよ。それに、総司とまた踊りたいの』


きっと今は踏まれたばかりだから痛いだけで、時間と共に落ち着いてくる筈。
そんな考えの下、総司に微笑みを向けると、丁度新しいワルツが流れ、総司が私に手を差し伸べた。


「じゃあ、踊る?」

『うん』


嬉しかった。
総司が他の子と踊らないでいてくれることも、こうしてまた私の手を取ってくれることも。
足はまだ不安だけど、総司と踊りたい。
その気持ちだけで踏み込んだ右足は、先程よりも更に強い痛みに襲われ、体重を支えられないまま私の身体は前のめりになった。


「……セラ……っ」


支えてくれた総司の腕の中に崩れ落ち、足先に残る痛みに不安が広がる。
思わず総司の胸元の服を掴んでしまうと、突如私の身体はふわりと浮いた。


『……あっ』


驚いて小さく声が漏れた。
総司は何も言わず、少しだけ息をつくようにして自分の仮面を外すと、迷いのない動作で私を抱きかかえたまま歩き出した。
華やかな会場の視線がいっせいにこちらへ集まり、仮面の下で顔を隠しているとはいえ頬が熱くなってしまう。
そんな中、ちょうど皆が会場にやってきて、驚いたように目を見開いた。


「……びっくりしました。一体どうしたんですか?」

「セラが怪我をしたかもしれないんだ。だから一回、傷を見ようと思って」

「怪我って大丈夫なのかよ?」


伊庭君と平助君が心配そうに駆け寄ってくる。
私が痛みをごまかすように小さく微笑んで「大丈夫」と告げると、今度は千ちゃんとはじめも私達を見て口を開いた。


「怪我か……。だからあんたは苛立っているのだな」

「沖田君はセラちゃんのことになるといつも大袈裟よね。心配なのはわかるけど、顔怖すぎよ?」


その言葉に思わず総司を見上げる。
彼の瞳は静かに細められ、仮面を外したままの表情は確かに鋭かった。
でも、それは怒りよりも心配がそのまま形になったような真剣さだった。

私が心配をかけてしまったから、総司にこんな顔をさせてしまったのかもしれない。
そう思うと、言葉が喉の奥でつかえてしまった。


「セラ、沖田。何してるの?」


総司が一歩踏み出そうとした時、新たに響いた声に振り向くと、殿下がこちらへ歩み寄ってくる。
こんな体勢のままで申し訳ないと思いながらも、総司と一緒に軽く頭を下げた。


「この子、怪我したみたいなんです。それなのに無理して踊ろうとするんで、強制的に連れ出したところですよ」

「お前は本当に過保護だね。怪我は平気なの?」

『はい、大丈夫です。ご心配おかけしてすみません』

「とても大丈夫そうには見えなかったけど」


総司の声がすぐ重なった。
その声音があまりに早く少し苛立ちを含んで聞こえたから、私は言葉を失った。
そんな空気を和らげるように、殿下が軽くため息をついて口を開く。


「ここを出てもどこもかしこも人ばかりだし、王族用の応接間を使ったら?あの場所には千鶴用に大体の医療品も揃えてあるから、好きに使ってもらって構わないよ」

「宜しいんですか?」

「ああ。そんな状態のまま長く学院内を彷徨われたら、セラが可哀想だからね」


その優しい声に、総司が一瞬だけ眉を寄せた。
慌てて私が「ありがとうございます」とお礼を伝えると、殿下は静かに微笑んで再び会場の方へ戻っていった。


『総司、私歩けるよ?』


舞踏会の会場内では、歩くことが怖かった。
あれだけの人の中を歩けば、また足を踏まれる可能性もあったから。
でも今はゆっくりなら歩けるだろうと思ったからそう告げたものの、総司は瞳を細めて私を見下ろした。


「さっきも大丈夫って言って、あんなに痛そうにしてたのに?」


その言葉の奥にある優しさとほんの少しの苛立ちが、どちらも真っすぐに伝わってきて、胸の奥が少し痛くなる。
黙り込んだ私を見て、そっと小さく息を吐き出した総司は、そのまま何も言わずに応接間へと歩いて行った。


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