8

迎えた次の日。
本来ならセラ嬢に婚約の話を切り出すはずだったその日は、僕と母が思い描いていたものとはまったく違うものになった。


「アンナ、総司さん、紹介するわ。こちらは斎藤家のパメラ夫人と嫡男のはじめさんよ」


広間に行くと、ユフィ夫人の傍に立っていたのは落ち着いた雰囲気の夫人だった。
柔らかな微笑みを浮かべているのに、その立ち姿には芯がある。
そしてその隣に一人の少年がいた。
背は僕とそう変わらない。
黒い髪は綺麗に整えられ、無駄な動きのない佇まいをしている。
視線は鋭いのにどこか静かで感情を外に出さない……そんな不思議な落ち着きを持った少年だった。


「はじめさんは総司さんと同じ年なの。セラとは幼いころからの付き合いで、まだ歩くのもおぼつかない頃から一緒に過ごしてきたのよ。レーヴェルン公国を統治されているのだけれど、二人はしばらくアストリアに滞在することになったの」


ユフィ夫人の声に、はじめ殿は静かに一礼した。
その所作に年相応のぎこちなさはなく、むしろ大人びた印象さえ受けた。


『パメラ夫人、はじめ、ごきげんよう』


その声に、僕ははっとした。
セラ嬢が、迷いのない足取りで彼のもとへ近づいていたからだ。


『久しぶりだね。来てくれたの、嬉しいよ』


そう言って微笑むセラ嬢の横顔は、僕がよく知っているはずなのにどこか違って見えた。
はじめ殿は一瞬だけ目を見開き、それからほんの僅かに口元を緩める。


『私のこと、ちゃんと覚えてる?』


そう言って彼女が少し首を傾げると、彼はすぐに表情を緩めた。


「忘れるわけがないだろう」

『ふふ、良かった。また庭園を案内するね。前と少し変わったの』

「それは楽しみだな」


二人の間には、説明のいらない親しげな空気があった。
昔の出来事を、当たり前のように共有している距離。
はじめ殿は多くを語らないけど、その視線は穏やかだった。
かたや僕は、セラ嬢と二人で過ごせる時間がこれから減っていくと思うと、胸の奥が落ち着かなくなってしまう。
そしてそう感じたのは僕だけではなかったのだろう、ふと視線を向けると母の表情も一瞬だけ硬くなったのが分かった。


「私たちはお茶にするけれど、子供たちは庭園で遊んでくるといいわ」


ユフィ夫人の言葉にセラ嬢はぱっと表情を明るくし、はじめ殿のほうを見上げて小さく頷く。
二人は自然と並んで歩き出し、僕はその少し後ろを言葉もなくついていった。
二人の距離が近いことも、並んだ背中が揃っていることも、なぜだか胸の奥に引っかかって、視線を逸らすことができなかった。
けれど庭園へ続く回廊を抜けたところで、セラ嬢がふいに立ち止まり、こちらを振り返った。


『総司さま』


セラ嬢は、迷いのない仕草で僕の手をそっと取る。
そして今度ははじめ殿のほうへと手を伸ばし、二人の手を近づけるように促した。


『お二人も今日からおともだち。ご挨拶しましょう?』


言われるがまま、僕とはじめ殿は向き合った。
近くで見ると、彼の目は思っていた以上に凛として強い。
逃げ場のない視線に、思わず背筋が伸びる気がした。


「沖田総司です。よろしく」

「斎藤一だ。こちらこそ、よろしく頼む」


短いやり取りだったけど、セラ嬢は嬉しそうに僕達を見比べていた。


『総司さまはね、ヴェルメルからいらしたの。ヴェルメルは寒いから、アストリアで療養しているんだよ』

「療養?どこか悪いのだろうか」

「少し喘息がね。でもここは温かいから、身体もだいぶ良くなったんだ」

「そうか。ならば良かったな」


僕たちの当たり障りのない会話を聞きながら、セラ嬢はにこにこと楽しそうに微笑んでいる。
その笑顔を見ていると、胸の奥に溜まっていた緊張が少しだけほどけていく気がした。



それからというもの、僕たちは三人で過ごす時間が増えた。
はじめ殿という少しかしこまった呼び方も、いつの間にかはじめ君に変わっていて、それが自然に思えるくらいには親しくなっていた。

騎士団での稽古も同じ時間になることが多く、木剣を握った時の素早い動きを見ながら、すごいなと思ったりもした。
多くを話す人ではないけど、必要なことだけをきちんと口にするところは大人びて見えた。

そしてセラ嬢と遊ぶときも、決まってはじめ君が一緒だった。
セラ嬢はそれが当たり前のように振る舞っているから、僕も何も言えずにいた。


「あれ?セラ嬢、いないね」


その日も、庭園で待ち合わせをしていた。
レッスンはもう終わったと侍女が教えてくれたのに、いつもの小道にも花壇のそばにもあの子の姿は見えない。
僕はきょろきょろと辺りを見回しながら、小首を傾げた。


「城の中にもいないとなると……」


はじめ君はそう呟いて、ふいに視線を上へ向けた。
どうしてそんなところを見るんだろうと不思議に思った時、彼の表情がほんのわずかに緩んだ。


「いた」

「え?どこ?」

「あの木の上だ」


見上げると、そこに小さな影があった。
枝の間から覗く淡い色のリボンと、見覚えのある靴先。
まさか木に登る令嬢がいるとは思わなかったから、僕は唖然と見上げていた。


『はじめ?』

「やはりな。またこの木に登っていたのか」

『だって、ここ登りやすいんだもん。総司さまには内緒だよ?』


そう言って、いたずらっぽく笑う。
でもはじめ君に向いていた視線が僕に移されると、目を見開いて急に少しだけ大人しくなった。


『……あ、総司さまもいらっしゃったのですね』

「うん。探してたんだよ」


そう答えると、セラ嬢はこくんとうなずいて、少し照れたように木の幹をぎゅっと抱きしめる。


『はじめ、降りるの手伝ってくれる?』

「ああ。危ないからちゃんと足場を見てくれ」


はじめ君は迷いのない足取りで木のそばへ行き幹に手をかけると、セラ嬢を見上げた。
まるで何度もそうしてきたみたいな慣れた動きだった。


「ほら、足を」

『うん』


セラ嬢は枝からそっと身を乗り出し、はじめ君の腕に体重を預ける。
支えられながら地面へ降りるその距離の近さや、息を合わせたみたいなやり取りを見ているうちに、胸の奥が僅かに傷むのを感じた。


『ありがとう、はじめ』

「ああ」


短い返事なのに、どこか優しい。
セラ嬢は地面に降りるとくるりと振り返り、今度は僕のほうを見上げた。


『総司さま、ごめんなさい。お待たせしてしまいましたか?』

「大丈夫だよ」
 

そう答えると、セラ嬢はほっとしたように息をついた。


『あの……いつもは、木に登ったりはしないんですよ。今日はお空がとっても綺麗だったから……本当にたまたまなんです』

「そうだろうか。以前は、毎日のように登っていたと思うが」

『はじめ、そんなこと言わないで』


セラ嬢は少し慌てた様子で振り返って、少しだけ頬を膨らませる。
その表情は初めて見るものだったから、僕は思わず瞬きをした。


「そんなによく木登りしてたの?」


僕がそう聞くと、セラ嬢は一度言葉に詰まり、それから小さく頷いた。


『……小さいころは、です』

「今も十分小さいのではないか?」

『もう小さくないよ?それに今はちゃんとしています』


セラ嬢ははじめ君の言葉にそう返しながら、また僕の顔をそっと窺う。
もじもじしていて、少し気まずそうで。
その様子は可愛らしかったけど、本音を言えば僕にも隠さず本当の姿を見せて欲しかった。


「別に木に登っていてもいいと思うよ」


柔らかくそう言うと、セラ嬢は目を丸くした。


『本当ですか?』

「うん。楽しそうだったし」

『……よかった』


セラ嬢はほっとした様子で微笑んだけど、僕はどうしても気になって言葉を足してしまった。


「でも一人の時は駄目だよ。何かあったら危ないからね」

『はい……。ごめんなさい』

「謝らなくていいよ。セラ嬢にに怪我がなくて良かったよ」


セラ嬢は頷くと、僕を見上げて少し恥ずかしそうに微笑んでいる。


『いつもはよくはじめが見ててくれるんです』

「怪我をされたら困るからな。セラはそそっかしい故、目を離すと危険だ」

『もう……はじめは、すぐそう言う』

「事実を言ったまでだ」

『でも、ちゃんと見ててくれるでしょう?』

「ああ。当たり前のことを聞くな」


そのやり取りに、セラ嬢は満足そうに笑った。
まるでそう答えるとわかっていたみたいに。

三人で並んで歩き出すと、セラ嬢は僕達の真ん中で柔らかく話しはじめた。


『総司さま、さっきの雲見ましたか?』

「うん。大きかったね」

『はい。あの雲、まるで竜みたいでしたよね?』

「あはは、確かに」

『はじめは、何に見えた?』

「雲は雲だ」

『なあに、それ。そういうの、つまらないよ?』


セラ嬢はそう言いながらも、楽しそうだ。
そしてその笑顔がはじめ君に向けられるとき、少しだけ気負いがなくなる。
僕に話しかけるときはいつもより丁寧で、少しだけ距離がある。
それがなぜだか胸に引っかかった。

三人で並んで歩くのは楽しいはずなのに、少しだけ寂しく感じた。
セラ嬢はおてんばで、木にも登る子なのに、僕の前では大人しくて遠慮がちだから。
はじめ君にはわがままも言うし、名前も呼び捨てなのに。
それに何より、このままだと彼女に婚約の話をするタイミングがなくなってしまうと思えば、今の状況が酷くもどかしく感じられた。


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