5

その日の夜、総司に抱き上げられた身体は、いつものように彼の部屋のベッドに沈む。
唇が重なり、大好きなぬくもりと石鹸の香りに、疲れが癒えていくようだった。
でも今夜の総司は、私を見下ろす翡翠色の瞳に、かすかな不安を滲ませている。
ここ最近は見なかった寂しげな揺らぎを目の前に、私の胸まで痛くなった。


「今日、はじめ君と何の話をしてたの?」


今日のことは、聞かれるかもしれないと思っていた。
総司はずっとこちらを気にしていたし、はじめと話す時間は短いものではなかったから。
嘘はつきたくないけど、はじめが望まない形で話してはいけない。
どう伝えれば総司を傷つけず、はじめの想いも守れるのか考えて、私はそっと微笑んだ。


『何か話があったみたいなんだけど、まだ聞いてないからわからないの』


はじめの言う話が何なのか、私自身まだ知らない。
だからこそ、余計な憶測を生むようなことは言わないようにしたけど、総司はほんの少しだけ眉を寄せて、私の顔を覗き込んだ。


「あんなに長く話してたのに?」

『うん。でも、本当に聞いてないよ。嘘じゃないよ?』

「じゃあ、他に何の話をしてたの?」


はじめの今日の様子から、今はまだ余計なことを総司に話すべきではない。
だからこそ言葉に迷いながらも、総司に告げた。


『心配してくれてありがとう。でも大した話はしてないから……大丈夫だよ』


柔らかく告げたつもりだったけど、総司の顔がほんの僅かに歪みを見せた。


「……そう。わかったよ」


総司は私から視線を逸らしながらも、ぎゅと私を抱きしめる。
いつも私がするみたいに、今日は総司が私の肩に顔を埋めるから、そっと彼の髪を撫でた。


『総司、大好きだよ』


総司は何も言わず、ただ私をそっと抱きしめていた。
その腕の強さに、言葉にしない不安が静かに滲んでいるのがわかった。
私が何も話さないせいで、きっと総司は心のどこかで戸惑っている。
それが胸の奥に痛いほど伝わってきて、何が正しいのかわからなくなってしまった。

でも……もし立場が逆だったら、総司は迷わず全てを話してくれるだろう。
私を不安にさせないように、私の心を護ろうと一番に考えてくれるはずだ。
どんな時も私を大切にしてくれて、私の不安ごと包み込んでくれるから、私は総司の傍にいると心から安心できる。
だけど、私は総司に同じ安心を返せているのだろうかと考えた時、このままではいけないと気がついた。


『総司』


私が呼ぶと、総司は腕をほどき、静かに身体を離してくれた。
視線が合った途端、胸の奥が総司を想う気持ちで溢れてくる。
大切なのは正しいかどうかではなく、総司を一番に考えて動ける私でいたいという気持ちだけだった。


『はじめに、二人で話がしたいって言われたの。他の人に聞かれると困る話みたいで、学院では話せないみたいだった。だから、狩猟大会の日……総司達が傍にいない時に、時間を作ってもらえないかって言われたんだ』


総司は黙って私の話を聞いてくれている。
だから私も今日のことを思い出しながら、ゆっくりと言葉にしていった。


『話してる時、はじめは少し何かに思いつめてるようにも見えたんだ。だから話の内容は気にはなるけど……総司や皆が私を護ろうとしてくれてる中、隠れて勝手な行動を取ることはしたくなくなかったの。だから、公爵邸に来てもらえたら、皆に心配かけずに二人で話せるかなって思ったんだけど……はじめに提案しても、それはできないって言われたの。どうして無理なのか、その理由までは聞けなかったんだけどね』


このことを総司に伝えるのは、はじめに対して後ろめたい気持ちもあった。
でも……私は、将来を共にする人に嘘をつきたくない。
何も隠さずに歩いていきたい。
いつか総司とのことを話せる日がきたら、はじめにはきちんと謝ろう。
そう静かに心の中で決めた。


「……そう。はじめ君、そんなこと言ってたんだ」

『うん……』

「それで、結局狩猟大会の日はどうするの?二人で話すの?」

『一応声はかけるから、可能なら話したいってはじめには言われたよ。私を一人にはさせないし、ちゃんと護るって言ってくれた。でも総司に相談できないまま、はじめと二人になることは良くないと思ってたから、断るつもりだったの。総司は……どう思う?』


こうして報告した今は、総司さえ良ければ、二人で話をしても問題はないと思える。
総司を見上げて彼の言葉を待っていると、言葉より先に私の頬に温かい指先が触れた。


「そうだね……。僕としては僕の目が届かないところで、二人にはなって欲しくないかな」

『それはやっぱり、何かあった時に危険かもしれないから?』

「それもあるよ。誰がどこでセラを狙ってるかわからないしね。でも、それだけじゃなくてさ。僕は、はじめ君も例外じゃないと思ってるんだ」

『え?』

「こんなこと言いたくないけど、僕ははじめ君を無条件に信用するべきじゃないと思う。それに、千ちゃんもね」


その言葉に、私は思わず総司を見つめた。
総司が警戒心の強い人だということはわかっていたけど、はじめや千ちゃんにまでそんな疑いを向けているなんて、想像もしていなかった。


『それは……はじめや千ちゃんが私を邪魔に思っている可能性があるって……そう考えてるっていうこと?』

「違うとは思うよ。はじめ君はセラのことにいつも一生懸命だし、千ちゃんだって君のことが大好きだし。でも可能性として、完全に否定できるわけではないでしょ?」

『そうなのかもしれないけど……』

「セラはいいんだよ、二人を信じてて。でも僕だけは、どんな小さな可能性も見ないふりをしてはいけないって思ってる。その少しの油断で、セラを失うことだけはしたくないからさ」


総司の表情を見つめると、その言葉がどれほどの覚悟の上にあるのかがわかる。
はじめや千ちゃんのことを疑いたくないのは、きっと総司だって同じはずなのに、私を護るために心を固くしてくれているのだと知った。
それなのに、私には友人を疑う痛みを背負わせないように配慮までしてくれている。
その優しさが胸に響いて、温かさと切なさが重なった。


『いつも総司にばかり負担をかけて、ごめんね……』


私は結局、護られてばかりだ。
どんなに総司の心を護りたいと思っても、そのために出来る努力を惜しみなくしているつもりでも、今もこうして総司に重荷ばかり背負わせてしまっている。
そんな自分が憎らしく思えて唇を結んだ時、私の左手には総司の手が優しく重ねられた。


「負担になんてなってないよ。むしろセラがちゃんと話してくれたことが嬉しいしね」


言葉通り、総司の瞳には先程見えた不安の色はなくなっていた。
あやすかのように私の頬をぷにぷにと弄び、楽しそうに笑っている。


「ははっ、よく伸びるな」

『ふふ、総司のも触ってみる』

「僕のはきっとセラほど柔らかくないよ」

『ううん、総司のほっぺも柔らかいよ』


総司の指先は頬を摘むのはやめて、今度は優しく撫でてくれる。
熱を帯びた眼差しも、触れ方も、全てが優しい。


『狩猟大会の日は、どこにも行かないで、テント下で総司が戻ってくるの待ってるね。あと、私も気を引き締める。総司に心配かけなくて済むように、警戒心をちゃんと持つから』

「警戒するのはいいけど、気を張り過ぎたら疲れちゃうよ」

『でも、総司はいつも私のために気を張ってくれてるよ。だから私もしっかりしないとって思うから』

「僕は騎士っていう立場だし、それが僕の務めだからね。でもセラはそんなに構えないで、普通に過ごしてていいんだよ。僕の傍にいてくれれば、ちゃんと護るからさ」

『だけど……それだと、ずっと総司に護ってもらってばっかりだよ。私ね、総司みたいになりたいの』

「え?」


驚いたように目を瞬かせる総司に、私は静かに続けた。


『気配に気づくのがすごく早いところとか、いつも周りを冷静に見極めて、迷わないところとか。少し睨んだだけで、相手が黙っちゃうくらいの迫力もあるよね。そういう強さ、いいなって思うの。私も総司みたいに頼れる人になれたらって……そう思うよ』


総司はぽかんとしたまま聞いていたけど、ふいに小さく息をこぼして、肩をゆるめた。


「へえ、そんな風に思ってくれてたんだ」


にやりと少し得意気に笑ったあと、眉尻を下げる総司。
でもその苦笑には、どこかあたたかさが滲んでいた。


「セラにはセラの良さがあるんだよ。おっとりしてて、人の言葉をまっすぐ信じちゃいそうな純粋なところとか、人のために動ける優しいところとか……そういうところ、僕はなくしてほしくないけどね」


その言葉に、胸の奥にそっと触れられたような気がした。
総司はそんなふうに私を見ていてくれたんだ、そう思うと嬉しくて少し照れくさくもなる。


「もしセラが、いつも神経を張り詰めてるような隙のない女の子だったら、多分僕は今みたいな気持ちにはならないんだと思う。セラといるとね、居心地がいいんだよ。すごく心が楽なんだ」


その声音が優しくて、私は言葉を返せずに、ただ総司の横顔を見つめていた。
私の知らない私を、こんなふうに教えてくれる人がいる。
そのことが不思議で、そしてとても大切に思えた。


「何にでも適材適所ってあってさ、僕には剣や護衛が向いてる。でもセラはまた違うでしょ?だからこそ、僕達はお互いに補い合えるんじゃない?」

『そうなのかな?』

「うん。それに僕は、今のままの君が好きだよ」


総司の言葉は、穏やかなのに、どこか強くて揺らがない。
その真心に触れたせいか、胸の内側にずっとあった小さな不安が、するりと溶けていくのが分かった。


『ありがとう。総司にそう言ってもらえるとね、自分のことが少し好きになれるよ。そんなふうに思えたの、初めて』


少しだけ恥ずかしくなる。
それでもどうして伝えたくて、照れ隠しで笑いながら言葉を続けた。


『総司と話してると、心が温かくなるね』


落ち着かなかった心も、総司と話したことで温かく色づいていく。
至らないところばかりだと感じていた自分のことも、優しく見つめられる気がした。
総司に想ってもらえることが、私にとっての支えになる。
女の子としても、一人の人間としても、前を向けるようにしてくれる。
だから、総司の言葉は本当に凄いと思う。


「まさか、セラにそんなことを言ってもらえる日が来るなんて思ってもみなかったよ」

『どうして?』

「僕がここに来たばかりの頃、見習いで焦ってばかりいて身体を壊しかけたときがあったでしょ。あの時、表にはあまり出してなかったけど、結構心が荒んでてさ。がむしゃらに頑張りながらも、ここで騎士として活躍してる自分がいまうた上手く想像できなくて、精神的にもやられてたんだ」


その言葉に合わせるように、懐かしい景色が胸に広がった。
まだ幼かった私たち。
日々削られていくように疲れていた総司を見て、どうしたら少しでも力になれるのか分からなくて、ただ心配で仕方なかったあの日々を思い出した。


「でもどんなに辛くてしんどくても、セラと話すとなぜか元気になれたんだよ。だから不思議だなって思ってたんだ。なんでセラと話すと、心が温かくなるんだろうって。それまでそんなこと感じて生きてきたことなんてなかったから、余計にね」

『ふふ、そんなこと思ってくれてたんだ』


あの頃の私は、パンやお菓子を焼いては差し入れたり、練習の様子をこっそり覗いて、稽古が終わる少しの隙を見つけて話しかけに行ったりしていた。
ただ総司に会いたくて足が向いていたのに、そんな時間が総司を少しでも元気づけてあげられていたのなら、それだけで嬉しい。


「うん、いつも思ってたよ。だから僕は、どうしても自分の手でセラを護れるくらい強くなりたかった。でもね……こんなに優しい子を自分が護れるのか、同じように優しさを返せるのかって、不安もあったんだ。僕は決して優しくなんてなかったし、真っ当な生き方もしてこなかったから、セラが何をされたら喜ぶのか、何を言えば安心してくれるのか、毎日手探りだったよ。でも、セラの優しさに触れるたびに、僕も返したかったんだ。どんな形でもいいから、もらった温かさをセラにもあげたかったよ」


総司とは今まで沢山の言葉を交わしてきたけど、総司がそんなことを思ってくれていたなんて、考えたこともなかった。
言葉が胸の奥にしみて、総司の優しさが今まで以上に特別なものとして積もっていく。
涙を見せたくなくて、そっと俯いた時、総司が優しく言ってくれた。


「だからセラが僕の言葉で心を温かくしてくれたなら、そんなに嬉しいことはないよ」


優しく重ねられた唇から、総司の愛情が流れ込んでくる。
その想いに応えるように首筋に腕を回せば、腰に回され腕に身体は優しく引き寄せられた。


『私、あげた以上に温かい気持ち返してもらってると思うよ』

「何言ってるのさ。まだ全然返しきれてないよ」

『返しきれてないのは私の方だもん』

「じゃあ、今返してくれる?」


少し悪戯に笑った総司は、夜着についた胸元のリボンを解く。


『あ……や……』

「嫌じゃないくせに」


総司の言葉に恥ずかしさが込み上げたけど、再び唇が振ってくれば、静かに身を委ねていった。
大好きな人と言葉を交わし、こうして肌に触れられる幸せな夜。
この夜を越えて、早く総司と家族になりたいと願っていた。

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