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それからというもの、僕が体調を崩すたびに、セラ嬢は僕の様子を見に来てくれるようになった。
お見舞いをしたいと言っていた彼女に対して、ユフィ夫人は「頻繁には駄目、必ず私と一緒にね」と仰っていたらしい。
それはセラ嬢が僕の部屋を訪れることで、体調のすぐれない僕に気を遣わせてしまうのではないかと考えてくれていたのだと知った。

それでも、どうしても気になってしまう日があるのだろう。
セラ嬢は時折、ほんの短い間だけ、誰にも気づかれないように僕の部屋を訪ねてくることがあった。
それはただ顔を見て無事を確かめたいという、彼女なりの精いっぱいの気遣いだったんだと思う。
彼女は決してわがままを言ったり騒いだりせず、ただ静かに僕の身体を案じてくれていた。


『総司さま』


ドアが開いた気配に気づかなかったから、ベッドの横からひょこっと現れた顔に、思わず目を見開く。


「びっくりしたよ。セラ嬢、一人で来てくださったんですか?」

『はい。お母さまはお茶会で、お客さまのおもてなしをしていらっしゃいます。だからわたし一人で来ました』

「午前中も来てくれたんだから、午後は無理しなくてもよかったのに」

『でも……午後の総司さまも、ちゃんと元気にされているか気になったから……』


そう言いながら、セラ嬢は指先をもじもじと動かして、僕を見上げる。
その仕草があまりに可愛らしくて、同時に少しおかしくて、僕は思わず笑ってしまった。


『どうして、笑うのですか?』

「ううん。お見舞いに来てもらえて、嬉しいなって思っただけですよ」

『良かった……』


ほっとしたように頷いたあと、セラ嬢は声をひそめる。


『今日も私がここに来たことは内緒ですよ?』


今度は人差し指を口元にあてて、真剣な眼差しで僕を見つめてくる。
「勿論」と告げると、次の瞬間には花が咲いたように微笑むから、ころころと表情が変わるセラ嬢の顔を見つめることが、ここ最近の僕の楽しみになっていた。


「今日は何を持ってきてくれたの?」


セラ嬢が僕の部屋に一人でこっそり来る時は、決まって小さなバスケットを手に持っている。
その中には僕の体調を気にして、身体に優しい飲み物だったり、果物だったり。
時には本やお菓子も入っている。
今日は何が入っているんだろうと考えていると、中から出てきたのは二人分のゼリーと、セラ嬢の手のひらに乗るくらいの小さな箱だった。


「その箱は?」


そう聞くと、セラ嬢は少し誇らしげに微笑みながら、慎重に箱を開ける。
中にいたのは、赤い羽に黒い点を持った一匹のてんとう虫だった。


「……これ」

『この前、総司さまが見てみたいって仰っていたから』


数日前、セラ嬢と読んだ本の挿絵の中に描かれていた可愛い昆虫。
まん丸の小さな赤い虫には、羽に黒い点が並んでいた。
「てんとう虫っていうのですよ」と、セラ嬢が教えてくれて、僕はしばらくその絵から目が離せなかった。
冬が長くて寒さが厳しいヴェルメルでは、庭園に雪が残ることも多いからか、その虫を見たことがなかった。
だからその時「本物も見てみたいな」と言ったけど、それは小さな呟きに過ぎなかった。
自分でもただの独り言みたいなつもりで言っただけだし、今までてんとう虫のことも忘れていた。
でもセラ嬢は僕の言葉を覚えていて、こうして僕に見せるため、てんとう虫を大切そうに箱に入れて持ってきてくれている。
てんとう虫そのものよりも、僕のことを思ってあれこれ考えながら一生懸命用意してくれるその気持ちが、僕の胸を温かくした。


「ありがとう。見られて嬉しいよ。てんとう虫ってとても可愛いね」

『ふふ』


その笑顔を見ていると、言葉にできない気持ちが胸に広がっていく。
こんな感情は感じたことがなくて、それが何なのかよくわからなかった。
ただ気づけば自然と頬が緩んでいた。
すると僕のその表情に気づいたセラ嬢も、今まで以上に嬉しそうに微笑んでくれる。
その笑顔を目の前に、今度は胸がどくんと少し脈打った。


僕はいまだに体が弱く、アストリアでも寝て過ごすことの方が多い。
一緒に庭を歩くこともできないし、この子のために何かをしてあげられたこともなかった。
それなのにどうしてセラ嬢は僕に親切にしてくれるんだろう。
僕が笑うとそんなに嬉しそうにしてくれるんだろう。

そう考えていると、ふと思い出してしまうことがあった。
それは乳母がいつも言っていた「お可哀想な総司様」という言葉。
体調を崩してばかりで誰からも愛されない僕は、乳母にも憐れまれる存在だった。
だからもしかするとセラ嬢のこの優しさも、僕が可哀想だからなのかもしれないと、胸の奥にかすかな痛みが走った。


『……総司さま?どこか……おつらいですか?』


不意に投げかけられた言葉を聞いて、僕は思わず目を見開いた。
だって、どうしてわかったんだろう。
何も言っていないし、顔色だって変わっていないはずなのに。
返事を考えている僕に、セラ嬢はただ心配そうに首を傾げていた。
そこには探るような色も、同情するような影もなくて。
ただ僕を案じる気持ちだけが、静かに揺れているようだった。


「ううん、そんなことないよ。セラ嬢が来てくれて、てんとう虫も見ることができたから、余計に元気出たかな」

『良かった……。わたしね、総司さまが元気になれるようにって、毎日お星さまにお願いしてるんです』

「え?そんなことしてくれてるの?」

『はい。元気になったら、今度はお外で一緒にてんとう虫、見ましょう?』

「……そうだね」


僕が元気になれる日なんて本当に来るのかな。
たとえ元気になっても、また少し動いたらベッドの中に逆戻りする毎日なんてもう嫌だ。
何より、いつかセラ嬢も僕を見限るんじゃないかって、そんなことばかりを考えてしまう僕がいる。
いつかなくなる優しさなら、そんなものは最初からないほうがマシだからだ。


「でも、もし体調が悪いままだったらごめんね。そうなったら、お見舞いも来てもらわなくて大丈夫だよ。セラ嬢もレッスンとかあるだろうし忙しいだろうからさ」


その言葉は本心ではなく、少しでも僕が傷つかないようにするためのものだった。
僕は最初から何も期待してないし、何の願望もない。
ただ今までのように、流れに任せて生きていくことしかできないんだから。


『それはだめです』


不意に聞こえてきたきっぱりとした声に顔を上げると、セラ嬢は首を横に振っていた。


『お見舞いにはずっと来ます』

「……え、どうして?」

『だって、総司さまがここにいらっしゃるから』


さも当たり前のように紡がれた言葉に目を瞬くと、セラ嬢はふわりと微笑んだ。


『総司さまと一緒にいると、とっても楽しいんです。本を読んだり、秘密のお話しをしたり、一緒に窓からお庭を見るのも好きなんです。だから総司さまが元気でも、そうじゃなくても、会いにきたいです』


それは、とても何気ない言葉だった。
飾りもなく深く考えた様子もなく、ただ思ったことがそのまま零れたみたいな声。

初めてだった。
病気のことも含めて僕をそのまま見てくれて、一緒にいる時間が好きだと言ってもらえたのは。
そんなセラ嬢の眼差しに触れて、胸の奥が熱を帯びるように熱くなった。
 

『あ、そういえば』


なにか返事をしたいのに言葉が見つからずに僕が黙ったままでいると、セラ嬢は何かを思い出したように、両方の手のひらを小さくパチンと合わせた。


『これ、総司さまに』


そう言って、彼女は何かを取り出すと、両手の手のひらにのせて僕の前に差し出してくる。
それは手のひらに収まる、小さなお守りだった。
中を覗くと、薄い羊皮紙に挟まれた押し花が一輪入っていた。


「この花……デイジー?」

『はい。花辞典で調べたら、このお花、希望っていう意味があるって書いてあったんです。総司さまが元気でいられますように、笑っていられますようにって思って作りました』


白いデイジーは丁寧に押されていて、花びら一枚一枚がきれいに形を残していた。
きっと花の名前を調べて、意味を読んで。
庭を歩きながらこの一輪を探し、何日もかけて押し花にしてくれたんだろう。
全部、僕のために。
だからこのお守りを握ると、あたたかさが伝わってくる気がする。
そしてこのお守りがある限り、僕はいつか絶対この身体の弱さを克服してやると思うことができた。


「ありがとう。とても嬉しいよ」


言葉では伝えきれないくらい、嬉しくてたまらなかった。
僕が笑うとセラ嬢も嬉しそうに笑ってくれるから、そのことも嬉しかった。


「大事にするね。ずっと持ち歩くよ」

『ずっと?』

「うん。ずっと」


お守りを差し出すセラ嬢を見て、ふと昔の記憶が蘇った。
それは幼い頃の僕が大好きだった「星の王女さま」という絵本。
その物語に出てくる王女さまに、セラ嬢がよく似ていることに気付いた。
挿絵のイラストは勿論、愛らしいところも、心が綺麗なところも本当にそっくりだと思った。


「セラ嬢ってさ、僕が好きだった絵本に出てくる王女さまに似てるよ」

『そうなんですか?』

「うん。星の王女さまっていう絵本なんだけどね。その王女さまは困っている人や悲しんでいる人に分け隔てなく優しくできる素敵な王女さまなんだ」


セラ嬢は僕をじっと見つめながら、静かにその話を聞いてくれている。
でも不意に口元をふにゃりと揺らすと、照れた様子で微笑んだ。


『そのお話、いつかわたしも読んでみたいです』

「じゃあ今度持ってくるよ」

『わあ、嬉しい。楽しみにしてます』


セラ嬢はそう言って、僕の大好きな笑顔で微笑んでくれた。
その後も他愛のない話をしたり、てんとう虫を窓から一緒に逃してあげたり、穏やかな午後の時間を過ごしていた。
ずっとわからなかった幸せという感情がどんなものなのか、アストリアに来て少しわかってきた気がする。
そして僕の幸せはきっと、この子と共にあるのではないかと思い始めていた。


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