10
馬を走らせ、公爵邸に戻ってきた頃には朝日が昇り始めていた。
近藤さんの自室に出向けば、近藤さんと山崎君、山南さんが一斉に僕を見る。
昨晩は眠ることすらしなかったのだろう、その顔には酷い疲労が浮かんでいた。
「総司、よく戻ってきてくれた!何かわかったか?」
何かに縋るような近藤さんの様子を目の前にして、何も手がかりがないことを伝えるのは心苦しい。
それでも王宮やレーヴェルン公国でのことを話せば、彼は落胆したように肩を落とした。
「……そうか、やはり手がかりはないのだな」
「申し訳ありません」
「いいや、セラのために動いてくれてありがとうな」
「公爵家では何か情報は得られましたか?」
「俺達も聞き込みを行いましたが、いまだに有力な情報は得られていません。各国の密偵網、交易商人、闇市……すべて確認しました。ですが使われた薬物の出どころも、目撃情報も、動機を示す噂すら見つかりません」
「犯人像がまるで見えてこないということは、全ての人に疑いがあるということです。こうなってしまうと、我々ですら身の潔白を証明するのは難しいですね」
山南さんの言う通り、極論を言ってしまえばセラに近しい者ですら犯人になり得る。
犯人が複数である可能性も考えれば、当日に移動可能な範囲内にいる者全てが疑わしい。
使用された薬物の入手経路ですら不明確だから、真相は闇の中だった。
「僕は何としてでも犯人が誰か知りたいんです。なので、失礼を承知で聞かせてください」
二度目の世界で、近藤さんは身を挺してセラを庇ってその命を手放した。
伊庭君と平助も前回の世界で、僕達を逃がすためにその身を犠牲にしてくれた。
王太子が言っていたように、もし犯人が僕達の近くにいると仮定したとすれば、僕の頭には様々な人達が浮かびあがる。
少しでもその可能性を潰していかなければならない今、躊躇している暇はなかった。
「山南さんと山崎君は、セラが殺された時間、誰とどこで何をされてましたか?」
淡々と告げると、山崎君はその目を見開く。
山南さんは顔色一つ変えずに、僕のことを真っ直ぐ見据えていた。
「まさか山南君や山崎君を疑っているのか?彼らは違う、おかしなことを言ってはならん」
「疑っているわけではないですよ。ただ信用しているからと言って、犯人ではないと断言するわけにはいかないんですよ。セラの無念を晴らすためにも、少しの可能性すら見なかったことにはしたくないんです」
「なるほど……。確かに沖田君の言うことは正しい。ですが、それは沖田君自身にも言えることだと、勿論おわかりですよね?」
「ええ、僕も殿下と会う前までは森で一人で狩猟をしていました。ですから考えようによっては僕にも犯行は可能です。ですが僕がセラを殺す筈がないことは、僕自身が一番よく知っています。だからこそお二人に聞いたんです」
部屋の中には重苦しい沈黙が流れる。
それでも怯まず二人を見つめていると、先に口を開いたのは山崎君だった。
「俺は一日中近藤さんと行動を共にしています。領地や国境の視察に行き、外交の手続きをしている時にお嬢様のことを聞いて、急いで公爵邸に戻ってきた次第です」
「近藤さん、山崎君の言っていることは事実ですか?」
「ああ、間違いない」
「そうですか。なら山崎君は違う可能性が高いですね。もっとも、自分以外の駒を使っていたら別ですけど」
「なっ……本気で俺を疑っているんですか?俺がお嬢様を傷付けるなんて、絶対にあり得ません!」
山崎君の震える声。
怒りと悔しさが入り混じったその響きが、胸の奥で痛んだ。
それでも、僕は視線を逸らせなかった。
ここで目を逸らしたら、あの子のために進むべき道を間違えてしまう気がしたからだ。
「山南さんは、どうなんですか?」
「私ですか。ですがその前に、沖田君。君は本当に覚悟ができていますか?」
「覚悟……ですか?」
「ええ。今から私が何を語るにせよ、それはこの部屋にいる全員を疑うことになる。それは君自身も含めてです。沖田君がその重さをわかっているなら、続けましょう」
静かで、逃げ場のない声だった。
思わず息をのみ、その目をまっすぐ見つめ返す。
「はい。覚悟なら、とっくにできています」
山南さんは小さく頷き、ゆっくりと口を開いた。
「では、私の行動を話しましょう。ただし、私の話が終わった後で、沖田君にも問いを一つ返させてもらいますよ」
「わかりました。聞かせてください」
山南さんは、胸の前で指を軽く組んだまま、静かに呼吸を整えた。
その所作が妙に落ち着いて見えるのは、彼が嘘をついていないからなのか、それとも何もかも覚悟した人間の静けさなのか。
今の僕には、その違いがうまく判別できなかった。
「セラお嬢様が亡くなられたと聞いたのは、ちょうど書庫で調べ物をしていた時です。今日は朝から私一人で、ずっとそこにいました」
「書庫……ですか」
「ええ。過去の境界問題について、いくつかの文献を確認していました。疑念の声があちらこちらで高まり始めていますから、早めに情報をまとめておく必要があると考えましてね」
淡々とした言葉の向こうで、視線が僕に絡む。
隠し事をしている瞳には見えなかった。
「報告を受け、すぐに騎士団へ向かいました。その間、私は誰ともすれ違っていません。途中で人に会ったとしても……記憶にはありませんね」
「ですが山南さん、それでは証明になりませんよね」
「その通りです。私の言葉を信じるかどうかは、沖田君次第ということになりますね」
そこで山南さんはいったん言葉を切り、落ち着いた息をひとつ吐いた。
「さて、沖田君。先程申し上げた通り、私からもひとつ問いを返します」
「どうぞ」
「君が犯人探しに必死になる理由はわかります。お嬢様を大切に思っているから、という答えは当然でしょう。しかし本来私たちは互いに信じ合える同士です。何故外部の人間より先に、私達を疑うのですか?」
回帰を繰り返すたびに、セラに向けられる確実な悪意。
形こそ違えど、その手は必ずセラを奪っていく。
それはまるで僕やセラの行動を最初から知っているようで、いくら先回りしようと、必ず抜け道を突かれる。
本来なら未来を先読みしている僕の方が優位に動ける筈なのに、防げない。
つまり、セラと僕のすぐ近くで監視していなければ、今までのような動きはできないのではないか。
そんな理屈が、何度も何度も頭の中で形になり、そのたびに胸を締め付けた。
でもこの真実だけは、どれほど喉元まで込み上げても口にすることは許されない。
だから僕は、この焦燥と疑念を自分ひとりだけで抱え続けるしかなかった。
「疑いたいわけじゃないんです。ただ……みんなが真っ黒に見えてくるんですよ」
自分でも情けないほど小さく漏れた声だった。
本当はわかっている。
山南さんも山崎君も、セラを傷付けるはずがない。
何年も共に過ごしてきた。
あの子に向けられた二人の眼差しがどれほど優しいものだったか、誰よりも僕が知っている。
それでも、僕だけは疑わなければならなかった。
そうでなければ、次の世界でもまたセラの命が無残に奪われてしまうかもしれない。
その惨劇からセラを救いたいがために、ただがむしゃらになって動いてしまっているだけだという自覚はあった。
「沖田さん、俺達を疑っても構いません。ですが俺達は誰よりもお嬢様を大切に思っています。その気持ちだけは、信じて頂きたいです」
山崎君の声は苦しげで、胸の奥で張り詰めていた何かがきしりと音を立てた。
その静けさの中で、山南さんだけが淡く息をつき、柔らかなまなざしで僕を見た。
「君の気持ちは痛いほどわかるつもりですよ。ですがどうか、君自身が壊れてしまわないように」
山南さんの言葉は、まるで胸の奥にそっと手を添えるような響きだった。
僕は返事をしようとしたけど、喉の奥が固く閉じてしまって言葉にならなかった。
穏やかだが強さを含んだ低い声で、近藤さんは続けた。
「疑念というものは、時に人を守る盾にもなる。だが同時に、仲間をも見えなくさせる厄介な代物だろう。こんなことがあったのだ、お前が我が家の者達を疑うのも無理はないのかもしれん。ただな、総司」
一拍の沈黙の後に落とされた声は、ひどく静かで重かった。
「この家に仕える者達は、セラを護るためなら、俺と同じく命を張る覚悟を持ってくれているよ。それだけは、どうか忘れないでくれ」
セラはもう戻らない。
父親である近藤さんが、その現実を受け入れようとしている。
その痛みがどれほどのものか、想像するだけで胸が軋んだ。
それなのに近藤さんは、僕達を責めず信じる方を選んでくれている。
その優しさが僕の未熟さを照らし出すみたいで苦しかった。
「私たちは敵ではありませんよ。どうか、その一点だけでも信じていただければ幸いですね」
「沖田さんが今どれほど追い詰められているか、俺にもわかります。ですが俺達はお嬢様を守れなかったその悔しさを、沖田さんと同じだけ抱えているんです」
三人とも、セラを失った痛みを抱え続けている。
そのことを忘れていたのは僕の方だと、拳を握りしめた。
「申し訳ありません。犯人を見つけたい一心で、僕は何も見えなくなっていました。セラを失ったのは、僕だけじゃない。皆さんだって、同じなんですよね」
「ああ……。だが、だからこそ支え合わねばならん。疑いだけに呑まれてしまば、セラを悲しませることになるとは思わんか?」
その言葉に、胸の奥がじんわり熱を帯びた。
確かにその通りだ。
疑念に縋っていた僕の方が、セラから遠ざかっていた。
山南さんが柔らかく微笑み、言葉を添える。
「共に喪ったのです、沖田君。ならば……共に前に進みましょう。あなたは独りではありません」
「俺達は仲間です。お嬢様を愛した者同士です。信じてください、俺達を」
「……わかりました。僕も、皆さんを信じます。セラを想って涙を流す人達を、疑ったままでいたくありません」
この選択が正しいかは僕自身もわからなかった。
でもこの世界では、もうこれ以上この人達を疑うことはしてはいけない。
セラが愛していた人達を、信じていた仲間を……どうして確証もなく疑えるだろう。
「明日、お嬢様の葬儀を行います。何か手がかりが出てくるかもしれません。私達も注意深く参列者と言葉を交わすつもりでいますよ」
明日、葬儀を終えてからセラの元へ行こう。
それまでに何か一つでも犯人に繋がる情報を得られることを願って、静かに頷いた僕がいた。
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