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ようやくこの瞳に映すことができた愛らしい姿。
でもその直後、天井から巨大なシャンデリアがセラの真上に轟音と共に落ちてきた。
僕は咄嗟に手を伸ばそうとしたけど、間に合わなかった。
重く鈍い音が響き渡るのと同時に光が砕け散り、シャンデリアがセラの身体を覆い尽くすように落ちた。


「……セラ……っ」


心は凍りついた。
急いで起き上がり、シャンデリアの残骸の中に手を伸ばす。
血の匂いが立ち込める中で、僕はただ無我夢中でセラを助けようとしていた。


「なんでだ!なんで、こんな奴を助けたんだ……!」


震える声でセラの名前を叫び続ける僕の横で、王太子も叫びながらシャンデリアを必死に退けようとしている。
僕達がセラの上からシャンデリアを退かすと、砕けたガラスの破片がセラの白い肌を裂き、ドレスに赤い花を咲かせている。
僕の何よりも大切な人が、また目の前で血に染まっていた。


「セラ、今助けるから………!」

「しっかりしてくれ……!」


王太子が震える手でセラの肩を抱き起こす。
けれど胸元に広がる真紅の染みはどんどん広がり、それは王太子の腕や手、床にも流れ落ちていった。


「どうして……僕なんかのために……」


前の世界でも、その前の世界でも、僕は君を救えなかった。
そんな僕をどうして君が身を犠牲にしてまで助けてしまうんだと、瞳からは涙がこぼれ落ちていった。


「沖田っ……まずは止血……止血を……!」

「これをっ……」


着ていた自分の上着を破り、王太子と一緒に傷口を押さえる。
けれど大きなガラスが刺さった胸元からは、止まるどころかみるみるうちに血液が流れ出していった。


「どうしてだ!?止まれよ……!頼むから……!」

「セラっ……!しっかりして……!」


強く押さえても、指の間を真っ赤な血液が広がっていく。
まるでセラの命が溢れ落ちていくように、僕の掌は熱くなった。


「セラ……、お願いだから……死なないで……」


ようやく君と話せると思ってたんだ。
ずっと伝えたかった想いをまた君に伝えて、僕の大好きな笑顔で微笑んでくれることを想像していたんだ。
誤解も解いて沢山泣かせてしまったことを謝って、これからの毎日をどうしていこうか二人で話したい。
そう考えながら、今日までを指折り数えて待っていたんだよ。
だから悲しみを抱いたまま逝かないで。
僕はずっと君だけが大切で、こんなにも大好きなのに。


『……そ、……うじ……?』


かすれた声が耳に届く。
僅かに瞳が開かれたけど、その光はどこか遠くに感じて、僕は必死にセラの手を掴んだ。


「セラっ……」

『怪我は……してない……?』

「してないよ、僕は大丈夫だ……」

『良かった……』

「お願いだから……僕を残していかないで……」


虚ろな瞳はどこを見つめているのかも分からない。
ただセラを見つめ涙を溢れさせていると、セラはその瞳から涙を一筋溢した。


『……総司の顔……見えない……』

「……っ、僕は……ここにいるよ……」


いつも温かかったセラの手は冷たく力がなくなっていく。
それでも震えた細い指が僕を感じようと最後の力を振り絞るかのように僕の手を握り返してくれた。


『わたし……総司に会えて……』

「セラ、僕は君がっ……」


これだけは言わなければ駄目だと思った。
僕の気持ちを……、セラへの本当の想いを君に伝えたかった。
でもその願いが叶わないままセラの瞳は閉じられ、セラの手が僕の手の中で力を失う。
それはまるで眠り落ちる瞬間のように首を揺らし、そのままもう動かなかった。


「いやだ……、セラっ……!目を開けてっ……」

「……なんで……こんなっ……」

「セラっ……、死んじゃだめだ………!」


声にならない叫びが、大広間に響く。
けれどそれを受け止めてくれる大好きなセラは、もういなかった。
セラの残した温もりを感じながら、僕の中で何かが崩れ落ちていく。
血に染まるドレスも、砕けたシャンデリアも、僕の目の前で眠るように事切れたセラも、全てが僕を飲み込む絶望に変わっていった。


「……嘘、だろ……」


王太子の震えた声が僕の耳に届く。
頬に何度目か分からない涙が伝った時、僕の胸ぐらは掴まれ目の前には涙を溢れさせた王太子がいた。


「……っ、ふざけるな……!なんで……っ、なんでお前が生きて、セラが死なないとならないんだ!」


恐らくこれは王太子が仕掛けた罠だったのだろう。
僕が身を引かない選択をすれば、これで僕を消すつもりだったことが今分かった。
セラがこうなったのは、僕が選択を間違えたから?
だとしたら、僕が死ねば良かったのに。


「セラさん……?」


何一つ言葉を発することのない僕から王太子の手が力無く離された時、直ぐ側から王女の声が聞こえる。
彼女は血塗れになったセラを見つめ呆然とした後、その口元に笑みを作った。


「ふふっ……あははは……」

「千鶴……、お前……何を笑ってるの……?」

「だって、まさかこんなことになるなんて思ってもみなかったから。薫と総司さんのその絶望した顔、本当に滑稽だわ」


悲しみで覆われていた僕の心に、王女の言葉が憎しみを思い出させていく。
王太子も言葉を失ったように彼女を見つめ、怒りで拳を震わせていた。


「黙れ……!お前、何を考えるいるんだ!セラが死んだんだ!笑っていいわけがないだろ!」

「セラさんはお気の毒ですよね。薫と総司さんの間に挟まれて、結局こんな死に方をして……。最期、何を考えて死んでいったのかしら。きっとさぞ無念だったでしょうね」

「煩い!黙れ……!」

「そうだ、総司さん。私、思い出しました。音楽のアンサンブルのテストの日、私がセラさんにお話したこと」


その言葉に僕が反応して顔を上げると、王女は冷たい笑みを浮かべて膝をつく僕を見下ろしていた。


「総司さんとの子どもがお腹にいるって言ったんです。婚約もするって言いましたよ。婚礼の儀をあげる前に良くないことだけど、私達……止められなかったんですって言ったら、セラさん凄い泣いちゃって。ふふ、勘違いしたまま逝ってしまうなんて本当にお可哀想」

「千鶴っ……、お前またセラを無駄に傷つけたのか……!?」

「別に薫の邪魔はしてないのだからいいでしょう?でも残念です、これからはもうセラさんを虐められないんですもの」


頭が真っ白になった。
あの日の涙の理由を今知ったところで、僕はもうセラの誤解を解くこともその悲しみを拭ってあげることもできない。
セラはその言葉を信じて、悲しんで……それでも僕を護ってくれたのかと愕然とした。


「ふふ、総司さん凄くショック受けてるみたいですけど、そんなに悲しむことですか?セラさんはもうお亡くなりになられているので、今頃は悲しみからも解放されて晴れやかな気分かもしれませんよ?総司さんも、もっと喜んで差し上げないと」

「千鶴!お前はもう黙れ……!」


立ち上がった僕は、王女の胸元を掴んだ王太子の肩に手を置く。
胸の奥にずっと渦巻いていた感情が弾け飛び、もう僕には一切の迷いがなかった。


「王女殿下は今まで沢山セラを苦しませましたよね、それに凄く泣かせた」

「そんな怖い顔なさらないで?だってもう終わったことでしょう?」


終わった……?
終わってなんかいない。
僕の心の中には、愛らしく微笑むセラがいる。
今はもう、目を開けることのない愛しい人がいる。
それなのに……終わっただって?


「終わってないですよ。セラはずっといる。終わりになんて僕がさせない」


僕が真剣を引き抜くと、王女の顔が青ざめていく。
他人の悲しみや苦しみを笑う分際で恐怖を感じている王女に、怒りは更に増殖していった。


「総司さ……」

「僕は最初に言った筈だ。セラに何かしたらあなたを見逃せないって」


素早く動いた剣が王女の腹部を貫けば、彼女の瞳が大きく見開かれる。
震える王女の手がゆっくりその部分に触れると、そこには真っ赤な血が広がり、王女の身体は床へと崩れ落ちていた。


「……千鶴……?沖田……お前……」

「今のは散々セラを弄んで悲しませた罰。それにこれは……」


倒れた身体に再び剣を突き刺せば、小さな悲鳴と共に腹部の新しい傷口から血が溢れた。


「セラの死を愚弄した罰。あとは……セラの身体に傷を負わせた罰だ」


ぐさりという音と共に剣をまた腹部に突き刺す。
三度目で王女は動かなくなり、見開いたままの瞳から涙がこぼれ落ちていった。


「千……鶴……?おい……、千鶴……!」


事切れた王女の肩を揺する王太子に剣を向ければ、恐怖に滲んだ瞳が僕を見上げる。
逃げるつもりはないのか、ただそこで僕のことをじっと見つめていた。


「……お前、王族相手にこんなことして許されると思ってるの?」

「思ってないですよ。でもそんなことは、どうでもいいんです。この世界はもう終わりだ」


この世界に来た時は幸せだった。
シロツメクサの指輪を渡した僕に、セラが嬉しそうに微笑んでくれたあの日が、遠い昔のように感じられる。
セラに触れてこの気持ちを伝えられていたあの頃が、酷く恋しくて堪らない。


「このシャンデリア、殿下が僕を殺そうとして仕組んだものですよね」

「ああ、そうだ。お前が選択を間違わなければ、こんなことにはならなかった」

「殿下は僕の選択が間違っていたと仰りたいんですか?」

「当たり前だ。お前は何も分かっていない。セラは公爵令嬢だ。騎士であるお前と釣り合う筈がないじゃないか」

「そんなこと、セラは気にしてなかったですけどね」

「気にしていなかったとしてもいずれ分かることだ。身分の違いがどうしようもない隔りを生むことは世の常だろ?」

「世の中がそうだとしても、たとえそれを知ったとしても、セラの気持ちは変わりませんよ」

「なんで言い切れる?変わるかもしれない。それをお前が許さなかっただけだ!」


はっきりと言われた言葉に奥歯を噛み締め、そんなことはないと自分を信じ込ませることしか出来ない。
何故なら、いくら聞きたくてもセラはいない。
ただ僕は、あの子の残してくれた言葉や愛情が永遠のものだと信じることしか出来なかった。


「沖田が選択を間違えず、セラを突き放せばセラは俺を見てくれた筈だ。そうすればこんな結末にはならなかった……!」

「それでセラが幸せになれたと思うんですか?」

「なれたさ!俺が絶対に幸せにした、するつもりだった!」

「その自信はどこから来るんです?」

「俺はセラが好きだった……!本当に好きだったんだ、だから俺だけを見て欲しかった。それだけだったのに……」

「結局殿下は自分のことしか考えてなかったんですね」

「違う!」

「違わないですって!」

「それはお前だって同じだ!」

「どこが同じなんです?思い通りにならないからって殿下は僕を殺そうとした、だからこんなことになったんじゃないですか!」

「自分で気付いてないのか?沖田がすぐにセラを諦めてたら、あいつがあんなに悲しむことも死ぬこともなかったんだ!お前一人が犠牲になれば良かったのに、お前は自分が千鶴から解放されるためにセラを傷付けてたじゃないか!一番あいつを苦しめていたのは沖田だ!」


酷く傷付いたセラの泣き顔を思い出すたび、胸の奥からまた涙が込み上げてくる。
僕は確かにセラを想っていて、本気で大切にしたかったのに、いったいどこで間違えてしまったんだろう。

僕といることが幸せだと語ってくれたセラを護りたくて、ただ必死に戻ろうとしていた。
どれだけ苦しくても、あきらめずに抗い続けていれば、きっとまたあの笑顔に触れられると信じていたんだ。

でも気がつけば僕はセラを傷つけることしかできていなかった。
身体だけじゃない、あの優しい心までも僕は護ることができなかった。
もしかしたらセラを一番苦しめていたのは本当に僕だったのかもしれないと思わずにはいられなかった。

それでもセラは、最期に僕に微笑んでくれた。
まるですべてを許すような、あの優しくて温かい笑顔。
思い出すたびに、後悔と哀しみが一気に押し寄せ、息をすることさえ苦しくなってしまう。
拳を握って堪えていたはずの涙が、気づけば頬を伝って流れ落ち、声にならない嗚咽が喉を震わせていた。


「俺は……セラを殺すつもりなんてなかった……。こんなことになるなんて、俺だって思っていなかったんだ……」


王太子の声は震え顔は歪み、悲しみを体現するようにその瞳からは涙を溢れさせた。


「俺は……どうすれば良かったんだ……」


その呟きに僕は何も答えなかった。
なぜなら答えなんて最初から存在しない。
王太子はセラを失い、僕もまたセラを失った。

選んだ道も背負った想いも違っていたはずなのに、辿り着いたのはただ一つの結末。
僕達はセラという光を取り返しのつかないかたちで失ったんだ。


「僕は殿下を許せません」


ゆっくり王太子の顔が上げられて、そして微笑んだ。
それは諦めの笑みだったのか、解放の笑みだったのかは分からない。
ただ苦しみを帯びた今までの言葉を聞けば、セラへの想いは偽りではなかったのだろうと思えた。


「……そうか。なら、やればいい」


剣を構えた僕は、この一回で死ねるように王太子の胸を貫く。
それは僕からこいつに向けた慈悲だったのかもしれない。王太子の身体はぐらりと揺れて辺りには真っ赤な血が散った。


「セラ……、お前のいる場所に、俺も……」


セラに向かって震えた手を伸ばした王太子の身体は、セラに届く前に音もなく崩れ落ちる。
静寂の中、僕はそっと動かないセラの身体を抱きしめた。


「セラ、終わったよ。もう誰にも君を傷つけさせないからね」


どれだけ呼んでもどれだけ抱き締めても、この世界のセラはもう二度と僕の名前を呼んでくれない。
とてつもない悲しみを背負わせたまま逝かせてしまったことに、僕の頬には涙が伝った。
そっと頬を撫でれば、いつも僕がそうする度に頬を染めるセラの笑顔を思い出す。
気付けばもう一年以上、君のそんな顔を見れていなかったね。

城を出る前日の夜、僕は君を終わらせようとしたけどそれが出来なかった。
愛らしい君の顔を見てしまえば、自らの手でその命の灯火を奪うことなんて到底できることではなかった。
でも結局君に悲しい想いを沢山させた挙句、こんな辛い死を経験させることになるなら、僕があの時終わらせてあげれば良かった。
そうすれば君はこんなにも苦しんで涙を流すこともなかったのに。


「どうかまた僕を過去に……セラのいる世界に行かせて……」


確証はない。
それでも僕はセラに会える希望があるなら、躊躇いなくこの道を選ぶ。
息を吸い込み一度吐く。
そして瞳を閉じるセラを見つめ、自分の胸に深く剣を突き刺さした僕がいた。

もしまた君のいる世界に行けるとしたら、次は一体いつなんだろう?
君は僕を好きでいてくれているのだろうか?
そんな様々な疑問や不安が事切れる寸前まで僕の頭の中に浮かび上がる。
その答えは分からないけど、次の世界ではずっと君を笑わせてあげたい。
沢山泣かせてしまった分、僕が沢山の幸せをあげたいと思っていた。

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