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それからも、もやもやした日は続き、その感情は日に日に膨らんでいった。
どうしてそんな気持ちになるのか、自分でもよくわからない。
ただセラ嬢の笑顔がはじめ君に向けられると、どうしても複雑な心境になった。

そんな中、今日も僕達は三人で一緒に過ごしている。
庭園に来ると、セラ嬢は嬉しそうに僕達を見上げた。


『今日はかくれんぼして遊びましょう?』


そう言って微笑んだセラ嬢に、僕はいいねと頷く。
すぐにじゃんけんが始まり、あっという間に勝負は決まった。


「俺が鬼か」


じゃんけんに負けたはじめ君は苦笑しながら、庭園の大きな木の前へ行った。
木の幹に額を向け腕で顔を隠すと、きちんと数を数え始める。
セラ嬢はその背中を確認するや否や、どこに隠れようかと一生懸命あたりを見回していた。
視線が忙しなく動く彼女のその様子を見ているうちに、僕の頭によくない考えが浮かんでしまう。
気づくと僕はセラ嬢の手をそっと握っていて、指先が触れると、セラ嬢が少し驚いたように僕を見上げた。


「しー」


僕はにこっと笑って、人差し指を口元に持っていった。
セラ嬢は一瞬きょとんとしたあと、状況を理解したみたいに、ふわりと微笑んだ。


『総司さま?』


小声で僕の名前を呼ぶ様子が可愛い。
僕は小さな手を引いて、庭園の最奥、低木が並ぶ場所の裏側まで静かに歩いて行った。


「ここなら見つからないよ。だからここに隠れてて」


僕はこの庭園をよく観察していた。
どこが一番人目につきにくいかも、ちゃんと分かっている。
この場所は葉が重なって影が濃く外からは見えにくい上、低木を越えた先は意外とそれなりに広さもある。
シロツメクサの上にしゃがむよう促すと、セラ嬢は素直に従いながらも僕を見上げた。


『総司さまは?どこかに行かれてしまうのですか?』


この子をここに連れてきたのは、はじめ君と引き離して僕達が二人きりになれるようにするためだった。
こんなことを考えるなんて良くないことだって分かっているけど、こうでもしないとセラ嬢とは二人になれない。
ごめんねと心で謝りながら、僕は笑顔で言葉を続けた。


「すぐに戻ってくるよ。だからここで声を出さずに、いいこで待っててくれる?」

『本当に戻ってきますか……?置いていかない?』

「うん、約束するよ。うまく隠れられたら、あとでいいもの作ってあげる」


そう言うと、セラ嬢はぱっと表情を明るくして、こくりと頷いた。
疑いもしないその従順さが、少しだけ胸にちくりと刺さる。
それでも今は目を逸らして背を向けた。
そしてはじめ君のもとへ向かい、いまだに数を数えている彼に声を掛けた。


「はじめ君」

「どうかしたか?」

「かくれんぼ、中止だって」

「何故?」

「セラ嬢に急用ができたみたいでさ、屋敷に戻っていったよ」

「……そうか。総司、あんたはどうする?」

「僕はここで本でも読もうかな。丁度一冊、持ってきてるし」


そう言って持参した本を見せると、はじめ君は静かに頷いた。


「分かった。ならば俺は騎士団で稽古をつけてもらうことにする」

「じゃあまた明日かな。稽古、頑張ってきてね」

「ああ」


去って行くはじめ君の背中を見送りながら、胸の奥に湧き上がる小さな罪悪感に蓋をする。
急いであの場所へ戻ると、低木の陰ではセラ嬢が言われた通り身を潜めて待っていてくれていた。


『総司さま、おかえりなさい』

「ただいま。待たせてごめんね」

『いいえ。はじめは、もう探し始めているのですか?』

「それがさ、はじめ君は急用で屋敷に戻ったんだ」

『あ……そうなのですね。じゃあかくれんぼはまた今度かな』


少しだけ残念そうに目を伏せて、それでもすぐに微笑む。
そんな彼女の隣に腰を下ろし、足元に広がるシロツメクサに手を伸ばした。


「ねえ、セラ嬢。せっかくだから僕と遊ぼうよ」

『総司さまと?』

「うん。久しぶりに二人でさ」


そう言うと、彼女の瞳が嬉しそうに輝いた。


『はい、私も総司さまと遊びたいです』

「良かった。じゃあ、ちょっとだけ目を瞑っててくれる?」


そう言うと、セラ嬢は少し不思議そうに僕を見る。


『どうしてですか?総司さま、またどこかに行ってしまいますか?』


その声が少しだけ不安そうで、思わず口元が緩んだ。
心配してくれるのが、どうしようもなく可愛く思えてしまう。


「大丈夫。僕はどこにもいかないよ」


セラ嬢は安心したようにこくりと頷いて、両手でそっと目を覆った。
その仕草を横目に見ながら、僕はシロツメクサを摘み始める。
そしてそれらの花の茎を揃えて、くるりと絡めていった。

ヴェルメルで寝たきりだった頃、外にも出られずただ天井を眺めていた僕に、乳母が毎日のように本を持ってきてくれた。
その中の一冊に、シロツメクサの花冠の作り方が載っていた。
いつか元気になったら作ってみようと思って、何度も頭の中でなぞったやり方だ。

できあがった花冠を手に取って、セラ嬢の後ろへ回り込む。
そしてその花冠をそっと小さな頭にのせた。


「もう目を開けていいよ」


セラ嬢は、目隠ししていた手をゆっくりと下ろした。
そして恐る恐る頭の上に触れ、花冠をそっと持ち上げる。


『わあ……お花の冠?すごい……』


僕と花冠を交互に見つめて、セラ嬢は目をきらきらさせている。
向けられた柔らかい笑顔に、胸の奥がいっぱいになった。


『総司さま、こんなに素敵なプレゼントをどうもありがとうございます。とってもとっても嬉しいです』


嬉しいのは僕の方だ。
この微笑みが今は僕だけに向けられているんだと思うと、言いようのない幸せと満足感が胸に広がっていくのを感じた。


「セラ嬢に喜んでもらえて、僕も嬉しいよ」

『こんなに素敵な贈り物をいただいたから、何か私もおかえしがしたいです』

「別に何もいらないよ。ほら、貸して」


彼女の手から花冠を受け取り、もう一度そっと頭にのせてあげる。
白い花に囲まれたセラ嬢は、本当に花の妖精みたいで、胸が自然と高鳴った。


「よく似合ってるよ」

『ふふ、本当ですか?』

「うん、本当。本に載ってたお姫さまみたいだ」


前に庭園でやったおままごとの結婚式。
あの日の光景が蘇り、あの時の言葉をもう一度言いたくなった。


「セラ嬢。僕は、あなたと一緒にいる時間がとても大切です。あなたが笑っていると、僕も嬉しくなります。困っているときは、そばにいたいと思います。だからこれからもあなたを大切にします、ずっと」


セラ嬢は、大きな瞳で僕を見上げた。
あまりにも愛らしいその表情に、周りの音も風の気配も感じられなくなる。
気がついたときには心がこの子一色に染まり、溢れた言葉が口から出ていた。


「セラ嬢、将来僕と結婚してくれる?」


来年も、再来年も。
大人になっても、ずっと。
この子の笑顔を、誰よりも近くで見ていたい。
その気持ちは僕の中に芽生えた本当の感情だと、今はっきり気づいた。


『あれ?それ、本の台詞と違う……?』

「うん。これは僕からの言葉だよ」

『総司さまからの?』

「セラ嬢を護れるように、強くなるよ。剣の稽古も勉強も、全部がんばる。ヴェルメルでちゃんと力をつけて、君を絶対幸せにするよ。だから……大人になったら、僕の本当のお嫁さんになってくれる?」


ヴェルメルにいた頃、何かを成し遂げたいなんて考えたことはなかった。
ただどうやって怒られないで生きるか、どうやって体調の悪さと向き合うか、それだけだった。

でもアストリアに来てセラ嬢と過ごすうちに、この子と過ごす未来が欲しいと思うようになった。
セラ嬢の隣に立てるように強くなりたいと思えたし、そのための努力が楽しいと感じられるようになった。

初めてだったんだ。
そのままの僕を素敵だと言って、僕の存在を温かく包み込んでくれたのは。
こうして幸せという感情に心が満たされるのも、初めてのことだった。

勿論今のままの僕では、この子には釣り合わないのは分かっている。
それでもこの子のためならどんな努力だってできる。
だからどうしても諦めたくなかった。


『私が総司さまのお嫁さんに?』

「うん、そうだよ。君にお嫁さんになってもらいたいんだ」


返事を聞くのが、少し怖かった。
セラ嬢は少し潤んだ瞳のまま、視線を彷徨わせている。


『でも、総司さまは本当の王子さまみたいなのに……私はお姫さまとは全然違う女の子だから……』

「どうして?そんなことないよ」

『ですが、この前は木に登ってしまいました。昨日もつい厨房でクッキーを摘んでしまって、お母さまに叱られてしまいましたし……』


もじもじと話す様子が可愛くて、思わずほんの少し笑ってしまう。
するとセラ嬢は気まずそうに、しゅんと細い眉を下げた。


『だからいつか、本当にお姫さまが現れたら……総司さまは、きっとそのお姫さまのことが好きになると思います』


そう言って俯くセラ嬢の声はとても小さくて、風に溶けてしまいそうだった。
その表情が少し悲しそうで、胸の奥が締めつけられる。
だから僕は首を振って、ほんの少しだけ前に身を乗り出す。
僕の今の気持ちをちゃんと、伝えたかったから。


「僕は木に登ったり、クッキーを摘み食いしたっていいと思うよ」

『……でも……』

「君は君のままでとっても素敵な女の子だよ。他のお姫さまなんていらないよ。だから、そんなこと言わないで」


それは以前この子が僕に向けてくれた言葉とよく似ていた。
弱くてすぐに倒れてしまって、何も出来ないと思っていた僕に、「そのままで素敵だ」と言ってくれた。
だから今度は、僕からもその言葉を返したかった。
ありのままのセラ嬢が好きで、本当に大切だと思えるから。

それに僕だって、王子さまなんかじゃない。
体も弱くて出来ないことも多くて、胸を張れるものなんて何もない。
それでもこの子の傍にいたいと思うこの気持ちは本物だ。


「今はまだ子どもだけど、沢山努力して君を大切に出来る人になる。だから、僕はセラ嬢に結婚してほしいんだ」


周りの音が遠くに消えた気がした。
風の音も鳥の声も何も聞こえなくて、世界にいるのは僕とセラ嬢だけみたいだった。
セラ嬢は驚いたように瞬きをして、それから頬をほんのり赤く染めた。


『わたしも総司さまと結婚したいです』


はっきりと紡がれた言葉を聞いて、今度は僕の方が目を見開く。


『わたし、総司さまのそばにいるのとても好きです。総司さまが笑うと嬉しくなるし一緒にいるととっても楽しい。だから……総司さまのお嫁さんになりたいです』


愛らしい笑顔を目の前に、今更心臓が激しく鼓動を繰り返す。
でもその感覚すら心地良くて、胸の中があたたかいものでいっぱいになった。


「ありがとう、凄く嬉しいよ。大人になったら君を迎えに行くね」

『本当に来てくださいますか?』

「うん、本当。強くなって賢くなって、ちゃんとセラ嬢を護れる人になってから迎えに行く。だから、それまで待っててくれる?」

『はい。総司さまが来てくださるなら、わたしずっと待っています』


その言葉が嬉しかった。
それと同時に少しでも確かなものにしたくて、僕はそっと小指を差し出した。


「じゃあ、約束してくれる?この約束は違えないって」

『はい、約束します』


指が絡まり、微笑み合う。
それら誰にも壊せない、僕たちだけの約束だった。


「僕も、この約束は絶対に守るよ」


小さな指と指で結ばれた、静かで大切な誓い。
庭園の奥、白いシロツメクサに囲まれた場所で、僕とセラ嬢は未来の約束を交わした。

小さな指先の温もりがはっきり伝わり、ほどけないようにそっと力を込める。
子どもの約束だとしても、その想いだけは誰よりも本気だった。

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