6
あれから季節がひとつ巡り、狩猟大会の日がやってきた。
前の世界では、王太子にセラの未来を賭けた勝負を挑まれて、僕はあの子を護れなかった。
でも今回の展開はまるで違い、王太子とは友人としてここにいるし、今日の勝負もただの遊びの延長みたいなもの。
肩に力を入れずに参加できることは、ただ嬉しかった。
『みんな、頑張ってきてね』
集合時間の少し前。
森の入り口に張られた白いテントの下で、セラがふわりと微笑む。
その笑顔が可愛いだけに、置いて行くのがどうしても不安になる。
「……やっぱり僕、残ろうかな」
「何を言ってるんだ、沖田。俺たちと勝負する約束だろ?」
「殿下がそう仰ると思って、代わりの勝負相手を用意しましたよ」
そう言いながら伊庭君と平助を王太子の前に押し出すと、伊庭君は苦笑を浮かべた。
「沖田君のことですから、セラを残して森に入るのが心配なのでしょう?」
「当たり前じゃない。森に入ってもいいけど、そこらへんの獲物でも適当に捕まえて、速攻戻ってこようかな」
「駄目だって!ちゃんと四人で真剣勝負するって決めたじゃん」
「セラのことなら心配ないよ。学院の衛兵だけじゃなく、王宮からも騎士を配置させているからね」
「でも沖田君は、自分の手で護らないと気が済まないのよね」
千ちゃんは僕の性格をだいぶ理解してきたらしく、そんなことを言いながらくすくすと笑っていた。
『私なら大丈夫だよ。ここで千ちゃんや皆と楽しくお茶してるから』
「そうよ。たまには女の子だけで話す時間も必要なの。男子はさっさと行ってくれるかしら?」
「そんな邪魔者扱いしないでよ。ていうか、はじめ君は?」
「あら?そういえばいないわね」
あの後、はじめ君からあの件で声をかけられることはなかったらしい。
セラはこの場所から動かないと約束はしてくれたけど、どうしても気にかかる。
『おやすみなのかな?』
「はじめ君、狩猟大会にあまり乗り気じゃなかったみたいだもんな」
「行事ごとに熱心な斎藤君が欠席なんて珍しいですね」
「狡いな、はじめ君。やっぱり僕も欠席して……」
「沖田君はちゃんと行ってらっしゃい」
千ちゃんが手をひらひらさせると、その隣でセラは頷きながら笑っている。
その様子を見て、僕はしぶしぶ弓を肩に掛け直した。
「じゃあ、ちょっと行ってくるよ。すぐ戻るから」
「ほら、さっさと行くぞ」
王太子に首根っこを掴まれて、僕は強制的に馬小屋が並ぶ場所へと連行される。
そんな様子の僕を見て、セラは笑顔で手を振ってくれていた。
「殿下ってば、そんなに僕と狩猟で勝負したいんですね」
「別に。どうせ俺が勝つし」
「とか言って、どこに大物の獲物が放されたか殿下はご存知なんじゃないんですか?」
「は?俺はそんな狡いことはしない。そもそも動物なんて、決まった場所でおとなしくなんかしてないだろ」
確かにその通りだ。
だから前回の狩猟大会で、僕は正真正銘殿下に負けたんだろう。
あの時の悔しさを思い出せば今日挽回したいとは思うけど、視線はどうしてもテント下のセラに向けられてしまう。
「またセラのこと見てるし。総司は心配し過ぎだって」
「平助君の言う通りですよ。あまり過度に不安に思っていると、セラも困ってしまいます」
「そうは言っても、この前あんなことがあったばかりじゃない。犯人が誰かもわからないから不安なんだよ」
「だから護衛をたくさん配置してやってるだろ?周辺には女子生徒や教員、それに審査員だっている。あの中で犯行を犯す馬鹿はいないと思うけど」
「でも仮面舞踏会の会場は人で溢れていましたよ。それに目を離したのだって、ほんの一分にも満たない間でした。もし犯人が捨て駒を使って犯行に及んだらって、どうしても考えちゃうんですよ」
テントの下、他の女子生徒と話して席に着くセラは幸せそうに笑ってる。
あの場所に僕が戻って、雰囲気を壊すことはできないことはわかってはいるけど。
この世界に来て、公爵邸の中以外であの子と離れることがなかったせいか、無性に落ち着かない気分だ。
「その可能性は確かにあるけどさ。だからこそゲート前にも衛兵を立たせて、侵入者を一切入らせないようにしてるだろ」
「では、この場には学院関係者や生徒、王国の騎士以外はいないということですか?」
「ああ、そうなる。この中なら、さすがに捨て駒はいないと思わないか?」
「確かに、殿下の仰る通りだと俺も思いますよ。てことで、総司!あんまり心配してないでさ、狩猟大会楽しもうぜ!」
柔らかく微笑む三人に笑顔を返し、僕もようやく前へ向き直る。
馬へと跨り、始まりの合図と共に森の中へと駆け抜けていった。
森に入ると、ひやりとした空気が頬を撫でた。
セラに一番の獲物を渡したい、その気持ちだけが僕を突き動かしていた。
しばらく馬を進めていると、重たい枝がゆっくり揺れ、大物がいる気配がする。
僕は馬から静かに降りるなり矢をつがえ、音を立てないよう呼吸を整えながら、影が姿を現す瞬間を待った。
現れたのは、大きな牡鹿だった。
前に仕留めたものと同じかはわからないけど、立派な角を持ち堂々とした体つきをしている。
矢を放つと、手応えは驚くほど鮮やかで、鹿はほとんど逃げる間もなく地に伏した。
「思いの外、早かったな」
早く仕留められたことに、胸の奥が静かに満たされていく。
セラが目を細めて喜んでくれる光景を思い浮かべると、それだけで馬の歩く音まで軽く聞こえた。
獲物を括りつけ、森の出口へ向かう途中、同じように戻ってくる馬影が見えた。
王太子の馬にも大きなイノシシが括られていて、僕に気付くなりにやりと口角を上げてみせた。
「沖田、ずいぶん早かったじゃないか」
「殿下こそ。これは、いい勝負になりそうですね」
殿下は口元だけで笑いながら、ちらりと僕の獲物を見やる。
「角の分だけ、沖田の方が見栄えはいいかもしれないな。でも重さなら負けないよ」
「どちらが上か、楽しみですね」
軽く肩を揺らした殿下が、手綱をしごき前を見る。
その様子を横目に、僕も同じように馬を進めた。
「俺達、一番乗りなんじゃない?まさかこんなに早く大物に巡り会えるとは思ってなかったから、ちょっと呆気ないけどね」
「僕としては早くセラのところに戻りたいんで、ちょうど良かったですよ」
「まったく、沖田はセラのことしか頭にないね」
「当たり前じゃないですか。忠誠を誓ってから、あの子のために生きてるんで」
さらりと言ったその言葉が、軽口ではなく十分本気だと王太子もわかっているんだろう。
彼は半ばうんざり気味に瞳を細め、ため息を吐き出した。
「あーはいはい。良かったね、毎日幸せそうで」
「殿下にもそのうち、良いご令嬢が現れますよ」
「生憎俺は忙しい身だからね。沖田みたいに恋愛ごとにかまけていられる程、呑気には生きられないんだよ」
その言葉を聞いて、僕は思わず苦笑いをこぼした。
なぜなら、王太子からどう見えているかはさておき、僕は決して呑気に生きているわけではないからだ。
今回の世界では、今までになく順調な日々を過ごせているとは言え、セラの命が狙われているかもしれないこの状況はどの世界でも変わっていない。
今も焦る気持ちを抑えながら、少しでも早くセラの元へと戻ろうと馬を走らせていた。
「さて、俺が勝ったら沖田に何をしてもらおうかな」
「言っておきますけど、殿下が勝ってもセラはあげませんよ」
「そんなことはわかってる。そもそも、お前なんかのことを好きな女に興味はない」
「それならいいんですけどね」
「ていうか、そんなにセラのことを追いかけてばかりいたらそのうち嫌がられるんじゃない?結婚間近にフラれてたら、笑ってあげるよ」
「その時は、殿下の権限でセラに僕と別れるなって王命を出してもらうしかないですね」
「誰がそんなくだらない命令を出すか」
王太子と軽口を叩きながらも、二頭の蹄の音が並んで地面を叩ていると、森の出口が近づいてくる。
木々の隙間から差す光で獣道が金色にきらめき、風が一気に抜けると同時に世界が明るい方へ開けていった。
この先で、セラが僕の帰りを待っていてくれている。
その事実だけが僕の心臓を静かに速め、狩猟場の入口へと駆け戻っていった。
「……は?なんだこれ……」
先に足を踏み入れた王太子が、思わず声を漏らす。
僕も続いて視界を開いた瞬間、胸の奥で嫌な予感が逆立つのを感じた。
明るく開けたはずの場所。
白いテントの下には、審査員も女子生徒達もさっきまでと変わらずいる。
学院側の衛兵も、王宮の騎士たちも、全員が配置された場所に確かにいた。
でも、誰も動かない。
椅子に座ったまま項垂れていたり、地面やテーブルにもたれて眠り込んだように呼吸を落としていたり。
その様子はあまりに静かすぎて、まるで時間だけがここで止まったみたいだった。
「……殿下!セラのところに……!」
「ああ……!」
焦りで喉が焼け、言葉が飛び出すのと同時に、馬から降りた僕の足は地面を蹴っていた。
王太子もすぐに状況を理解したらしく、険しい顔で駆け出した。
胸が荒々しく跳ねる中、嫌な予感が形を持って迫ってくるようでただひたすら彼女の名前を心の中で叫びながら走っていた。
でも……
「……っ、セラが……いない」
最後に見た時は、確かにここに座っていた。
白いテントの下で、千ちゃんの隣に静かに腰掛けて、湯気の立つ紅茶を手にしていた。
その何気ない光景が胸の奥でやけに鮮明なのに、今目の前にあるのは深く眠った千ちゃんと、ぽつりと空いた席だけだった。
「千ちゃん!ねえ、起きてよ。セラを見なかった?」
肩に手を置き、ゆっくり揺らしてみても、千ちゃんは深い底へ沈んだようにまったく反応がない。
呼吸はしてるけど、触れた肩はあまりにも力が抜けすぎていた。
隣で王太子が小さく息を呑み、僕の手元ではなく周囲へ視線を走らせる。
そしてその視線が、ふとある一点で止まった。
「……沖田。あれを見ろ」
指差す先に、ゆっくりと揺れながら地を這うように広がる灰色の煙があった。
焚き火の煙とも似ているけど、風向きにも逆らうように漂っているその気配はひどく不自然で、胸の奥をざわつかせる。
「何のためにあんなものを?」
「……あの煙には近づかない方がいいと思います。普通の煙じゃない気がします」
僕がそう告げると、殿下は結ばれた唇のままゆっくりと頷いた。
「……俺もそう感じる。ここの空気を吸うと胸が重いし、吸えばこいつらみたいに意識を手放し兼ねない」
ここにいる生徒たちや教員も、王国の騎士でさえ皆深い眠りに落ちていた。
千ちゃんだけじゃない、誰ひとりとして目を覚ましていない。
そしてその中に、セラだけがいなかった。
「殿下……僕はセラが自分の意思でここから離れたとは考えられません」
「まさか……連れ去られたってこと?」
「……っ、早く追わないと……!」
「待て!沖田!」
敷地の外へ出ようとした僕の腕は王太子に掴まれる。
僕は駆け出しかけていた足を止め、彼の方へ振り返った。
「離してください……!時間が経つほどあの子を追えなくなるんですよ……!」
「分かってる。でも外へ飛び出したところで、無駄足になる可能性の方が高い」
「それはどうしてです?」
「ここから敷地の外へ行くまでに、俺は十箇所以上に護衛騎士を配置しているんだ。この短時間に、護衛のすべてが同じように眠っているとは限らないだろ」
護衛の配置場所を知っている王太子がそう考えるのであれば、確かに点々と配置された騎士全てを同じタイミングで行動不能にするのは容易ではない。
あの煙が届かない場所であれば尚更だ。
「もし眠っていない者が一人でもいれば、侵入者はセラを抱えて抜けるなんて不可能に近い。そう考えると、外へ連れ出した可能性は現時点では低いんじゃない?焦って遠くへ走り回るより、まずはこの近辺を確かめるべきだと思うけど」
「でも、もし全員が眠らされていたらどうするんです?」
「その場合でも同じだ。敷地を越えた先の道は狭いし、人の目もある。馬車だって沢山待機してるのに、その中を連れ去れば必ず痕跡が残ると考えるのが普通じゃないか?」
「つまり、近くに隠している可能性の方が高いっていうことですね」
冷静になって考えれば、殿下の言っていることは正しいとわかる。
焦りで胸が圧迫される中、僕の視線は森の奥ではなく白い邸宅の方へ向いた。
狩猟大会のために用意された白いテント群の外れ。
待機場所から距離を置くように建てられた小さな休憩用の邸宅は、王家の者が狩猟中に休むためだけに設けられ、本来なら誰も近づかない、煙の流れからも死角になっている場所だった。
「殿下、まずはあそこへ向かいましょう」
言葉を絞り出すと、王太子はすぐに駆け出した。
彼の後を追って走りながら、胸の奥で妙なざわつきが止まらなかった。
眠り込んだ生徒や騎士たちの間を抜けるたび、セラの姿だけがどこにもない事実が僕の胸を苦しくさせる。
邸宅は森の影に寄り添うようにひっそりと佇んでいて、まるで最初から人のを拒むように建っていた。
扉は少しだけ開いている。
踏み込んだ邸内は薄い光が差しているだけで、人の気配が消えたみたいに静まり返っていた。
でもそんな中、窓辺に立つ影がひとつ。
背を向けたその姿を見ただけで、誰なのか分かった。
「はじめ君?」
声をかけると、彼はゆっくりと振り返った。
その瞳は僕を見るなり見開かれ、言葉では到底受け止められない感情が混ざり溢れているように見えた。
でもはじめ君が身体を少しずらした瞬間、今まで隠れていた視界が開ける。
その奥、はじめ君が見つめていた場所にあるもう一つの人影に気付き、胸の内側が一気に冷たくなった。
「……セラ……?」
はじめ君の肩越しに、ゆっくり揺れている小さな影が見えた。
縄で吊られた華奢な身体。
腹のあたりを縛られ、静かに揺れているその姿に呼吸が止まった。
上半身には狩猟用の矢が何本も突き刺さっていて、一滴ずつ落ちる血が床に赤い円を広げていた。
髪が顔を隠していたのに、僕には一目で分かった。
その小さな肩も、華奢な腕も、髪の色さえ全部、僕の知っているセラだったから。
「……セラ……っ」
気付けば、はじめ君の身体を強く押しのけていた。
ただ、あの縄からセラを一刻も早く解き放たなければという思いだけが、僕を乱暴に動かしていた。
縄を掴もうとする指が震え、結び目が掴めない。
けれど必死に結び目をほどき、拘束から外れた身体が僕の腕の中に落ちてきた時、胸の奥で何かが崩れ落ちた。
あまりに静かで、血の匂いだけが強くて、彼女の重さが現実を突きつけるようだった。
「……セラ……返事してよ……」
瞳から落ちた涙が、僕の頬を伝う。
その温度があまりに頼りなくて、こんな時にどうして初めて想いが通じたあの夏の日ばかり思い出すんだろうと、自分でも不思議だった。
夏の日差しの下で、少し眩しそうに目を細めながら僕の名前を呼んでくれたこと。
呼べば必ず振り返ってくれて、触れれば嬉しそうに笑いながら僕にだけ見せてくれたあの笑顔。
その一つひとつが胸の奥で軋んで、どうしようもなく苦しかった。
セラの笑顔が、この世界ではもう二度と戻らないことを理解したからだ。
でも、まだ諦めたくなかった。
セラはきっと助かると、もう一度だけ信じたかった。
だから震える指で、セラの顔を覆う髪を払った時。
「……なっ……」
王太子の声やはじめ君が息を呑む音さえ遠くで震えるように聞こえる中、僕の視線だけがセラに縫い付けられたように動けなかった。
心臓が止まったみたいに胸の奥が凍りつき、喉が軋んで声が出ない。
目に飛び込んできたのは、右目を深く貫かれて、短剣の刃がその奥に沈み込んだままのセラの顔だった。
「……っ……あ……」
一瞬、何が起きているのか理解できなかった。
理解してしまったら、もう戻れなくなると本能が拒んでいた。
僕が大好きだった澄んだ瞳も、名前を呼ぶたび柔らかく微笑んでくれた優しい眼差しも。
今はその片方が血に濡れた冷たい刃で押し潰され、形も色も奪われてしまっていた。
こんな姿を見たくない、でも目を逸らせなかった。
だって目の前にいるのは、僕が何より大切にしていた子だったから。
流れた血が頬を伝うたび、セラの面影が無惨に踏みにじられていく気がして、息がうまくできなくなった。
そして僕の中の何かが限界を超え、堪えていたものが決壊した。
「……あ……あ……あああ……っ……ああああっ……!」
抱きしめた腕に力が入りすぎて震えが止まらず、呼吸も乱れ、視界が涙で歪む。
叫びは言葉にならなくて、ただ喉を裂くような痛みに変わっていく。
あの笑顔が頭の中に焼き付いているのに、目の前の現実と衝突して胸の奥がひどく壊れていくようだった。
「……誰が……こんなことを……」
許せなかった。
世界のすべてが憎らしく思えるほど、胸の中に溢れてくるが悲しみと怒り。
どうしてここまで残酷に傷つけられなければいけなかったんだろう。
護りたかった笑顔が、こんな形で奪われるなんて。
「……総司……」
はじめ君の声が聞こえて、ゆっくりと重い首を動かして視線をずらす。
視界の端には、すぐ後ろで立ち尽くすはじめ君の姿があった。
セラと二人で話がしたいと言っていたはじめ君。
狩猟大会の日、声をかけると言いながら遅れてきたはじめ君。
そして吊されたセラの亡骸を、見上げていたはじめ君。
縄から下ろそうともせず、ただそこに立っていた。
その手に狩猟用の弓が握られているのに気づいた時、僕の身体ははじめ君に飛びかかっていた。
「……なんで……セラを殺したんだ……!」
掴みかかったまま床へ押し倒し、馬乗りになった身体は震えていた。
震えているのは怒りか、それとも失ったもののあまりの大きさに耐えきれない心の方なのか、自分でも分からなかった。
殴りつけた拳が骨にあたる感触を確かに返しても、胸の奥の空洞はまったく埋まらない。
懐から剣を抜くと、まるで自分の意思より先に怒りが腕を動かした。
「殺してやる……僕が……!」
剣を振り上げた瞬間、横から鋭い力が僕の肩を掴み、振り上げた腕を押しとどめた。
「沖田!落ち着けっ……!」
「離せ……!殺してやる!」
「斎藤がやったかどうかはわからないだろ!」
王太子の声だった。
必死の制止が肩に食い込み、力のぶつかり合いで床板が軋む。
その腕を振り払おうとした時、駆け込んできた二人の気配。
僕達の様子を見て目を見開いた平助と伊庭君に、王太子は振り返って叫んだ。
「沖田を止めてくれ!」
「総司……っ、何やってんだよ!落ち着け……っ!」
「沖田君、もう……剣を下ろしてください……!」
平助の声が裏返り、焦りが滲んでいる。
伊庭君は言葉より先に、腕で僕を拘束した。
三人がかりで押さえられる形になり、剣が床に落ちて鈍く転がった。
肩が上下に荒く揺れ、視界の端が滲む。
僕の下、まるで瞳の光を失ったかのように抵抗すら見せないはじめ君を見て、胸の奥に押し込めていた感情が、一気に堰を切ったように崩れ落ちた。
「……っ、どうして……っ」
言葉の続きが声にならなくなった時だった。
平助の視線がふと、僕の背後へ向けられた。
「……え……?」
伊庭君の腕の力も少しだけ弱まり、その目が大きく揺らぐ。
二人の視線は僕の向こう側、セラの亡骸へ向かっていた。
「……セラ……?」
平助はそこから一歩も動けないまま、喉を詰まらせるように震わせた。
顔がゆっくりと歪み、目の奥に光が宿ったかと思うと、涙が静かにあふれて頬を伝った。
「……嘘だろ……なんで……」
伊庭君もまた、言葉を失ったまま、硬直したように立ち尽くしている。
普段は穏やかな彼の表情が、見る影もなく崩れ、唇が震え続けていた。
「……誰が……こんな……酷いことを……」
二人の視線がセラに吸い寄せられて動かない。
僕はただ、それを見つめ返すこともできず、胸のどこかが焼け付くように痛むのを感じながら、腕を下ろした。
崩れ落ちていく心の音だけが、静かな部屋の空気に溶けていくだけだった。
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